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3. 波風が立つ(上)

 騎士達に揉みくちゃにされたその日の午後。執務室に併設された浴室で軽く汗を流し、身なりを整える。カシェはきちんとした騎士服に身を包んでいた。

 騎士団長から呼び出しを食らったためだ。


「はぁ……」


 話の内容は凡そ予想が着くため、気が重くて仕方がない。折角の気晴らしが無駄に終わってしまったことに落胆する。

 せめてもの時間稼ぎとして、遣いの者に午後に訪ねると言伝し、執務室に戻ってきた次第であった。


(……恐らく昇格の話だろうな)


 先の戦において、カシェに与えられた報酬。それが司令官という立場だ。


 カシェの暮らす国——アルヒ王国では、いくつかの騎士団が存在する。王族を守護する近衛騎士団。王国全土を守り、様々な局面においてその解決が求められる王国騎士団。そして、王の影と呼ばれる騎士団。この三つの騎士団によって、王国は長く安寧と平穏を保ってきた。

 近衛騎士団は、単純な強さを求められるだけではなく、他国の王族がいる場でもその後ろで控えられるように、教養や品位などあらゆる分野において高度なレベルを求められる。身に纏う純白の騎士服は異心を許さぬ高潔の証と言える。その狭き門を潜り抜けた者こそ、その一生を現王に捧げる代わりに永劫の名誉を得ることになるのだ。


(名誉のために他人に尽くすなど、気が知れないな)


 王国騎士団は、カシェやヴァイスハイトが所属している一般的な騎士団であり、騎士と呼ばれる存在の大多数がこれにあたる。何物にも穢されぬ漆黒の衣は国民の憧れであり、畏怖の象徴でもあった。

 この騎士団では、入団試験に合格することができれば平民でもなることが可能だが、個人の能力に合わせて配属される部隊が変わる。カシェの所属していた中隊は戦場の最前線で戦う実働部隊であるが、普段は魔物討伐を行うことがほとんどであった。


(まあ、私も騎士である時点で多かれ少なかれ国に尽くしている身ではあるが……)


 最後に、王の影と呼ばれる騎士団は公に明かされている存在ではない。寧ろ、国民には知らされることもない謎の存在である。とはいえ、貴族の間では周知の事実であった。

 近衛騎士とは異なり、王族を影ながら守護し、時には主の元を離れて主が求める情報の収集や裏工作などの任務にあたる。歴代の王族において陰で殺された存在は、こうした他の王族の影によって消されている可能性が高かった。


 この各騎士団には、それぞれに騎士団長が一人と副騎士団長が二人存在する。そして、王国騎士団であればその下に、連隊、大隊、中隊、小隊と細分化された部隊がある。各部隊には、ヴァイスハイトのような隊長が一人ずつ、副隊長が二人ずつ存在し、他の騎士達を統制している。

 しかし、カシェが推薦された司令官は、そのどこにも所属していない。強いて言うならば、王国騎士団の上に存在し、司令官本部という一線を画す立場であった。前線に立たず、戦況に合わせて指示を出す存在。交錯する戦場で多くの騎士を生き残らせる大変重要な役職と言える。


(だからこそ、私のような若造では力不足だ)


 カシェは胃が痛む思いであった。

 司令官はその役職柄、命を脅かされることが殆どない。一方で、その指揮が誤っていれば多くの命を失うことになる。そのため、今までは退役後の経験豊富な騎士の中でも、特に視野が広く指揮を執ることを得意とする者が選ばれていた。

 そんな地位であるため、騎士本人やその家族から余計な妬みや恨みを買う可能性も考えられる。ただでさえ周囲に敵を作ることができない中、その道を選ぶにはメリットがないに等しかった。


「せめて父上が健在であれば……いや、弱音を吐いても仕方のない話だな……」


 目を瞑り、眉間の皺を解す。そうこうしているうちに約束の時間になった。心底行きたくはないが、行かなければならない。

 部屋を出る前に、サッと身辺を確認する。胸元の徽章を確認していると、ふと今朝方に引き出しの奥深くに仕舞い込んだ存在を思い出した。


「これも返さなくてはな」


***


 カシェが与えられた執務室とは異なる階層の一室。窓から差し込む光は相変わらず輝かしく、祝福しているかのように自身を迎え入れる。残念ながら、カシェの胸中はその一筋の光も差さない曇天であったが。


