33. 金の男と森の調停者
末の王女を乗せた馬車が去った先を、感情のない碧色が見つめる。その思考は先程までの出来事を反芻していた。
多少は腹の内を暴いてやろうという意気込みであったが、王女はあっさりと自分が指示を出したことを吐いた。まるでそれ自体を白状したところでカシェには何もできないと言っているかのように。あるいは、カシェの反応を見て楽しんでいたのかもしれない。
(種だの、芽だのと不穏なことを言っていたな……)
始終、全くと言ってもいい程理解の及ばない相手であった。相手にしたのはたったの数時間。それでもカシェは異常な疲れを感じていた。
その上、王女の言葉のせいで妙な胸騒ぎさえする。
(流されてどうする……それよりも早くゼノとグリフを迎えに行かなくては)
グリフのことだから問題はないと思うが、人に不慣れであろうゼノは慣れない場所に疲れているかもしれない。
カシェが気を取り直してマルクに馬を用意するように指示を出そうとしたとき、門の外から兵士が馬に乗って走ってきた。その表情は焦りを滲ませている。
「失礼いたします」
マルクが兵士の元へと向かう。兵士は呼吸も上手く整わない様子で何かをマルクに告げる。盗賊の拠点が見つかったとの報せか、あるいは全く別の出来事か。
「な……っ」
二人のやり取りを見ていると、突然マルクが声を荒げた。見開かれた眼がゆっくりとカシェに向けられる。兵士は一通り報告を終えたのか、持ち場に戻ると言って再び馬に乗った。
足早に去る蹄の音とは反対に、マルクはその場から動き出さない。ともすれば倒れそうなほどに顔を蒼くさせている。カシェがマルクに近寄ると、その唇が小刻みに震えていた。
「マルク、何があった?」
「……御報告、いたします。アデールが、見つかりました……」
「アデールが……! 見つかった、というのは……?」
まさか、生きた状態ではないということか。カシェが眉を顰めると、マルクは首を横に振った。
「息はありますが、目を覚まさないそうです」
「生きてはいるのだな……」
「また、グリフも全身傷だらけで」
「は……?」
街で身を隠していたグリフが何故全身傷だらけな状態に陥っているのか。カシェは渇く口内に喉のひりつきを感じながらマルクに問い掛けた。
「ゼノは……ゼノは無事なのか?」
きっと無事なはずだ。ゼノには竜の加護もある上に、グリフが身を挺して守ったに違いないのだから。頭では自分を落ち着けようと言い訳をするが、心の奥では云い知れない嫌な予感が広がっていく。ドッ、ドッと脈拍の音が妙に頭に響いた。
「ゼノ様については……話題にすら上りませんでした。恐らく、今保護されている中にはいらっしゃらないかと……。また、連れ合いの中に不審な人物もいるようですが……」
マルクの声がどこか膜を挟んで向こう側にいるかのように聞き取れない。ゼノが、保護されていない?
