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28. エンカウンター

 ゼノへと伸ばしたカシェの手が空を切る。

 突如飛び出してきた影に、ゼノは受け身も取れず地面に転がった。


「わ……っ!」

「うおっ! 何だ!?」

「ちょっと、ちゃんと前見なよね……」


 ゼノと衝突した人物が驚きで声を上げる。それに対し、もう一方の人物が呆れた様子を見せる。

 カシェが気配を殺して注意深く観察していると、陽の光が二人の姿を照らしてみせた。見たこともない不思議な紋様の描かれた布を頭に巻き、所々に石の装飾品を身に着けている。腰に携えている革袋や少し訛りのある発音から、旅人であることが窺える。一先ず人買いの類ではないようだ。

 それでも安心することはできない。善人を装ってかどわかす可能性も考えられる。カシェとグリフはいつでも飛び出していける体制のまま息を潜めた。


「悪い悪い。立てるか?」


 きつい眼差しで近寄りがたい雰囲気の男がゼノに手を貸す。その体躯からは想像もつかない程優しい力加減でゼノを引っ張り上げて立たせる。真紅の瞳がゼノに怪我がないか確認した後、その眦のきつさを和らげた。


「うん、僕は大丈夫だよ」

「よしよし、坊主は強いな」


 男がゼノの頭に手を乗せる。ゼノはその手を甘んじて受け入れ、大人しく撫でられている。加護が一切警告をしないということは、男はゼノにとって真に善良なのだろう。

 カシェは漸く警戒を解いた。コツコツと石畳を歩く音が外壁に反響する。

 カシェとグリフが近寄ると、相方とゼノのやり取りを静観していた人物が睨みつけてきた。その藤紫の瞳は、穏やかな風貌からはとても想像がつかない程に冷たさを孕んでいる。


「うちの弟がすまないな」

「坊主の保護者か。こっちこそ悪かったな」


 カシェが声を掛けると、真紅の瞳の男が応答した。


「旅の途中か? この辺では見ない格好だが」

「まあ、そんなところだ」

「そうか。ゆっくり楽しんでいってくれ」

「こんなところに長居する気はない。……行くよ」


 カシェが真紅の瞳の男と歓談していると、藤紫の瞳の男が割り込んできた。そして、そのまま相方に着いてこいとばかりに立ち去る。真紅の瞳の男はやれやれと肩を竦めた。


「悪い、相棒は人族嫌いなんだ。気を悪くしないでくれると助かる……っと、置いてかれちまう! じゃあな」


 カシェが答える隙も与えず、男は言うだけ言うと走り去った。


「またね」


 その背にゼノが手を振った。



「いや~怪しい人物じゃなくてよかったですねぇ。人攫いの類かと思いましたよ」

「人攫いだったらあんな目立つ格好はしていないと思うよ」


 確かに、とグリフが頷く。ゼノが目立つと称した通り、アルヒ王国内では見かけない変わった装いは人混みに紛れても見つけやすそうな格好であった。

 しかし、それは結果的に人攫いでなかったから言えたことだ。あの瞬間、遅れを取っていたのは確実にカシェの方であった。


「ゼノ、世界は君が思うより遥か容易に牙をむくんだ。君が今までの生活を望むのならあまり人を信じすぎない方がいい」

「でもあの人たちは……」


 ゼノは何かを訴えかけようとカシェを見上げる。その目をカシェは真っ直ぐに見つめ返した。


「はじめて会ってどうして信じられるんだ? その人となりを知ったわけでもないのに」

「ちょ、旦那様……」

「それは……」


 まだ幼い子どもには厳しいことを言った自覚はあるが、それでもカシェの経験則上伝えた方がいいと判断した。その考えは伝わったのか、ゼノは少しの間目を閉じた後に凪いだ瞳を見せた。


「ごめんね」

「いや……私こそ向きになってすまない」


 両者の間に微妙な空気が流れる。カシェとゼノをおろおろと見つめるグリフが目に入った。

 あまりこのぎこちない雰囲気のままいても互いに居心地が悪いだろう。早々に話題を変えようとカシェは懐からジョゼに渡されたものを取り出した。


「おや? 旦那様、その紙は何ですか?」

「ああ、これは……」

「これはこれは、領主様とグリフさんではありませんか!」


 目敏く紙に気付いたグリフが話を振る。それに答えようと折り畳まれた紙を開くと、カシェの後方から声を掛けられた。

 振り向くと、ベルナールがたぷんとした腹を揺らしながら手を振っていた。その背後からイルヴァとソウレイが顔を出した。その腕には露店で買ったのであろう食べ物が抱えられている。


