18. 竜の加護(下)
どうにか冷静さを搔き集めてゼノを見据える。
幼子はソファから身体を浮かすことなく座っていた。それどころか、徐々に沈み込むように身体が倒されていく。どうやら、敵意があるわけではないようだ。その藤黄色の瞳は瞳孔が縦に割れ、カシェは竜と対峙しているかのような気がした。
「すごい、すごいね。皆平然としていられるんだ……」
威圧が発動されたのは一瞬で、後は萎む様に消え去る。後に残ったのは、肩で息をする幼子の姿であった。身体を支え切れないのか、ソファの背に身を預けて全身を弛緩する。カタカタと指先が震え、その小さな全身から汗が噴き出していた。
「先程のは……」
「魔力暴走か?」
「そう、だよ」
カシェの推測に、ゼノは息も絶え絶えといった様子で頷いた。彼の身体は今、魔力路が傷付けられた痛みが全身を駆け回っているはずだ。その痛みは神経という神経に針を刺すようなものらしく、拷問にも等しいと言う。
魔力制御装置によって制御されていた魔力の突然の暴走。
(きっかけがマルクの発言とすると、王族に預けられるのは何か不都合でもあるのか)
「しかし、ゼノ様は魔法を発動されないのでは」
「竜の、加護だよ……魔力に引っ張られるんだ。普通の人なら、耐えられないんだけど」
もっと幼い頃は感情のままに魔力暴走を起こし、その度に乳母が気絶してしまったと言う。王族の前でそんな暴走を引き起こしてしまえば、一生監禁され、王族の治療のためだけに使い古される運命だったかもしれない。
(そう考えると、先程の暴走は正しく竜の加護だろうな)
「ごめんね……」
カシェが物思いにふけっていると、申し訳なさそうな謝罪の声が聞こえてきた。前方を見ると、ゼノが表情を暗くし、俯いている。
「何故君が謝るんだ」
「僕、気持ち悪いし迷惑でしょ……」
「そんなわけないだろう」
「でも、僕は兄様を守るどころか……」
約束を守るどころかむしろ傷付けてしまうと幼子が落ち込む。実際に傷付けられたわけでもあるまいし、裏切られたわけでもあるまい。それでもこうして落ち込んでしまう様子から、この幼子が義理堅い性格であることが窺えた。
「君は私の家族なのだから、人とは違おうと強大な力を持っていようと、受け止めるのが兄の責務だと思うが」
「兄……」
「なったばかりで信用のない兄だろうがな」
ふるふるとゼノが首を横に振った。カシェがゼノの隣に移動してその身体を抱きしめる。薄い服の上からでも骨張った感触が伝わり、ゼノが見た目以上に瘦せ細っていることがわかった。その痛ましいまでの感触に思わず眉間に力が入る。
抱きしめられたゼノは、一瞬身を固くした後、ゆるりと硬直を解いてその身をカシェに預けた。
「僕、漸くできた家族と離れ離れにさせられるんじゃないかって恐ろしくなったんだ……」
「まさか。私も今や独りだ。……唯一の家族を遠くにやるわけがないさ」
「……うん」
カシェが独りだと言った途端、ゼノが窺うように恐る恐るカシェの顔を見上げた。そして、そのまま何を言うでもなく、小さく頷いた。
(この子は何も聞かないんだな)
その様子にカシェは少し瞠目した。今までのカシェ達の会話や空気感からクロヴィスが既にいないと察したのか。もしくはもう何年も前に感じ取っていたのかもしれない。
(だとすればどれだけの孤独感を抱えていたのだろうか)
カシェはその幼い身体をもう一度、今度は強く抱きしめた。幼子を孤独から守るように。それにゼノも返すように、カシェの背に腕を回し、とんとんとリズムよく叩く。
兄弟間でひと段落着いたところで、静観していたマルクがゼノに頭を垂れた。
「ゼノ様、申し訳ございません……」
「ううん、気にしないで! 僕こそごめんね……」
ゼノの言葉にマルクがゆるゆると首を振る。それにほっとした後、ゼノが小さく咳き込んだ。
「身体が弱っているのでしょう、今日はもう休んだ方がよさそうですね」
マルクがゼノを心配そうに見やる。グリフもその通りと言うかのように何度も頭を縦に振った。
ゼノ自身はコンプレックスに感じているようであまり触れたくはないが、抱きしめた瞬間に感じた感触はただ痩せているというだけではなかった。まるで成長に必要は栄養が十分に摂れていなかったように肋骨や背骨が飛び出ている。
そもそもの話だが、ゼノはこの約8年間をどのようにして暮らしていたのだろうか。特にクロヴィスが消えてからの5年は満足に暮らせるだけの資金すらもなかった可能性が高い。カシェは思案顔でマルクに問い掛けた。
