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35. それぞれの矜持と討伐戦

 提灯(ランタン)の灯りでは目の前の盗賊は十分には照らせない。反対に、盗賊たちからは灯りのおかげで討伐隊の動きがよく見えていることだろう。カシェが剣を手にし、マルクが舞台を整えても依然として余裕綽々とした会話が聞こえてくる。


(だが、その余裕もいつまで保つだろうな)


 不思議と、カシェは敵の動きが把握できないことに対して焦りはなかった。盗賊たちが短剣を翻す度に提灯(ランタン)の光を受けて輝くおかげか。あるいは、そういったところが戦いに不慣れであることを暗喩しているからかもしれない。

 カシェの目にはどうにも素人の()()にしか見えなかった。

 重心を前に傾け、足に力を入れる。重心を置いた足元の地面が少し抉れた。


「あ……?」


 地面を蹴り、一瞬で間合いを詰める。盗賊は突然懐に入ってきた白い影に反応できないのか、上体を後ろにずらした。一瞬遅れて短剣がカシェに向けて振り下ろされるが、半身を捩ってその切っ先を避ける。


「グァ……ッ!」


 盗賊が腕を引く前に、カシェが短剣を持つ盗賊の手を刺突剣の刀身で叩く。手を重い金属で打たれた痛みで呻き声が上がると同時に、短剣が地面と接触して渇いた音を立てた。


「人を狙うならば武器は最後まで持っておけ」


 そのまま剣の柄で盗賊の横面を殴打した。今度は呻くこともなく倒れる盗賊を尻目に、すぐ横にいた盗賊へと斬りかかる。


「グ、ぅ……」

「うぉぉぉぉ!!」


 斬った盗賊が血を流して倒れよりも前に、背後から別の盗賊が接敵する。振りかざされた刃が風を切る音を聞きながら、カシェは返す刀で盗賊の腹を薙いだ。

 刀身に付着した血を払っていると、視界の端に光るものを捉えた。考えるよりも先に、身を屈ませる。その直後、カシェの側頭を狙って振り抜かれた剣が頭上を通り抜けた。


「クソ……これも避けるのかよ……!」


 吐き捨てる盗賊を下方から刺し、魔力を通して身体を縛る。カシェは身動きの取れない男に尋ねた。


「君、弓を持った幼子を知らないか」


 カシェは口だけ動かせるように加減しようと、盗賊の首に手を伸ばした。しかし、それは叶わなかった。


「ハハ……! あんた、あの売り物の知人か!?」


 刺突剣が刺さったままの盗賊を盾にし、その背後から新たに盗賊が攻撃を仕掛けてきた。


「危ない……!」


 辛うじて、討伐隊からも仲間を隠れ蓑にして攻撃を仕掛ける盗賊の姿が見えたらしい。悲鳴のような声が光の灯された方から聞こえてきた。その距離では身体強化もなしには間に合わないとわかっているはずなのに、光が近付いてくる。

 一方、盗賊の方は刺突剣が刺さったままの仲間を押し、カシェに接近する。仲間の身体に刀身が深く刺さることなどお構いなしで、眼前の敵のことしか頭にない様子だ。あるいは仲間とも思っていないのかもしれない。


「あの子を知っているのか」

「知ってるも何も、捕らえたのは俺だからなァ? 痛みに呻くガキの髪を引っ張って牢に突っ込んでやったよ」

「ほう……? 貴様が……」

「あんたも売れそうな顔してるし、俺が同じ奴に売ってやってもいいぜ? ま、その後は知らねぇけどな!」


 会話をしながらもカシェは警戒を解くことなく相手を観察する。気絶をさせようというのか、抜き身の短剣とは別に鞘に仕舞われたままの短剣も隠し持っているのが垣間見えた。抜き身の短剣に意識を向けた途端、隠し持った短剣でカシェの頭を殴るつもりだったのだろう。

 盗賊はカシェがその策に気付いたことに気が付いたようだが、気にも留めず抜き身の短剣を振りかざした。カシェが攻撃を防ぐためには刺突剣を抜いてから短剣を受け止めなければならないが、抜くより前に短剣の刃先がカシェに届くだろう。たとえ策に気付いたからといって、目の前の刀身から目を離せるわけでもない。

