act10 思い出を盗んで
武道館の入り口はものすごい行列だ。
僕には生まれて初めてのコンサート。
理未子にせがまれ、なんとなく来てしまった。
「開演までまだ一時間もあるのに、これで座れんのか?」
僕は本気で思っていた。
「えっ!何言ってんの恵司、恥ずかしいよ」
「なんで?」
「だって、コンサートって指定席だよ」
「そ、そうなの?」
「じゃぁなんでこんなに並ぶの?」
「…」彼女は呆れ顔だった。
かなり僕は憂鬱だ。
しかし驚いたことにコンサートが始まると僕は夢中になった。
オープニングのドラムのシンバルと光の演出、
一瞬で虜になった。
"愛の中へ"、"愛をとめないで"、"さよなら"…
一曲ずつ僕の心に共鳴していった。
全部、理未子への今の気持ちを表す歌詞だった。
スゴい!こんなにも完璧で表現が豊かな歌は聴いたことがない。
せつなくて、やさしくて、
いつの間にか僕の目からは涙がこぼれていた。
しかし数曲目の"Yes,No"では何故かたぁこの顔が浮かんできた。
理未子と一緒にいるのに、
たぁこの事を考えていた自分が恥ずかしくなった。
♪
今なんて言ったの?
他のこと考えて
君のことぼんやり見てた
好きな人はいるの?
答えたくないなら…
胸に矢が刺さったような歌詞だった。
僕の中でたぁこの存在が大きくなりつつあることを悟った。
コンサートの帰りに理未子から手紙を渡された。
封筒の中には
♪
誰にでも優しくするから
それだけ私が離れてゆく
とめどなく押し寄せてくる
不安な気持ちはあなたのせい
とだけ書いてあった。
あっ。コンサートの中の思い出を盗んでという曲だ。
理未子もいまの気持ちを重ねて聴いていたに違いない。
何回も何回も読み返しているうちに
罪悪感がこみ上げてきた。
僕はすぐに受話器を取りダイヤルを回した。
ワンコールで出たのは理未子だった。
「今すぐ逢いたい」
正直な気持ちだった。
いつものポストへ走った。
理未子の立っているのが見えると、
穏やかな気持ちになった。
「どうしたの?」
「いゃ、どうしても顔が見たくなった」
「どうして?」
「て、手紙読んだよ」
「あ、…そう。」
しばらく沈黙が続いた。
「読んで逢いに来てくれたの?」
「なんで、あんな…」
「だって最近恵司が私のことを見てないから…不安だったの」
(心が読まれてた!)
「好きな人できた?」
「私はいいよ」
「恵司と付き合えただけで満足…幸せだったから…」
「やっぱり、私じゃ役不足なんだよね」
「解ってたよ。いつかは来るんだなって」
「お、オレ…」
何も言えなかった。
「もう暗いから、帰るね。」
そう言う理未子を引き留めるように両肩を掴むと、
彼女はゆっくりとその手をほどいた。
小走りに階段を駆け上がる彼女の背中を追いかけることが出来なかった。
(終わった…)そう思った。