第六話:A.ロラン夫人です☆
すみません。遅くなってしまいました。
ペコリ。
「そんじゃ、そこの綺麗なお姉さん――?」
「――あ、私の名前はレイナ。レイナ・バンホール」
「良し。じゃぁレイナさん。妹のレオ君の体の採寸とかするから、付いて行ってくれる?」
「……分かった」
「はぁーい。じゃぁ、ダーリン。二階に行って二人の面倒を見てねぇー」
「……分かったよ」
「お願いねぇー。あと、ジロジロ女の子の体見たり、浮気とか駄目だからね」
ルドルフを先頭に、奥の階段へと消えていくバンホール姉妹。
そんな三人を笑顔や手を振って見送る翠。
実に典型的な人払いだな。
「それにしても、狩野君があんな上玉を奴隷として購入するなんてー。変態やねー。この犯罪者。性欲魔神。ヤラシィー」
「俺も男なんで。あと、付き合っていた男が煮え切らないから、薬をもって強制的に責任を取らさせるような女に言われたくないな」
「ふふふっ。いつの世も目的によっては手段は正当化されるもんなのよー」
カウンターの奥に戻った翠は、ニヤニヤしつつ開店準備をしていく。
「それに、アタシのルー君LOVEなのは本気だしー。アレはルー君が悪いんだからねっ!」
「さいで」
「で、狩野君はどこまで本気なの? あのお姉さん。美人でお胸の大きな獣人さん。弄ぶだけ弄んで、最後はポイッ?」
「……さて……まだ出会って数時間なもんで?」
「ふぅぅ~ん……まぁ……いいか」
どうやら本題が始まるようだ。
「さてさて、狩野君? 君は昨今の連合政府の置かれている中央にて、奴隷制度反対の運動がうねりを上げている事実を知っているかね?」
「今日、奴隷を買う前に教えられた」
「ふぅーん。知っていて、買うとは、決意はあるんだね」
「とうか、単に奴隷が必要だから購入したんだがな」
「もっと他の人でも雇えばいいのに」
「俺と並んで働いてくれる物好きがおれば考えてたかも。あっ、何らならそこの元凄腕の冒険者な新妻さん? どう? お小遣い稼ぎに働いてみない?」
「はははっ……ノーサンキュゥー」
犬崎翠は現役の冒険者だった頃、【神官戦士】として活躍していた。
元の世界で言うところの、神殿騎士を魔法の力でパワーアップさせたような感じだ。
この世界での独特の法則として、まるで典型的なRPGのように、各種族はそれぞれの個性的な【職業】を担う事が出来る。
それもその職業は単純な職能ではなく、ファンタジー要素としての補強も兼ねているのが特徴的だ。
例えば【漁師】という職業だと、その意味が日本では単純に今自分が手を就けている職名だけだが、この異世界ではその職名、プラス、《操船技術向上》、《漁場見切り》といった能力を底上げてしてくれるファンタジー要素の得点が加算される。
よって単純に漁師系の職業を持たない人と、漁師の職業を有する人が同じ土俵で立っても、最終的な成果は職業持ちの方が多い。
それがこの世界での独特のルールである。
そして【職業】には《熟練度》という評価基準があり、職業をより深く、長く鍛練し続けると同じ職業に新たな《補正》が発生する。例えば【漁師】の場合、そこに《網本》という補正ステータスが付く、など。
それからより励めば、次により上の【上級職業】へと、自分の【職業】の位階を同系統の上級職へとランクアップする事も可能だ。
【漁師】の場合、上級職として【船団長】になるなど。
しかも補正ステータスや上級職へのランクアップは、個人差がある。
同じ村出身、同じ職業、そして同じ時期の労働でも、差別化されるのだ。
だから森人達異世界人がこのファンタジーな世界へと、わざわざ手間暇かけて【蘇生】されたのである。可能性というギャンブルが、人間達にサイコロを振らせたのだ。
だが実は、上級職に上がっても、実は下位の職業よりも優れているわけではない。熟練度の高さや、各種補正に頼らない個々人の技量や才覚によっては、下の職業の者が上の職業持ちに対しても優位に立つ事もあったりする。
そうした中で【神官】系統の者が、より戦いに特化したのが【神官戦士】という【職業】だ。神官は魔法が使えない。それはつまり戦場で相手を〝排除〟する攻撃手段が乏しい事を意味していた。