「マルク。ここ数年、帳簿でおかしな金の動きはなかったか?」
「いえ、特にはございませんが……?」
「……父上はゼノの生活費を何処から賄っていたんだ?」
その言葉にマルクがはっと顔を固める。
「帳簿におかしな点はございません……が、先代様自身の帳簿は私も管理しておりませんので、恐らくは……」
マルクの言う通り、ファーガス家の財産が変に減っているわけでもないのなら、クロヴィス自身が個人資産からゼノと乳母の生活費類の一切を賄っていたのだろう。クロヴィスの個人資産がどれだけあり、何に使っていたのかは当人しか把握していない。一応表向きでは故人となったためにカシェが相続したのだが、まだ手を付けることができずにいるのだ。
だが、それでも相続の手続きで軽く目を通した限りではクロヴィスの個人資産がそれなりにあることはわかっていた。それこそ、人ひとりを養うなど容易なくらいには。
「いや、でも待ってくださいよ。それじゃぁこの5年間は仕送りもない状態ってことなんじゃ……!?」
「父上がどのようにして金を渡していたのかはわからないが……いや、そう言えばあの頃は月一程度の間隔で視察に出掛けていたな。ゼノ、父上とはどれくらいの頻度で会っていたんだ?」
「うーん……月に一度かなぁ?」
「なるほど、ならばその時に生活に必要な分の金を渡していたんだろう」
「ということは、グリフの言う通りこの5年間は……どれほど苦しい生活を送られたんでしょう……」
ゼノの暮らしを想ったのか、マルクが苦し気に眉を寄せてゼノを見やった。その瞳には、必死に靴を磨く小さな手や泥に塗れた小さなパン切れを大事そうに抱える幼子の姿が映っているようだ。グリフも同様に、痛ましいものを見るようにゼノに視線を向けている。
その完全に同情しきった二人の様子を見て、ゼノが大慌てで否定した。
「父様は十分なくらいにお金を渡してくれていたよ! 1年じゃとてもじゃないけど使いきれないから、乳母がコツコツと貯めておいてくれたし……そんな悲惨な目には合ってないから!」
そもそも二人の想像するような状態だった場合、ゼノに加護を付けた竜が疾うに愛し子を回収したことだろう。これほど大切にしている存在を守れなかったと、その怒りにも触れかねない。もしもそうなっていたならば、ファーガス領が今も平和に存在しているわけがないのだ。
「それならどうしてこんなになるまでに……」
「……僕の力じゃ病は治せなかったんだ」
腕の中で幼子が力なく首を垂れた。その口から漏れ聞こえた声は、マルクの問い掛けに直接答えを返しているわけではない。現にグリフはゼノが大きな病に罹ったのかと首を傾げている。しかし、カシェはなるほどと息を吐いた。
「乳母の療養費か」
ゼノは、乳母が流行り病には勝てなかったと言っていた。
(確か、ベルナールの妻子も流行り病で亡くなったんだったな)
数年前は辺境地で急に流行り出した病であったが、次第に都心部にまで広がっていった。ファーガス領でも一時は混乱に陥ったほどだ。やがて重症化する者とそうでない者がいることがわかり、貴族の大半が後者であったためかあまり重要視されることなくここまで来た。
(両者とも、罹った病は同じものだろうか)
未だに原因も不明で、治す方法は自己回復のみ。医者にすら治せるものではなく、唯一教会の治癒魔術で自己治癒力を向上させるのが効果的だと示されている。それも寄付を弾んだ者——即ち、金のある貴族以上でなければ呼ぶことすら難しい。赴こうにも嫌厭されて追い出される。結局は、自力で治す他ないのだ。
(うちの教会はアレに任せているしそんなことはないはずだが……)
ゼノによると、乳母は歳老いていた。住んでいた場所にもよるが、教会に赴くことも難しかったことだろう。
カシェが手を口元に当て、考え込んでいる間にも話は進んでいた。
「僕は精霊の森の近隣に住んでいて、医者を呼ぶだけでも途方もないお金が必要だった」
「えっ!? 坊ちゃん、精霊の森に住んでたんですか!?」
「近隣だよ、近隣」
森の中で暮らしていたわけではないからとゼノは言うが、精霊の森の周辺も魔素が多く普通の人間では住み着くこともできない。乳母は流行り病などではなく、身体が耐え切れないほどの魔力の影響を受けて倒れた可能性もある。
「危険な場所に呼ぶためにも多額な金額が必要で食費を削ったのか」
「うん、最初は服とか嗜好品から削っていったんだけど……」
ほら、とゼノは自身の腕を広げた。よく見ると上着の解れが酷く、留め具は曇りがかっているのがわかる。靴も随分とくたびれている。ズボンやシャツは屋敷の物を着ているのか新品同様だが、それさえもサイズが合わず裾が余っていた。
