前世セリ、38歳
ゴフゴフゴフ
明け方、薄らと明るくなっていく部屋の中で、私は、激しく咳き込みむ仲間の背中を摩っていた。
「ごめん、せりねぇさん」
「気にするんじゃないよ。ナデシコ。ほら、お薬だよ」
私は、咳止め薬の代わりに杏仁の種を乾燥させた粉末を、水と一緒にナデシコに手渡した。
ガリガリに痩せた手が、痛々しい。
まだ、この子は、二十歳にもなってない。
ここで20年以上も暮らした私とは違う。
普通の生活さえできれば、良い人と出会って、世帯だって持てる。
こんな流行病に負けて、死んじゃいけない。
いつかここを出て、私が掴めなかった幸せを掴んで欲しい。
私は、十六歳の時に、ここに連れて来られた。
地味な顔で影が薄い私でも、隣国の元公爵令嬢と言う肩書きで高く売れたらしい。
最初は、物珍しさで指名する人もいたけど、一度顔を見たら次は頼まない。
怯えるだけで綺麗でもない私の客受はあまり良くなく、直ぐに裏でまかない料理を作る方が多くなった。
女将さんは、金を無駄にしたと吠えたけど、別の娼館へ売るような事はしなかった。
代わりに、他に使い道がないから薬草や民間療法が書かれた本を私に与えてくれた。
何故なら、唯一文字が読める女だったから。
それが役に立って、ここに居る子達を少しでも助けてやれたことが、私の喜びだった。
そして、女将さんとも、不思議な関係だったけど、そう悪いものでもなかった。
ここまで最悪な身分に落とされた割には、幸せも確かに存在した。
だけど、もう、そんな生活も終わりを迎えそうだ。
「せりねぇさん、ありがとぅ」
東の国から売られてきたナデシコは、拙い言葉でお礼を言った。
咳を止められたからといって、病気が治ったわけじゃない。
それに、この杏仁には、中毒性がある。
多用すると、余計病を悪化させてしまうけど、放っておく事もできなくてギリギリの量を与えた。
ここまで、国が疲弊した元凶は、冤罪で私を国外追放し、家族を断頭台に上らせた元婚約者オダマキ様。
彼が、母国ユラニスの王になって、世界は更に荒れてしまった。
今私達が住んでいるテールも、国境を接するユラニスとの戦いで、人も物資も戦場に流れて底を尽いてしまっている。
「ゴフゴフゴフ」
胸の苦しさに咳き込むと、ナデシコが慌てて私の背中を撫でてくれた。
「ねぇさん!くすり!」
ごめんね、ナデシコ。
さっき貴女に飲ませたのが、最後だったの。
遠のく意識の中で、私は、ずっと先に死んだ家族の顔を思い出していた。
フワフワと、体が浮いたような気がした。
温かな光に包まれて、痛みも、苦しみも、悲しみも消えていく。
神様、どうか次の人生は、努力が実るものにして下さい。
願いを胸に、私は、息を引き取った。