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19. 執務室会議(上)

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……え? 聞き間違いですよね?」


 グリフが眉間を指の腹で揉みながら、慌てたように聞き返す。それをカシェは鉄壁のような笑顔一つで封殺した。


「絶対人選間違えてますよ!? どう考えたって旦那様の方が教師に向いてますよね!?」


 グリフが慌てるのも無理はない。インベントリを使えるようになったばかりで、他の魔術も大して使えるわけでもない自分と、魔法も魔術も自由自在なのではないかと思われるほど扱いに長けている自身の主。どう考えても自分の出る幕ではないのだと力説する。


「私が何も考えずに決めたと思うか?」

「そうとまでは言いませんけど……暇がないとかでは?」


 カシェが呆れたようにグリフを見やった。ゼノが申し訳なさそうに指先同士を絡める。


「……君はあまりに自信がなさすぎるな」


 その言葉にグリフは首を傾げた。どうにもこの男は自己肯定感が低い。普段はそのような様子は一切見せやしないが、ふとした瞬間に垣間見えるのだ。

 カシェは恐らく自身のせいであろうと感じていた。物心ついた頃から共に競争するように育っていれば、カシェがグリフの中で基準となってしまうのも仕方のないことであった。


「ゼノ、空間魔術を知っているか?」


 カシェが視線をグリフからすぐ横のゼノに移した。急に話題の中心がグリフから自身に切り替わったことに驚いたのか。ゼノは目を丸くし、少し考え込んでから首を横に振った。


「空間魔術って?」


 ゼノの疑問にカシェが一つ頷き、魔力で空に術式を描く。やがて空間に揺らぎが生じ、その狭間らしき部分から剣を取り出して見せた。


「簡単に言ってしまえば、空間に作用してものを収納する魔術のことだ」


 ゼノは目を瞬かせ、剣が出て来たであろう場所を覗き込んだ。しかし、特段変わったところがあるわけでもない。てっきりおかしな空間が拡がっているものだと思い込んでいたゼノは、少し残念そうに肩を落とした。


「坊ちゃん、空間の中が見えると思ったんでしょ」


 グリフがクスクスと笑う。ゼノが決まりの悪そうな顔をして言葉を返した。


「空間を裂いたなら、普通は中を覗けるものじゃないのかい?」

「ちょっと違うんだなぁ」


 チッチとグリフが指を振った。そして、カシェの使った魔術を解説している。本人は教師など向いていないかのようなことを言っていたが、その姿はカシェの思い描いた通りであった。