「……随分と遅かったじゃないか」

「ちゃんと午後から訪ねると言伝しましたが」


 テーブルの上の紅茶が入ったカップから湯気が揺らめいた。そのテーブルを挟んで向き合うようにして、威圧感のある男が座っている。

 両者ともに紅茶に口を付けることもなく、ジッと目を合わせる。やがて、痺れを切らした男がひじ掛けに置いていた手を頭に当て、心底呆れたように首を振った。


「騎士団長の呼び出しなんだぞ、もっと早く来るべきじゃないのか?」

「はっ、承知いたしました」


 反論するのも面倒とばかりに返す。

 暫くの沈黙の後、騎士団長はふるふると小刻みに震えだし、遂にはもう我慢ならないと笑い出した。


「はははっ! カシェ、その渋い顔兄さんにそっくりだな!」

「勘弁してくださいよ、アレクサンドル叔父上」

「昔みたいにアレックス叔父さんって呼んでくれって毎度言っているだろう……」

「はいはい」


 笑ったり拗ねたり、ころころと表情が変わる。

 先程までの雰囲気が嘘のように和やかな空気が漂っていた。


「だが、私の呼びかけにすぐに応じないのはいただけないな」

「それこそ叔父なんですから、いいじゃないですか。急用でもないんでしょう?」

「お前、そんなこと言ってたらまたコネがどうのと言われるぞ」


 その言葉を聞いてカシェはわざとらしく首をすくめた。そんなことをいちいち気にしていては身が持たない。


「そもそもは叔父さんのせいですけどね」


 何の感情も乗っていない言葉であるが、アレクサンドルは思わず肩を窄めた。そして、そっとカシェから視線を逸らし、明後日の方向に目を向ける。

 カシェの言う通り、元はと言えばアレクサンドルのせいであった。



 アレクサンドルは、非常に武力に特化した男で、騎士を目指す者なら誰しもがその指導を受けたいと思うほど一目置かれていた。しかし、彼はどれほど高位の存在から頼まれても誰一人として弟子をとることがなかった。曰く、面倒だから、と。

 そんなある日、アレクサンドルは珍しく浮かれていた。その様子を見た部下が尋ねると、笑顔でこう答えたのだ。


「弟子が漸く入団試験を受けるんだ! いやぁ、長かった……ほんの小さいときから指導してきたが、全然騎士になると言ってくれなくてなぁ……」


 これには部下を含め多くの騎士が驚愕し、弟子が入団試験を受けるという噂は一瞬で広がった。当然、入団試験が行われる日には今までにない数の人員が一目でもアレクサンドルの弟子を見ようと集まった。


「あの背の高い若者だろうか?」

「いや、その横の筋骨隆々の男じゃないか? 見るからに強そうだ」

「少なくとも細っこいあいつじゃぁなさそうだな……そもそも参加者ではなく見学者かもしれん」


 誰しもが、力強くオーラを纏わせた男を想像していた。

 ところが、アレクサンドルが仲良さげに話しかけたのは、入団試験で誰よりも儚げに見える男であった。


「あの……アレクサンドル大隊長、そちらは……」


 部下の一人が勇気を振り絞って尋ねる。まさか、まだ青年にも満たない年頃の、その中でもさらに頑強とは程遠い少年が弟子のはずがないだろう。そんな思いが滲み出ている。


「ああ、此奴は私の弟子だ! 義兄の息子でな、豆粒サイズから世話してきたんだが、これが中々筋のいい奴で……」

「……アレックス叔父さん、話が大袈裟ですよ」


 その後も身内贔屓のような発言が続く。周囲は完全にアレクサンドルが贔屓目で見ているだけであると悟った。結果、試合は滞りなく進んだものの、カシェが勝ち進んだのはまぐれであると思われた。そして、入団後の配属先が当時アレクサンドルが率いていた大隊に所属していた中隊であったことから、アレクサンドルのコネで入団できたと噂が回るようになったのである。



 思い返し、カシェがじっとりと目を細めてアレクサンドルを見やる。視線がチクチクとアレクサンドルに刺さった。


「叔父さん?」


 カシェの圧に耐え切れなくなったのか、アレクサンドルは湯気の立っている紅茶を一気に口に含んだ。そして、どうにか話を逸らそうと適当な話題を口にする。


「ああ……いや、その、なんだ……楽しそうだったじゃないか」


 唐突な発言だが、午前の手合わせのことを言っているのだろうと予想が着いた。

 敵国の人間にも自国の人間にも恐れられる騎士団長のその形無しの姿に、仕方がないと苦笑する。


「騒がしかったでしょうか」

「いや、お前が息抜きできたならば何よりだ」


 話を流すことに成功して安堵したからか、アレクサンドルの顔に微笑が戻った。


「お前、戦勝パーティーも参加せず仕事をしていたそうじゃないか」

「領地の方の仕事もありますからね」

「程々にしろよ……まあ、ああいう手合わせはもっと取り入れてもいいかとは思うがな」


 アレクサンドルの言葉に首を傾げる。団体での動きが求められる中で、私闘を推奨してしまえば隊の連携が乱されかねない。


「何も、私闘を取り入れようと言っているわけじゃないぞ」

「と申しますと?」

「お前との手合わせの話だ」


 今度こそ何を言っているのか全くわからない。カシェは眉を顰めた。


「お前の戦いは他の者の士気を高めるからな。他の者にとってもいい経験となるだろう」

「はぁ、そうだといいのですが」


 曖昧に答えるカシェが不満であるかのように、アレクサンドルがむっと口を尖らせる。


「カシェ、お前はどれだけ実力があるのかわかっていないだろう!」

「まぁ……正直なところ、やはり力では敵いませんからね」


 カシェはぐっと拳を握り締め、すぐに力を抜いて手を組み直した。その手は剣だこや小さな傷が刻まれている。鍛えていることは見て取れるものの、やはり他の騎士よりかは細身である。遺伝なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。