「君たちも前祝いを楽しんでいるようだな」

「ええ、それはもう!」

「美味しイ、いっぱイ!」

「楽しイ!」


 イルヴァもソウレイも目を輝かせ、柔毛に覆われた尻尾を揺らした。あれも美味しい、これもよかったとはしゃぐ姉妹をベルナールが微笑ましそうに見つめている。


「それは何よりだ。何とかやっていけそうか?」

「はい。一先ず、私の実家にこの子達をつれて挨拶に行こうかと……この街で店を開くことも知らせたいですしね」


 無事にこの街に馴染めているようだ、とカシェはゆっくりと微笑んだ。


「そうか……実家は何処なんだ?」

「リッシュ村です」


 リッシュ村とは、ファーガス領の南に存在する豊かな農村だ。活気はそこまでないものの穏やかで長閑な村であった。


「リッシュかぁ……うまい酒のあるいい村ですよね!」

「そうなんです! いずれは村の特産品を加工して店頭にも並べてみようかなと」

「いいですねぇ……」

「ああ……待ち遠しいな」


 リッシュ村の酒は騎士団でも人気がある。値段の割に雑味が少なく、丁寧に裏漉しされている分舌触りが滑らか。あっさりとしつつも深い味わいがあり、余韻を楽しめるためリッシュの小貴族などと呼ばれている。

 最近中々酒を飲む暇もなかったカシェは、リッシュ村の酒に思いを馳せて生唾を飲み込んだ。


「そう言えば、御二方はどうしてこちらに……?」


 何か視察の途中だったのだろうか、とベルナールが不思議そうに尋ねる。その瞳にはまるでカシェとグリフしか映っていないかのように全くゼノの存在に気が付かない。

 どう答えようかと思案していると、脚にとんと何かが当たった。視線だけ下方に向けると、空間の揺らぎが感じられる。どうやらゼノが先程の言いつけを守ってフードを被っていたらしい。


「実は少し用があって出て来たんだが……」


 カシェはゼノのことには触れず、掌中の紙をベルナールに見せた。


「これは……洋服雑貨店の一覧ですな」


 紙には各店舗と名前と簡単な位置が記載されていた。

 一覧が気になったのか、後方で双方のやり取りを見守っていたグリフも手元を覗き込んできた。


「うわ、多いな……これジョゼの字ですよね? 一体いつの間にこんなものを用意していたんだ……」

「流石にここに書いてある店を全て知っているわけではないから、何処がお勧めかもわからなくてな」

「本人的には全部お勧めだから書いてそうですけどね」


 お勧めだからと全店舗を回れるほどの時間的余裕はない。時間があったとしても、ゼノの体力がもたないだろう。


「そうですね……ここに書かれている店舗は確かに全て品質のよい店なのですが、少し趣が異なる店は除かれた方がよろしいかと」

「と言うと?」


 カシェが首を傾げると、ベルナールは数カ所の店名を指差して答えた。


「この店は若い女性向け、こちらは愛らしいものがお好きな男性向けです。……もちろんどちらも人気のある店ではあるのですが、少々入るには抵抗があるかと思いまして」

「なるほど……」

「あ、でもそういうお店にご興味が」

「ない」


 もしかしたらとベルナールが気を遣って述べた発言を食い気味に否定する。そんな勘違いをされたら最後、社交界どころか領民にまで当代ファーガス領主は特殊な癖があるとレッテルを貼られかねない。縁起でもないことを、と思わず冷や汗をかいた。


「く……ふ、ははは! あの旦那様が少女趣味……!」

「グリフ……」


 想像したのか、グリフが腹を抱えて笑う。その横腹に手刀を入れ、地面に沈んだグリフをカシェは冷えた目で見降ろした。

 話に着いて行けず黙々と食事を進めていたイルヴァとソウレイが目を丸くして様子を窺う。カシェはなんでもないと姉妹に手を振り、咳払いをした。


「……できれば魔道具も扱っている雑貨店を紹介して欲しいんだが」

「魔道具……となりますと、メルシエ魔道具雑貨店が一番いいでしょうな」

「メルシエ……?」


 どこかで聞いたことがある名前だ。行ったこともないはずだが、と記憶を漁っていると、そわそわと落ち着きなく身体を揺らしながらカシェの足元を見つめるソウレイが目に入った。

