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20. 執務室会議(下)

「それは」


 どういうことか。

 そう聞こうと思った瞬間、妙な胸騒ぎを覚え、扉の向こうへと意識を向けた。マルクも鋭く瞳を光らせている。


「ゼノ」


 カシェが安心させるように手招くも、やはり竜の加護故か、ゼノは隠れるようにしてぼろいケープのフードを頭から被った。その瞬間、ほんの僅かに空間が揺らぐような奇妙な感覚を覚える。


(…………?)


 しかし、奇妙な感覚は錯覚と呼べるほどに一瞬で、カシェは内心で首を傾げた。そして、蜘蛛の巣に引っ掛かったような気持ちのまま廊下に集中する。突然引き締まったように変化した空気に、グリフも警戒するべく魔力を行き渡らせた。


(人……足音が軽いな、女か? 反響は一人分か)

「……襲撃というわけではないようですね」


 マルクが小さく声を置くように呟く。その声に頷き、少し警戒を解く。襲撃でなければマルクやグリフでも十分に対処できるはずだ。

 カシェは扉の向こうに意識を置きつつも、先程の奇妙な気配を思い返してゼノを見やった。


(やはり、どうにもゼノのことが認識し難くなっているな)


 フードがゼノの頭を覆った途端、空間が揺らぎ、そこにいたはずのゼノの気配を真っ直ぐに感じることができなくなった。それはまるで霧に紛れるように、あるいは初めから蜃気楼であったかのように捉えようのない感覚と言える。

 しかし、マルクもグリフもゼノの異変に気付いていないのか、特に気にすることもなく扉を見つめている。それがカシェにとってはどうにも気懸りであったが、徐々にざわめきを大きくする扉からの気配に、意識は自然と釘付けになった。


「旦那様、お茶を持って参りました」


 やがて気配が目前にまで迫ると、コンコンと扉が叩かれ、淑やかな声が聞こえてきた。執務室に籠りきりであったためか、メイドが気を利かせたらしい。

 マルクが視線でどうするか尋ねて来る。それに頷いて返すと、静かに扉の横へ移動してドアノブに手を掛けた。


「わっ……!」


 急に開いた扉に驚いたようで、小さな悲鳴が聞こえてくる。改めて視線を向けると、丸眼鏡を掛けた大人しそうな少女が立っていた。その傍らには、ティーポットとカップが4つ乗ったワゴンが置かれている。

 少女が緊張したように身を固めつつ、入ってもいいものかとすぐ側で扉を抑えているマルクを窺い見た。まだ雇い入れられて間もない者のようだ。


「どうぞ」

「し、失礼いたします」


 無言のまま答える気配のないマルクの代わりにカシェが答えると、少女がぐるりと部屋を見渡しつつ、ワゴンを押して入って来た。お茶を入れるためにワゴンに視線をやり、一瞬首を傾げる。やがて納得したのか、カシェとグリフ、マルクの三人分のお茶を用意すると、頭を下げて退席の準備をした。


「君」


 思わずカシェが声を掛けるも、少女は何か失態をしてしまったかと怯えるばかりで、何も変だとは気付かない。カシェはゼノに視線を移すことなく、何気ない風を装ってワゴン上に残ったカップを指差した。


「それは?」

「お恥ずかしながら、数を多く見積もってしまったようです」


 少女が本当に恥ずかしそうに耳を赤らめながら答えた。


「そうか。……行ってくれ」


 カシェがカップから興味を移すと、少女は微かに息を吐いた。そのまま一礼してワゴンと共に立ち去る。少女が遠ざかるにつれて、見えない手に肌の上を撫でられるようなざわめきも遠ざかっていく。

 グリフが扉を閉めると、再び外界から遮断されたことを感じ、僅かに空気が和らいだ。


 少女が立ち去ってすぐ、カシェはソファに深く腰掛けて溜息を吐いた。


「新人か?」

「つい最近新しく雇い入れた者です。……確かな血筋だったのですが」

「……ゼノの言う通り、掃除が足りていなかったようだな」

「申し訳ございません」


 その様子に、グリフが首を傾げる。本気でゼノのケープ自身が埃っぽいのだと思っていたらしい。いくら歓迎する前とは言え、流石に不潔な状態で屋敷に招き入れたりはしないとマルクは頭を抱えたくなった。


