オダマキ 18歳
冷たい石に囲まれた部屋に不釣り合いな豪華なベッド。
広さだけは十分だが、他には、テーブルと椅子が一脚のみ。
トイレとシャワーは完備されているが、浴槽はない。
重い扉の前には、見張り番が二人。
常に鍵がかけられていて、食事は、ドアの下に付いた小窓から差し込まれる。
ナイフ、フォーク等は、武器になる為か手掴みで食べられる物しか与えられなかった。
母上とは、会えていない。
無論、父上とも。
俺は、何がどうなったのか分からないまま、ここに閉じ込められた。
確かなのは、もう、自分は、王太子ではなくなったと言うこと。
チューベローズとの妖しい快楽に溺れ、何も考えずに逢瀬を重ねた結果だ。
分かってはいても、腹の奥底から湧き出る怒りや焦燥感が消える事はない。
俺は、選ばれた人間であり、何をしても許される存在だったはずだ。
一脚しかなかった椅子で扉を殴りつけると、逆に壊れた足の部分が跳ね返り、眉間に当たった。
クラクラと目眩を起こし床に倒れ込んでも、誰も助けにこない。
見張り役は、何をしているんだ!
フラフラと立ち上がり、格子窓から廊下を覗くと、普段と変わらず扉の前に直立不動で立っていた。
俺が暴れる事など、百も承知か。
動揺する事もなく、平然とした態度だった。
ここに居ると、1日の時間が、とても長く感じる。
天井近くに開いた通気口から僅かに差し込む光りで、太陽の存在を感じ、日数を数えた。
二十日が過ぎた頃、数えるだけ無駄だと分かった。
伸び放題の前髪が顎の辺りまで来た。
誰とも喋らず、俺は、朽ちていくのか?
絶望と諦めに、どうやったら死ねるか考え始めた俺の前に、ある日、思いもかけない人物が現れた。
それは、弟ヤブランの母親、カサブランカだった。
側妃のくせに、俺を、嘲笑いに来たのか。
「オダマキ様、平民になられる気は、ありますか?」
「頭でも狂ったか?」
俺は、腹立たしさに、履いていた靴を投げつけた。
しかし、女は、平然とした顔でソレを叩き落とす。
カサブランカとは、このように強い女だったのか?
俺は、常に日陰者のように暮らす弟家族を馬鹿にしていた。
しかし、目の前にいる女は、凛とした佇まいで全く動揺した様子を見せない。
「貴方には、本当のお母様がいらっしゃいました」
言っている意味が分からず、俺は、言葉すら出ない。
カサブランカの話では、俺は、父上と平民の娘の子供らしい。
もとより成就する恋ではなかったが、二人は、短い間と知りつつも真剣に愛を育んでいた。
しかし、母上がその事に気づいた事で、真実は大きく捻じ曲げられることになった。
「貴方のお母様は、お腹に貴方がいる状態で、サラセニア様に拉致されました。出産時に亡くなったと言うことですが真偽の程は分かりません。私が思うに、殺された可能性が高いのではないかと。それ故に、陛下は、貴方の命を盾に取られ、逆らうことが出来なかったのです」
自分の子供として育ててやる代わりに、正妃の地位を寄越せ。
権力欲に忠実な母上の考えそうな事だ。
もし、自分が子供を成していれば、俺を殺してでも我が子を王にしただろう。
「は、はははははは」
真実かどうかなんて、どうでも良い。
ただ、母上が時折俺に向けた恐ろしいまでの嫉妬に狂った眼差しの意味が、やっと理解できた気がした。
王太子という地位にいる俺を必要としただけで、愛情など一欠片もなかったのだろう。
「ここを出るには、子を成せぬよう処置を受ける必要があり、今後、王家との関わりは一切なくなります」
カサブランカは、淡々と事実のみを語る。
そこには、俺を憐れむ気持ちはない。
彼女とて、他の女を忘れられぬ父上と望んで結婚したわけではないだろう。
それでも品格を失わないのは、そうあろうと努力を続けたからに他ならない。
一方の俺は、人を蔑むことでしか自分の価値を見出せなかった。
今までにしでかした数多くの不祥事を、母上が揉み消してくれていた事も知っている。
その中には、人を不幸にしたものも少なくない。
平民に落ちた事を知られれば、命を狙われることもあるだろう。
毒杯をあおって尊厳ある死を賜るのも、貴族として育った俺が選ぶべき道なのかもしれない。
「はぁ」
俺は、ため息を吐きながら、天井近くの窓を見上げた。
チュンチュン
姿は見えないが、小鳥の声が聞こえる。
出来ることなら、ここではないところで死にたいと思った。