11. 旅は情け人は心(上)
行商人と獣人族の姉妹を連れ、一同はカシェの馬車が放置される場所へと向かっていた。
「そう言えば、貴方がたのことは何とお呼びすればいいですか?」
「これはこれは、名乗り遅れて申し訳ありません。私はベルナールと申します」
行商人が慇懃に答える。一方、姉の方はまごまごと口籠っていた。
「……魔族、名乗る名、なイ」
「あれ? でもさっき、妹さんの名前呼んでいましたよね?」
グリフが不思議そうに尋ねる。それに対し、苦虫を噛み潰したような表情で小さな呟きが返ってきた。
「人間、魔族の、名前ない、言っタ……」
どうやら奴隷商の元にいた際に、生まれ持っていた名を捨てさせられたようだ。恐らく、購入後に買い手に名前を付けさせた方が喜ばれるからだろう。
(虫唾が走るな……)
「酷い話だ! ちゃんとした名前があるというのに!」
カシェとグリフが眉を顰め、ベルナールが憤慨する。その様子を、姉は心底理解できないといった眼差しで見つめた。
「人間、何故、怒ル?」
「何故ってそりゃ、その……そんな非人道的な話を聞けば、同じ人間として情けないと言いますか……とにかく怒りたくもなりますよ!」
ベルナール自身、感情が先立って上手く言葉にならないらしい。二人とも何故、どうしてと首を捻っており、何とか説明しようと悪戦苦闘している。
「君」
その和やかなやり取りに終止符を打つように、カシェが会話に参加した。
「人間、ではない。私にはカシェという名、あの糸目にはグリフと名、そして彼にはベルナールという名がある」
「ちょっと、糸目ってなんですか」
すぐさまグリフが突っ込む。獣人族の姉は、目をくりくりさせてそれぞれの顔を見渡した。
「白いノ、カシェ」
カシェが小さく頷く。
「糸目ノ、グリフ」
「だから糸目って……旦那様のせいで変なイメージが着いちゃうじゃないですか!」
口では文句を言いつつも、本気で怒っているわけではないらしい。その口元には微笑みが浮かんでいる。
「髭ノ、ベルナール」
「ほほ、自慢の髭です」
ベルナールは綺麗にセットされた髭を指で摘み、自慢げに撫でた。
それぞれの反応を見ながら、女は何度も口の中で反芻する。
「そして、君には君の。妹君には妹君の名があるはずだ。誰に否定されようと、それを自分が否定してはならない」
女ははっと顔を上げた。そうだ。今まで誰かに否定されるがままになり、自分のことですら流されていた。ただ、妹を守ろうという意識に駆られ、従順に従うばかりであった。
(私ハ、奴隷じゃなイ)
女の双眸から水滴が落ちる。
「イルヴァ」
「いい名だ」
カシェの短い言葉に、女——イルヴァはにっと笑った。それは年若い少女らしい笑みであった。
「それで、この子はソウレイでしたよね」
グリフが腕の中に抱えた少女に目を向ける。少女は先程までの恐怖など、微塵も感じていなかったかのようにすやすやと寝息を立てている。
その安堵しきった顔に、イルヴァはほっと息を吐いた。
「綺麗な響きのお名前ですね」
「我が、部族の、名前」
「ほう? もしや部族ごとに名付けの違いでもあるのですか!」
ベルナールが好奇心をその目に携えて反応した。興味のある事柄には真っ先に首を突っ込んでいくタイプなのかもしれない。言葉にも急に熱が入り、イルヴァが戸惑っている。
「我が、部族……飛鼠族では、自然ニ、由来してル。他、知らなイ」
「ほうほう……自然に由来のある名前は人族でもありますな。ということは、人族と獣人族の言語形態や成り立ちはそう変わりない……? ならば、見た目はその大陸に合わせて変わっていっただけで、祖は同じ可能性も……」
ベルナールが思考の海にどっぷりと沈んでいく。そのぶつぶつと呟かれる言葉に、イルヴァはますます混乱した様子だ。恐らく、質問に答えるべきか悩んでいるのだろうが、こういった人間には燃料を投下するだけ話は長くなる。
それは本望ではないため、カシェは仕方なく話を引き継いだ。
「飛鼠族か、なるほど。だからあんなにも跳躍できたわけだ」
飛鼠族とはその名の通り、飛ぶように跳躍することができる部族である。その脚は非常に発達しており、魔術で強化しなくとも一跳びでどこまでも行くことができると聞いたことがあった。
カシェの言葉に、イルヴァはほっと息を吐いて答える。
「そウ。ただ、ソウレイの風、大事。あるとないとでハ、大違イ」
「と言うと?」
「風、背を押ス。それで、速く跳べル」
そう言うと、イルヴァは膝を軽く曲げた。足裏が地面を削り、相当な力がかかっていることが伺える。しかし、それを一切感じさせず、ふわりと身体を浮かすように力を解放する。次の瞬間には、その身体は空高く舞い上がっていた。
飛鼠と言うよりは、鳥のようだ。ベルナールとグリフも口を開けて空を見上げていた。鳥と違う点は、そのまま羽ばたいて滞空しないことだろうか。イルヴァは衝撃を逃すように回転して着地すると、カシェ達の元へと駆け足で戻って来た。
「こウ」
実践してみせたようだ。ソウレイの風の力がないと、山形に跳ぶと伝えたかったらしい。
イルヴァと対峙したときのことを思い出し、納得した。
「カシェ」
イルヴァがカシェの隣へと歩み寄って来る。
「何故、妹の魔法、わかっタ?」
