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10. 忘れじの鶏肉(下)

 カシェとグリフは、火にかけた鳥を放置して声のする方へと素早く移動した。木々の隙間から、大破した幌馬車の手前に腰を抜かしたように座り込む男が見える。二人は、低木に身を隠し、様子を窺うことにした。

 その向こうは薄っすらとした霧によって影が見えるだけで、それが何であるかははっきりとはわからない。


「グリフ、魔物か?」


 カシェは隣にいるグリフにだけ聞こえるような細々とした声で尋ねた。


「いえ、人のようです」


 視界では上手く捉えることはできないが、グリフは気配を読むことができた。それもこれも全て、ファーガス家の家令——マルクによって叩き込まれた賜物であった。


「恐らく二人……一人は子どもですね」

「誰ダ!?」


 霧の中から鋭い女の声が返ってきた。他の人間には聞こえないはずの声量だが、思ったよりも声が響いていたのだろうか。否、現に手前に座り込んでいる男には聞こえていなかったようで、突然誰何(すいか)する声に戸惑いを隠せない様子である。


「そこに、いること、わかっていル! 出てこイ……!」


 どうやら完全にばれているらしい。カシェとグリフは顔を見合わせた。


(出てこいと言われても出る義理はありませんけど)


 はてさてどうしたものか、とグリフが思案していると、隣でがさりと葉を揺らす音が聞こえてきた。まさか。ぎこちない動きで隣に視線を向ける。すると、カシェが堂々とした様子で立ち上がっていた。

 その音には流石に男も気が付いたようで、一瞬助けが来たのではないかという期待を向けてきた。しかし、カシェを見た瞬間に男の顔からは期待が薄れ、しまったという焦りを滲ませる。


「こちらに来てはいけません……!」


 その必死な様子に、カシェを逃がそうとしていることが窺い知れる。自身が襲撃を受けているというのにそんな行動が咄嗟に取れるとは、とカシェは感嘆した。一方、グリフは頭を抱えていた。


「もう一人、いル!」


 グリフはやけになって勢いよく立ち上がった。


「ああもう! アンタなんでそんな堂々と姿を現すんだよ! 隙を突いて助けりゃよかったのに……!」

「あの耳のよさだ、隙を突こうにもすぐに気付かれるだろう」


 その言葉の応酬に、男が目を白黒させた。この状況で一体何をやっているのか、といった風だ。カシェはいつものことだといい加減に流した。そして、何を気にすることもなく男に近付く。


「動くナ!」


 女が制止するも、カシェが止まることはない。男は顔面を蒼褪めさせ、困惑していた。

 やがて幌馬車の手前まで来ると、霧に隠れていた姿をはっきりと視認することができた。


「……獣人族か」


 丸みを帯びた獣のような耳に、細長い尾。凡そ人族の身には付いていないものが生えている。

 獣人族と称された女は、ぼろぼろの衣服を身に纏い、必死に威嚇の態勢を保っていた。その後ろには、庇われるように小さな姿があり、女と同様の耳と尾を有している。まるで戦わなければ殺されると言わんばかりの顔つきに、疑問が湧いた。


「何故獣人族がこんなところに」


 アルヒ王国が存在する大陸、通称中央大陸には、基本的に人族以外の種族は暮らしていない。というのも、人族は自分達とは異なる種族を恐れていたからだ。獣人族もその一種で、人族のごく一部にしか使えない魔法を、そのほとんどが使用できる。そのため、魔物のような存在であると捉え、魔族として忌み嫌っていた。


(私とて魔法が使えるというのに……本当に人間というものは仕様のないものだな)


 カシェはとある理由により魔族を目にする機会もあったが、一般的にはその姿をこの国で見かけることは非常に少ない。迫害を受ける可能性もある中で、自身の故郷を捨ててまで人族と暮らそうと考える物好きはいないからである。


(……とすると、奴隷商か)


 警戒心を露わにする女と子どもの脚には、千切れた鎖と足枷が付けられたままであった。


(逃げ出してきたのか)


 鋭い視線を大破した幌馬車へと向ける。恐らくこの男はただの商人なのであろう。転倒した馬車は木材が外れ、食料の入った樽が転がっていた。どうやら中身は潰れてしまったようで、液体が染み出しているものもある。


「あぁ……!」


 余所見をしていると、男が思わずと言った風に声を出した。その声に、視線を女の方に戻す。視線を逸らした一瞬を好機と見たのか、女がカシェの前に躍り出ていた。

 カシェは瞬時に魔術を展開し、裂いた空間から短剣を取り出す。眼前に構えると、その直後に鋭い爪が迫り来ていた。構えた短剣からキン! と高い音がし、後方へと飛び退く。

 相手も同様に飛び退いたようで、両腕をだらりと垂らし、次の攻撃の隙を狙っていた。風に乱された長い髪に顔が隠され、その隙間からは爛々とした光がこちらの様子を窺っている。

