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12. 旅は情け人は心(下)

「カシェ! グリフ、凄イ!」

「強イ!」


 カシェとベルナールが馬車の近くで待つこと、暫く。

 穏やかな沈黙に耳を澄ませていると、ひと際賑やかな声が耳に届いた。どうしたのかと目を向けると、姉妹が両腕一杯に果物を抱えて馬車に駆け寄ってきた。頬を真っ赤に染め、興奮していることが見て取れる。


「グリフ、魔物倒しタ!」

「こぉんな、小っちゃイ、ナイフ!」


 小さいナイフとは、グリフが普段から持ち歩いているカトラリー程の大きさのナイフのことだろう。マルクの教えで、普段身近にあるものを武器にできるように仕込まれていると嘆いていた姿を思い出し、そう察した。

 そんな戦いに向いた武器でもない得物で魔物を倒したことに驚いたらしい。凄い、強いと喜び跳ねている。その後ろから、表情を崩すことなくグリフがやって来た。イルヴァとソウレイの荷物を回収しに来たようだ。

 まだ褒めちぎっている二人から果物を受け取り、いそいそと馬車に詰め込んでいく。


「よかったじゃないか」

「何を。これくらい当たり前のことです」


 内心では喜んでいるのだろうが、それを表には出そうとしない。本心を意図的に隠すのは彼の癖であると知っていても、少し残念な気がする。


「そうだな。私の執事ならば当然のことだ」


 グリフの耳は、少女たちの頬と同じ色を帯びていた。本人も気付いているようで、そっぽを向く。カシェは、笑いを堪えつつ、まだ話し込んでいる行商人と姉妹の方へ身体を向けた。


「さて。グリフ、イルヴァ、ソウレイ。果物を採って来てくれてありがとう」


 名前を呼ばれた三人が背筋を伸ばす。ベルナールも礼を述べ、軽くお辞儀をした。


「皆、馬車に乗るように。出発しよう」


 一番に馬車に掛け乗ったのは、ソウレイだ。イルヴァが慌てて注意をするも、はしゃぐ子どもには届かない。それどころか、恐縮する姉の手を引っ張り、座席に座らせた。


「お姉ちゃン、ふかふカ!」


 少し痩せこけているが、まだまだ子どもらしさを残した頬が薄桃色に染まる。瞳をキラキラと星のように輝かせる姿を、ベルナールは優しい眼差しで見つめていた。

 全員が馬車に乗り込んでから寸刻。馬車の内装に興味津々といったようにはしゃいでいたソウレイから、再び奇妙な音が流れてきた。


「おや。お腹の虫はすっかり元気なようですな」


 ベルナールがにこにこと微笑む。ソウレイは恥ずかしそうに下を向いた。


「そろそろ食べようか」


 カシェが提案すると、御者台から待っていましたの声が上がった。

 これから食べる分はすぐに取り出せるよう、御者台の横に置いていたらしい。果物と鶏肉を等分に切り分け、葉に盛り付けた状態で馬車の中へと渡してきた。いつの間に作ったのか、丁寧に木を削った串まで付けられている。


「グリフ、ありがとう」


 礼を述べると、グリフは軽く頭を下げて返答した。口の中に食べ物を入れすぎて話せないに違いない。

 視線を戻すと、獣人の姉妹が涎を垂らす勢いで鶏肉を見つめていた。まるで獲物を見つけた野生動物の如き鋭さだ。ベルナールもベルナールで、ふるふると小刻みに震えている。

 何か気に障ることでもあっただろうか。少し心配になって声を掛けようとすると、カシェの肩に掴みかかりそうな勢いでベルナールが声を荒げた。


「こ、これは鶏鮮鳥(チキンモドキ)ではありませんか!」


 よくこの、ただの鶏と寸分の違いもない状態で分かったものだと感心する。

 一方でイルヴァとソウレイは興味がないのか、割り当てられた肉をとっととその胃に収納する。目の前からどんどん減っていく肉の山に、ベルナールは惜しむような溜息を吐いた。