「グリフ、愛し子は悪意に敏感だと言われただろう……」

「ああ!」


 漸く理解ができたのか、グリフは表情を輝かせた。


「……全く、我が弟子ながら頭の痛い」

「いやいや、“埃っぽい”だけで理解するのは無理がありますって」


 幼子でも理解できていることだとマルクが呆れを含んで見据えると、グリフは若干気まずそうにそっぽを向く。


「ヒントはいくらでもあっただろうに」


 カシェもやれやれと首を振った。

 そもそも、この場にいる誰も頼んでもいないのに、顔も知らないメイドがお茶を運んで来ること自体がおかしいのだ。特にカシェは他者への信用度が低く、信頼の置けない人物が日常的に近くにいることを好まない。それを家令であるマルクは深く理解していたし、せめて屋敷内では案ずることなく過ごせるようにと念入りに気を付けていた。

 また、お茶を用意するにしても、主人の分だけではなく勝手に使用人の分まで用意することもおかしな点であった。そこは新人だからと通したかったのかもしれないが、それもこの手厳しいマルクによって教育が行き届いているはずだから殆ど有り得そうにもない。


「さっきのメイドの単独でしょうか?」

「……最低でも2人。1人は確実に前から潜んでいるはずだ」


 見たところ、少女はあまり気の強い部類ではなかった。それに、用意されていた食器の数を見て首を傾げていたことから、指示を受けて運んで来た可能性が高い。もしカシェを害そうとする勢力の手の者であったとしても、それがバレた途端に尻尾を切って逃れるだろう。


「すぐに探し出して処理して参ります」

「いや、この件はアデールに任せる」


 そう言った途端、天井がかたんと音を立て、上から大きな黒い物体が落ちて来た。後から風が巻き起こり、ゼノの被っていたフードが風で飛ばされる。すると、急に靄が晴れたようにゼノの存在を認識できるようになった。しかし、それすらもマルクとグリフの両者ともに気にした様子はない。

 それよりも、グリフはあんぐりと口を開けて落ちて来た物体——もとい、侍女服を身に纏った女を見つめていた。


「畏まりました、旦那様」


 女は、優雅に跪くかのように頭を垂れる。その姿は侍女というよりは騎士に近い。

 ゼノが慌てて風に煽られたフードを被り直そうと手を伸ばすと、それよりも先に女が顔を上げた。その顔は無表情で、纏う雰囲気は凛々しい。鋭い瞳がゼノを捉える。その銀の瞳にゼノはどこか既視感を抱いた。


「あ、姐さん!?!?」


 どこだろうとゼノが考えるよりも先に、グリフの驚愕を帯びた声によって思考が遮られた。


「姐さんって?」

「ゼノ様、私の孫娘であり、弟子のアデールでございます」

「ご紹介に与りました、アタシはマルクの孫のアデールにございます。こちらの阿呆の姉弟子でもありますが……」


 そう言って、アデールは氷のように冷たい目線でグリフを突き刺した。


「まさかこんな能無しになっているとは」

「うっ」


 グリフが胸を抑えて背を丸める。その背に追撃するかの如く鋭い叱責が飛ばされる。


「大体、気配も全く消すことのできない素人相手ですら、旦那様方より気付くのが遅いとは……常時魔力を展開しなさいと言ったでしょう!」

「いやいやいや、姐さんや師匠みたいに魔力が多いわけじゃないんですよ! はっきり言って無理ですって!」

「無理、ですって?」

「あぁ~~……精進します……」


 アデールはグリフにとって頭の上がらない存在であった。賑やかな二人にゼノがクスクスと笑い声を上げる。それに釣られるように、カシェの双眸も柔らかく弧を描いた。


「相変わらず手厳しいな、アデール」

「ただの事実です」

「だが、瞬時に魔力を行き渡らせることができるのはグリフの才能だぞ」

「ほら、旦那様もこう仰ってますから!」

「うん……? グリフさんはさっき何か魔術を使っていたのかい?」


 カシェの言葉に疑問を抱いたのか、ゼノが大きな目をぱちくりと瞬かせて言った。


「魔術ではなく、直接魔力を操作しているんだ」

「直接? それって僕みたいに魔力暴走している状態じゃないの?」

「いや。魔力を正確に操作できるならばそれだけでも暴走はしないんだ。ただ、非常に難しいだけで」


 わかるかと問えば、幼子は困ったように眉を八の字にする。心なしか口元もへにょりと下がっている。

 何と言えばわかりやすいか、とカシェは目を伏せて思案した。


「ああ、例えばだが、風を起こしたいときには何か道具を使うだろう? それが魔術で、大気自体を動かして風を吹かせるのが魔力操作なんだが……」


 ちらりと幼子を横目に映す。理解できているといいのだが。

 だが、カシェの期待とは裏腹に、ゼノはぽかんと小さく口を開けて固まっていた。ますます混乱に導いてしまったようだ。


「そんなんじゃわかりっこないですって。いいですか、坊ちゃん? このお茶を飲むときに、カップを使って飲むのが魔術……簡単に言ってしまえば、魔力を使い易くした感じですね。中のお茶だけ取り出して飲むなんてこと普通は難しくてできないでしょう?」