 どちらかが動けば勝敗が決しそうな緊迫した空気が辺りを包む。その沈黙を先に破ったのは、カシェであった。


「我が願いは竜神の御許へと」


 囁くように祈りを捧げ、手元の剣に口付ける。

 女は一瞬怪訝そうな顔をした後、再び脚に力を込め、跳躍した。先程まで姿があったはずの地面は抉れ、吹き荒れる砂風にカシェが目を細める。その風に紛れ、強烈な蹴りが繰り出された。


「チッ」


 攻撃を既のところで避ける。擦れた髪の先が薄氷と共にはらりと風に散った。中々に鋭い攻撃のようだ。

 お返しにと短剣を投擲する。


「遅イ!」


 脳天を狙ったが、頭を逸らして避けられた。カシェの手元に武器が無くなったことを確認し、女がにんまりと笑みを浮かべる。もう後はどう足搔こうとも、この手で捻り潰して終わりだ。そんな余裕が女の心の中に浮かんだ瞬間、風を切る音が鼓膜を震わせた。

 本能に従い、身体を捩じるようにして振り向くも遅く。顔の横を鋭い風が過った。その頬にチリッとした熱を感じる。


「油断、だったな」


 カシェの手元に、先程投げたはずの短剣が戻って来ていた。

 女が頬を伝う何かを手の甲で拭う。


「何故……?」


 カシェの背後から疑問を呈する呟きが零された。

 避けられたはずの短剣がまるで自主的に戻ってくるかのように帰って来たのだ。その疑問も当然だろう。

 女も少し戸惑ったような顔をしている。


「貴様、もしや……いヤ」


 頭を振り、迷いを吹き飛ばしたようだ。再び風を起こしてカシェに襲い掛かる。


「この風は魔法か」

「そうダ。人間、珍しかロウ」


 目の前で女がくつくつと獰猛な笑いを浮かべる。切り結んだ状態で話ができるとは余裕らしい。対するカシェは鼻で笑うのみであった。

 それが気に障ったのか、女の攻撃が速さを増し、風圧がカシェに向かう。どうにか一度退きたいものの、この場を退くと商人らしき男が危険に曝されかねない。

 カシェの僅かな逡巡を読むかのように、猛攻は続く。しかし、その均衡も長くは保たなかった。


「しめタ」


 風によって足が掬われ、ほんの少しカシェの体勢が崩れたのだ。無理な姿勢で受け止めようにも、上手く力を流せるわけではない。女が最後の一撃とばかりに全ての力を込め、その手を振り下ろす。

 商人は、自分にできることはないとわかっていても、咄嗟に手を伸ばそうとした。そして、一寸先には残酷な光景が脳裏に焼き付くことだろうと悟り、瞼を閉じた。


「……ァ?」


 しかし、その瞬間は訪れなかった。瞬きをしても景色が赤く染まることはない。獣人の女は、何故かカシェに襲い掛かった姿勢のまま動きを止めていた。


「グルゥゥ……!」


 ただの脅しの攻撃だったのか。商人は混乱し、カシェと女の間を何度も視線が彷徨う。その男の肩を、グリフが優しく叩いた。そして、座り込んだままの男をカシェから離れるようにと誘導するべく、手を貸す。男は腰を抜かしていたせいもあり、有難くその手を握ってゆっくりと立ち上がった。その目は依然としてカシェと女を捉えて離さない。


「これは、一体……?」

「貴様、何しタ!?」


 商人と獣人族の女の声が重なる。カシェはその問いには答えず、ゆっくりと獣人族の子どもへと足を向けた。


「ひっ……」

「やめロ! 妹に、手を出す、ナ!」


 子どもが声を震わせ、後退る。恐れを抱いた様子に、女がカシェを威嚇する。その双方共にカシェは気にする様子を見せず、子どもの目の前で止まった。震える子どもの脚元では、風が吹き荒んでいる。


「この魔法は君だな?」


 カシェの問いに、子どもが目を見開いた。


「どうしテ……」


 戸惑いと極度の恐れ。今までの疲労や恐怖も重なったのだろうそれは、子どもの魔力を暴走させるには充分であった。


「怖イ、消しテ……!!」


 風が全てを消し去ろうと辺りを飲み込む。木の葉や木片が巻き上げられ、誰彼構わず傷付けようとした。


「ソウレイ……! 落ち着いテ!」


 女が子どもを落ち着かせようと声を掛けるが、子どもには誰の声も届いていなかった。これでは、子どもの魔力が尽きるまでこのまま耐えなければならない。女は臍を噛んだ。

 風は魔法の中心核である子どもの周辺を残し、渦を巻くように発生している。そのことにグリフは気付いたようで、同じく中心にいるカシェに向かって吠えた。


「アンタそんな安全なとこにいるんだったらどうにかしてくださいよ!!」


 どうにかってどうしろと言うんだ。そんな視線が二つ、グリフに突き刺さる。グリフは少し泣きそうになっていた。


 そんなやり取りが背後でなされているとは露知らず。カシェは、正気を失いつつも恐怖に涙を流す少女を見ていた。

 この歳でどれほどの苦痛を味わっただろう。どれほどの理不尽にさらされたのだろう。

 それをカシェが知ることはない。


(せめてほんの一時の安らぎを)


