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13. ファーガス領の砦街(上)

 車輪が硬い土の上を走り、カラカラと音を立てる。夜の空気は冷え切り、虫の音が優しくカシェの鼓膜に響いた。

 辺りはすっかり開け、野原が広がっていた。森さえ抜けてしまえばもう既にファーガス領。魔物との遭遇もほとんどなく、カシェ達は逸る馬の歩調とは裏腹にのんびりとした気持ちであった。


「おっ、門が見えてきましたよ~」


 グリフの声に反応したソウレイが、カーテンに覆われていた窓から前方を窺う。


「わァ……!」


 暗闇に包まれた景色の中にひと際大きな影が佇んでいた。影には所々明かりが灯っており、月光と相まってその全貌を浮かび上がらせている。

 その大きさに感嘆したソウレイの様子に興味をそそられ、イルヴァとベルナールも窓を覗いた。正しく仲のよい家族のようだ。


「大きイ……」

「あれが有名な砦街ですか!」


 遥か昔。戦の続く時代の中で、アルヒ王国は建国された。そんな小国であったアルヒ王国が他国に落とされることなく大国となって今も在るのは、この砦とここで戦った一族の功績とされている。そして、いつまでもその誇りと役目を忘れないよう、この砦を都にしたと言われていた。

 あくまで言い伝えであり、文官一族のファーガス家に本当にそのような歴史があったのかは疑わしい。カシェの父親はよくこの話をカシェに聞かせ、初代の再来などと喜んでいたが、カシェはあまり信じていなかった。


(そもそも最早求められていない役割だ)


 自嘲気味に笑うカシェに気付かず、ベルナールが明るい調子で目を輝かせた。


「憧れだったんですよ、ファーガス領の砦街!」

「今や保全魔術のせいで拡張することもできない困った壁でしかないがな」

「何を仰います! この砦がこの国を守ったんです……浪漫ではありませんか!」


 ベルナールが拳を握って熱く語る。カシェにとっては都市の発展を阻害している邪魔なものでしかないが、この男の目には素晴らしい存在として映っているようだ。グリフもベルナールの意見には賛成なのか、頭を縦に振っている。


「まあ、砦としては機能してないですけどねぇ」

「そもそも当時よりも国自体が大きくなったんだ。ここだって辺境ではなくなったのだから、国境を守ることもない」

「できることならこの荘厳な姿が保たれるよう、機能する日がないことを祈ります……」


 その後も明るい内に見てみたいだの、どういった魔術で維持されているのだろうだのと会話が続く。そうこう話している内に馬車の速度が徐々に落ちていった。


「もうすぐ着きますけど……旦那様、どういたしますか?」


 馬車の速度を落としたグリフがカシェに伺いを立てる。カシェが貴族の権限を行使するのかを聞きたいのだろう。

 貴族の権限とは、このような審査が求められる場所でも素通りできるものだ。勿論、どの家の貴族なのかといった情報は求められるものの、目的や犯罪歴などを調べられることがない分、一般に比べて非常に早く入ることができる。

 カシェも普段はこの権限を使うのだが、今回は首を横に振った。


「今日はイルヴァとソウレイの身分証も作らないといけないからな」


 突然出てきた自分達の名前に、獣人族の姉妹が首を傾げる。


「身分証がなければこういう大きな街には入れないのですよ」


 姉妹の疑問に答えるように、ベルナールは懐から金属製のタグを取り出した。そこには、名前と職、住所、犯罪歴などが記載されている。


「でも旦那様が帰って来たってわかったら大騒ぎになりません?」

「こんな夜に騒ぎにはならないだろう」


 第一、領主が帰ってきたことが露呈したところで、戦勝後のお祝いムードによって掻き消えるに違いない。少しは注目される可能性もあるが、大抵は無事な帰還を祝ってのパレードを名目にした商売に使われるだけだ。

 カシェの返事を聞き、それもそうかとグリフは納得した。


「おわっ」


 馬車が急に止まった。段々と近付いてくる大きな壁を食い入るように見つめていたソウレイが窓に額を打ち付ける。


「止まれ!」


 馬車に気が付いた男が明かりを振り回しながら停車を求めていたのだ。何事かとカシェがカーテンの隙間から覗くと、門衛の制服を着た知らない顔の男が見えた。その後ろからもう一人、今度は何度か顔を見たことがある門衛が走って来る。


(……一応門衛を騙る不届き者ではないようだな。新入りか?)

