26. 誰に認められずとも
「ジョゼさんって力が強いんだね」
暫く咳き込んでいたゼノの背を擦ってやると、落ち着いてきたのかゼノがぽつりと呟いた。
驚くのも無理はない。ジョゼは聖職者であるはずだが、恐らく騎士のカシェよりも力強いはずだ。
「さっきはごめんなさいね……。私、可愛いものを見るとつい暴走しちゃうのよ」
ゼノが落ち着いたのを見計らって、ジョゼがゼノに声を掛ける。その表情は少し暗く、どことなく居心地が悪そうに視線を彷徨わせていた。
(嫌われやしないかと心配なのだろうな)
カシェは、ジョゼが王都にいた頃から変わり者として腫れ物に触るように扱われていたことを知っている。それは、カシェ自身も文官一族の嫡子でありながら武を学ぶ異端児として扱われていたからだ。人から離れた場所で人を寂しそうに見つめる目は、同じく人と離れた場所にいたカシェからは見つけやすいものであった。
誰から声を掛けたわけでもない。自身の身以外全てを失いカシェの家に身を寄せていたグリフやとある理由により同じような境遇にあったヴァイスハイトも、気付けばいつも一緒にいる仲になっていた。四人は、お互いの傷を誰よりも知っていた。
(まあ、この子ならちっとも気にしないに違いない)
「僕は大丈夫だよ。それよりもどうやったらそんなに強くなれるの?」
カシェの思った通り、ゼノはあっけらかんと応える。それどころか、目を輝かせて強さの秘訣を教わろうとする姿に、ジョゼは目を瞬かせた。
「貴方……私の喋り方とか気にならないの?」
「喋り方……?」
ジョゼの疑問にゼノも首を傾げる。
「ほら、もう気付いてるでしょう? 私が男だってこと」
「それがどうしたの? ジョゼさんの個性でしょう?」
ゼノの答えを聞いて口を閉ざしたジョゼの肩が震える。
彼らのやり取りを静かに見守っていると、ゼノが同意を求めるようにカシェを仰ぎ見た。その顔には、心底不思議だと書かれている。
「そうだな、ゼノの言う通りだ」
カシェがゼノに同意すると、ゼノは嬉しそうにジョゼに向き直った。
その一連のやり取りの間にもジョゼの肩の震えは大きくなる。やがて感情が抑えきれなくなったのか、ジョゼは声を出して笑った。
「ジョゼ?」
「いや~参ったわ。この子、カシェにそっくりね。心配して損しちゃった」
「ゼノが私に?」
今度はカシェがどういうことだと眉をひそめる。その反応に、ジョゼは「覚えていないの?」と目を丸くして喋り出した。
「あの頃、私結構浮いてたでしょう? なのにカシェったら、何も言わずに気付いたら傍で本ばかり読んでるものだから、「気にならないの?」って聞いたのよ。そしたら何て答えたと思う?」
「全く気にならない、とか?」
「別に興味ないから、よ!」
この人、自分の興味範囲外のことには全く目を向けないのよ、とジョゼがゼノに笑うのが目に入った。確かにかつてカシェ自身が言った言葉だが、傍から聞いていると中々に酷い言い様だと内省する。
そんな台詞を吐く人間のどこがゼノとそっくりだというのか。
(当てつけか)
カシェはじっとりとした視線をジョゼに向ける。ジョゼが目尻の水を指で拭いながら、カシェを宥めるように笑いを収めた。
「まあ、この言葉には続きがあってね。『君自身がそれをどう捉えているかは知らないが、その姿こそが自分自身だと思うのなら貫けばいいだろう』って言われちゃったわ」
ジョゼが懐かしそうに目を細める。
そんなこともあったな、とカシェも記憶を辿っていると、床で伸びていたグリフがよろよろと身体を起こした。
「その頃から変わらず人たらしですよね、旦那様って」
「そうなのよ! グリフとは大違い!」
「グリフ先生はどうだったの?」