「あ、そっか……! 魔力だけだと暴走してしまうから、使いやすいようにそれ専用の道具みたいなものとして作られた結果が魔術ってことだね?」

「その通り! 術式があればそれを魔力でなぞるだけで誰にでも使えるようになりますからね……まあ、本人の適性と力量にもよりますけど」

「あのグリフが人に教えられていることにアタシは納得がいきません」


 グリフの解説にゼノが顔を明るくする。すると、アデールが訝しげな面持ちで呟いた。その表情には、こんな能無しに教師が務まるのかという考えがありありと書かれている。


「なっ……こう見えても一応色々考えてますからね!? 何でカップが四つあったのかとか、坊ちゃんだけお茶が置かれていない理由は何故かとか色々考えてましたからね!」


 アデールが疑わし気にグリフを見据える。その視線の強さに、グリフは一瞬怯んだ表情を見せた。幼少の頃から過酷な訓練を共にしてきたアデールは、彼にとって憧れのようでもあり、身近ながらも越えられない壁として君臨する存在でもあるのだろう。


(しかし、なんだかんだと言って着眼点は悪くない)


 後者は兎も角、前者は新人だからと考えてしまっても可笑しくはない。だが、先程も考えていた通り、カシェ自身も新人のミスとは考え難いと思っている。もしも新人が主にお茶を出すとなったのならば、他のメイドが予め確認しているはずだからだ。


(確認作業を行った人物がわかればいいんだが……)

「カップが人数分予め用意されているのは、もう坊ちゃんの存在が鼠にバレてるってことですかね?」

「というよりは、疑わしいからこそはっきりとさせたいのだろうな」

「と申しますと?」


 アデールが問うた。


「恐らく内通者は私にとって重要人物が屋敷に滞在していることまでは知っているだろうが、それがどういった人物であるかまでは把握しきれていないと考えるのが妥当だろう」

「なるほど……であれば、ゼノ様の存在を知られないように鼠の動きを操りつつ泳がせ、一網打尽にすればいいですね」

「できるか?」

「当然です」


 トントンと話が進んでいく。少し難易度の高い要望だが、むしろ面白いとアデールは獰猛な笑みを浮かべた。


「怖ぇ……」


 思わずグリフが腕を擦る。ゼノが「あ」と声を上げる間もなく、グリフはアデールによって締め上げられた。


「アデール。この屋敷にいる間、君にはゼノの護衛に付いてもらうつもりだったが……掃除が先だ」

「では、護衛の方はいかがいたしましょうか?」

「そうだな……グリフ、頼んだ」

「お、俺ですか……!?」


 侍女の細腕によって首を絞められているグリフに対して何の反応も示さずに淡々と話しを進める。突然指名を受けたグリフは擦れた声を裏返した。


「魔術を教えるついでだと思ってくれ」


 それだけ言うと、カシェは立ち上がった。不安そうに見上げるゼノの頭をふわりと撫でる。


「手早く済ませようか」


***


 とあるメイドが、厨房の裏口に座り込んでいた。具合が悪いのか、ぶつぶつと独り言を呟くその顔は蒼褪めている。


「どうしよう……何もわからなかったわ……」


 カチカチと奥歯が震えて音を鳴らし、目には水の膜が張られる。


「でも、何か報告をしなくては……あの方の耳に入ってしまったら」

「入ってしまったら?」


 突如、少女の真後ろから声が降って来た。いつの間に背後に人が来ていたのだろう。少女は震える肩を手で押さえつけ、恐る恐る振り返った。


「ああ、怖がらないでください。アタシも貴女と同じですので」


 自身と同じ。その言葉に少女はほっと息を吐くと同時に、哀し気に目を伏せた。しかし、それもすぐに目の前の人物から発される気に押され、おずおずと視線を上げる。


「さあ、行きましょう」


 鋭い銀の目が少女の目を捉え、怪しげに光った。


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