「止まれと言っているだろう!」

「……御苦労様です」


 不遜な態度の男にグリフが苛立ちを含んだ声音で返した。

 貴族の乗る馬車と御者や庶民が乗る幌馬車、乗合馬車とでは形や性能が大きく異なる。カシェ達の乗る馬車も簡素ではあるものの、形自体は貴族の馬車とわかる見た目をしていた。だというのにこんな態度を取るとは如何なものか。

 その不満が滲み出た声に、男がキッと鋭い視線を向けてきた。


「すみませんねぇ。……最近盗賊が出たって情報がありまして、疑わしい馬車は全部止めさせてもらってるんですよ」

「おい! やめろ!」


 男のあんまりな対応に、後から出てきた門衛が態度の悪い男の肩を掴んだ。どうやらファーガス領の兵士達が皆落ちぶれたわけではないらしい。

 門衛同士の言い争う声に、カシェは溜息を吐いた。このままでは埒が明かない。仕方なく窓をノックして降りる意を伝えると、すかさずグリフが御者台から降りて扉を開けた。

 突然扉を開けて恭しく頭を下げたグリフに、真面(まとも)な門衛は中に乗っていた貴族が憤慨していると察して蒼褪める。もう一方の男も簡素な馬車に見合わず身分の高い人物が乗っていたらしいと思い至ったようだ。


「貴族様でしたらすぐにお通り頂けますけど……」


 カシェはその声を無視し、もう一人の門衛の前で足を止めた。明かりに照らされたカシェの顔を見た瞬間、真面な門衛はその正体に気が付いたようだ。蒼褪めた顔が土気色にまで変化した。

 門衛はそのまま倒れそうになりながらもなんとか敬礼の態勢を取る。涼しい夜の空気に晒されているというのに、門衛は汗が止まらなかった。


「御苦労だな」

「はっ! 申し訳ありません」

「いや。……盗賊が跋扈(ばっこ)しているのならば仕方ない」

「ありがとうございます……」


 門衛の返事は、蛇に睨まれた蛙のように弱弱しい。しかし、その態度を見る限り、盗賊が出ることは嘘ではないのだろうと予想が着いた。

 もう一方の男は依然としてカシェの正体に気が付かないのか、自分の言葉を無視したカシェに敵意に似た視線を向けている。その背にグリフの殺気が向けられているのだが、何も感じ取る気配がない。寧ろ労われた門衛の方が死にそうな顔をして口をパクパクと開閉させている。


「……申し訳御座いません。此奴はまだここに移動してきたばかりでして」

「気にするな。……余程私の名が知られていないのだろう」

「いえ……我々の教育が甘かったのです」


 先輩である門衛のへりくだった様子に、何かがおかしいと態度の悪い男は訝しみはじめた。


「君ははじめて私を見るのかな。はじめまして、このファーガス領の領主だ」


 名を名乗ることもせず、親し気に握手をするわけでもない。しかし、表面上は穏やかに笑むカシェに、不遜な男は見る見る内に全身の血の気が引くのを感じた。そして、先程の態度を思い出し、力なく項垂れる。