己の話に流れが切り替わったことを察し、グリフが顔を蒼褪めさせる。そして止めようと手を伸ばすも、ジョゼはよくぞ聞いてくれましたとばかりに意気揚々と話を続ける。
「グリフはねぇ、開口一番に『どっち?』って聞いて来たのよ。あまりにも潔くて逆に気に入ったわ」
「だって! もし女性だったら女性として扱わなくちゃ失礼じゃないですか!」
「こういうところが可愛いのよね~~!」
羞恥を誤魔化すように言い訳を並べるグリフに、ジョゼが突進をかます。引き剥がそうと藻掻くグリフと構わず抱き着くジョゼを見て、ゼノはぱちぱちと瞬きをした。
「ジョゼさんはグリフ先生のことが好きなの?」
「もちろんよ。グリフのこともカシェのことも、もちろん貴方のことも好きよ」
ジョゼがグリフから離れてゼノに近付く。そして、触れるか触れないかの距離でゼノの頬を撫でた。
「私は精一杯生きてる人間が愛おしくて大好きなの」
「そっか……とっても素敵だね!」
ゼノが満面の笑みを浮かべると、ジョゼは感極まった感情を表すようにゼノに頬ずりをした。
にこにこと嬉しそうに笑っている二人を眺めていると、何やら背後から重々しい空気が漂ってくるのを感じた。
カシェが顔を上げると、恨みがましく睨みつけているグリフの姿が目に飛び込んでくる。
「愛情表現が行き過ぎて誤解されてるこっちの身にもなってくださいよ……」
ジョゼが人に抱き着くようになったのはそれこそ王都にいた頃からなのだが、特に一緒にいる時間の多かった三人は頻繁にジョゼに抱き着かれる姿を目撃されていた。そのせいもあって、カシェとヴァイスハイト、グリフの三人の内誰かと恋仲なのではないかという噂が出回っていた。
どんな噂を流されようとも、周囲のことなどあまり気にしない性格のカシェや快活なヴァイスハイトは何とも思っていなかったが、グリフは違った。
それこそ噂を流す人間一人一人に否定して回っていたためか、噂は信憑性を増してしまったのだ。そんな苦い青春時代もあったためか、グリフはジョゼに対して若干苦手意識を持っている。
「あら、気色の悪いことを言わないでちょうだい」
一方で、ジョゼとしても全くそんな気はないため、グリフを適当にあしらった。
「全部ジョゼフのせいなんですけど!」
「だからジョゼフって呼ぶなって言ってんでしょう!」
ジョゼから解放されたゼノが、てててとカシェの横に並ぶ。そして、騒ぐジョゼとグリフを眺めて言った。
「兄様、どうしてジョゼさんは本名で呼ばれたくないんだい?」
「どうしてだと思う?」
「名前が嫌いなのかな……」
「そうよ。くそったれな上の人間に支配されたくないのよ。……あんな男が付けた名前なんて誰が名乗ってやるものですか」
カシェがゼノと話していると、グリフと戯れていたはずのジョゼが割り込んできた。人が好きだと答えた口の端が歪んでいる。
「私は自由でいたいの。誰にも縛られることなく、私らしさを大切にしたい」
その言葉は自分自身に強く言い聞かせているようであった。
「カシェももっと自由になった方がいいわよ!」
空気が少ししんみりとしたことに気が付いたのか、ジョゼが明るさを取り戻したように声を張り上げた。
「十分自由にしていると思うがな。ほら、そろそろ手続きを始めたいんだが」
「ああ、そう言えばさっきゼノちゃんが義弟になったとか言ってたわね。もしかして今日はその手続きにきたの?」
「そうだ。秘密裏に進めたい」
秘密裏に、という言葉にジョゼが片眉を上げる。
「どういうこと? 何か訳あり?」
「そんなところだ」
神殿で親族登録を行う場合、三種類の申請方法がある。情報を教会のみに留まらせず、王侯貴族全てに知らせるものと、教会の全ての神殿で共有するもの。そして、一つの神殿のみで秘匿するものだ。
