23. 使用人の矜持
「どうして!? こんなの横暴だわ……そうよ、私は嵌められたんだ……私は悪くない……」
少女がぶつぶつと何かを呟く。グリフの制止を気にも留めず、カシェが放心した状態の彼女に近付くと、おずおずといった様子で少女の顔が上げられた。その瞳は小さく揺れ動いている。
「旦那様……」
縋る声に、カシェはただ目を細めて返す。責めるでもなく、ただただ波のない静かな海に見つめられれば、誰しもが先程まで罪人として疑われていたことなど錯覚だったと思ってしまうことだろう。現に、カシェを見つめる相貌はまるで許しを得たかのように明るさを取り戻した。
(彼女は末端に過ぎないだろうな)
「私じゃないんです……私は悪くないの……!」
少女はどうにか望む展開へと向かっていると思っているのだろう。それは、少女にとって、カシェたちが誘導剤を飲んでいるという事実があるからだ。
しかし、誘導剤まで使用して何かを為そうとする人間にしてはあまりにも短絡的過ぎる。
(恐らく、頼まれて実行したというのは事実……。問題は、誰が何のために頼んだか、か)
どの道、目の前の少女が実行したことには変わりない。黒幕までさっさと尋ねて終わりにしたいが、残念ながらカシェの望む先へと誘導することは叶わない。それならば、もう少しこの茶番に付き合った方がよさそうだ。
「私を犯人に仕立て上げようとしてる人がいるんです……!」
「そうだろうな」
先程糾弾したとは思えないほど手のひらを反すカシェに、背後から身じろぎをする音が聞こえてきた。グリフが目を剥いて信じられないと言いたげな顔をしているのが容易に想像できる。
「信じてくださるんですね!」
希望を持ってカシェを見つめる少女に、今度は返事することなく微笑み返した。
肯定も否定もしない笑みに、少女は一瞬の安堵をその表情に浮かべる。しかし、徐々に口角が下がり、瞳が揺れ始めた。
疑心、不安。
本当にカシェが自身の言葉を信じているのか、それともこれも自身が見たいものを見ているだけか。少女の肩が頻繁に上下し、息苦しさを感じているのが手に取るように伝わる。
(もう少し揺さぶってみるか)
カシェは顎に手を当て、少し考え込むように目を伏せた。
「では、君を犯人に仕立て上げる人物が誰か教えてくれるか?」
「あ……ぁ……」
ここで別の人物を指せば、自分が疑いの目から外れる。少女は何としても答えなければ、と喉を震わせようとした。だが、どうしても口にはできないのか、一向に言葉が出る気配がない。
ふと、少女は後ろ手に縛っているアデールを見上げた。そうだ、彼女を使えばいい……とでも思ったのだろう。一瞬、少女の口角が弓形に上がった。
「早く答えなさい」
しびれを切らしたグリフが促す。
「アデ……」
その問いに言葉が口から飛び出ようとして、少女は勢いよく唇を噛んだ。勢いのあまり、噛んだところから血が滲んでいるにも構わず、歪な笑顔を浮かべている。どこか自嘲するような、そんな笑顔を。
「どうした?」
「旦那様は、チャンスをくださいました……私が選ぶチャンスを」
「ああ」
「私が行いました。他の誰でもありません」
全てお話します。そう告げた少女の顔は、諦めと罪悪感から解放された清々しさを表していた。
「私は、あまり豊かではない家に生まれました。他の貴族に馬鹿にされることもありましたが、それでも幸せだった——……」
そう、穏やかに語る少女を、口を挟むことなく見守る。
「でも、それは長くは続きませんでした」
「何か問題が?」
「父が知人にお金を貸し始めたんです。この事業が成功すれば必ず幸せになれるなどと甘い言葉に流され、多額の資金を納めました」
よくある話だ。必ず成功する、成功した暁には資金を何倍にもして返すなどと言って善良な人々から資金を騙し取るのだろう。
少女の暮らしも、見る見るうちに地に落ちた。大切なものを全て売り、毎日の食事も水で嵩を増して何とか空腹を凌ぐ。それでも、暮らしはなおも苦しくなっていく。
「なるほど……それで貴女はお金が必要になって?」
グリフの問いに少女は首を横に振った。