 そう思って、油断したに違いない。


「あまり失望させないでくれ」

「ハァ……?」


 カシェは刺突剣の柄から手を離した。支えを失った盗賊が前方に倒れ、それを盾にしていた盗賊も体勢を崩す。盗賊がたたらを踏んで体勢を整える隙に、カシェは足元に転がった短剣の切っ先を勢いよく踏んだ。その拍子に浮き上がった短剣の柄を握る。


(こんな奴がゼノを傷付けたのか)


 そう思うと怒りで自身を制御できそうにない。カシェは殺しそうになる手をもう一方の手で押さえつけた。刃先が盗賊の首を薄皮一枚切る。その刃が触れた部分を起点にして魔力を流し込む。使い慣れない刃を通したからか、あるいは怒りのせいか。魔力は止めどなく溢れ、魔法の完結に必要な量を優に超えた。

 過剰な魔力を受け、盗賊が血の泡を吹いてひっくり返る。


「す、すげぇ……化け物みたいだ」

「おい! 馬鹿!」


 討伐隊の若い兵士が思わずといった様子で喉を震わせた。隣の兵士が慌てて若い兵士の口を塞ぐ。若い兵士も呟いた後で己の失言に気が付いたのか、提灯(ランタン)に照らされた顔が見る見るうちに蒼褪めていく。

 カシェは兵士に一瞥も暮れることなく、刺突剣を盗賊の身体から抜き取った。その様子に、恐らく聞こえていないのだと思った兵たちが小声で話し始めた。


「でも、あの力が俺たちに向いたら恐ろしいよな……」

「絶対に向かないとも限らないしな」


 流れ込んできた嫌な空気にエイドは顔を顰めた。カシェは戦えない討伐隊の代わりに前線に立っただけだというのに、何故仲間である彼らが非難するのか。それも、不敬な言葉を敢えて聞かなかったことにした相手を、だ。


「俺たちが使えない人間だっただけだろ……」


 強い力を恐れるのはわかる。砂漠の生物もそうであったように、生き残るための本能なのだから仕方がない。だが、自分たちを守ってくれた相手に対してそう思うのは違うだろう。エイドは眦を吊り上げて討伐隊に突っかかろうとした。しかし、それはカシェ自身によって阻まれてしまった。


「皆、すまない。全員意識を奪ってしまったから拠点の場所を聞き出せなくなってしまった……」

「それなら俺に任せて」


 エイドはカシェに向かって自信満々に答えた。



 エイドの後を追って森を進んでいく。倒れた盗賊たちは縄で縛り上げ、仲間を呼べないように猿轡をして連れている。先程カシェに対して不敬な発言をした者に対して、リーダーが盗賊を背負って歩くようにと指示を出したのだ。

 そこまでする必要もないのだが、正直に言うと戦闘に必要な人材でもない。荷物持ちの方がよほど役に立つと言われれば反対する理由もない。兵士たちは泣く泣く重い荷物を運ぶこととなった。


「そういやさっきの風、マルクさんの魔法?」

「枝葉を切った技ですか? 残念ながら魔法ではなく、物理攻撃なんですよ」

「えっ!? 物理!?」


 エイドが振り返り、目を輝かせてマルクに問う。マルクは苦笑しながら薄刃のナイフを取り出した。ナイフの柄を持ったまま、身体強化の魔術を肩から腕にかけて掛ける。そして、その腕を軽く振りかぶると、先程と同様に風が一直線に吹いた。