「マルク、我が家にもっとマシなものはなかったのか?」
「残念ながら。旦那様の昔の衣装は既に孤児院に寄付しておりますので」
本当に迎え入れるのか判断も付かなかったために子供用の衣装を用意していなかったのだろう。今でこそマルクはゼノに優しいが、それはファーガス家の一員としてカシェが認めたからに過ぎない。表面上はそんなに変わりはないはずだが、こういった面に本音が紛れ込んでいた。
「一先ずは坊ちゃんに肉を付けさせて、服も新調する必要がありそうですねぇ。この小汚いケープとか要ります?」
そう言いながらグリフが軽く上着の裾を持ち上げる。それを取られると感じたのか、ゼノがフードの部分を掴んで抑え込んだ。
「……埃っぽいんだもん」
「どう考えたってそのケープのせいでしょうが」
ゼノがむすっと頬を膨らませて押し黙る。グリフが勝ち誇った空気を醸し出した。先程盛大に心揺さぶられた腹いせだろうか。大人げないグリフにカシェは苦笑した。
「話を戻すよ。グリフの言う通り、まずは食事により一層気を遣う方が良いだろう」
「胃に優しいものを用意させましょう」
「頼んだ、マルク」
カシェが礼を述べると、マルクが口元を綻ばせた。しかし、すぐに表情を戻してゼノに向き直る。鋭い銀の瞳がゼノの頭からつま先までをゆっくりと滑り、ゼノが身を震わせた。
「ファーガス家の一員となった以上、ゼノ様には相応しい御召し物を身に付けていただく必要がございますが」
「いや、僕はこのままでも全然……」
「教会に申請にも行く必要があるから、その際に見繕いに行く予定だ」
「それはよい考えですね」
「えっ教会に行くんですか……?」
ゼノが断ろうとするも勝手に話は進んでいく。知らない話が頭上で行き交い、ゼノは脚を緩くぷらぷらさせた。
「行かなければ申請できないだろう。それとも当主の決定に逆らうのか、グリフ?」
新たに家族が増える場合、教会に申請に行かなければならない。それは、何処の家の人間であるかを証明するためのものであり、これがなければ貴族の生まれであってもその家の一員と言うことができない。この街に入る際に提示する身分証だけで充分な庶民よりも、貴族の方が重要視している制度であった。
「いやぁ……そういうわけじゃないんですけど、ほら……奴がいるじゃないですか」
グリフが目を逸らして口籠る。あぁ、とカシェも納得した。教会にはグリフが苦手意識を抱く人間がいるため、行きたくないのだろう。だが。
「呼び出した方が高確率でアレが来そうだが」
「そいつはだめですね! よし、行きましょう!」
王城に住み着いて自身より上位の貴族の顔色を窺う犬よりも変わり身の早いことだ。マルクは頭を抑えてやれやれと首を振っているが、グリフは気付く素振りもなかった。
「それでは後日馬車の用意もしておきます。ズボンとシャツも裾上げをしておきましょう。他に必要なものはございますか?」
「そうだな……必要なのは魔力の消費か」
「魔力の消費?」
退屈そうに揺らしていた脚を揃え、ゼノが不思議そうに目をくりくりさせた。
「ああ。先程の魔力暴走からも思ったんだが、ゼノは魔力を過剰に蓄え過ぎてすぐに溢れてしまっているようだ」
ゼノの耳に付いている魔力制御装置は、かつてカシェが感情に魔力が揺れないよう制御するために身に付けていたものと同じものだ。にもかかわらず、先程ゼノはいとも容易く魔力暴走を起こした。
「今、君の魔力はグラス一杯に蓄えられた状態だ。ほんの少しでもその均衡が崩れた瞬間、水面が波立ち、溢れ出してしまう」
「魔力制御装置ですら意味を成さないくらい坊ちゃんの魔力量は多いってことですか?」
「勿論それもあるが、ゼノは魔法を使えないから外部に魔力を逃がす機会がなかったんだろう」
「……今までゼノ様が生きてこられた分だけ、魔力が溜まり続けているということですね」
「そうだ。そして、その限界はもう訪れているんだ。恐らく、その器を維持するために成長に必要なほとんどの栄養素が使われている」
難し気な顔をして話し込むカシェ達をゼノが首を傾げて見ている。その頭をカシェが柔らかく撫でると心地良さそうに目を細めた。だが、次の瞬間、その細めた目を大きく見開いた。
「グリフ、お前がゼノに魔術を教える教師になれ」
カシェがにっこりと微笑み、柔和で優し気な表情でとんでもないことを口にしたのだ。
「は!?!?」
「え!?!?」
グリフとゼノは声を揃えて叫んだ。