「確かに生活はさらに苦しくなりました……でも決してこんなことをしようだなんて考えなかった」
「では、何故?」
「あの男よ……! 父を騙したあの男が、私を召し上げれば借金を帳消しにするって……!」
アデールに縛られた手が震える。噛み締められた少女の口からガリ、と音がし、激情を必死に我慢していることが伝わる。
「どんなに貧乏だって! 馬鹿にされたって耐えられるわ……でもあいつだけは許せなかった」
ふう、ふうと息を整えようとするその背を、アデールが空いた手でそっと撫でる。
「私はあの男にこの身を捧げるくらいなら死んでやるつもりでした。そんなとき、一通の手紙が届いたんです」
ポケットの中のものを取り出させてほしい、と少女がアデールに願う。カシェが頷くと、アデールは拘束を解いた。
少女がお仕着せのポケットから取り出した手紙をアデールに渡す。
「……問題ありません」
アデールによって危険がないことを確認された後、カシェは手紙を受け取った。手紙には、丸みを帯びた字で日時と場所が書かれている。ここに書かれた場所に来いという指示書だったのであろうが、あまりにも情報が少ない。
「差出人の名前がありませんね……」
いつの間にかカシェのすぐ後ろに来ていたグリフが手紙を覗き込んで言った。
「この場所には誰が?」
「末の王女様です」
「なっ……! 王女が!?」
思わずといった様子でグリフが叫ぶ。
カシェは頭の奥が痛むのを感じた。全く、あの王女はどこまでカシェを振り回せば気が済むのか。やはり行動理由がはっきりとしないあたりが不気味でならない。カシェと同様、グリフもあの王女ならやりかねんと思っているのか、頭を抱えている。
その反応に少女は首を傾げながらも話を続けた。
「王女様は願いを叶えれば、私の願いも叶えてくださると仰いました」
「それが……」
「はい。旦那様に誘導剤を飲ませることです」
何のために、と考えていたのが顔に出ていたのだろう。少女は頭を垂れてわからないと答えた。
「私は自分の欲望のために人を巻き込んでしまった……こんなことなら大人しく諦めておけばよかった」
「それはどうでしょう……そんな低俗な人間に従うなど私には耐えられそうにありません」
きっぱりと告げられたアデールの言葉に、少女がぽかんと口を開ける。
「助けを求めればよかったのです。旦那様なら何とでもしてくださったでしょうし、アタシだってそんな屑消し去ってやりましたのに」
「……ふ、ふふ! なんですか、それ!」
真剣な顔をしてとんでもないことを言うアデールに少女が堪え切れないと失笑する。慰めのために言っていると思ったのだろう。
それこそ、とんでもない。アデールが言葉通りのことを成し遂げるのに何ら躊躇しないことを知っているカシェからすれば、冷や汗ものである。
「姐さん……」
呆れたように呟くグリフと目を合わせ、カシェはやれやれと首を振った。
「残念だが、その段階は過ぎてしまった。私は信用できない人間を傍に置くことはできない」
「そう……ですよね。大丈夫です、わかってます」
少女は一度視線を落とした後、表情を引き締めてカシェを見やった。
「君には早晩この屋敷を出て行ってもらう。荷物を纏めてくるといい」
「荷物……? 私は牢屋に入れられるのでは……?」
途中まで神妙な顔をして聞いていた少女が聞き間違えかと尋ねる。
尤もだ。使用人が主の口にするものに薬物を混入するなどあってはならない。それこそ主によっては酷い仕打ちを受け、実際の罪状よりも重い罪を着せられることもままある。どれだけ酷いことになろうとも、貴族の血族に与える被害を考えれば軽いものと考えられるからだ。
それ故に、屋敷で起こった事件の結末は主の采配に左右される。
「私は信用できない使用人を解雇しただけだが?」
「旦那様……」
「君の選択した結果だ」
今回も、カシェが相応しいと考える罰を与えたに過ぎない。深く頭を下げる少女に、早く行くようにと手を振る。
もう一度頭を下げ、少女がアデールの脇を通ろうとした。
「すみません、最後に」
その少女をアデールが声を掛けて引き留めた。それと同時にカシェに伺いを立てる。