嫡子が生まれた場合、王侯貴族にも知らせることが多い。これは、今後の交友関係や婚約者候補という立場を築く上で重要な情報となるためだ。一方、養子は教会内で情報を公開するのみに留めることが多い。庶子のような訳ありでもなければ一つの神殿で秘匿することはほとんどない。
「……私にも話せないようなことなのね」
少し寂しそうに伏せられる目を、カシェは真っ直ぐに見据えた。
ジョゼのことだ、話せば力になってくれるかもしれない。しかし、それでは彼を巻き込んでしまうことは必至である。カシェは、できることなら大切な友人を巻き込みたくないと思っていた。
そして、そう考えていることをジョゼが理解し、何も聞かないでいてくれるだろうとも。
「貴方のことだから、どうせ私を巻き込みたくないと思っているんでしょうけど……まあいいわ。理由は聞かないでおいてあげる」
「感謝する」
「でもね、大々的にとは言わないけど、ちゃんと調べられたら誰にでもわかるようにはしておいた方がいいわ」
「しかし……」
それではゼノの存在を隠し切れない。悪意ある存在の手に情報が渡ってしまえば、カシェに害を為そうとする手がゼノにまで向くかもしれない。
そんな事態を想像してカシェが顔を曇らせると、ジョゼが緩々と首を横に振った。
「あのねぇ。貴方のことだから隠し通して守りたいと考えているのかもしれないけど、そんなんで守り切れるほど世の中甘っちょろくないわよ」
「いや、そうなんだが……」
「これからずっと箱にでも閉じ込めておくつもり? それが本当にこの子のためになるとでも思ってるの? それならファーガスの名を盾にした方がよっぽどこの子のためになるわよ」
ジョゼの言い分にも一理あった。
最低限伝えるべき人物にのみ伝え、後の屋敷の人間には見つからないようにさせることがゼノにとっては安全だと思っていた。この間のように誰かが裏で害のある人間と繋がっているかもしれない。それなら、最初から存在を明かすべきではないと考えていた。
(だが、それも存在に気付かれてしまえば終わりだ)
ゼノがファーガス家の保護下にあることを隠してしまえば、有事の際にその権利を主張することが困難になる。特に、ゼノ一人で何かの事件に巻き込まれなどすれば、ファーガスの名は彼を守ることなどできないだろう。
カシェに対して厳しく言葉を重ねた後、ジョゼはゼノに向き直った。
「ゼノちゃんだってずっと守られたままは嫌よね?」
「うん。兄様、僕言ったよね? 僕は兄様を守りたいんだ。守られるために来たわけじゃない」
ジョゼに続き、ゼノにまで言われてしまえば降参するしかない。カシェは瞼を閉じて両手を空に挙げた。
「わかった。情報は公開したままにしといてくれ」
「ええ。それじゃあ契約の間へ行きましょうか」
***
ジョゼに促されて向かった先は、首のない神々の像が囲うように立ち並んだ異様な部屋であった。中心には、魔術陣の描かれた大理石が宙に浮かんでいる。大理石の周囲にも足場のような石が浮いているところを見るに、魔術陣の上で手続きを行うのだろう。
先頭を歩いていたジョゼがその魔術陣の上に乗り、ゼノを手招いた。
「兄様?」
「行っておいで」
ゼノの背を押し、軽々と身を持ち上げる。持ち上げた身体をジョゼが受け取ったのを確認して手を離した。
「それじゃあ手続きを始めるわね」
カシェに一言だけ告げ、ジョゼは片膝を突いて祈りを捧げ始めた。すると、天井から光のカーテンがジョゼの頭上に降り掛かる。
「俺のときもあんな光が降ってきたんですよね。あれって神様からの祝福とかなんですかね?」
「さぁ……」