「この鳥は貴族にも大変人気なんですよ……」


 心底がっかりしたようにそう告げる。カシェはそのような話を聞いたこともなかったので、首を傾げた。


「こんな鳥が?」

「ええ。鶏鮮鳥は非常に綺麗な羽をしているでしょう? 色彩よく、軽く、肌触りのよいことから、貴族の御令嬢の装飾品や幼い御子様の寝具などにも使われることがあるんです」


 夢を語るかのように、朗々とした声で話す。イルヴァとソウレイも興味が湧いて来たのか、ベルナールの語りに入り込むようにふんふんと頷いて続きを促した。


「しかし! 問題がありましてな……」

「問題、何?」

「大変素早く、空も自由自在に飛べるため、捕まえることが非常に困難なんです。だからこそ、この羽を売れば暫くは生活に困らないほどのお金を手に入れることができるのですが……」


 そこで話を切り、御者台へと視線を向けた。


「ああ、それなら私が取っておきましたよ」


 グリフも会話に耳を傾けていたらしい。否、グリフが聴いていることも織り込み済みだったのだろう。ベルナールが商人らしい顔で揉み手をしている。


「ほんの少し分けてもらえませんかね? 勿論、タダでとは言いませんから」

「え~……旦那様、どうします?」


 正直どちらでもいい。と言うよりは、グリフが羽の価値を知って回収していたことに驚いた。カシェは、てっきり火にくべたのだと考えていたからだ。

 好きにしろと答えるや否や、二人は交渉へと移った。ふと、イルヴァから強い視線を感じ、意識を戻す。ジッと見つめるその顔からは、何か言いたいことがあるけれど聞けないという様子が表れていた。


「そう言えば、よくこの鳥を捕まえられましたね」


 イルヴァが悩んでいる間に、ベルナールが話を振ってきた。


「もしかして先程の魔法ですか?」

「ああ」

「魔法……どうしテ、身体、固まっタ?」

「私の魔力は物体に触れることで、そのものの魔力や動きを封じることができるんだ」


 それぞれの質問に答えると、ベルナールがあれ、と声を上げた。


「イルヴァさんには触れてませんでしたよね?」


 その問いに、イルヴァも確かにと首肯する。


「短剣に魔力を流して、魔法を付与しておいただけだ」


 ベルナールはなるほどと頷くが、イルヴァは目を剥いた。魔法に慣れ親しんでいるかどうかの違いだろう。

 通常、自分の魂を核として展開する魔法は、自分を中心として魔法が発動する。それを別の物体に付与し、さらに人に向けて魔法を展開するなど正気の沙汰ではないのだ。

 そんな技を成し得るためにどれだけの修行を積んだのか。イルヴァは目の前の一見柔和な男の評価を、“見た目に依らず強い人間”から“変な人間”へと改めた。


「封印の魔法ということは、あの短剣が戻って来たのは他の仕掛けですか?」

「遠隔操作の魔術だな」

「ほう……初めて耳にしました」


 遠隔操作。その名の通り、物体に術式を付与し、遠隔で操作できる付与魔術の一種である。カシェは己の短剣に、物体を浮遊させる術式と操作する術式の二種類を組み込んでいた。