アデールのすることだ、無駄なことではないだろうと許可を出す。
「どうしてアタシを犯人だと言わなかったんですか?」
正直なところ、カシェ自身も少女がアデールを犯人だと言って自己保身に走るかと考えていた。どう答えるのか気になるところだと二人のやり取りを見る。
真剣に問うアデールと興味深げに二人を見るカシェの視線に曝され、少女は逡巡の後におずおずと言葉を重ねた。
「私は……ほんの少しでしたが、アデールさんにメイドとは何たるかを教わりました。アデールさんは、私を貧乏男爵の一人娘などと馬鹿にせず……何にもできない私も同じ使用人として扱ってくれた」
「当たり前です」
「そんな人を裏切れるわけがないじゃないですか……」
即答するアデールに、少女はぎゅっと胸元の布地を握り締めた。
「私、アデールさんに憧れたんです! アデールさんのように、一途に旦那様に仕えられる格好いい女性になりたかった……そんな私ができた精一杯……」
それが、旦那様から頂いたチャンスをものにすること。少女が情けない顔をして笑う。その顔を見て、アデールはやっぱりと独り言ちた。
「やっぱり貴女、アタシと同じですね」
「え……?」
「アタシと同じ、旦那様に仕える誇り高き使用人です」
「あ~~……疲れた~~……」
「今回グリフは何もしてないでしょうが」
少女が退室して暫く。一同はドッと襲い来る疲労感により、次の行動に移れずにいた。
「姐さん……俺だって証拠集めしてましたって!」
呆れたようなアデールの視線を受け、グリフが肩を落としながら懐からあるものを取り出す。その手には、粉々に砕かれ、原形を留めない茶葉が入った茶色のガラス瓶が握られている。
「何ですか、それ」
「今回使用された茶葉ですよ。厨房から回収してきました」
「どうだった?」
「残念ながら、ただの紅茶の茶葉ですね」
そう言って瓶の蓋を開け、香りを嗅ぐ。茶葉が芳香を放ち、柑橘類の仄かな香りがグリフの鼻腔を擽る。それは、カシェの好む茶葉そのものであった。
「やはり、薬剤は別か」
「姐さん持ってたりしません? 口に合ったかどうかとかなんか怪しいやり取りしてたじゃないですか」
少女が取り乱すきっかけとなったやり取りのことを指しているのだろう。カシェが手早く済ませようなどと言った結果、誘導剤を使用したのかと思っていたが。
「アタシは持ってませんよ」
「え? 使ってないんですか!?」
驚くグリフに、平然と頷くアデール。
「じゃあ何であんなにするすると口走って……?」
「リラックス効果のあるお茶を出しただけですが」
「はぁぁ!? 紛らわしっ!」
あ、とグリフが口を手で覆うも時すでに遅し。思わず本音が口をついた瞬間、目にも止まらぬ速さでグリフの首にアデールの手が絡みついた。
「ぎ、ぎぶ……」
「アデール、その辺にしておけ」
カシェが止めると、アデールは残念そうにグリフの首から手を離した。瞬間、グリフが空気を肺いっぱいに吸い込もうとして咳き込む。
相変わらずのやり取りに肩を竦める他ない。懲りないグリフもグリフだが、アデールもいい加減手加減を覚えてもいいのではないか。
(いや、まあ……これが彼らのコミュニケーションの一種なのだから止める方が野暮かもしれないな)
そんなグリフに聞かれれば怒られそうなことを思うカシェなのであった。
「質問よろしいでしょうか」
「何だ?」
「グリフが厨房の茶葉を取って来た……ということは、もう厨房は調べた後ということですよね? 御祖……師匠が厨房を調べているというのは?」
「彼には別の仕事を頼んでいるんだ」
犯人探しや証拠探しとは別の、重要な仕事だ。そう言うと、アデールとグリフはお互いに顔を見合わせて首を捻った。
弟子同士、気が合うのは確かである。
「さて。君たちには引き続き調査を続けてもらうぞ」
「え? 犯人も見つかったんですから、薬剤の在処も直接聞けばいいのでは?」
「何を言っているんだ……彼女はただの使い捨てだ。最初から最低でも二人いると言っていただろう」
それに、まだ末の王女が黒幕とも限らない。所詮は推測に過ぎないのだ。