肉体的な強化も、戦闘系の職業とは雲泥の差がある。
そもそも、神官は《奇跡》によって戦闘職の者をアシストするのが普通。
例えば《治療》で小規模な傷や病を癒し、《防壁》で結界のように相手の攻撃から身を護ったり、と。
そうした神官を前線で戦わす事を可能とするのが、神官戦士だ。神官の奇跡の御業と、【戦士】としての力強さが程良く練れている上級職業である。なお、職業のランクとしてはかなり高い。
「俺だっていつまでも一人で猟をし続けるわけにもいかなくてな。日本ならば安全面は大丈夫なんだけど、この異世界じゃ、どうしたって効率が悪くなる。それに猟師の稼ぎも薄利でね。なら奴隷でいいじゃないか、という流れさ」
「それで……あの娘達を雇う事でコッチにまで、火の粉を飛ばしてもと?」
「法律上の手続きに何も問題はないさ」
「法律上では、ね。けどこの世の中、何も紙上が全て正しいというわけでもないでしょ」
「それには同意する」深い、深い溜息。「けど翠なら、まぁ、馬鹿相手でも臆せず撲殺出来るだろ?」
「アタシは筋肉ゴリラじゃないわよー」
「それで、中央での奴隷制度反対だなんていう遊びが、こんな辺境の都市にまで拡大するとでも? ……正直、この世界の連中がそんな遊びに本気になるなんて思えないがな。辺境の農業生産には、農奴や奴隷の存在が不可欠なのに」
「サダム・フセインという独裁者の政治体制を崩壊させ、彼が逮捕された時、自由と正義を信じている人達は、コレで一つの〝世界〟が春になったと思っていたわよ。そんなの、アホなストーカー男が女優の家に侵入するのと同じ事なのに」
「手紙を送り、熱烈なラブレターを山のように送付、そして裁判、接近禁止の判決。最終的により凶悪な犯罪へと至るのと同じ、か」
「そうよ。そして恐ろしいのは、そのアホなストーカー男を動かすのは、正義と憤怒と情熱なのよ」
「復讐ではなくて?」
「復讐は情熱よ。破滅的な――そこに論理的な、正常な思考は無いねー」
「自由と正義はいつの世も現実に勝るわけか……」ニヤァ~リ。「おお自由よ。汝が名の下にいかに多くの罪が犯されてきた事か……」
「それ、誰の言葉ぁー?」
「さて? もうそこまでは覚えてないが……」森人は苦笑した。「ただ、貴族の奥さんなんだけど、フランス革命においては革命派を応援して、最終的に貴族への憎悪と権力闘争によって、断頭台に送られた人、だったな」
タイトルを参照。
「……確定なんだな」
「狩野君は隠者みたいに、もう俗世間と係わらないようにしているから知らないようだけど、アタシも目と耳はある。まだ元クラスメイト達との繋がりがあるから、中央での情報も伝わってくるわ」
「……まさか野田の大馬鹿野郎が背後にいると?」
怖気と嫌悪の入り混じった言葉と表情に、翠は諦め色の声音で答えた。
「野田先生が係わっているわね」
「……畜生が……あのロクデナシの社会主義者め……どうして暗殺されないんだ?」
「暗殺するにも、今の中央ではあの人の影響力は大きすぎるしねー」
「知ってるか? かの三年B組金八先生でも、自衛隊に入ろうとした生徒を『君を人殺しにさせない』と言って止めたんだぜ」
「……まぁ、この世界って、ああいう人達にしてみれば、『天国』みたいなもんやからねぇー。もう張り切ってるらしいよ」
「そのまま本当の天国に行ってくれないかな?」
「野田先生とその一派。今じゃ『大地の牙』や『狼』と表現出来そうな勢力になっちゃってるからねー」
「何だよ? 腹腹時計でもテキストに使っているのか?」
「とうか、看板は東アジア反日武装戦線よりも、国家社会主義ドイツ労働者党、の方が近い感じよー」
「――ナッツ!」
「中央の政府や教会なんかで、熱心に社会改革に取り組んでるのが余計にタチが悪いし。あの人、言っている事は正しい……ごめん。言っているのは論理武装された正論なんだけど、現実とは悉く対立するからねー……本当に……」
(あの糞リベラル野郎な政治屋。まさかまた異世界でも愛と平和を尊ぶつもりか?)
