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9. 忘れじの鶏肉(上)

 白い霧の中をカラカラと音を立てて馬車が往く。穏やかな木々の騒めき。

 キンと透き通った風が馬の(たてがみ)を擽った。



 風が霧を後方へと攫う。その冷たさにグリフは鼻を啜った。

 王都を出て数日。カシェとグリフは、ファーガス領に向かうべく馬車を走らせていた。と言っても、カシェは馬車の中で悠々と過ごしている。自分から言い出したこととはいえ、グリフは少し後悔していた。


「やっぱりもう一人くらい人連れてくるべきでしたよ、絶対!」


 王都からファーガス領までは馬車で約一週間。しかし、急いで領地に着きたいというカシェの指示に従い、近道である森の中を進んでいく。あと数日とはいえ、この悪路の中、自分が馬車を動かさなければならないと思うと気分が鬱々としてくる。


(せめてもう一人いれば楽ができたってのに……)

「今からでも君を置いて行っても構わないが?」


 カシェが前方の窓を開け、グリフに声を掛けた。確かに馬車を動かす技量はないが、馬に乗ることは可能だ。その場合、どこかの町に立ち寄って鞍を買い取ればいい。

 カシェなら本当に実行しそうだと想像がついたのか、グリフはギョッとしながらも勢いよく首を振った。


「いえ! 馬車馬のように働かせていただきます!」


 調子のいいことだ。カシェは呆れながら、外の景色に目を向けた。

 それにしても今日は霧が深い。この森は何度も通っているが、これほど深い霧に見舞われたことはあっただろうか。朝早くから馬車を走らせているが、今現在、日がどの位置にあるのかもわからない。

 カシェが胸元のポケットから円盤を取り出し、魔力を込める。すると、金属板の表面が開き、半透明の映像が浮かび上がった。そこには、長さの異なる蔓のような形をしたものが三つと、円を描くように数字が配置されている。


「もう昼も過ぎていたのか」

「えっ、休みましょう! 私もうお腹空きました!」


 すかさずグリフが昼食を提案する。休むことなく馬車を走らせていたため、そろそろ馬を休ませるべきだろう。カシェも意識した途端、ずっとお腹が空いていたような気がしてきた。


「視界は悪いが、この霧を抜けるとなるとまだ暫くは掛かるだろうな」


 その声を賛同と捉えたのか、ゆっくりと馬の歩行が遅くなっていく。完全に足を止めたタイミングで扉を開けた。


「あ! 私が安全確認してからにしてくださいよ……」

「しようがしまいが、この霧では何も見えないだろう」

「何かあったらどうするんですか」

「何かあったときはあったときだ」


 グリフの忠告を右から左へと流し、長く椅子に座って硬くなっていた体を解す。伸びをすると共に深く息を吸うと、冷たい空気が胸いっぱいに広がった。霧が晴れたように思考がすっきりとする。


「さて、昼食は何にするかな」

「何にするって携帯食料しかないですよね?」

「その選択はなしだ」


 夜の内はどこかの村や町に泊まってそこの宿の食事を取った日もあったものの、基本的には朝から晩まで携帯食料しか口にしていない。グリフでさえも飽きてきたとは感じていたが、カシェには耐えきれなかったようだ。

 目の前の空間に魔力を通し、空間を開く。そして、拡張された空間から細長い剣を取り出した。


「アンタ、まさか……」

「狩りに行く」


 グリフが想定した通りの言葉が返ってきた。予想が当たったからと言って全く嬉しくない。寧ろ胃が急速に痛み出す。


「待ってくださいよ、それこそ何かあったらどうするんです!?」

「旅には危険が付きものだろう」

「んなわけあってたまるか!」


 伯爵といえども、人は人。食を前にすれば目が眩らむのだ。

 そう己を納得させようとしたが、その結果カシェが怪我をしたらその責任は全てグリフが被ることとなる。それだけは阻止せねば、とグリフは必死にカシェを止めに掛かった。


「私が魔物ごときに簡単にやられると思うか?」

「簡単にはやられないかもしれないですけど、どういう事態になるかわからないでしょう!」


 グリフが言っていることは何も間違っていない。だが、この場にはグリフのことを支持する者はいなかった。


「そのときはそのときだ」


 グリフの制止を物ともせず、さっさと森の奥へと足を進める。その姿すら、すっかり霧に飲まれてしまった。


「そうやって一人で何でもしようとするのはアンタの悪い癖なんだよ————!!」


 大声が森に響き渡り、鳥が一斉に飛び立った。しかし、一番届いて欲しい人には響かない。その虚しさを慰めようと馬に目を向ける。馬は笑うように嘶き、すぐに足元の草を食むのであった。



 森の奥へと向かって半刻も経たず、カシェはその手に鳥を携えて帰ってきた。鶏のようだが、羽が鮮やかな色をしている。その見た目から、鶏鮮鳥(チキンモドキ)と通称されている魔物だ。