 風が吹いた場所は見事に枝葉が一掃されている。


「相変わらずマルクの腕は凄まじいな」

「それなりに鍛えましたからね」

「す、すげぇ……じいちゃんみたいだ」

「君の知り合いにも武術の達人がいるのか」

「そ、俺の師匠のじいちゃんなんだけど……っと、ここを右だと思う」


 カシェとマルク、エイドが穏やかに雑談をしながら、マルクによって拓かれた道を歩く。

 やがて、人が数人通るためにできたであろう、人工的な道が現れた。地面は他の場所に比べて固くなっており、よく通られている道であることがわかる。


「この近辺に拠点がありそうですね」


 自然とマルクが声を落とす。その声にカシェも頷き、背後の討伐隊に物音を立てないようにと指示を出した。


「あっ! あれがそうじゃないか!?」


 きょろきょろと辺りを見渡していたエイドが洞窟を指差した。洞窟の入り口には松明が焚かれており、見張りが二人立っている。


「他にも入口があるかもしれませんね……」

「どうだろうな。……君、盗賊がファーガス領に現れたのはいつ頃だ?」


 マルクの懸念も十分に有り得ることではある。カシェは自身に近い位置にいる兵士に問い掛けた。


「は、つい最近です。それこそ、戦が終わってからですので……」

「ではひと月も経っていないな。となると、人工的にどこかに通じる通路を作れるほどの時間はないはずだ」


 遭遇した盗賊は皆、カシェの顔を知らなかった。ということは、他領の人間である可能性が高い。盗賊はこの魔物の生息する森からファーガス領の各地に出現しているようだが、そのためには力の強く戦える者が魔物を警戒しつつ外との行き来をする必要がある。道などの必要最低限の整備以外には時間的にも人手的にも手が回っていないと考えるのが妥当だ。


「それもそうですね」

「念のため、マルクは何人か連れて周辺に穴がないか探してくれ。自然物の抜け道がないとも限らんからな」

「かしこまりました」


 マルクが頷き、リーダーの元へ向かう。リーダーは少し考えた後、幾人かの名前を呼んでマルクに付けた。マルクはカシェに黙礼すると、兵たちを連れてすぐさま森へと消えた。

 その後ろ姿を横目に、カシェは後ろを振り返って盗賊を背負った面々を指差した。


「君たちはそれを縛り上げ、入り口を見張るように。内から逃げてきた者も外から来た者も決して通すな」

「は、はい!」


 若い兵士が震えた声で返事をする。恐らく、カシェの言葉の中に人に限らず、魔物も通すなという意味が含まれていることに気が付いたのだろう。流石に若い人材を使い潰すのも酷かと思い、カシェは兵士を安心させるように優しい笑みを浮かべた。


「案ずるな、森の調停者(フォレアルビトル)も置いていく」

「ひぇ」


 しかし、それは逆効果であったのか、兵士は顔面を蒼白させて情けない声を漏らした。


「残りは私と共に行くように。……突撃!」


 ***


 茂みから突如飛び出してきたカシェたちに対し、盗賊は一歩反応が遅れた。動揺からか、盗賊が首から下げた笛を吹いて仲間を呼ぶべきか応戦するべきかを悩んでいる内に、エイドが剣の峰で盗賊の腹を打つ。そのまま倒れ伏した盗賊を死んだと勘違いしたのか、もう一人の盗賊は短剣を落とした。震える姿からは、やはり慣れというものを感じない。


 戦意を喪失した盗賊を兵士が縛り上げる。その間に、カシェは洞窟の中に足を踏み入れた。中は均等に焚かれた松明によって意外にも明るさを保っている。洞窟内で松明を焚く辺り、どこかしらに通気口か別の出入り口がある可能性が高そうだ。

 カシェたちが周囲を警戒しながら進んでいると、奥から複数の足音が聞こえてきた。


「敵だ! 武器を取れ!」

「ったく、表の男たちは一体何してんのよ……男たちがいないからって怯むんじゃないよ!」


 聞こえてくる声にカシェは眉を顰めた。エイドもその違和感に気付いたのか、目を見開いてカシェを見る。


「兵士か……よくここを嗅ぎつけてきたもんだ。あんたたち、商品を見張っておいで!」


 奥から出て来たのは女や子ども、そして年老いた人間ばかりであった。女たちがまだ小さい子どもを奥へと隠し、庇うようにカシェたちに向き合う。残った者たちの手には鍋や鍬、草刈り鎌といった凡そ戦闘向きではない道具が握られていた。どうにも盗賊というには村人らしい井出立ちだ。