(駄目だ。そんなことは許されない。……今度こそ)
今度こそ? 一体何が今度こそなのか。考えようとすると頭を刺すような鋭い痛みに襲われた。瞬間視界が眩み、思わず片手で頭を抑える。たたらを踏む身体をマルクが支えた。
「……っ、マルク、準備を」
鈍く重い痛みが脈打つように頭に響く。心配そうに見つめるマルクの腕を振り解き、カシェは無理やり脚に力を入れた。
「事情を聴きに行く」
***
マルクを伴い、カシェは砦街の門衛が控える駐屯所に降りた。カシェを見た兵士たちが慌てて敬礼する。それにカシェも答礼すると、一人の兵士が転がるようにしてカシェの元に走ってきた。
「遥々このような場所に……」
「挨拶はいい。それよりも本当にここにうちの使用人がいるのか?」
街にいたはずのグリフが駐屯所にいるということは、何らかの事件に巻き込まれて事情聴取を受けているのか、神殿まで運び込めない程怪我が酷く神官が来るのを待っているかのどちらかだと考えられる。
「は、医務室で眠っております」
兵士の案内に従い、医務室へと向かう。その道すがら、幾人かの兵士とすれ違った。どれも緊迫した表情をしており、遠くからは喧騒が聞こえてくる。
「慌しいな」
「ええ、不審者が魔物を連れて門で暴れているんです……と、着きました。それでは私もこれで」
医務室前まで着くと、案内の兵士もまた別の兵士と同様に元来た場所へと走っていった。
「グリフ、入るぞ」
返事を待つことなく、マルクが扉に手を掛ける。部屋の光が隙間から廊下を照らす。その光がカシェの足に触れる前に、一つの影が光を遮った。
「旦那様……申し訳ございません……!」
足元に視線を向けると、グリフが片膝を突いて頭を垂れていた。赤く染まった包帯が痛々しい。だが、動けない程ではないようだ。その奥、白い寝台の上には顔色を失ったアデールが眠っていた。
カシェはグリフから発せられた霞んだ声に微動だにせず、グリフを見下ろした。
「何があった」
平坦な声が喉の奥から外に放たれる。感情のない声にグリフが肩を震わせ、頭を地に着けるように更に深く下げた。
「修行するべく坊ちゃんを連れて森に向かったところ、倒れ伏すアデールを発見。その後、盗賊に遭遇しました」
「何故そのような勝手を……!」
自ら仕えるべき者を危険に曝したことにマルクが声を荒げて非難する。それをカシェが首を横に振って諫めた。
「マルク。……大方ゼノが無理を言ったんだろう。従者としては諫めるべきだが、私もゼノには加護があるからと大事にはしていなかった……処罰は後だ」
自分に向けられた悪意には敏感で、だからこそ危険なことは事前に避けられるだろうと甘く考えていた。グリフばかりを責められるものでもない。それよりも、経緯を知り対策を練るのが先決だ。責めたところでゼノが無事に帰ってくるわけではないのだから。
「は、寛大な御心に感謝いたします。……遭遇後、坊ちゃんとアデールを庇いながら戦っていたのですが、それ以前に戦った魔物の毒が回っており……。それに気が付かれた坊ちゃんが我々を逃がすために盗賊の気を引いて森に姿を消しました」
「捕まったのか?」
「いえ、別れたところで消息は不明……ですが、恐らくは捕まっているのではないかと」
グリフの話を聞き、どうしてという怒りが溜息となって表れる。自分を犠牲にしようとするゼノに対しても、ゼノを守り切れなかったグリフに対しても。そして何より、カシェの大事な者たちに手を出し、領地を脅かす愚か者にカシェの腸は煮えくり返っていた。
「森に潜んでいたか」
「随分と森に詳しいようでしたので、森に拠点を構えていると考えるのが妥当ではないかと」
森と一口で言っても、広大な地から鼠をあぶり出すのは容易ではない。討伐隊を集って向かわせても、相手の首根っこを掴む前にゼノを連れて姿を消すことだろう。そうなってしまえば、それこそ消息を掴むことは難しくなる。
(そうはさせるものか)
「グリフ、案内はできるか」
「戦闘のあった場所まででしたら案内は可能ですが、拠点の場所までは掴めていません」
「それでも構わん」
戦闘のあった場所でも、盗賊がその周辺の地理に詳しいことを考えると拠点が近くにあることは考えるに容易い。森の全てを端から端まで探し出すよりも遥かに早く、足を掴めることだろう。
