29. メルシエ魔道具雑貨店の職人
路地をいくらか曲がった先にあるこじんまりとした赤煉瓦の店。窓から中を覗くと、人っ子一人いない寂れた雰囲気の空間が広がっている。陽の光すらも建物の影に遮られ、明かりも点いていない店内はひっそりと眠りについているようだ。
窓辺に所狭しと置かれた雑貨と焦げ茶色の看板に白文字で書かれたメルシエ魔道具雑貨店の名だけがこの建物を店であると称していた。
「これ、本当に合ってます……? 潰れてません?」
「看板が出ているということは、閉店はしていないんじゃないか?」
グリフが不安げに問うのも仕方がない。斯く言うカシェ自身もあまり確信は持てずにいた。
「……ごめんください」
緊張気味にグリフが木製の扉を開く。ギィ……と古い蝶番が音を鳴らし、カランと鐘の音がカシェたちを迎え入れた。
「誰もいないのか……?」
静かな店内は、息を潜めるようにカシェの声を飲み込んだ。返事のないことを訝しみながらも店に足を踏み入れる。歩いても特に足跡が付かないことからも、やはり頻繁に人が出入りしていることは間違いなかった。
「やっぱ潰れてません?」
「いや……」
「だぁれの店が潰れてるって?」
グリフがカシェとゼノを振り返って言うと、突然グリフの肩に誰かの手が乗せられた。耳元で話し掛けられたグリフが飛び上がってゼノの後ろに隠れる。
グリフが退いたことによって薄暗い店の奥にいたらしい声の主の姿が現れた。
「もしかして、このお店の店主さんかい?」
「そうだよ。すまないね、御客が来るのが久々だったもんだからついつい寝こけちまった」
そう言って店主は自身の後ろを指差した。見ると、ソファに毛布が掛けられている。
こんな明かりも点いていない店に来客がないのは自明の理ではないか。そんな一同の呆れた視線を一身に受け、店主が欠伸をしながら提灯に手を伸ばした。
魔力が魔導回路を伝い、温かみのある光で足元を照らす。光は眠気眼には眩しすぎたのか、店主は頻りに瞬きをした。
「……寝ているところを騒いですまないな」
「いいさ、むしろ御客を逃して困るのはこっちだからね。さて、オデット・メルシエの魔道具雑貨店へようこそ」
歓迎するよ、とオデットはソファの跡がついた顔で笑った。
その顔に誰か知人の顔が重なって見える。先程店の名前に引っ掛かりを覚えたこともあり、カシェは誰だったか思い出そうと記憶を手繰り寄せた。
「メルシエ……?」
「おや、聞き覚えがあるようだね。うちは彼の有名な廃れた魔道具作家の一族さ。まあ、今やメルシエ子爵って言った方が通用するんだがね」
「メルシエ子爵……ということは、もしやレイモン副団長の……?」
「ん? あんた、うちの弟を知ってんの? ……待て、その顔見覚えがあるぞ」
どうりで聞き覚えがあるはずだ。メルシエは、カシェが所属している騎士団の副団長——レイモンの家名であった。
まさかこんなところで縁者に出会うとはとカシェが独り言ちていると、オデットが驚いた顔でカシェに詰め寄ってきた。そして、手を伸ばせば容易に触れられる距離で不躾に頭から足先まで目を滑らせる。
品定めをするような視線にカシェは片眉を上げた。
「ちょっと……オデットさん?」
カシェの背後からグリフがオデットとカシェの間に割り込むようにして声を掛ける。その声音は、オデットに向けて放たれたものであるにもかかわらず、また誑かしたのかとカシェに訴えかけている。
グリフの位置からでは見えないのだろうが、この好奇心で輝く瞳を見てから疑えとカシェはげんなりした。
一方で、漸く納得したのか、オデットはカシェから身を離し、自身の顎を指で撫でた。
「なるほどね……あんたが噂の」
「噂?」