 だが、兵士を見て鼻に皺を寄せるのも、商品を見張るという台詞からもただの村人というには不自然だ。


「どういうことだ……?」

「もしかして、盗賊に囚われた方々ですか!? 我々が助けに来たので安心して……」

「おい、待て!」


 兵士の一人が剣を仕舞い、安心を誘うように手を広げて近寄る。だが、本当に盗賊に囚われていた人間ならば、兵士服を身に纏った人物に向かって武器を構えるのは可笑しい。それに気付いた別の兵士が止めようと声を掛けたが、どうやら遅かったようだ。


「がぁ……ッ、あ、……たす」


 止める間もなく、無抵抗な身体に向かって鍬が何度も振り下ろされた。

 動かなくなった兵士に、他の討伐隊が息を呑む。一方、村人たちが亡骸に群がり、身包みを剥がしていく。内一人が兵士の剣を取り、カシェに切っ先を向けた。


「それ以上近付けば全員殺す。殺されたくなければ身に着けているものを置いて去れ!」


 討伐隊含め、カシェ側の人数は出入り口の守りと偵察に割いているため少ない。人数差によるものか、人を一人殺めた興奮からか、村人側の士気は高い。


「……そちらこそ、降参する気はないか」


 カシェが武器を持った女に提案を持ちかける。せめて降参してくれれば、戦わずに済む。カシェとしても無抵抗の人間に剣を向ける気はない。

 だが、女は鼻で笑ってその提案を蹴った。


「するわけないでしょ。アンタたちの身包みも剥いで売り物にするわ。……アンタは綺麗だから商品にしようか」

「残念だ。ならば容赦することもないな」


 カシェが刺突剣を構える。それに倣い、エイドも片手剣を構えた。

 完全に敵であると見做したカシェの殺気に当てられ、村人たちが浮足立つ。震える手で武器を構える女子どもに対し、討伐隊は本当に剣を向けてもよいものかと迷いを見せた。


「……戦えないならば邪魔だ。今すぐ外の人間と変わるといい」

「ほ、本当に戦うのですか……? 相手は盗賊と言えど、か弱き者たちですよ……!」


 カシェは返ってきた言葉に溜息を吐いた。


「君は何を守りたいんだ? 目の前の人間か? それとも領民か?」

「え……?」

「もしも目の前の人間を助けたいのならば兵士は辞めるといい」

「いくら何でもあんまりです……! 今まで領地のために尽くしてきてくれた者たちですよ!?」


 カシェの物言いに堪え切れなくなったのか、リーダーが反論する。その怒りで真っ赤にした顔をカシェが冷えた眼差しで一瞥した。

 彼らの高潔な心を汲んでやりたい気持ちは山々だ。だが、その想いが領民を危険に曝すことに繋がるのであれば、そんな感情は必要ない。そして、今この者たちを憐れんで逃してしまえばまた領民が襲われるかもしれない。


「せめて、説得を……」

「君は本当に説得できると? ……覚悟した者の刃は重いぞ」

「しかし……」

「私は、この地の領主だ。守る者は領民であり、そのためならば誰の血を流すことも厭わない」


 淡々と告げられた声にリーダーははっと目を見張った。漸く頭が冷めたらしい。

 討伐隊が武器を構え直したのを見て、女が話し掛けてきた。


「話は終わったようね……ま、おかげでこちらも準備が整ったけどね!」


 女が手を上げる。その動きに合わせて、子どもたちが拳大の石を投擲してきた。石が兵士の頭に当たり、こめかみから血を流して倒れる。頭上から降り掛かる石を避けようと頭を庇うと、今度はその胴体に向かって斧が投げられた。


「へぶ……ッ、ぅ」

「クソ……! おい、しっかりしろ……!」


 幸いにも刃の部分が当たったわけではないようだが、鳩尾に鉄の塊がぶつかったせいで悶絶する。リーダーは倒れた部下を守ろうと防戦一方で、いまいち攻撃に転じることができずにいた。