 願いを込め、少女の額に柔らかく手のひらを乗せる。そして、己の魂に呼び掛けるように魔力を流した。それに呼応するように、魔法が展開するのを感じる。カシェの手を通った魔力が少女の全身を廻る。充分に行き届いたことを確認し、魔力路を阻害した。

 同時に、少女が支える力を無くしたように倒れ込む。風は止んでいた。


「ソウレイ!」


 少女を抱え、女の元へと歩を進める。今にも駆け寄ろうとしているその様子に、カシェは女に掛けていた魔法を解いた。

 突然動くようになった身体がつんのめるように前に押し出され、その勢いで少女の元へと駆け出す。


「あぁ……よかっタ……」


 カシェが少女を手渡すと、無事を確認し、少女の顔に額を寄せた。


「ご無事で何よりです」


 安堵したような男の声が女の耳を擽る。


「アンタ襲われたんでしょ……それでいいんですか?」


 グリフが呆れたように尋ねた。それに対し、男は耳が痛そうに眉尻を下げる。


「その通りではありますが……恐らく、彼女達にも事情があったのでしょう」


 確かに事情がありそうではあるが、それでも男が被った被害は大きい。それを事情の一つで許してしまうとは、この男は人がいいのか商人には向いていないのか。

 心中でそんなことを思われているとも知らず、男は申し訳なさそうにカシェとグリフに頼み込んできた。


「この度は巻き込んでしまった上に助けていただき、ありがとうございました。その上でこのようなお願いをするなど大変厚かましいのですが……」


 カシェが無言で促す。


「私をこの先まで乗せて行ってはいただけませんでしょうか?」


 そう言って、男は木っ端微塵と化した幌馬車の残骸を見つめた。


「この通り、私は行商を営んでいたのですが……」


 これでは森を通り抜けるのは厳しいだろう。いくら等級の低い魔物しか出ないとはいえ、一般人が対峙してしまえば死の危険すら有り得る。

 女が肩を震わせ、背を丸くした。少なくとも申し訳なくは思っているらしい。


「何故行商人がこんな道を?」


 たとえ魔物避けの粉塵を使っていたとしても、一般人にとっては極力避けたい道のはずだ。まさか違法な商売でもしようとしていたのか。

 その疑うような視線を受け、行商人は慌てて首を振った。


「違います! 決して違法な商売などいたしません! ただ、できるだけ商品を鮮度が高い状態で届けたくて」


 商人ギルドで道を聞いた結果、最短距離であると聞いて選んだようだ。


「食料も情報も鮮度が大事ってことですよね、わかるなぁ……もしかしてファーガス領は初めてですか?」

「はい、お恥ずかしながら……」


 グリフと行商人のやり取りに、カシェはなるほどと頷いた。その商人ギルドで揶揄われたのだろう。彼らもまさかこの道を本当に選んだとは思うまい。冗談にしても度が過ぎているのだが。


「旦那様、どういたします?」


 グリフがカシェに尋ねる。カシェは悩む素振りを見せた後、疑問を口にした。


「……行商人と言ったが、この様では何も商売などできないだろう? それでもファーガス領に向かう気か?」

「ええ、まぁ。どちらにしても安全な場所で休みたいですし、そちらで休みつつも一から仕入れを行おうかなと」


 幸いなことにお金もありますし、と行商人が徐に立ち上がり、車軸の上の板に近寄った。暫くすると、そこから麻袋を取り出して戻ってくる。行商人が中身を見せるように開くと、中にはかなりの量の金貨が詰まっていた。


「いざというときのために隠しておいたんです」


 行商人は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。商売に向かない性格と思っていたが、案外そうでもないらしい。


「いいだろう。砦街までなら連れて行こう」

「ありがとうございます!」


 カシェが許可を出すと、行商人はほっとしたように笑みを浮かべた。その返事を聞いた後、カシェは獣人族の姉妹へと身体を向けて言った。


「君たちも着いて来るように」

「え……?」


 突然向けられた言葉に、女が困惑を示す。しかしカシェは説明する気がないようで、グリフに視線を送った。


「あ~……貴女方には聞きたいことがあります。ご同行願えますね?」


 カシェの視線を説明するようにと受け取ったのか、グリフが改まった口調で獣人族の姉妹に話す。その内容に納得がいったのか、姉の方は妹を強く抱きかかえながらも慎重に頷いた。


「グリフ、君は妹君を運んで差し上げろ」


 いくら獣人族とは言っても、強風を受けたその身は襤褸(ぼろ)布のようだ。ずっと緊張状態にあったためか、女は今頃になって自身の脚ががくがくと震えて力が入らないことに気が付いた。女は、よく見ていることだと感心した。


「妹、頼んダ」


 大人しく妹の身柄を引き渡す。そこにはもう、敵対の意思はなかった。

 グリフは良かったと胸を撫で下ろし、ふと気が付いた。


「肉!!」



 森の奥深い場所。霧は流され、遠くの空が一同を照らす。

 嗚呼、あの空に昇る細い黒煙は何なのか。その正体がわかる者は心で涙した。


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