 イルヴァも同様に耳や尻尾を動かし、頻繁に鼻を動かしている。ベルナールやグリフも様子の可笑しな姉妹に気付いた。


「イルヴァ、ソウレイ……どうかしたのかい?」


 ベルナールが心配そうに声を掛けると、姉妹が肩を跳ねさせた。そのまま視線をカシェの足元から離さず、後退りをする。


「カシェ……そレ、何?」

「それ、とは……?」

「そいツ、危険」


 カシェとグリフはすぐにそれの正体がゼノであることに思い至った。しかし、ゼノの姿が見えていないベルナールは頭を捻って困惑した様子を見せている。


(さて……どうしたものかな)


 カシェは今度こそ考えあぐねた。ゼノに初対面の人間の人となりがわからない以上信用するなと言った手前、まだ数度しか顔を合わせていない人物に紹介するのは如何なものか。それも、ただ普通に紹介する流れではなく、本能的に竜の気配を感じ取ったのであろう姉妹にも納得のいくように説明しなければならない。


(ゼノがファーガス家の庇護下であることを知らしめるだけならまだしも、竜の鱗のことは秘密にしておきたいな……伝える情報を絞らなければ)


 カシェが顎に手を当てて目を伏せていると、上着の裾を軽く引かれた。自分なら大丈夫、と伝えたいようだ。

 カシェが悩んでいる間にも姉妹は警戒心を膨らませ、毛を逆立てている。ベルナールがおろおろと窘めていたが、本能が勝っているのか話が耳に入っていないらしい。


「紹介が遅れてすまないな。二人が警戒しているのは私の義弟なんだ」


 カシェの紹介に合わせ、ゼノがフードを脱ぐ。突如現れた幼子の姿にベルナールと姉妹は目を見張った。


「これはこれは……随分と可愛らしい弟君ですな」

「この子は身体が弱くてな……漸く療養も明けたと報せがあったから顔を見に屋敷に戻って来たんだ」

「なるほど、そうだったんですなぁ」


 するするとカシェの口から作り話が出てくる。だが、流れ自体はあながち間違いでもないため、グリフは「相変わらずうちの旦那様は口の上手いことだ」と呆れを通り越して感心していた。


「この通り容姿もいいものだから人攫いにかどわかされそうになったこともあって……」

「……それで身を隠しておられたのですね」

「ああ。一家に代々伝わる魔道具だからあまり口外はしてくれるなよ」

「勿論ですとも。商人にとって信頼は一番大事なものですから、落とすようなことはいたしませんよ」


 カシェの話でベルナールは納得したらしく、表情を緩める。一方で、イルヴァとソウレイは依然としてゼノを警戒していた。


「でモ、その子強イ」


 野生の勘とは厄介なものだ。カシェが目を細めると、姉妹が怯えたように僅かに体を揺らした。


(怯えさせてしまったか)


 しかし、イルヴァもソウレイも一切カシェの方には目もくれず、ずっとゼノを見つめている。まるで目を離せば殺されると言わんばかりに。

 やがて、それまで静観していたゼノが口を開いた。


「僕が怖いかい?」


 ゼノの問いかけに、イルヴァもソウレイも答える気配はない。ただ、身体が後ろに引けていた。

 その様子を見て、ゼノが悲しそうに目を伏せる。


「僕の膨大な魔力が君たちを怖がらせてしまったんだよね……ごめんね」

「魔力……?」

「僕、生まれつき魔力の操作が上手くできないんです……それで、よく魔力が暴走してしまって」


 ゼノの言葉に、イルヴァとソウレイがはっと息を呑む。


「魔法、使えなイ……?」


 ソウレイが恐る恐るゼノに尋ねる。その質問に、ゼノがこくんと首肯した。


「そレ、危険! 早ク、対処!」


 ゼノが魔法を使えないと聞いた途端、ソウレイとイルヴァが顔色を変えてベルナールに詰め寄る。あまり魔法に馴染みのないベルナールが戸惑った様子でカシェに視線を寄越す。


「対処、というのは……?」

「魔力、使ウ! 何でもいイ」

「もしや……そのための魔道具で?」

「そうだ。この子に合うものを、と思ってな」


 カシェがそう言うと、ソウレイとイルヴァは早く早くとカシェを急かした。


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