カシェの隣でグリフが小声で話し掛ける。正直、カシェは物心がついてから初めて目にする光景であるため、その光がどういったものであるのかは全くわからなかった。
グリフも大した答えを期待しているわけでもなかったらしく、すぐに視線を光の方へと戻す。光は徐々に薄れ、球体を生み出して消えた。
「あれがコアか……」
コアはジョゼの手に触れると糸が解かれるように解体される。
「確か、神々の御許に名を連ねる者の全ての情報が刻まれてるんでしたっけ? 情報が漏れでもしたら恐ろしいことになりそうですね……」
「神々と繋がっている許された人間にしか開くことはできないそうだ」
カシェとグリフが小声で喋っている間にも、儀式のような申請は続いていく。
ジョゼは厳かに口を開いた。
「汝、血脈よりも深い縁を繋ぎし者。この時より、ファーガスの仔となりて、その命運を共にする者。神々にその名を告げよ」
「我が名はゼノ」
ゼノがジョゼに合わせるかのように口調を変えて名乗りを上げる。二人の告げた言の葉が金色の文字となって浮かび上がった。
「坊ちゃんって本当に幼子で合ってます?」
その姿は、グリフがぽっかりと口を開ける程、様になっていた。
「……彼の者の名をここに刻む」
ジョゼの宣言に従うように金色の文字が二人を包み込み、やがてコアに吸い込まれた。ジョゼがコアを天に翳し、再び光に還るのを見届けてから息を吐く。
「終わったわよ~~!」
それからいつもの調子でカシェとグリフに手を振り、ゼノを抱えて降りてきた。
「お疲れ、ありがとう」
ジョゼが下りてきたところでカシェがジョゼに話し掛ける。しかし、ジョゼは抱えたゼノを離さず黙りこくった。
「ジョゼ……?」
一体どうしたのか。もしや申請に不備でもあったのかと心配になり、俯くジョゼの顔を覗き込もうとした。その直前、ゼノを突き出すようにジョゼの両腕が前に押し出される。
咄嗟にゼノを受け取ると、ジョゼがカシェとグリフに詰め寄った。
「ちょっと! なんでこんなに軽いのよ! ちゃんと食べさせてるの!?」
「あ、いや……もちろんだが……」
「こんなんじゃ強い男の子には成長できないでしょう!」
それはもう悪魔のような形相といっても過言ではない表情のジョゼに言い募られる。
正直、屋敷に来てからの数日はゼノの体調に合わせた食事を十分に摂らせているつもりであるが、その前の数年間を想えば歯切れが悪くなる。
その歯切れの悪さに、ジョゼの怒りは増し、カシェとグリフには手に負えないものと化していた。
「僕、男の子じゃないよ」
「え?」
これは長引くと途方に暮れた瞬間。予想外の言葉が耳に飛び込み、思わず視線を下に向ける。ジョゼとグリフも目を点にさせてゼノを見つめていた。
「え、ちょ、ちょっと待って……坊ちゃんって坊ちゃんじゃなくて嬢ちゃんだったってこと……?」
「でも義弟になったって言ってたわよね……?」
「グリフさん、僕は女の子でもないよ」
更に矛盾するような言葉を重ねられ、カシェは戸惑いの表情を浮かべた。
「……弟ではなく、妹でもない? これから何と紹介すればいいんだ……?」
「旦那様、気にするところはそこじゃないです」
「ええそうよ、気にするところはそこじゃないわ。男の子用の服を着せるか女の子用の服を着せるかよ」
グリフが冷静に突っ込むと、ジョゼも真剣な顔で同意する。
「そこでもないでしょう! ちょっと二人とも落ち着いてください!」
「落ち着いている」
「落ち着いているわよ」
耐え切れずに叫ぶグリフにむしろお前が落ち着けと呆れを含んだ視線を向ける。ジョゼも同様の視線をグリフに向けていた。
「僕は僕なんだから、これまで通り扱ってよ」
「はぁ……ほんと、とんでもない秘密が飛び出してきたわねぇ……」
これにはカシェも頷く他なかった。