「領主様であれば留める必要はありません。このまま通られますか?」


 固まった男に代わり、先輩の門衛がカシェに声を掛ける。


「悪いが彼女たちの身分証発行と入場許可を頼む」

「彼女たち……ですか?」


 その声を受け、馬車から様子を窺っていたイルヴァとソウレイ、ベルナールが肩を丸めながら出てきた。特にイルヴァとソウレイは不安そうな顔をしている。

 門衛は突然出てきた獣人族の姉妹の足首を見て、目を瞬かせた。そして、奴隷商の元から逃げてきたのであろう風貌に、合点がいったようだ。


「よくご無事で。それでは身分証の作成をするのでこちらに来ていただけますか?」

「えっ、そいつら魔族ですよね!? 入れられるわけが……! まさか此奴ら怪しげな魔法で我々を(たぶら)かそうと……!?」


 門衛がカシェたちを案内しようとした瞬間、今まで動けずにいた男が声を発した。心底わからないという空気を醸し出し、腰に携えた剣に手を伸ばしている。その剣呑な空気に、敏感なソウレイが反応した。

 やはり獣人族は人族の国では受け入れてもらえないのか。そんな深く傷付いた姿に、ベルナールが怒りを露わにしたときだった。


「この馬鹿!!」


 それよりも先に男の頭を叩く音が周辺に鳴り響いた。その後も止める間もなく固い拳が降り注ぐ。誰もが暫くの間、唖然とその状況を見つめていた。


「ったく……すみません! 此奴、他所の領地出身で何もわかっていなくて!」


 その状況を作り出したのは、先輩の門衛であった。

 今までの恨み辛みも相当溜まっていたのだろうか。漸く落ち着いた頃には、愚かな男は白目を剥いて地面に伸びていた。

 沈黙の後、軽く埃を払った門衛は、一仕事終えた後の爽やかさを醸し出して話を続けた。


「では身分証発行しましょうか! 身分証は保証人が必要ですけど、領主様の御名前でよろしいですか?」

「構わない」



 殴り棄てられた男を放置し、身分証に必要な魔道具のある場所へと一行を案内する。その状況にベルナールと獣人族の姉妹は目を白黒させていた。


「ではまずそちらの方の身分証を確認いたしますね……お、他の領地からいらっしゃったんですね」

「ええ、はい。ここでこの子達とお店を切り盛りしようかと」

「おお! いいですね!」

「いいノ……?」


 思わず口をついた言葉に、ソウレイが両手で口を塞いだ。先程の男のように、獣人族を含め魔族に対する偏見が大いにあることは事実。それが自分の周りの人の迷惑になりはしないかと、ソウレイは幼いながらにも考えていた。

 そんな不安そうに仰ぎ見る視線に気付き、門衛がソウレイの前に膝をついて視線を合わせる。


「ようこそ、ファーガス領へ」


 不安を払拭させようと笑う門衛に、ソウレイもぎこちなく口角を上げた。目の前の門衛の誠実な態度に、受け入れられているのだと息を吐く。


「こんな……本当に受け入れてくださるんですか? ここも他所とそう変わりないのでは?」


 しかし、ベルナールとしては、ファーガス領では魔族も受け入れられていると噂で聞いていたものの信じ難いことであった。目の前で差別を受ける瞬間を見てしまった以上、尚更だ。

 門衛もベルナールの気持ちが痛いほど伝わったのか、眉尻を下げた。


「噂を頼りにここまで来てくださったのに、あのような事態になってしまって申し訳ありません」

「……貴方に謝って欲しいわけでは」

「ですが、決してあのような人間だけではないことは確かです」


 力強い言葉にベルナールが片眉を上げる。


「この領地では魔族も普通に仕事をして暮らしています。他所から来た人間と時折揉めることもありますが、そのときは住民達が団結して魔族を守ってるんです」

「それはまた一体どうして……」


 ベルナールの言葉に、今まで熱く語っていたはずの門衛が気まずそうにカシェを窺った。カシェは顔を逸らしてその視線から逃れる。一方、グリフは言ってやれとばかりに親指を立てていた。