 魔物と普通の動物との違いは、魔力を生み出す器官が存在するかしないかである。魔物の持つ魔力には種族によっていくつかの等級に分かれており、それぞれ強さが異なる。また、見た目が普通の動物らしいものから全く異なるものまで存在する。しかし、どれも一般的には狂暴であり、とても頑強であった。


 目の前の鳥も等級自体はそう高くないが、その嘴は鋭く、突かれると魔術を付与した頑丈な手袋であっても穴が開くほどだ。また、魔力を身に纏うことで飛行も可能であるという点で、普通の鶏とは大きく異なっていた。

 そんな魔物が大人しく人の手に収まっていてくれるものだろうか。否、鳥の目には強い生存の意思が現れており、決して大人しく捕まっているわけではないことが伺える。恐らくはカシェの魔法で縛られて、一切の身動きすら封じられたのだろう。


「それ、どうするんですか……?」


 グリフは嫌な予感がしていた。自然と視線が鳥の方へと向かう。鳥も少しでも生存を高めたいのか、グリフの目を真っ直ぐに見つめてきた。心なしか、潤んでいるようにすら感じる。


(やめろ……そんな目で見たって、俺じゃぁこの悪魔は止められないんだ……!)

「今から捌く」


 ほら見たことか。案の定、鳥の必死の懇願も、白い悪魔に届くことはなかった。


(ごめん、鳥……)


 グリフが目を閉じて黙祷する。そんなグリフを横目に、カシェはさっさと捌く準備を始めた。


「遍く命に感謝を」


 短く祈りを捧げ、苦しませる間もなく刃を引いた。そして、素早く血抜きのための作業を行う。


「手早いですね……」


 グリフが若干引いたようにカシェを見やる。どこの世界に魔物を捌ける貴族がいると言うのか。


「私が普段何の仕事をしているのか知らないようだな」

「知らないわけがないでしょう」


 カシェの仕事と言えば、伯爵当主としての領地経営か、騎士としての活動の二択だ。そこでグリフは、カシェが所属する第一部隊が魔物討伐にも参加していることを思い出した。


「もしかして普段から討伐時に魔物の肉を……?」

「当番制だがな」


 グリフは頭を抱えた。道理で臆することもなく、捌くことができるわけだ。

 その間にもカシェはさっさと調理を進めていく。


「それは?」

「臭み消しの薬草だ。多少変なものを食べても自己回復を促してくれる」


 懐から取り出した草に興味を示して問う。その答えに、グリフは思わず口元を引き攣らせた。


「血が抜けたら羽を毟っておいてくれ」

「えっ」

「替えの手袋、持ってきていただろう?」

「いや、ありますけど……ありますけどぉ」


 情けない声を出すも、カシェには効かない。とっとと背を向け、短剣で地面を掘っている。

 やがてグリフも自分が頂く命に対して、何もしないわけにもいかないと腹をくくった。その腰は相変わらず引けていたため、恰好は付いていなかったが。



「終わりましたよ……」


 グリフの顔が心なしかげっそりと瘦せこけたように見える。その手には、ツルツルに剥かれた鳥の姿があった。最早その見た目はただの鶏肉でしかない。


「お疲れ様。それじゃあ、こちらに寄越してくれ」


 力なく鳥を手渡すと、カシェは手にしていた火を起こす魔道具で、表面を軽く炙った。そして、手早く内臓を取り除く作業に取り掛かる。


(ちょっと無理……)


 流石にそんな光景には慣れていないグリフには、いくら血がしっかりと抜かれた後とはいえ、見るに堪えなかった。

 すると、カシェが徐に先程使用した魔道具を渡し、火の準備をするようにと指示を出した。


(気を遣わせてしまった……)


 申し訳なく思いつつも、グリフにとっては正直有難いことだ。お言葉に甘えて、と言って魔道具を受け取った。簡易的な調理場を作るべく、石で簡単に壁を作った後、乾いた木や枯れ葉を集める。

 一方、カシェも内臓の処理を丁寧ながらも手早く済ませていく。その後、掘った穴に内臓を埋めた。


「火の準備終わりましたよ~」


 グリフが草木を集め終わった頃には、カシェも肉に薬草と調味料を揉み込み終わっていた。しっかりと味を付けるためには暫く時間を置いた方がいいのかもしれないが、どちらももう待つ余裕はないようだ。


「もう火を付けちゃってもいいですか?」

「いいんじゃないか? 肉も新鮮な内に食べるのが一番美味しいだろう」

「確かに」


 どちらのものかもわからないが、ごくりと唾を飲み込む音がする。火を起こし、肉を火にかけた瞬間だった。


「ヒィィ————ッ!! 誰か、誰か助けてくれぇ……!!」


 カシェは思わず天を仰いだ。なんとタイミングの悪いことか。遠い目をしながら視線を戻すと、グリフも顔を覆っていた。できることなら何も聞かなかったことにしたい。しかし、そう言うわけにもいくまい。


「グリフ……行こうか」

「……そう、ですね」


 カシェは悟りを開いたような、覚悟を決めたような何とも言い難い表情をその目に映した。


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