「魔力で空間を拡張して、見た目以上の容量を生み出すんですよ」

「空間を拡張……グリフさんもできるの?」


 ふと放たれた質問にグリフが頬を掻いた。


「うーん……まあ、できるといえばできますけど……空間に直接付与するのは旦那様や他の優れた魔術師くらいにしかできませんよ」


 そう言って胸ポケットに魔力を通し、焼き菓子の乗った皿を取り出した。


「わぁ……!」

「俺みたいにあんまり魔力のない人間は、こうやって空間を意識しやすい箇所に魔術を付与しておくんですよ」


 そのまま焼き菓子をカシェとゼノの前のテーブルに置く。そこからそっと一枚を取り、ゼノの手に握らせた。


「今朝焼いたクッキーです」


 ゼノの手の中のクッキーはすっかり冷めていたが、甘い香りが鼻腔を擽る。口内に唾液が涌くのを感じ、ゼノは小さな舌でその甘味を受け止めた。


「……おいしぃ」


 ゼノが目を細めて味わう横で、カシェもクッキーに手を伸ばす。素朴な甘さが口の中でほろりと溶け、思わず顔を綻ばせた。


「グリフが焼くお菓子はくどくなくてつい手が伸びるんだ」

「えっ! これグリフさんが作ったのかい!? すごい!」


 カシェとゼノが褒める間も、ちょいちょいとクッキーを摘まむ手は休まることがない。


「いや~~そんなに褒めても何も出ませんって~~! まあ、これくらいしか才がないんですけどね!」


 褒められて気をよくしたのか、グリフが調子のいいことを言う。その様子をマルクが目を細めて見ていたのだが、幸いなことにグリフは気付いていなかった。

 代わりに銀の瞳の冷たさに気付いたゼノが、ふるりと身を震わせる。カシェが、空気を変えるべく話題を元に戻した。


「グリフはああ言っているが、先程披露した術もかなりの技術が必要なんだ」

「そうなの?」


 ゼノが目を輝かせてグリフを見つめると、グリフは慌てて眼前で手を振った。


「いやいやいや! 全然、初歩中の初歩ですよ!」


 確かに空間魔術の中でも、ものに付与するのは空間に直接魔力を通すよりかは比較的簡単な方だ。だが、そもそも空間魔術自体が難しい部類であるため、使えるだけでも本来は相当な技術の持ち主であると公言できる。

 にもかかわらず、グリフがあまりにも否定するものだから、カシェは思わずおかしな気分になってふっと声を出した。


「ゼノ、クッキーの皿がポケットから出て来て何か疑問に感じなかったか?」

「何かも何も、全部不思議だったんだけど……あ、どうやってあの狭い口から出て来たのかなぁとは思うよ」


 目の付け所がいい。思わずカシェが口の片側を上げると、幼子は口元を緩めて喜びを滲ませた。


「普通なら口よりも大きなものは取り出せないし、入れることもできないだろう? それを精密に魔力操作を行うことで、可能にしている」

「瞬間的に空間の大きさを変えてるってこと?」

「ああ。取り出すものに合わせて口を拡げているんだ。簡単にできることではない……グリフは君の教師に向いているだろう?」


 ゼノはまた少し考え込んで頷いた。


「僕は魔力を消費するために魔術を覚える必要があるけど、それを通して魔力操作を覚えなければいけない……その操作に長けているのがグリフさんなんだよね?」


 カシェが目尻を緩めて頷く。完全に兄弟の間で進んでしまった話に、グリフは白目を剥きそうになった。


「で、でも旦那様? 坊ちゃんが魔力暴走を起こしたら俺じゃどうしようもないんですけど……」

「勿論そのときは私が止めるさ」

「その場にいないのにどうやって止めるって言うんですかねぇ」


 再びゼノが申し訳なさそうに眉尻を下げて視線を落とす。カシェにもグリフにも迷惑をかけてしまうことに心を痛めているようだ。

 カシェは幼子の冷えた指先を宥めるようにそっと撫でた。


「案ずるな。目はある」


 カシェの言葉を聞いた瞬間、げっ……とグリフの喉の奥から音が漏れ出る。どうしたのかとゼノが顔を上げると、カシェが揶揄う色をその瞳に浮かべ、グリフが苦々しく顔を顰めていた。


(目って何だろう……?)


 ゼノが不思議そうに辺りを見渡すと、マルクと目が合った。もしかしたら彼ならば答えを知っているかもしれない。そう思い、マルクに首を傾げてみせると、マルクは仕方なさそうに微笑み返した。

 どうやら教えてはくれないらしい。ゼノは居心地悪そうに座り直した。


「……旦那様はお忙しいですから、私共にもできることであれば何なりとお申し付けください。むしろ少しでも時間があるならば眠っていただきたいところですが……」

「兄様、眠れないの?」

「夢見が悪くて寝てもあまり疲れが取れないだけだ。……ああ、いや。昨夜は違ったな……何か懐かしい歌を聴いたような」

「歌? そんなもの聴いてませんけど……」


 グリフが昨夜の様子を思い返して言う。その言葉にマルクも首を縦にした。


「私も昨晩は遅くまで起きておりましたが、静かな夜でしたよ」


 グリフもマルクも聴いた覚えがないということは、ただ偶然、いつもとは違う夢を見ていただけだろうか。それにしてはいつもと同じように……否、それ以上に心の抉られるような夢であった。

 カシェは何処か納得のいかない気持ちでいると、ゼノが口元を抑えてまさかと呟いた。


「兄様、聴こえたの?」


 ゼノの言葉にどういうことだと三方向から視線が集まる。その視線を受け、ゼノが少し震える声で、不思議な旋律を紡ぎ出した。

 子どもらしくも落ち着いた歌声に身を包まれる。


(嗚呼……これだ。何処か懐かしい……不思議な歌だ)