カシェが顎を少し上げ、オデットを見下ろす。その探るような視線を受けてもなお、オデットは挑発的な笑みを浮かべた。
「何、悪い噂じゃないさ。……まあ噂と言うか、レイモンがあんたのことを話していたから知ってただけなんだけどね」
「副団長が?」
「そ。面白い部下がいるってね……見たところ、確かに癖が強そうだ」
レイモンやオデットの述べた人物像が凡そ自身に当てはまらないようで、カシェは今度こそ困惑した表情を浮かべた。
「それほんとに旦那様のことで合ってます……?」
長年を共にしてきたグリフも戸惑った様子を見せる。
「私は自分に似た奴を嗅ぎ分けるのは得意なんだ。そして、あんたは私に似てる……あんた、王族に傅く貴族や騎士ってたまじゃぁないだろ?」
「さあ?」
「……まあ、隠したいなら隠すがいいさ」
カシェが瞳の緑を深めると、オデットは肩を竦めた。
「さっきの話だと、メルシエさんも貴族らしくないってことかい?」
今まで静かに大人の話を聞いていたゼノが不思議そうに問い掛けてきた。人と接する機会のなかったゼノにとっては貴族とそれ以外の違いもあまり理解できないものだろう。
カシェとしては正直、レイモンのことを弟と言わなければメルシエの名を聞いてもメルシエ子爵家の者だとは思いもしなかった。貴族名簿を一頻り覚えたカシェやグリフですらそうなのだから、貴族令嬢らしいと言う方が無理がある。
「オデットでいいよ。……そう、私は貴族の血脈じゃなく、職人としてメルシエの血脈を引き継ぐ変わり者さ」
「個人的には一貴族の御令嬢がこんな他家の領地で店を開いてるのも不思議なんですが……」
グリフの質問にカシェも賛同する。メルシエ家は、かつて魔道具の作成で名声を上げた家系だが、それはあくまでも当時の話である。今でこそ、その名声にあやかって職人が工房名にメルシエの名を含める程度だ。
それこそ、メルシエ家自身が魔道具事業を展開しているなどという話は聞いたことがなかった。たとえ事業を立ち上げた実績があったとしても、実際に現場に出ているのが貴族であるなど誰が思おうか。
「この地を勧めてきたのはレイモンだよ。私も最初は王都に店を開こうと思ってたんだけど、王都だと他の貴族に足を引っ張られる可能性があるってね」
「ファーガス領は副団長さんに認められてるんだね! 誇らしいね、兄様!」
にこにこと頬を染めて微笑むゼノに、カシェの表情も心なしか柔らかくなる。その様子を見て、オデットは懐かしそうに目を細めた。
「つまるところ、私はこんな有り様だから社交界に馴染めなくて逃げてきたようなもんなんだけどね。……あの子が心底欲していたものを全て奪っちまった分際で、幸せを貪っている愚か者さ」
一通り言いたいことだけ言うと、オデットは背を伸ばして息を吐いた。
「それで、この変わり者の職人にあんたたちは何をお望みなんだ?」
その質問には答えず、カシェが部屋を見渡す。提灯の光に照らされ、魔道具に使用されている石や金属が輝きを放つ。まるで自身を選べと手招きをしているようだ、とカシェは目を細めた。
「……ここに置いてある雑貨品は全て君が?」
「そうだよ。これでも腕はいいと自負してるんだがね」
オデットの答えを聞きながら、カシェは手近なところにあった魔道具を手に取った。そのまま、魔道具を手の中で回しながら全体を眺める。
曇り一つない金属に刻まれた魔導回路は細く、乱れのない一定の幅を保っている。
「試しても?」
「ああ、勿論だよ」
一言断りを入れ、魔導回路に魔力を通す。探るように流された魔力は、回路を薄っすらと輝かせる。途中、意識していなければ勝手に魔力が流れていきそうなほど、引っ掛かりがなかった。
(魔導回路を丁寧に引いている証だな)