 元々、ファーガス家自体が代々文官の家なのだ。騎士となるための育て方をされてきたわけではない。カシェ自身も、本来であれば文官の道を選ぶはずだった。

 はじめにアレクサンドルがカシェを指導したのは、親戚の子どもと遊ぶ延長線であった。予想外に訓練に付いて来たカシェが可愛くて、つい鍛えてしまったのだ。

 そのこともあり、カシェは文官一族の血を継ぎながらも文武両道に育っていった。そんなカシェを親戚連中は異質であるかのように見ていたが、父親とアレクサンドル、そして家令はその才能を大いに喜んでいた。


「羨ましいか」


 ただ騎士として生きている彼らが。純粋に認めてもらえる騎士たちが。


「少し。ただ、相手の力は利用すればどうとでもなりますし、そもそも本来であれば剣一本で戦うことはありませんから」


 アレクサンドルの言葉に含まれた意味に気付いているのかいないのか。否、恐らくカシェは理解しているだろう。理解した上で、言葉にはしないのだ。それならばそれでいい、とアレクサンドルは頷いた。


「その通りだ。しかし、よくいつもと違う武器であそこまで普段通りに戦えたものだな」

「慣れは必要ですが、大きく立ち回りを変えてはいないのでどうにか」


 また謙遜か、という呆れを含んだ視線を真正面から受ける。カシェにそのつもりはない。言葉通り、立ち回りを変えなかったからこそどうにかなっているに過ぎず、目の前の師の評価が甘過ぎるとさえ感じていた。


(それができるってのが、とんでもないことなんだがな……)


 アルヒ王国騎士団では、騎士それぞれに向いた武器を扱うことが許されている。多様な攻撃は、攪乱や状況に応じた立ち回りを行うことができるためだ。一方で、自分に合った武器以外を扱う頻度は少なくなりがちである。そのため、訓練では様々な武器に慣れさせ、武器ごとの力の込め方や立ち回りなどを学ぶものの、どうしても苦手意識が強くなってしまう。

 カシェの武器は、特別細身の武器であり、刺突が主である。凡そ実践には不向きのように思われるが、カシェの戦い方には非常に向いた武器であった。


「寧ろ普段の武器でよく戦えると言うべきか。あんなに細い武器、私ならば折りかねん」

「それこそ慣れではないでしょうか」

「いいや。……戦場でお前に助けられた者は皆、お前の戦い方に憧れて細身の剣を扱う練習を行っているそうだ。知らんだろう?」

「はぁ」


 初耳だ。何故己の戦い方に合った武器ではなく、憧れを選ぶのか。カシェは頭が痛んだ。


「中々上手くはいってないようだがな。なんせ、刃が折れるわ、曲がるわ……。いいか? あの武器を実践で扱おうとするのは酔狂な奴しかおらん」

「酔狂とは失礼な。魔力の通りがいいんですから仕方ないでしょう」


 魔法は、基本的に自身の魂を中心に展開することで発動が可能となる。しかし、魔力に精通した者は、自身を通して別の物体にも魔法を展開させることができる。

 カシェも類稀なるセンスと血の滲むような努力を重ねた結果、武器に魔力を通すことができるようになっていた。そのような特異な戦い方であるため、万人が真似をすることは不可能なのである。


「私は身の丈に合った戦い方をしろと怒るべきなのか、部下の才能を伸ばすためにも容認するべきなのか……」

「新たな学びを得ることに繋がりますから、今はいいでしょうけど……。得意武器の訓練と調整する必要がありそうですね」


 大半が断念するとわかっていても、楽しそうな顔を見ると止めるに止め難いに違いない。カシェは、アレクサンドルの性格をよく理解していた。


「そうさなぁ……。私自身、ああいった姿を見るとどうにも懐かしくなってな」

「アレックス叔父さんにもそんな過去があったんですか?」


 アレクサンドルにもそのように憧れの武器を練習する時期があったのだろうかと身を乗り出す。


「今月の武器破損の四割は私だ」

「あぁ……」

「おかげで副団長に怒られて給料から差し引かれることになった」


 アレクサンドルが遠く悟ったような顔をして言った。その哀愁漂う姿を見て、カシェは何とも言えない顔をする他なかった。


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