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29.5. 不穏の種

<注意>本話には残酷な描写が含まれます。苦手な方は飛ばしてください。

 陽もすっかり高くなった頃。白白明けに砦街の門を潜った馬車を追い、アデールはリッシュ村に足を踏み入れた。


(こんなところで一体何をする気なんでしょうね……?)


 時は遡ること昨日。薬を盛ったと考えられる侍女が屋敷から逃げ出したことに伴い、アデールはその後を追うようにとカシェより命じられていた。

 できれば見つけ次第捕まえるのではなく仲間の元まで泳がせて目的を探れ、と言われた通りここまで来た。しかし、予想に反して侍女は道中で馬車を降りてから誰とも会うことなく今に至る。


(まさか御者が仲間だった……?)


 そう疑念を抱き始めたときだ。気配を断ち切っていたアデールのことが見えているかのように、前方を歩いていた侍女が振り向いた。


「……いるんでしょ?」


 一介の侍女如きに気付かれるわけがない。カマかけであることはわかりきっている。


「早く出てこないと後悔するわよ!」


 しかし、侍女は追手がいるのは必然だとばかりに大声で呼び掛けてきた。何処か焦っているのか、あるいは自暴自棄にでもなっているのか。やたらと喚き散らし、その場にしゃがみ込んで自身の髪を力いっぱい引っ張っている。


「早く出てきてよ……!」


 遂には泣き出したように肩を震わせる侍女に、アデールは姿を現した。

 この場にいるのがグリフならば異様な様子に頭がイカれたかと冷めた目で見下ろすだけだが、アデールにはそう突き放すことはできなかった。


「アデール……やっぱり貴女だったのね」


 急に姿を現したアデールに目を見張った後、侍女が少し安堵したように目じりを下げる。


「……どうしてあんなことを?」

「……ごめんなさい」


 追求するアデールに侍女は申し訳なさそうに視線を逸らす。それは犯してしまった罪への謝罪か。そう問い掛けるより先に、侍女は覚悟を決めたように真っ直ぐな眼差しでアデールを見つめ返した。


「時間がないの。早く旦那様の元に戻って……きっと来てしまうわ」

「来てしまう? 一体誰が来てしまうのです?」

「……彼女よ。私たちを操っていた」


 操っていた何者か。それを口に出す前に、侍女は口から黒い血を吐き出した。ごほ、と咳き込む度にぼたぼたと血液が顎から滴り落ちる。それが地面に落ちた瞬間、シュウ……と音を立てて黒い煙を上げた。


「ぐっ……!」


 黒煙がアデールの肺を焼く。これは不味い。本能が警鐘を鳴らし、身体がその場を離れようとした瞬間。黒煙の隙間から唖然としたように見開かれた侍女の双眸と目が合った。


「手を……!」


 黒煙に巻かれる前にと侍女に手を伸ばす。煙が目に沁み、最早目を開けることすらままならない。感触が全ての状態で己の手が握られたのを感じ、アデールは侍女を黒煙から引っ張り出すために走り出した。


「ぇ……?」


 しかし、引っ張り出したものは凡そ人間とは思えない軽さをしていた。力を込め過ぎて腕が抜けたのかもしれない。否、それならば重みを増すのではないか。

 嫌な予感に逸る心臓を落ち着かせようと、アデールは後ろを振り返った。


「ぁ……」


 現実とはなんと非情で虚しいものか。アデールの視線の先にはすでに誰もいなかった。

 呆然としたまま、確かに繋いだはずの手の先を見つめる。ぽたぽたと腕の先から黒血が流れ、肉を溶かして地面に落ちる。

 失意に手の力が緩み、意志のない塊がその重みに従って滑り落ちた。ぼと、と音を立てて地面に叩きつけられた現実に、アデールが視線を落とす。その視線の先に、黒血に汚れた視界の中で唯一白く目立つものが舞っていた。


「これは……紙?」


 紙が地に落ちる前に掴む。恐る恐る開くと、小さな紙にはメモか何かのようにとある単語が記されていた。


「……貴女は、こうなることがわかっていたのですね」


 それは、侍女が残した答えであった。

 この答えを何としてでも自身の主人に持って帰らなければ。


「アタシもそこまで悠長にはしていられませんね……」


 浴びた黒煙がじわじわと自身の魂を蝕んでいくような感覚がする。アデールは肺に溜まった黒煙を吐き出すように深く息を吐いた後、己の魔力を練ってふう、と空に息を吹いた。

 魔力を伴った息が小さな風を起こし、そこから銀の蝶が生まれる。蝶が優雅に羽ばたき、ゆったりとした動きで空を泳ぎ出したのを見届け、アデールも砦街へと足を踏み出した。


「果たして、どちらが先に辿り着くでしょうか」


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