そうと決まれば少数でもこの場にいる兵で討伐隊を組み、即座に出立するべきだ。カシェが踵を返してグリフに背を向けると、「あ」と背後から何かを思い出したような声が聞こえてきた。
「私と一緒にここに来た男はまだおりますか!?」
「男?」
「その者ならば、盗賊の拠点にも案内できるはずです! 魔物と共にこの街に来たはずですが……」
「魔物というと……もしや、今正門で暴れているという……?」
マルクの言葉を聞き、グリフが蒼い顔でカシェを押しのけるようにして廊下に転がり出る。そのまま廊下を駆けだすグリフの後をカシェとマルクも追った。
廊下を走る三人に視線を向ける者は誰もいない。ほとんどの者が門に向かったようだ。もしもその盗賊の拠点を知る男が門衛に手を出すことがあれば、男は牢屋に連行されることだろう。そうなれば、いくらカシェの口利きがあったとしても男を釈放するのには時間が掛かる。
廊下の先、開けた場所に出る。開かれた門を前にして、何かを囲うように兵たちが槍を構えていた。その手前、若い兵が震える手で持っていた槍を取り落とす。多勢であるにもかかわらず、兵の目には恐れの色が見て取れた。
「これは、一体……」
正に一触即発といった緊迫した空気に思わず疑問が口を衝く。カシェの声に気付いた兵が答えようとしたが、緊張のためか声が擦れて聞き取れない。渇く口を潤わせようと喉を鳴らす音が聞こえた。
「森の……調停者が現れ、ました……! 等級準一級相当、我々が束になっても勝てる見込みはありません……!」
「領主様、御逃げください! ここは我々が死んでも食い止めます……!」
見ると、確かに森の調停者の特徴と一致した魔物が一匹、門の向こう側に立っていた。凪いだ蒼い瞳と目が合う。魔物と目が合った途端、まるでカシェを待ち望んでいたかのように足を踏み出した。
突如動き出した魔物に兵たちが決死の顔で睨み、槍を構える。一同が今にも槍を突き出そうとしたとき。やり取りを呆けた顔で見つめていたグリフがその槍の前に飛び出した。
「ちょちょちょ、ちょっと待て!」
「危険です! お退きください!」
どうにか執り成そうとするグリフを前にしても兵たちは警戒を怠ることなく槍の切っ先を向ける。また、魔物も構わずに門閾の手前に足を踏み出した。
「違う! 俺たちは決してこの街を襲おうとしてるんじゃない……! 話を聞いてくれ!」
そのとき、魔物の後ろから男が叫んだ。中背の身体には傷が無数にあり、身に纏った衣服は襤褸切れのように破れている。怪しさ満点の訳アリといった風貌で、とてもではないが一般的には信用を勝ち得ない。だが、どこか見慣れた金色の髪に力強く輝く若葉色の瞳は悪人ではないと思わせた。
「怪しい奴が何を……!」
男をカシェに近寄らせまいと兵が躍起になる。このままでは埒が明かない。
「皆、槍を下げろ」
カシェの静かながら意思の籠った声がその場に響いた。カシェの言葉に、先程まで槍を構えていた兵たちが穂先を下げる。その顔は一様に困惑を表していた。
それに構わず、カシェは兵の横を通り、門の前に立つ。門閾を挟んで森の調停者と顔を見合わせる形となった。森の調停者の爪がカシェに届く距離に下ろされ、背後で槍の穂先が僅かに音を立てる。見えずとも、兵がいつでも切り込めるようにと力を加えたことはわかる。
「領主様……」
だが、それはカシェの望んだものではない。カシェは咎めるように手を横に払った。
「この魔物は私が使役している従魔だ。皆、警戒を解け」
「は……?」
グリフが口をぽかんと開けた。勿論、カシェの言ったことは大嘘だ。魔物など使役したこともない。強いていうなれば騎士団で使役している軍馬が唯一その枠に当てはまるだろうが、それは生まれた頃より飼い慣らされた者であり、野生ではない。
軍馬のように初めから何かに仕えるように育てられたわけでもない魔物相手に、勝手に此奴は自分の下だと格付けたのだ。いくら魔物とはいえ、知能の高い森の調停者のことだ。人間の言葉を理解しているかもしれない。理解していなかったとしても、どの道野生の魔物が大人しく言うことを聞くはずもない。
要はすぐにバレる嘘である。それをあまりにも堂々と言い放ったのだ、一同が更に困惑するのもわけない。
(あんた、何大法螺吹いてんだ……!)
