ルドベキア10歳
ルドベキア・エーデルワイス。
僕は、その名前が嫌いだった。
エーデルワイスは、ある地方では、プロポーズの際、男性が女性に贈るロマンチックな花だ。
だけど、僕には、ロマンチックのカケラもない。
現実主義と言うほど、カッコいいものでもない。
ただ、女性に対しての考え方が冷めているだけ。
徒党を組んで僕を骸骨と嘲笑う彼女達は、裏では、互いを貶しあっている。
仲間、仲間ってほざくけど、仲間って何?
表面上仲良くしたって、心の底じゃ何考えてるのか分からないだろ?
そんな斜めにしか世の中を見られない僕の前に、一人の少女が現れた。
とても地味で、良い意味で影が薄い。
誰からも気づかれないからこそ、誰からも影響されていない所に好感が持てた。
僕より五歳も小さいのに、薬を差し出してくれる彼女は、周りのフワフワした女の子とは比べ物にならないほど落ち着いた目をしている。
覗き込むと吸い込まれそうなほど、澄んでいた。
僕は、髑髏。
彼女は、空気。
互いに心ないあだ名をつけられたものだ。
でも、彼女は、それを全く気にしていない。
いや、それどころか、それすら面白がりクスクスと笑っている。
「あちらにお兄様がいらっしゃったように見えます」
僕の手を引き、あちらへ、こちらへ。
踊るような軽やかなステップで、人の間をすり抜けていく。
「セリ〜」
背後から、ケイトウの声が聞こえた。
しかし、セリ嬢は、聞こえないフリをして別の方向へと突き進んでいく。
なんだ、この生き物は?
僕は、可笑しくなって笑いを噛み殺した。
あぁ、家族以外の人といて、こんなに緊張しないのは初めてだ。
「まぁ、ルドベキア様の指の爪に、横筋が。これは、栄養が足りない証拠ですのよ」
僕の指先をマジマジと見ながら、セリ嬢は、情けなく眉を下げる。
僕は、恥ずかしくなって、指先を握り込んだ。
「あぁ…あまり胃腸が強くなくてね。男性にしては、少食なんだ」
「そう言う時は…」
彼女は、僕のみぞおちとお臍の間の一点をそーっと指で指し示した。
「この辺りを押すと、とても体に良いのですわ」
「え?」
「東の国にある『ツボ』と言うものですの。確か、中脘と呼ばれる場所です」
彼女は、僕が今まで一度も聞いたことがない知識を披露する。
「辛い物は、お好きですか?」
「あぁ、少しだけど食欲が湧く気がするから」
「暫く控えられた方がよろしいですわ。胃を痛めますのよ。飲み物は、牛乳なども良いのです。胃に膜を作って守ってくれますわ。あぁ、温めて飲むのが良いかと。冷たいのは、負担がかかりますもの」
さも当たり前のように言うが、その知恵を五歳の少女が何処から手に入れた?
僕が訝しげな表情をしたからだろうか?
セリ嬢は、小さな鞄を開けて、中を見せてくれた。
そこには、さっき彼女がくれた薬と同じものが沢山入っている。
「私も、胃腸が弱いんです。家族が過保護なもので、常に持ち歩いているのです」
「あぁ、だから、そんなに詳しいんだね」
「はい。そうだ、お裾分けです」
セリ嬢は、鞄の中の薬を全て僕のポケットに押し込んだ。
驚く僕に、ニッコリと笑って人差し指を口元に当てる。
「内緒ですよ」
悪戯が成功した時のような、満足げな表情に、僕は、薬を突き返すことが出来なかった。
「了解した」
気づいたら僕は、彼女に心を開いていた。
その後、セリ嬢が難病にかかったと聞き、居ても立っても居られなかった。
しかし、王太子妃候補として名の上がる彼女の所へ、僕がお見舞いに行けるわけもない。
悶々と悩み続けて一ヶ月、王太子妃候補から、セリ嬢が外れたと噂が飛び交った。
しかも、『もう直ぐ死ぬんじゃないか?』なんて話まで出てきた。
兄であるケイトウ・ディオンの落ち込みようが酷すぎたからだ。
僕は、慌てて筆を取った。
ディオン公爵宛に、訪問の許可を願い出ると、思わぬ速さで了解の返事が来た。
セリ嬢が、僕に会いたがってくれているらしい。
お土産に、食べ物は遠慮した方がいい。
病み上がりに、下手な物は食べさせられない。
本棚に並べた自作の物語『骸骨騎士漫遊記』を一冊手に取ると、僕は、馬車に飛び乗った。
なんだろう、この感覚は?
兎に角、一秒でも早く、彼女に会いたかった。