今まで誰にも勘付かれたことがなかったのに、と顔に書かれていた。普段であればこうも感情を表に出す人間はほとんどいないため、少し笑いそうになる。社交界において素直は嫌厭されがちだが、息が詰まらないという点ではいいかもしれない。
それを言うとグリフ辺りが鬱陶しい程の変顔をしてくる気がするので、決して他言はしないのだが。
「イルヴァ嬢の」
「嬢、要らなイ」
「では、イルヴァ。君と剣を交わしたとき、君の方から冷気を感じたんだ」
イルヴァの許可に従い、言い直す。その答えに疑問が湧いたのか、グリフが口を挟んできた。
「でも冷気だと普通に風って可能性もありません?」
イルヴァとベルナールも疑問に思っていたのか、何度も首を縦に振っている。
「確かにその可能性も有り得る。だが、彼女の蹴りが私の髪を掠めたとき、僅かだが薄氷が舞っていた。……君の魔法は氷系統だろう?」
カシェの言葉にイルヴァは驚いたように目を瞬かせた。
「そして、恐らくだが君もソウレイ同様、魔力暴走を起こしかけていたのだろう」
「私、ガ?」
「そうだ。この森は本来、あれ程霧に包まれることはない。無意識に暴走しかけていた君の魔法とソウレイの魔法の双方が混じり合い、結果として発生したと考えられる」
「あ~、確かに! もう霧は晴れてますしね」
暴走しかけた魔力は、何処かに逃げ場を探す。そうして徐々に外に漏れ出た魔力が、二人の魔法系統によって霧という形で現れた。
その説明にグリフは納得の意を示した。カシェの魔法によって、姉妹の魔力を縛り、暴走を止めたと考えると辻褄が合う。
「それは……また魔力暴走する可能性はないのですか?」
「絶対にないとは言い切れないが、暫くはないだろう。本来、魔力は暴走しないように無意識下でコントロールされているからな」
「ただ、魂の持ち主の状況によってその魔力が制限から外れ、制御ができなくなるんですよ」
魔力を縛って暴走を止めたと聞き、ベルナールが尋ねて来る。弱った状態の姉妹がこれ以上傷付きやしないかと心配しているらしい。
「まあ、また暴走したとしても、魔力が切れるか当人を落ち着かせるかすれば治まるさ」
「魔力量が多かったらとんでもない被害を被りますけどね……」
そんな会話をしていると、カシェとグリフが調理をしていた場所にまで辿り着いた。
「思ったよりも時間を食ったから、急いで出よう」
「えっ! 折角の鶏肉はどうするんですか!?」
カシェの提案にグリフが悲痛な声を上げる。数日振りの肉を逃すものか、という強い意志を感じる。
すると、何処からか奇妙な音が聞こえてきた。
「肉……」
音の先を辿ると、ソウレイがお腹を押さえている。まだ寝ぼけまなこだが、それでも食事の予感に目を覚ましたらしい。呼応するようにイルヴァもお腹を鳴らした。
その様子にカシェは生物らしくて大変よろしいと苦笑を溢した。
「火にかけたまま来てしまったからな……。もしも無事ならば持っていくとしよう」
「え~! 休憩はどうするんです?」
「十分しただろう」
グリフはどうしても休みたい様子を見せていたが、それをバッサリと切り捨てる。カシェが聞く耳を持つことはないとわかっているのか、グリフは不服そうな空気を醸し出しながらもさっさと鶏肉の確認に向かった。
「しかし鶏肉だけでは足りないだろうな……」
カシェが口元に手を当てながら思案していると、獣人族の姉妹が元気よく手を挙げてアピールをしてきた。
「果物、採ル!」
「わ、私モ!」
やる気十分のようだ。二人とも手を胸の前で固く握り締め、瞳は力強く輝いている。
(仕方がないな)
イルヴァ一人ならばまだしも、幼い少女を連れた状態で森の散策へと向かわせることには多少不安が伴う。しかし、両者ともにまだ精神的に不安定な状態で引き離しても、いいことはないだろう。
そこまで考え、カシェはグリフに指示を出した。
「グリフ、確認が終わり次第彼女たちの護衛に付け」
「人使いが荒い!!」
カシェが声を掛けるや否や、文句を言いつつも足早に戻って来た。確認ができたのか、その手はしっかりと鶏肉が掴まれている。
「湿気のせいか意外と火が弱かったみたいで、いい感じに仕上がっていましたよ」
見ると、若干焦げのある部分が目に入った。恐らく直火の当たっていた場所だろう。それ以外は程良く焼けており、グリフが火の通りを確認するために開けた穴からは肉汁が溢れ出している。
「これどうします?」
「その辺の葉でも綺麗に拭って包んでおけばいい」
「やだ、旦那様。野性的」
軽くグリフを睨み付ける。カシェの目が刺さるのを避けるべく、グリフは素早く身を翻した。
そんないつものやり取りとしていると、ベルナールが不可思議なものを見たと言うように目を丸くしながら尋ねてきた。
「その……カシェさんとグリフさんは、主従ですよね……?」
特に身分を隠しているわけでもない。グリフなどは堂々とカシェを旦那様と呼んでいるのだから、主従であることは一目瞭然とも言える。恐らくはグリフの対応が従者らしくないのに対し、カシェが特に指摘をするわけでもないから疑問に思ったのだろう。
カシェはゆるりとベルナールに流し目を送った。言葉で返したわけではない。だが、その瞳を見て、ベルナールは納得した。貴族にしろ、平民にしろ、気の置けない関係は大切なものに違いないのだ。