カシェが魔導回路の具合を確認している間も、オデットは口を挟むことなく腰に手を当てて待っていた。その指は包帯こそ巻かれていないものの、令嬢らしからぬ傷が無数に残っている。
(自作品に絶対の自信があるようだ)
カシェはオデットの指に目を遣り、頷いた。
作品の出来に裏付けられた自信。それを持っている職人の技術は信用できる。作品をよりよいものにするために惜しまぬ努力というものが、オデットの指に刻まれていた。
「望みとは他でもない、とある魔道具を売っていただきたい」
それだけだ、と告げるとオデットは愉快そうに口角を上げた。
「お眼鏡に適ったようで嬉しいよ。釣書を燃やす魔道具でも付き纏いを一掃する魔道具でも何でもござれだ。どんな魔道具をお求めかな?」
どんな魔道具だ。若干物欲しそうにするグリフを横目に、カシェは呆れたように首を振った。
「売っていただきたいのは他でもない、魔力の通りが悪い魔道具なんだが」
「魔力の通りが悪い魔道具?」
粗悪品を売れと言うのか、とオデットの眦が吊り上がる。
「何も質の悪いものを売って欲しいわけじゃない。むしろ、ここに置かれているどんな魔道具よりも高い技術力が必要かもしれないな」
「ほう?」
ここに置かれているものは全てオデットのとっておきの逸品だ。そのどれもがカシェの望むものには届かないと聞き、オデットは目を光らせた。
「聞こうじゃないか」
オデットの返答に満足気に頷く。そして、後ろでカシェの動向を大人しく見ていたゼノを手招いた。
おずおずと近付くゼノの姿に、先程まで好戦的に目を光らせていたオデットも毒気が抜かれたように目を瞬かせる。呼ばれた理由がわからないゼノ自身もカシェとオデットの間で目を彷徨わせた。
「魔力は視られるか?」
「あ、ああ……勿論だが……」
そう言うとオデットは胸ポケットに掛かっていた片眼鏡を取り出した。そのレンズに魔力を通し、素早く術式を描いていく。
「その場で魔術式を刻むとは珍しいですね……」
「その日の魔力の調子、体調、気候……それぞれ変わることでその日視える魔力は少しでも変わっちまう。それを調整して常に最良を視るのが一流、魔道具に頼るのは三流さ」
覚えときなと笑い、オデットはゼノに目線を合わせた。じっと力強い瞳がゼノを通してその中を見つめる。瞳が忙しなく小刻みに揺れ、時折ぶつぶつと何かを呟かれる。
次第にゼノの肩は上がり、胸前で組まれた手が緊張したように固くなった。
「ゼノ、大丈夫だ」
カシェがゼノの肩に手を置くのと時を同じくして、オデットが立ち上がった。ふう、と息を吐いて片眼鏡を外す。その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「……こいつは魔力量が多いね。器も大きいがそれを遥かに超える量が生み出されている……よくこれまで生きてこれたもんだ」
「坊ちゃん、そんなに魔力あったんですか……」
「とんでもないね。魔力を消費しても消費しても再生の方が早い。……こりゃ、普通の魔道具で消費するくらいじゃ駄目だな」
「じゃあやっぱり兄様が言うように早く魔術を使えるようにならないと、だね」
ゼノがきゅっと手を握って気合を入れる。その発言に、オデットがぎょっと目を見張り、叫んだ。
「最初から魔術訓練だって!? 冗談じゃない!」
「え……?」
きょとんとした表情でゼノとグリフが首を傾げる。どういうことだと状況が読み込めずにいる二人にお構いなしに詰め寄っていく。対するゼノとグリフは恐ろしい形相から逃れるように足が後ろに引けた。
「今はまだ字の形すらも知らない赤子のようなもんだよ? ただでさえ海洋の魔物みたくうにょうにょしてるってのに」
「赤子……」
「うにょうにょ……」