「あノ魔術……」


 イルヴァが口を開き、再び口籠った。余程言い難いことでもあるのか。


「言ってみるがいい」

「でモ……」

「イルヴァさん、言いたいことは言わなければ伝わりませんよ」


 ベルナールの言葉に背中を押されたようで、目には若干の怯えの色を見せつつも問うた。


「魔術、魔族のに、似てル。何故?」


 予想外の質問に、カシェは目を瞬かせた。


「何故……と言われてもわからない。これは、私がまだ幼い頃にできたら便利だろうと編み出したものだからな。偶々、魔族も同じものを便利だと考えて生み出したんだろう」


 そもそもこの大陸から出たことの無いカシェが、魔族の魔術に詳しいわけもない。

 その答えに、それもそうかとイルヴァは得心した。


「私からも質問があるのだが」


 話の区切りもいいため、今度はカシェからイルヴァへと疑問を呈する。


「何?」

「君達はどうしてあの場にいたんだ?」


 ずっと大人の会話に入れずに退屈をしていたソウレイが、自分の話かと意識を窓の外から内へと移した。

 イルヴァとソウレイが顔を見合わせる。そして、理由を話すよりも先に、勢いよく頭を下げた。


「すまなかっタ」

「ごめん、なさイ」


 真剣に申し訳ないと謝る様子に、ベルナールが慌てて二人を止める。


「頭を上げてください! ……そうしなければならない理由があったんでしょう?」


 イルヴァは頭を緩く上げたものの、沈痛な面持ちをしている。その横顔をソウレイが心配そうに見つめ、やがて決心がついたように話し始めた。


「実ハ……」


 二人の話を要約すると、やはりイルヴァとソウレイは奴隷商の下で売られる商品としてアルヒ王国に流れ着いたようだ。

 両親を早くに亡くした姉妹は、イルヴァの稼ぎを頼りに生きていたらしい。しかし、ある日突然勤め先の店も潰れ、路頭に迷うことになった。その時、人のよさそうな人物に仕事をあげようと言われたと言う。

 勿論、通常であれば知らない人物に着いて行こうなどとは思わないのだが、若い女と少女の二人だけで職なし生活を送ることなどできるはずもない。精神的にも追い詰められていた姉妹は着いて行くことに決めた。こうして行き着いた先が奴隷商のところだったようだ。抵抗するも虚しく、二人揃って売られることになった。


 買い手が付く前に逃げ出すことができたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。

 歩き続け、どれだけの日数が経ったことか。空腹で彷徨っているところに、ベルナールの馬車を見つけた。そこから漂う仄かな食料の匂いが空っぽの胃を刺激し、理性を失うようにして襲っていたのであった。


「なるほど……それほど空腹であったならば、やはり仕方のなかったことでしょう」

「本当に、申し訳なかっタ」

「しかし、よく奴隷商の下から逃げられましたな」


 カシェも疑問に思っていたことだ。

 奴隷商は、水面下ではその勢いは衰えていないものの、表立って容認することはできない商売だ。もしも商品が逃げ出したとなれば、奴隷商としての信用問題の他、表社会でも後ろ指を指されかねない。特に、魔族によい心象を抱いていないこの王国では、獣人族をみすみす逃したとして糾弾される危険性すら考えられる。そのため、取り扱う際にはより一層の注意を払うはずである。


「寄った町、出たとこロ。何かに、襲われタ」

「襲われた?」


 物騒な話に、片眉を上げる。イルヴァは神妙に頷いた。その顔は、先程よりも蒼褪めている。


「人、倒れタ」

「人が?」

「地面、腐っタ。……怖くテ、魔法で、鎖切っタ」


 全く要領を得ない。人が倒れ、地面が腐るとはどういうことだろうか。怪訝な表情を浮かべていると、ベルナールがはっと息を吞んだ。


「聞いたことがあります……。最近、隣国との境にある辺境の村で、住民が突然倒れ、土壌は汚染されていたと」

「それは、今回の戦の相手国か?」

「ええ。……そうです、丁度戦のあった時期ですよ! だから、隣国が水源に何かを仕込んだんじゃないかって一時噂になっていましたね。カシェさんはご存じないですか?」

「戦場にいる間にそんなことが起きていたとは……」

「カシェさんは騎士様だったんですね。お疲れ様にございます」

「ああ、ありがとう……」


 たとえ戦勝の浮かれた空気の中とはいえ、内容が内容だ。いざとなれば騎士団を動かす必要さえも大いにある内容のことを、何故知らされていなかったのだろう。

 そう伝えると、ベルナールは噂に過ぎないからと笑った。


「……噂の件ですが、本当に確かな証拠はないのです。それこそ、集団幻覚だろうとも言われている程度ですし、下手な情報で騎士団を動かすことはできないでしょう」

「それはそれで問題だが」

「確かにそうですが……まぁ噂は噂ですしな」


 現状では一体何が正しく、どういうことが実際に起こっているのかはわからない。


(心に留めておこう)