ついつい昔の記憶が蘇って翠を睨んでしまった。
野田冬生は森人や翠と一緒にこちらの世界へ【蘇生】された、クラス担任だ。
つまり、歳を取って大人になった彼らとは違う、数少ない〝元からの大人〟だ。
熱心な社会改革主義者で、熱烈な愛と平和を愛する活動家で、情熱に不足を感じる事は無い――というか余らせているほどの、リベラルという単語を危険な程強く曲解したような女性だ。
つまり彼女は、日本ではもう大昔に絶滅したと思われている、ヘルメットにバンダナ、角材と火炎瓶を武器に時計塔に立てこもり機動隊とヤリあっていた連中――その最後の後裔なのである。
ただし、彼女は先人達ほど馬鹿ではない(森人からすれば同類だが)。
先人達の失敗や経験を学び、より極悪へ進化させたともいえる存在だ。
まず、彼女は最初はごく普通に他者と接する。教育者として熱心に(普通の)活動し、時折社会の改革について熱心である事をアピールするだけだ。
よって第三者からは、優秀な先生として見られ、その立場を固める事に成功する。
そうして人々の尊敬を集め、褒められつつ、名声を高めていけば、本格的に本性を表すのだ。
彼女は『人間は過ちを犯した場合、他者からそれを指摘されると怒る。もしくは猛烈に反発する』という仕組みを徹底的に活用して自己の活動をより先鋭化させていく術を編み出した。
例えば日本の国会では、野党は与党のだから、その政策に反対する。
彼らが素直に賛成に回る事は無い。
それは政治だから仕方ないだろう。もしも素直に認めてしまえば、自分の胸に議員バッジを付けてくれた、有権者達を裏切る事になるからだ――議員でなくなってしまえば、自分の存在価値は無意味となってしまう。単純に、人は手に入れた権力を手放したくないのだ。
だから反発する。拒絶する。猛烈に支離滅裂な言語を使ってでも反対する。
そして妥協する――『与党の政策、それを計画地より少し落としてくれたのなら、認めてあげてもいいですよ』と。
そうすれば有権者達に対しても、『自分は与党の政策にこれだけ抗い、議員として仕事をしましたよ』という言い逃れが出来るからだ。
野田冬生はそうした仕組みを、自身の権力強化へと活用したのだ。
まず、自分の評価を高める。様々な人から――校長から町内会や婦人会、各家庭の親など、千差万別より――高い崇敬を集め、自身の権威を確固たるものとする。
その間に、周囲へはゆっくりと自分の根を伸ばしておくのも忘れない。
誰もが抱くだろう、他者への不満や、そのはけ口、権力欲などを呼び起こし、植え付けて、まるで蜘蛛の糸で絡めるように、周囲を自分の賛同者で占めていくのだ。
だからといって狂信者を作るわけではない。
あくまでも、自分側に立ってくれる、自分の擁護者を目指す。
そして準備を整え終えると、本性を現す。
天皇制の否定、自衛隊の違憲、自衛のための軍備の放棄、日米同盟の破棄、戦争反対、原発即時全廃棄、与党のする事全部が悪いのであってだから与党政権の退陣、などなど……。
左側だとかリベラル層が喜びそうな事を猛烈な勢いでブチかますのだ。
恐ろしい事に彼女の内部では、中国は日本の永遠の被害者であって、北の自称民主主義人民共和国は『素晴らしきこの世の楽園』なのである。
どうやら彼女はテレビを見ないタイプらしい……。
で、当然ながら周囲は自分が彼女に騙されていた事に気付くわけだ。
しかし、その過ちを素直に認めてしまう事は無い。
何故なら、認めてしまえば、それは自分の過ちや愚かさを肯定してしまうから。
家でゴロゴロしてテレビ見てお菓子食って寝ていた奴が、姿見で自分のボヨンと効果音の響くデップリとした腹部や体格を直視出来ないのと同じ。もしも見れても、〝改善〟に励もう――そうした気概を抱こうとはしないだろう?