「あら、もう大分人数削れたけど大丈夫?」

「敵に心配されるほど落ちぶれてはいないさ」


 カシェが剣を持った女と切り結ぶ。その背を、鍬を持った子どもが襲おうとしたところをエイドが跳ね除けた。エイドが容赦なく子どもの腕を切って武器を捨てさせる。

 カシェも剣を持った女の腹を刺し、地面に転がした。顔を上げると、エイドが武器を持って襲い掛かる者を次々に倒していくのが見える。カシェも助太刀しようと女に背を向けると、足を何者かに捕まれた。


「……しつこいな」

「行かせ、ないよ。せめてアンタだけは一緒に連れていかない、と……」


 女の手がカシェの足にしがみ付いている。その反対の手には、何やら液体が塗られた短剣が握られていた。恐らくは毒でも塗られているのだろう。


「……残念ながら、容赦はしないと言っただろう」


 カシェが短剣を持つ女の手を踏んだ。痛みに呻く女が短剣を落とす。その手に剣を刺し、魔力を通した。女が目を見開いてカシェを見上げる。精気のあった瞳が力を失った瞼によって隠される。カシェは緩んだ手から足を引き抜いた。


 辺りを見渡せば、いつの間にやら大勢が倒れ伏せていた。倒れた村人を見ると、脚や手の腱が切られているか気絶させられているかで、見事に無力化されている。だが、遠目からは致命傷を負って倒れているかのようにでも見えているのか。


「もう、もうやめてくだされ……!」


 村人が倒れていく光景に耐え切れなくなったのか、老人の一人が声を上げた。


「やめたってあたしたちは捕まるしかないのよ!?」

「それでも、これ以上若い子らが傷付くのを見ておれるか……!」

「そうじゃ、何のために逃げてきたのか忘れたわけではあるまい?」


 老人の声に他の村人たちもぽつぽつと賛同を示す。武器を持っていた者たちも、その言葉に一様に武器を下げた。その表情はまだ不満を抱えているようだが。

 最初に声を上げた老人の一人がカシェの元にやって来る。カシェが武器を収めると、老人は頭を下げて語り始めた。


「どうか、わしらの境遇を聞いてくだされ……。わしらは、元々他の領地で田畑を作って暮らしておった」


 決してこのように武器を持って誰かを襲っていたわけではないと、老人が瞳を揺らして呟く。善良な民であったのだと、老人は皺の多い手で顔を覆った。


「……少し前のことじゃ。村の田畑は謎の現象に襲われた」

「謎の現象?」


 エイドの質問に老人が頷く。外された手の向こうから、昏い色の瞳がカシェを真っ直ぐに見据えた。まるで恐怖と絶望で彩られているようだ。暗がりのせいか、瞳孔の開ききった目が凄みを増す。


「土壌が腐りおった……伝染病じゃったのか、何なのか。やがて村で暮らしておった面々も病に倒れた……ここにおるのはその生き残りじゃ」

「……そう、あたしたちは何とか生き残ろうとここまで逃げてきたの」

「村から逃げても、暮らすのは大変じゃった。何処に行っても伝染病に罹っているかもしれないと追い出され……」


 辿り着いた場所がこの森であった。村人たちの説明にカシェはなるほどと相槌を打った。

 最近何かと耳にする現象と類似している。やはり、集団幻覚というよりは土や水から感染する何らかの伝染病の可能性の方が高そうだ。


「それは気の毒なことだ」

「……どうか、見逃してくださらぬか」


 カシェが同情を示すと、突然肩を老人に捕まれた。その力はとても老人であるとは思えない程強い。


「人を売るのは悪いことじゃと、わかってはおる。じゃが、売られた方も決して悪い思いはしないように……いい暮らしができるようにと客は選んでおる! 商品はいい生活ができるし、その金でわしらは生きられるのじゃ……。どうか、どうか……」


