エピローグ
『女神の花園』創立五十年記念、新聞社特別記事より。
創立してから五十年の月日が経つが、『女神の花園』は、今も、女性の憧れであり、強い味方である。
セリ・エーデルワイス公爵夫人が、この店を立ち上げたのは、なんと十三歳の時だった。
共同経営者のセージ・クスノキが亡くなった後も、世界を股に販路を広げるクスノキ商会は、エーデルワイス公爵夫人を支え続けている。
私は、その絆の強さの秘密を夫人に聞いた。
すると、返って来た答えは、
「何故でしょう?」
という逆質問であった。
「私が選んだのではなく、クスノキ商会の皆さんが、私を選んでくださっただけですから。ですので、その質問は、あちらにして頂ければ幸いです」
今や、他国の王族にすら顧客がいると言われる『女神の花園』オーナーとも思えない実に控えめな態度だ。
この謙虚な姿勢が、平民から貴族までを虜にする化粧品を開発した人物であるとは俄かに信じ難い。
しかし、彼女が現在薬草学の権威であることは、その豊富な著書と育て上げた生徒達の功績により明らかだ。
今でも、彼女が初出版した子供向け薬草に関する絵本は、子供に与えるファーストブックとして親しまれている。
街で遊ぶ子供達が、潰した蓬の葉で当たり前のように擦り傷を止血するのは、この本の影響であることは誰もが知るところだろう。
そして、夫であるルドベキア・エーデルワイス公爵は、愛妻家として有名だが、『髑髏騎士シリーズ』の著者である事を知る人は少ないのではないだろうか?
卒業後に、学生時代に執筆した作品を出版したそうだが、騎士団所属だった為、ただ『R.E』とイニシャルを著者名に使用したそうだ。
退役後に、初めて事実を知らされた孫達が、祖父にサインをねだったと言うのは、なんとも可愛らしい逸話である。
騎士団長だった時は、無敵の強さで王を守り続けた彼だが、10代初めの頃は、ガリガリに痩せていたそうだ。
そんな彼の体調改善に、六歳だった夫人が贈った紅花茶が一役買ったと言うが、彼女の天才ぶりは当時知られてはいなかった。
常に、控えめに、慎ましいセリ・エーデルワイス公爵夫人。
今も、『私は、地味ですから』と微笑まれるが、六十三歳とは思えぬ若々しい姿と優しく聡明な眼差しに憧れない女性はいない。
また、従業員を雇う時は、孤児院や貧困にあえぐ平民の娘達から率先して選ぶ慈悲深さも特筆するべきだろう。
彼女の活動により端を発した職業訓練校は、今、各国に広がりを見せている。
我々は、エーデルワイス公爵夫人と同じ時期に生きた事を幸運に思った方がいい。
彼女がいなければ、貧富の差は益々広がり、戦争の一つや二つ、起こっていたかも知れないのだから。
私は、今朝手元に届いた新聞を眼鏡越しに熟読した後、大きく溜息をついた。
「どうしたんだい、セリ」
「あなた…この記事、一体誰の事を書いているのかしら?」
「君以外に、いるのかい?」
夫のルーが、クスクス笑って私を見る。
褒められることが苦手な私を、揶揄っているのだ。
「だって、『優しくて聡明な眼差し』って、この小さな目のことでしょう?恥ずかしくて、外に出られないわ」
新聞をたたんで机の上に置くと、窓のそばまで歩いて外を眺めた。
庭では、曽孫達が、ヨチヨチ歩きで行進している。
五人いる子供達が産んだ孫が十三人。
その孫達の出産ラッシュで、今、我が家は、乳飲児から三歳児まで保育園状態だ。
『女神の花園』を退職したスタッフ達をお世話係で再雇用しているが、皆、子育てを終えたベテランばかりで助かっている。
「しかし、あの子達は、何故我が家に集まるのかしら?」
母親も祖母もいるのに、わざわざ曽祖母の家に来なくても。
「それは、君が大好きだからだろう?」
ルーも、私の横に立って曽孫達を見て目を細めていた。
「君だって、あの子達を溺愛しているくせに」
ルーに言われなくても、私の子供好きは、有名だ。
従業員達が出産後も働きやすいように、仕事場の近くに専門の保育所も立ち上げた。
殆どの仕事を娘達に譲った後も、保育園経営だけは、私が行なっている。
前世では生まれなかった命達。
それを守り育てることが、私に課せられた使命のような気すらする。
「セリ、僕は、君と出会えた事を神様に感謝しなければね」
「それは、私こそだわ。ルー、貴方に出会えて、本当に良かった」
寄り添い手を繋ぐと、出会った頃のように胸が愛しさでキュッと痛くなる。
私、貴方を幸せにできたかしら?
私は?
えぇ、勿論、これ以上ないくらい幸せよ。
完