衝撃を受けたように苦々しく顔を顰めるゼノと笑いを堪えるグリフにオデットは指を突き付けた。
「無理に書かせたりなんかしたら魔力が癇癪を起して爆発しちまうよ」
「爆発」
「まあ少なくとも屋敷は吹き飛ぶだろうね」
ゼノは思わず己の手を見た。グリフもつられてゼノの手に視線を向ける。この幼さが残る小さな手にそんな恐ろしい力があるなど誰が思おうか。
「全然魔術を教えるどころじゃないじゃないですか……」
「まずは適量の魔力を込める練習から始めることだね。そこのあんたはわかっていたんだろう?」
オデットがやり取りを見守っていたカシェに水を向けた。
「私もはじめからわかっていたわけではないが……少なくとも今朝の訓練を見た限りでは、魔力を操作する中で制御するよりも、魔力の出力を絞った上で操作する方がいいだろうな」
「じゃあ、旦那様が仰っていた魔力の通りが悪い魔道具が必要っていうのは……?」
「少しでも魔力を消費する魔道具が必要ってことだろう。魔力の通りが悪いとその分消費魔力が必要になるからね。……ま、あんたが求めてるのはそんなレベルじゃないんだろうけど」
そうなんだろう? と向けられた視線にカシェは肩を竦めた。
「魔力の通りが悪い魔道具は粗悪品……だが、ここにある一級品の魔道具たちでも敵わない高い技術力が必要だ」
「まどろっこしいね。つまり、あんたは私に魔力消費量が高く、かつ出力を絞らせる魔道具を作れってことだろう?」
魔道具は、一回で消費される魔力が少ない程質がよく、魔力の少ない者から多い者まで誰でも使えるものこそ価値がある。職人として、それが当たり前のものであった。
カシェが望む魔道具は、魔道具を製作する者が目指す道とは正反対に位置するものだ。
「できるか?」
「……面白い。いいさ、受けて立つよ」
オデットが手を差し向ける。その手を握り、二人は握手を交わした。
「ついでに、この子のケープと衣装類も用意してくれないか」
「あんた、私を便利屋か何かだと思ってないかい?」
「どうせなら衣装類も魔物素材でできているものの方がいいな」
「ここは魔道具雑貨店なんだがね……」
にこやかに要望を増やすカシェをオデットが半眼で睨む。だが、できないとは返さないところを見るに、聞き入れてはもらえたのだろう。カシェはゼノからケープを受け取り、それをオデットに手渡した。
「おや、糸で魔術式が組まれてるね……ってこれ、竜の鱗じゃないか! どこでこんなもの……いや、そんなことはどうでもいい! こんなところでお目に掛かれるなんて!」
先程まで渋々といった様子で渡されたケープを見ていたオデットの目の色が変わる。あまりの興奮度合いに、ゼノが吃驚したように声を掛けた。
「そんなにすごいのかい?」
「すごいなんてもんじゃない。職人の憧れさ!」
きらきらと目を輝かせて竜の鱗を見つめる様はさながら子どもだ。カシェはそのまま鼻歌を歌って作業場らしき場所に引っ込んでいきそうなオデットを引き留めた。
「任せてもいいんだな?」
「ああ、任せときな! ケープの方は一から魔術式を解読して刻む必要があるから時間はかかるが、魔道具の方は数日後にでも渡せるはずだ」
「そんなに早くにか」
「私が本気を出せばそんなもんだ。衣装類も確かいくつか眠っていたはずだ……また魔道具が完成したら連絡するからそのときに試すといいさ」
早口でそれだけ言い終えると、さっさと行けとばかりに扉を開かれる。早く作業に取り掛かりたいという想いがありありと伝わってくる。本当に根っからの職人気質なのだ。カシェは苦笑いを溢した。
「恩に着る」
「そんなのはいいって。それより、うちの弟を宜しく頼んだよ」
破格だろう? そう言って笑った顔は、職人というよりもただの姉の顔であった。