人間は、誰だって、見たくないモノには瞼を閉ざす生き物なのだから。
そして野田冬生という糞女を、糞女と認めてしまえば――じゃあ、さっきまで彼女を褒め称えていた俺ってどうなのよ? である。
気が付いてしまえば、野田冬生を賛美する連中の仲間入りしていた。野田先生は素晴らしい。野田先生は平和を愛する善人です。野田先生は……。
そう言っていた『事実』を消せと? 無かった事にしろと?
もしも否定の声を出したら、逆にコッチが弾かれるんじゃない?
そこで日本人の『和を乱さず』な精神が最悪な形で作用した。〝上〟に従順で、自分の意見は通さず、上げず、皆と手を取り合って邁進していきましょう、と。
それに野田冬生を糞女だと断じれば、『じゃあ貴方は今まで間違っていたんですね?』と周囲から指を指されてしまう。もしもその自分が〝権力〟のある、つまり中心的な、立場なら――保護者会でも教育委員会でも町内会でも婦人会でもそういう人は必ずいる――権力のある立場から弾かれてしまう公算が大、だろう。
何故なら間違えていたら、それは過ちであり。
過ちは正さなければならない。
結局野田冬生先生は正しいのであり、彼女の言う事に間違いはなく、だからそんな彼女を褒めていた自分は間違ってなどいない――そうやって彼女を褒め続けなければ自分は間違っていた事になる。そういう立場の人や、周囲が人々を彼女の本当の賛同者にしてしまったのだ。
そうやって〝賛同者〟を増やしてきた野田冬生だが、限界はくる。彼女に反対する勢力は出てくるし、そうした勢力と賛同者が火花を散らすのだ。
やがて対立はエスカレートしていき、次第に家庭や地域の各コミュニティーが機能不全を起こしだす。
だがそうなれば彼女は周囲全てを放棄し、次の土地へ、新たな学校へ赴任するだけ。残念ながら日本の教育委員会は、そのような問題児であっても確認する術がないし、能力も無いのだ。それに教員の数も足りていないし。いや、知っている者もいるが、そこも自分の〝椅子〟を保つために口を閉ざしているのが現状。
そうやって彼女は幾つもの土地を渡り歩き、いくつもの土地のコミュニティーや各家庭を崩壊させていった。
そして彼女が最後に流れ着いた赴任先で目に付けたのが、祖父が狩猟をしている狩野森人だったのである。
猫を被っていた醜女は、自身の活動の柱へのターゲットに、狩野の祖父を選んでしまったのだ。
「なぁーにが、『狩猟は暴力的です』『野生動物を殺すなんて残虐です』『実際に銃で撃たれたり、猟犬に噛まれた人も出ています』『彼らは残虐行為を正当化しています』だ! あの糞教師!」
「……昔は、『親が自衛隊と警察官である子供は悪い家の子なので立っていなさい』だなんて、馬鹿な事を叫んでいた〝熱心な〟先生がいたくらいやしねー」
「ああいう馬鹿は、陸自の武器と猟師の鉄砲と板前の包丁と通り魔のナイフとの区別がつかん奴らなんだよ――で、野田の馬鹿野郎、コッチでも同じ馬鹿な事を?」
「まぁね。ほら、アタシ達も……見なかった事、見ない事、見詰めなかった事があったでしょ」現実から離脱してしまった元クラスメイトとか。「ああいう人達に手を差し伸べて、励まして、同じように自分の賛同者にしていったようなのよ」
「それで、周囲を自分を賛美する連中で固めで、数を増やして中央の政権に容喙するようになった、か?」
「そうやね。コッチでも人が心に抱いている善意や罪悪感とかを利用して、奴隷制度反対のうねりを作りだしてるんよぉ~。クラスメイトの中には、元から奴隷制には良い思いを抱いていない人もいたから、野田先生の事は嫌っていても、そういう案件なら賛同しましょう、という人もいたくらいやしね」