 それでも、欠片でも情報が転がり込んできたことは非常に有難いことであった。

 カシェは貨幣を取り出し、イルヴァとソウレイそれぞれの手に握らせる。姉妹は、何を握らされたのか分からずにいたが、手元を見て飛び上がらんばかりに驚いた。


「これ、こレ! 見たことあル!」

「奴隷商のところで、見タ……これ、金貨? 何故?」


 一方は嬉しそうに、そしてもう一方は困惑したようにカシェを見た。


「情報は金と等しい。ただそれだけだ」

「その通りですな。商売も情報を疎かにしては痛い目を見ます……」


 ベルナールがしみじみと同意する。この行商人のことだ、商人ギルドの他にも騙されたのだろうと簡単に予想が着いた。


「それを元手にして、働き口を探すと良い」

「でモ……」


 イルヴァが躊躇ったように手元に視線を落とす。イルヴァの中では、ベルナールの馬車を襲った罪が渦巻いているのだろう。ここまでよくされてもよいものか、と良心の呵責に苛まれているようであった。


「犯した罪は消えない。君がやるべきことは、少しでも働いて償うことじゃないか?」


 カシェの言うことに、尤もだとイルヴァは思い直した。悔悟(かいご)したところで、自身の罪が消えるわけではない。一生を掛けて背負い、償っていかなければ。

 しかし、そのためには働き口がいる。だが、この国は獣人族に寛容ではなく、働き口があるかすら望めない。折角決意したというのに、現実はあまりにもままならない。イルヴァは血が滲むほど唇を噛んだ。


「でしたら、私の下で働きませんか?」

「え……?」

「実は、行商の仕事からそろそろ店を構えて一所で商売をしようかと思っていたんですよ。この通り、私はあまり行商には向いていなかったものでして」


 イルヴァが考えあぐねた様子で、カシェに助けを求めた。カシェもどうすることが最適かわからず、眉を八の字にするしかない。


「ベルナール殿はそれで宜しいのか?」

「ええ。……本当は、娘たちと店を開くはずだったんです。……もう叶わないんですけれどね」


 流行り病だったと言う。


「そうか……ご冥福をお祈りする」

「ありがとうございます」


 辺りをしんみりとした空気が包み込む。ベルナールはわざとらしく、明るい笑顔を浮かべた。


「そういうわけで、私は君達と店を開きたいんだ。どうか私の娘になってくれないかい?」


 イルヴァもぎこちなくも、満面の笑みを浮かべた。その目から雫が零れ落ちる様を、ソウレイが不思議そうに見つめている。


「よろしク、お願い、しまス」


 深く、深く頭を下げる。ソウレイも姉の姿を見て、同じように頭を下げた。


「ああ、ああ……。こちらこそ、よろしく頼むよ」


 両者が落ち着いたところで、カシェはポンと手を叩いた。


「話が纏まって何よりだ。ファーガス領に店を構えた際には祝いに行こうか」

「じゃあこの羽も開店祝いに差し上げますかね」


 それまで静かに馬車を動かしていたグリフも会話に入ってきた。


「そこまでしていただくわけには! それに、まだファーガス領で店を持てるかもわかりませんし……」

「旦那様がこう仰っているんですから大丈夫ですよ」


 グリフの無責任にすら感じる発言にベルナールは眉尻を下げ、残念そうに言った。


「ファーガス領では、どの領地よりも店を開くことは難しいと言われているんです。それこそ、実績がないと商人ギルドが申請を通さないことでしょう」


 ベルナールの言っていることは正しい。ファーガス領では、他の領地よりも店を開くために求められる基準が高い。これは、買い手となる領民たちがより安全かつ安心して利用出来るようにするためであり、また、売り手のためでもあった。

 どうしても店側は平民であることが多く、貴族相手に弱い面がある。言いがかりをつけて店を潰されることもあるのだ。そういった事態を減らし、領民それぞれが自身の生活を守ることができるようにとなっている。そのため、店を出す前からその店主や従業員に高い信頼性がなければならなかった。


「それこそ、領主様の許可証でもなければ許可は下りないでしょうな」


 ベルナールが有り得ない夢物語だと語る。


「それが可能なら?」

「そりゃもう、諸手を挙げて喜びますよ」

「ならば、許可しよう」

「え?」

「我が領が栄えるのは願ってもないことだからな。だが、私が許可を出したからと言って、阿漕(あこぎ)な商売をすれば二度はないぞ」


 豆鉄砲を食った鳩のような顔が、カシェを見つめる。

 領地へと向かう道すがら。鳩は他の鳥を連れて飛び立っていった。


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