「現領主様も魔力量が多く魔法が使えるというのに、魔法が使えるというだけで魔族を差別するのかと前領主様が仰ったためです」


 正確にはその言葉の後に、魔法が使えるだけで魔族だと恐れるのなら、この領地の行く末は魔族に支配されることになるがいいのかと続く。それを聞かされたとき、カシェは何とも言えない微妙な気持ちになったものだった。

 ファーガス領が山と森に囲まれており、他の領地の人間との関わりが薄い分、身内内での団結力が強いのも影響したのだろう。この出来事以降、カシェに親しみを抱いていた人々から徐々に差別意識が消え失せていった。


「そんなことで……?」

「ええ。それに、その後急に前領主様がほいほい魔族を連れて来たんですよ? いくら偏見を持っていたとは言え、否応なしに関わっていく内にそんなもの薄れますって」

「ほう……」


 ベルナールは最早唖然として言葉が出てこなかった。そんな馬鹿なと思うものの、頭が痛むように米神を抑えているカシェの様子から嘘ではないことが見て取れる。

 その姿を横目に、門衛はとりあえず誤解が解けたようだと理解した。そして、手早く魔道具を起動させ、何も書かれていない金属板と消毒された針を姉妹それぞれに手渡す。


「それじゃあここに血を一滴ずつ流してもらえますか?」

「血?」


 何のために必要なのかとイルヴァが首を傾げる。


「血液に含まれた魔力を解読して、金属板に情報を刻むんですよ」


 グリフの説明に姉妹は得心し、戸惑うことなく針を指に刺した。ぷっくりと指先に膨らんだ赤色を、それぞれ金属板に落とし込む。それを門衛が受け取り、魔道具の中へと入れた。


「一応消毒しておきましょうか」


 身分証が出来上がるまでの間に、門衛が薬草から抽出された消毒液を取り出して姉妹の指を消毒する。


「舐めれば、治るのニ」


 針を刺しても全く痛がらない二人に、今までどれだけ過酷な状況下で生きてきたのかと門衛は気の毒に思った。


「小さな傷でも放置すれば大事になることもあります。これからは守ってくれる人もいますから、ちゃんと周りを頼ってくださいね」


 そして次に、二人の足元にしゃがみ込み、足枷に触れる。思わず硬直した身体の動きに合わせて鎖が音を立てた。


「こちらも取りますよね?」

「できるんですか?」

「勿論です」


 カシェの父親が健在であった頃からこのように奴隷商から逃げ出した魔族を受け入れることは多々あった。初めの内は肩身を狭くして足元を隠す他なかったのだが、それを気の毒に思ったのは他でもない住民たちだ。協力の末、その鎖を断ち切る魔道具まで作られて、元奴隷も普通の生活ができるようになった。

 魔道具ができるまでの経緯をカシェが聞かせると、ベルナールは漸く安心したように表情を緩めた。


「そんな過去があったんですな。……ここはいい人が多く暮らしてらっしゃるんでしょうな」

「ああ。誇らしい限りだ」


 カシェとベルナールの会話を聞きつつ、門衛が消毒液を取り出した棚から魔道具を取り出して来た。


「少し振動しますけど、肌を傷つけることはありませんから安心してくださいね」


 そう伝え、緊張で強張ったイルヴァの脚の枷に魔道具を押し当てる。魔道具から発せられた振動が枷に当たり、空気が震えた。そこから発生した音に、獣人族が顔を顰めて耳を塞ぐ。聴覚の良い姉妹にとっては頭に響くほどけたたましい音であった。


「はい、終わりましたよ」


 重たい金属が脚から外れ、イルヴァは脚と同様に心までも軽くなった気がした。

 イルヴァの足枷が断ち切られた次は、ソウレイの番だ。ソウレイは首を横に振って逃れようとしたものの、イルヴァに捕まって泣く泣く魔道具の餌食となった。


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