「で、クラスメイト達の本音はソコじゃないだろ?」
「そーやねー~……ハッキリ言っちゃえば、野田先生の活動を利用して、自分の社会的ステータスを上げたいのが目的なのが多いよ。ホントに」
「高木と小泉はどうだ? あのビッチ共、意外と中央の権力者とのコネがあったからな」
「……ビッチ共って……まぁ、アタシも同意見だけど。中央じゃ『ヤリマン上手の高木さん』や、『オチ○ポ大好き小泉さん』だなんて、陰口言われるくらいやしねぇ~はぁ~……思いっきり、野田先生の活動を応援しとるよ。自分達もそのおこぼれを狙って、ね」
「……ったく。どうしてあんな方法でコネクションを作ろうと思ったんだか」
「なぁーにぃ~……自分もあの『輪』に入りたいん?」ニヤニヤ。
「人妻が大乱交をそんな楽しそうな顔で言うなよ。しかも新妻が……生憎と性病の坩堝に〝突っ込み〟たくはないんでな」
「いやぁ~~ん。助けてダァーリン。アタシセクハラに襲われてるゥ~」
犬崎翠のギャル風な叫びに嘆息。何かに耐えるように珈琲に口を付けた。
そんな森人の態度に翠の太眉がビクビクと反応する。器用だな。
「何よぉ~。狩野君? ピチピチなアタシが言ったら間違ってると?」
「ピチピチというか……賞味期限ギリギリの間違いじゃないのか?」
「ほぉーおぉー、言うじゃないこのエロ魔人」
特徴的な太眉が跳ね上がり、彼女の手の中で皿がパフォーマンスにおけるボールのように、回転しつつ上に飛んだ。キャッチ。再び回転しつつ上へ飛ぶ。その回転が段々と加速し、今ではまるで電動鋸のように超高速回転している。
「どぉーお? 今からこの翠さんによる種も仕掛けも無い人体切断マジック。その被験者になってみるつもりあるー?」
「保険の適用外、な可能性が高いので遠慮しておこう」
「……まぁ、そういう訳で、あの小さい方だけでも、護ってやってはくれないか?」
「お姉さんの方はええの?」
「そっちは俺の方で何とかするよ。そもそも、奴隷を買ったのは俺なんだし……戦士としてレイナは優秀のようだ。なら何かあれば、俺と二人で森の奥へ長距離デートも可能だろう」
翠は何も言わなかった。ただ『困った人やねぇ~』とでも言いたそうに苦笑している。同時に、そんな森人を祝福しているかのようだ。
森人はその対応を允可と見た。
そして静かにカップに口を付け、珈琲の香りと味を堪能していると、足音が聞こえてきた。
どうやら丁度良いタイミングで三人が戻って来たようだ。
「あら、あらあら♪ とっても似合うやんけー」
春の花畑で舞う小妖精のような明るい声と表情で、翠は着替え終えたレオナを祝福する。
「……うぅ……俺、ちょっと恥ずかしい、よぉ……」
羞恥で顔を赤めたレオナの恥じらいに、翠はより興奮したのか身悶えていく。
黒色をした、長いロングスカートのワンピーススタイルの制服に、純潔を示すような白いエプロンドレスが目に栄える。
フリルの多いエプロンはレオ君の幼さも相まって、より彼女を可愛らしく強調しているな。
「やぁーん。本当に可愛いィ~~」
我慢の限界か、抱き着こうとした翠だったがレオナは直ぐに姉の後ろに隠れてしまう。年齢の幼さを無視すればだが、まるでどこぞのお屋敷で奉公するメイドさんのようだ。
女性にしてはストレートすぎる躰を隠す黒ワンピース。
その臀部からは姉と同じ、狼の尻尾が布地を突き抜けて顔を出している。
ふっさりとした尻尾の毛は震え、全身で警戒を表現していた。
頭上の三角獣耳もビクビクして、翠を聴覚全開で観測している。