 カシェの肩を掴んで震える老人の手をカシェが優しく握った。その動きに老人がはっと顔を見上げる。しかし、期待に満ちた顔はすぐに固まることになった。

 カシェが悪魔も斯くやという表情で笑っていたからだ。


「だから、見逃せと……? 君たちの境遇は確かに気の毒だ。だが、この私に、領民が売られていくのを黙って、指を咥えて見ていろ、と……?」

「あ、あぁ……」


 カシェのあまりの剣幕に老人が後ずさりをしようとする。だが、老人の手を包み込んだカシェの手がそれを許さない。


「私に、弟が売られる様を見守っていろというのか……!!」


 カシェの怒声に老人が腰を抜かして尻餅を着いた。後ろで見守っていた村人たちも、討伐隊でさえもその怒りに触れて震える。

 カシェは肩で息をし、どうにか落ち着かせようと目を閉じた。そして、次に瞼を開けたときには氷のように冷たい瞳が村人たちを睥睨した。


「交渉は決裂だ。……捕縛しろ」


 カシェの命令に、異論を示すことなく兵たちが村人を縛り上げる。大人たちも自分たちの要望が通るにはあまりにも勝手であるとわかっているのか、バツが悪そうに無抵抗で座り込む。しかし、先程から不満を抱えていた若者がカシェに掴み掛った。


「なんでだよ……! 俺たちだけこんな境遇可笑しいだろ!? 生きようとして何が悪いんだよ!」


 襟首を掴む若者をエイドが羽交い締めにして引き離す。その勢いで地面に尻を叩きつけた若者はなおも獣のような目でカシェを睨み付けた。


「カシェさん、大丈夫?」

「ああ。すまない」


 エイドに礼を告げ、カシェは足元に転がる若者を見下ろした。冷え切った心とは裏腹に頭は煮えたぎる。こうも感情的になるだなんて初めてだ。カシェは上手く表情が管理できずに顔を片手で抑えた。


「何とか言えよ、この偽善者……!」


 なおも言い募る若者を無視し、カシェは討伐隊に村人の捕縛が済めば手当をするようにと命令を下す。そして、この場は討伐隊に任せ、カシェはエイドと共に洞窟の奥へと足を向けた。


 洞窟の奥は意外と深い構造になっていた。道中、縛られたまま放置されている人々が点在しており、発見しては保護し、討伐隊の元へと送り届ける。捕まっていた人々は水分や栄養が足りていないせいか、一様に顔色が悪く、ふらついていた。また、連れ去られる際に受けた傷が治りきらず膿み、発熱している者もおり、早急に神殿に送った方がいいことが窺える。

 何より心が大分疲弊している様子であった。


「これでも君たちは互いに対等の利益を得ていると言えるのか?」

「……これからいい生活ができんだからいいだろ」

「ならば、君たちの子どもや兄弟を売ればいいだろう」


 何も他人を巻き込むことなどない。それが本当に売られる側にとっても幸せだと言えるのならば。


「は……?」


 唖然とする村人を余所に、エイドが洞窟の奥から幼い子どもを連れてきた。女たちが戦いの前に奥に隠した子どもたちだ。まだ親が恋しい年頃だからか、きょろきょろとしきりに親を探して周囲を見渡している。

 エイドはその子どもの近くにしゃがみ込み、問い掛けた。


「なぁ、君たちはお母さんやお父さんと離れ離れになっても、いい生活がしたい?」

「いい生活?」

「そう、美味しいものを食べて綺麗な服を着るんだ。お母さんもお父さんも助かるよ」


 エイドの質問に子どもたちは顔を突き合わせて話し合う。いいな、いいかも。そんな話声も聞こえる中、一人の少女が眉尻を下げて呟いた。


「……でも、お父さんとお母さんと離れ離れになっちゃうの、やだ……」

「ぼくも、やだぁ……」


 少女の言葉に想像がついたのか、次々に子どもたちが嫌だと声を上げる。その声は次第に涙声に変わっていく。子どもの泣き声に触発され、捕らえられていた者も心の声を漏らした。


「……帰りた、ぃ」


 感情の浮かばない瞳が徐々に濡れていく。その様を目の当たりにして、自身の罪から目を逸らすように村人たちは項垂れた。


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