 目を瞑って幼子の声に耳を傾けると、ゆらゆらと身体が軽く浮き上がり、揺らめいているような気持ちになった。

 短い歌が終わり、カシェが瞼を上げる。すると、グリフとマルクが怪訝そうにカシェとゼノを見つめているのが目に入った。


「どうした?」

「いや、聞きたいのはこちらの方なんですけど……坊ちゃん、何か歌ってました?」


 一体何を言っているのかと、今度はカシェが怪訝な顔をした。この距離で聴こえないということはないだろう。

 しかし、どうにも冗談を言っているわけではないらしい。双方ともに顔を見合わせ、やがて答えを知っているであろう幼子へと視線は自然に流れていった。


「……やっぱり」

「ゼノ様、一体何がやはりなのでしょうか?」


 意を決してマルクがゼノに問うと、おずおずとした答えが返って来た。


「兄様も竜の愛し子だったみたい」

「私が竜の愛し子……?」


 予想だにしていない答えにカシェは耳を疑った。


「さっきの歌は、竜の子守歌なんだ。竜が一族と認めた者にだけ唄う歌。だから竜か愛し子にしか聴こえない」

「それって竜が家族と認めた者にだけ聴こえるってことですよね?」

「そうだよ。兄様、普通の人より異様に感覚が鋭かったりしない?」


 ゼノの問いかけにカシェが頷く。


「人の気配には敏感な方だとは思うが」


 思い返すと、カシェは気配を読むことができるグリフさえも凌駕する程、気配を察知するのに長けていることがあった。だが、グリフとは異なり、いつも気配が読めるわけではない。

 戦終わりでまだ気が立っているためだと思っていたが、まさか何か関係しているのだろうか。


「兄様が気配に敏感になるときって、大体悪意を持った相手だったときだったりしない?」


 そう言われて記憶を辿れば、確かにゼノの言う通りな気がしてくる。グリフも、数日前の塔での出来事を思い返して納得した。


「旦那様が急に外を警戒し出したときは私も当たり前のように警戒するようにしてましたけど……改めて考えてみると、警戒する必要があるからって感じでしたね。そういう時に限って危険な場合が多いと言いますか」

「それが竜の加護なのか?」

「うん。危ないことから愛し子を遠ざけるため……事前に危険から遠ざける術を与えるってことは、相当気に入られている証なんだ」


 なるほど、とマルクが頷く。カシェも得心がいったが、すぐにおかしいと顎に手を遣った。


「だが私は特に人と変わった見目はしていないが……」

「耳が尖っているわけでも、鱗があるわけでもありませんね」


 カシェに同意するようにマルクが言葉を付け加える。すると、ゼノが非常に言い難そうに口を開閉した。


「言い難いことでも言ってくれないか? もし加護があることで問題があるのならば尚更知っておきたい」


 そうカシェが促すと、一瞬幼さの残る瞳を揺らがせた後、視線を落として言葉を紡いだ。


「二つだけ、加護が強くても身体に影響を及ぼさないパターンがある。まず一つ目が、竜のお気に入りから外れること。この場合、加護は完全に消えてしまう」

「まだ加護が残っているということは、旦那様はそのパターンじゃないですよね」

「二つ目は何なんだ?」

「二つ目は……片方がもうこの世に存在しないこと」


 しんと部屋が静まり返る。その水を打ったような静けさの中で、幼子の少し高くも落ち着いた声だけが落ちた。


「加護は、一方的なものではないんだ。竜が亡くなればその加護も消えるし、愛し子が亡くなっても加護は失われる。……もういない存在をずっと想い続けるのは、寿命の長い竜にとって負担でしかないからね」

「それはつまり、私に加護を与えた竜はもういないから身に変化がないということか?」

「え、でも……だとすると、旦那様に加護が残っているのはおかしいんじゃ……?」

「そうでもないよ。ただ、ほとんどの場合がそうなだけで」

「加護が失われていない者もいるわけか……」


 ゼノがゆっくりと目を閉じる。藤黄色が完全に見えなくなり、カシェは何とも落ち着かない気持ちに襲われた。


(愛し子として思うところでもあったのだろうか……)


 しかし、次に目が開かれた時には、ゼノは優し気に微笑みを浮かべていた。


「兄様は相当愛されていたんだろうね」


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