「アレレ……そういえば、店の制服にあんな穴、あったっけ?」
「ああ、尻尾の所ですか?」ルドルフが説明する。「さすがに出さないと色々と不便なので、そういった細かい所を細工しておきましたよ」
「ふぅぅーーん」
おそらく、この場にいたルドルフ以外の全員が、その呟きの〝怖さ〟を肌で感じ取った。
ルドルフは常日頃から彼女と共にいたので、危機感や感覚が麻痺してしまっていたのだろう。事実、異性に関しては疎い部分もある森人でさえ、一発で気付いた。
レイナはギョッとして。
レオナは硬直して。
翠の次の動作を注視する。
「ルー君が、直接?」
旦那さんの脳裏に稲光が瞬いた――すぐさま猛烈な勢いで顔を左右へ振る。
「イエイエイエイエイエイエイエ! 私は服を用意して、そうした細かな裁縫はお姉さんに任せてもらいましたよ! それと私は裁縫中は外で待機してましたし!」
「うんうん。……なら別にいいよ」
「イエス。マム!」
夫も大変だなぁー。そう思ったが口には出さないし、表情にも気を付ける森人だった。余計な藪蛇は回避に専念だ。
「うんうん……レオも、似合ってるじゃない……」
「姉さん……俺、恥ずかしいんだけど……」
妹の立派な姿にレイナは嬉しそうな顔をしている。
「じゃあ、もういいか?」森人は金色の瞳を覗く。「……寂しいだろうし、名残惜しいかもしれないが、もうそろそろ、出発したいんだが」
「ああ……分かったよ。私も、それでいいさ」
「と、いうわけで……俺達はそろそろ行くよ」
「じゃあね。レオ……」
何故だかBGMとしてドナドナが流れそうな空気である。
狼系獣人の姉妹は互いの体温を移し合うように抱擁を交わす。
「姉さん……俺、一人でも頑張るよ。だって、姉さんの妹なんだから」
グスンと鼻が鳴りそうなレオ君だが、ぐっと堪え、不安そうに自分を見詰める姉を見上げた。俺は大丈夫だよ。頑張って働くよ。だから姉さんも、まずは自分の方を大事にしてくれ。
そう幼い瞳が視線で訴える。
「……バイバイ、姉さん」
「……バイバイ、レオ……」
「じゃあ、翠とルドルフ。突然の訪問だったけど、ありがとうな」
後ろ髪を引かれるように《血潮の林檎亭》から出ようとした――時だ。
「それじゃあ、改めてレオ君。血潮の林檎亭へようこそ! 当店は君を心から歓迎するよ」
「あ、ありがとう……」
レオナは絶壁の胸を必死に張って、ニコニコ顔の翠と対峙する。
顔が赤いのは、興奮と緊張か……それとも子供との会話には目線を合わせる事が重要なので、前かがみになった翠――そのため強調されるようにブランと揺れる双丘に戸惑ったのか。
虚勢を張るように、自分の心を奮い立たせるように、レオナは強い口調で言った。
「……俺みたいな子供だけど、これからよろしくお願いします。ルドルフさんに、翠〝オバ〟さん――」
その直後。
翠の右手掌が吸盤のようにレオ君の頭部へ密着――万力のような握力で、猛烈な勢いで翠投手、投げました!
……人間って、縦に回転しながら飛んでいけるんだなぁー……。
勿論普通の人間だったらアウトだ。特に首の骨が。
しかし強固な獣人の骨格は人間ほど軟ではない。
現にあんな状況でさえ、レオナは〝生きて〟いるぞ。
で、さすが夫婦だと……そう思わせるようにルドルフもすかさず――まるで預言者のように先回り――動き、大急ぎで閉められていたガラス窓を開放した。
まぁ、もっとも実態は高価なガラスの破損を防ぐための、ナイスアシストだったのだが。ルドルフ、GJ部!
風車のように回転するレオナはそのまま窓の外へ。
……合掌しておこう。
まっ! これも教育って事で……頑張れ! レオナ・バンホール!