グリフは馬鹿なことを言うなという叫びが喉を割いて出てきそうなところを既のところで止めた。それよりも先に、こちらの様子を窺っていた魔物が動き出したからだ。
「危な……っ!」
魔物がその鋭い嘴をカシェの頭上に振り下ろす。やはり所有物扱いされて怒ったに違いない。グリフは慌ててカシェを突き飛ばそうと腕を伸ばした。しかし、血を失いすぎた身体では思い通りに動かず、カシェには届かない。
最悪の光景がグリフの脳裏に過ったときであった。
「よしよし……いい子だ」
カシェの脳天を突き刺すかと思われた嘴はそのまま空を通り、頬をカシェに摺り寄せたのだ。まるでカシェが言うことの真意を理解し、服従するかのように。
「は……まじかよ」
グリフは伸ばした腕を空に彷徨わせ、思わず頬を引き攣らせた。この腕のやり場をどうしてくれるのだという恥ずかしさに襲われる。だが、背後の兵たちも拍子抜けており、誰もそんなことを気にも留めていなかったことは僥倖か。グリフは取り繕うかのように咳払いをした。
「えと、助かったよ……あ、いや。助かりました」
一同が呆けていると、いち早く回復した男がカシェに軽く頭を下げた。
「君は?」
「俺はエイド。砂漠から旅してきたんだ、です。でも、途中で盗賊に襲われたんだ……ました」
「名前の響きが異国のものだな。私はカシェだ」
「よろしく、お願いします」
カシェが差し出した手をエイドが握る。エイドの指は剣を握るのか固く、乾燥している。カシェが視線を下ろすと、手首に擦れた赤い痕が見えた。
言葉も異国から来た割りには流暢だが、所々に詰まるところがある。王国語はどこかで学んだのかもしれないが、不慣れであることが窺い知れた。
「普段通りで構わない。それより、よく盗賊に襲われて逃げられたものだな」
「偶々、監視がザルだったから」
「……偶々?」
怪しいことこの上ない物言いにマルクが反応する。だが、エイドはなんてことないようにはにかんだ。
「俺、勘がいいからさ。何となく逃げられるんじゃないかと思ったら逃げられたんだ」
「……話になりませんね。こんなふざけた者に道案内を任せるなど言語道断です。グリフ、さっさと案内を」
聞くだけ無駄だとマルクがエイドの話に終止符を打ち、グリフに水を向ける。グリフは慌てたように視線を彷徨わせ、エイドの肩を掴んだ。
「師匠! 確かに怪しい男ですが、私がここまで帰って来られたのは彼のおかげです。決して冗談を言っているわけではありません」
どうやらあくまでもエイドの肩を持つらしい。グリフがマルクの命令に逆らってでも自我を通そうとするのは珍しい。
そうするだけの何かがこの男にあるのだろうとカシェは改めてエイドを見た。
「君がここまでグリフを連れ帰ったのか?」
「まぁ……でも、そんな大層なことはしてないよ。盗賊から逃げてたらそこのお兄さんを拾って、こっちかなって思って歩いてたら森が抜けただけだから」
「そうか……」
静寂が場を包む。双方を見守る目は、困惑か疑心を映している。
考え込むように口を噤んだカシェに、エイドも口を閉ざした。その視線が徐々に足元に落ちる。
「やっぱり嘘みた……」
先に沈黙に耐え切れなくなったのはエイドであった。申し訳なさそうに眉尻を下げ、冗談らしく笑おうとする。だが、エイドが言い切るよりも早くカシェが言葉を重ねた。
「……エイド、折角ここまで逃げてきたところで済まないんだが、少し手を貸してはくれないか?」
「え……?」
カシェの願いに、エイドは口角を持ち上げたまま表情を固めた。
漸く盗賊から逃れて街に来たのだ。襤褸切れのようになるまで走り、命辛々逃げ出したのかもしれない。そうではなくても、また戻りたくはないだろう。そう察しはしても、刻一刻と日が傾く中で、カシェになりふり構っていられる程の余裕はなかった。
「君の力を貸してほしい」
もし断られでもしたら貴族として命令を下すことも辞さない。そんな決意の滲む声でカシェが尋ねるや否や、太陽のように眩しい笑顔でエイドが頷いた。