・ルドルフ・メイル イメージCV:前野智昭
現在二六歳の旦那さん。柳のようなほっそりとした見た目に、押しの弱そうな顔貌、書生のような印象が強く、大よそ戦士には見えない男である。
金属のような鈍い灰色の短髪に、細い体躯と誠実そうな見た目、ちょっとした美男子だったので乙女心をくすぐられた者は多かった。
ただし、翠との恋愛に関しては、こちらの方が先に恋をした。
一人称が『私』など、丁寧な態度や会話を心掛けている。
――が、愛する翠を傷つけられると一転して、キレる。
元は初心者冒険者が集まった新人育成用の大規模なパーティーに参加していた下っ端メンバーで、年上なのと、新たに翠が入団したので彼女の教育係を任されたのが出会いの始まり。
最初は単なる先輩後輩の関係だったが、翠の屈託のない、ニッコリとした笑顔に胸を射抜かれ一目惚れ。その後彼女と組むように色々と頑張るようになる。
実力を付けた翠がパーティーから離れた時も付いて行った。
そして彼女と組んで小規模の冒険者パーティーを組んだり、逆に他のパーティーへ臨時の助っ人として入ったりと(つまり冒険者の傭兵)、彼女とより長く冒険者家業を続けていった。その時に――その時点で若干闇が濃くなっていた――森人と出会い知己となる。
翠や森人の隠す『過去』については、『何かある』と感じてはいるが、無暗に明かそうとはしない〝理解出来る男〟。過去は過去、今は今。
実は、名字で分かるが、騎士階級の出身で、実家は代々【騎士】を輩出してきた血統の名家。しかしルドルフには【騎士】職の才能が芽生えず、ある種の落ちこぼれとして扱われてきた。その冷遇さに耐えられず実家を飛び出し、今に至るまで、実態は勘当に近い形で過ごす。そのため翠と結婚した事も知らせていないし、結婚式にも呼んでもいない。
そうした出自・血統のため、前衛系の職業ではないが、細い割に服の下は立派な体つきをしている。魔力の質や量も高く、得ている職業はありふれた【魔術師】だが、魔力の扱いに秀で、結果として引き出しは多い。単純に上位職の者が強い訳ではない――を証明する稀有な存在。
上記の理由のため、体力には自信があり、前衛系戦闘職の翠相手に、寝室での夫婦性活においても頑張れている。というか夜はベッドヤクザタイプ。最近はレオナの同居により、『子供が欲しい』とせがまれているので苦戦中。
本人は実家とはもう縁を切ったと思ってもいるが、メイル家は半分忘れた形で今まで放置していた――が、どうやら政略とか婚姻など動きがあるような、無いような……?
現在得ている【職業】は、【魔法使い】、【料理長】。
出自の質の高さから、他の一般人と違い、複数の職業を得ている。
それと、【職業】としての【弓兵】は取得していないが、戦闘用の引き出しを増やすために弓術を習得しており、【弓兵】職の者に伯仲する技能を有する。
・【魔法使い】:体内魔力と外部との魔力を使用して魔法の発動・行使が可能となる。肉体面の補正は弱いが、頭脳系が補正で強化される。本人の努力次第で無限の可能性を秘めている【職業】。
*魔法使いについて
:秘伝の『力ある』言葉である呪文を唱える事をキーにし、体内の魔力と、外部の魔力とを練り合わせて生み出す、『世界を改変する』頂上の御業。それが《魔法》。そのため魔法を扱う職業を有する者は、前衛系戦闘職が体内魔力を使って肉体面の補正・強化をしているのに対し、体内魔力を《魔法》の行使に使用しているので、肉体面の補正が弱い。
魔法使いが扱える魔法には適性があり、火・水・風など、各種適任な属性が決まっているが、魔導書を読み解くなど、勉学に励めばより多彩な属性、多彩な技を身に付ける事が可能となる。
・【料理長】:【料理人】の上位職。料理の腕だけではなく、指導や統率などの補正が高くなる。
メイルの場合、そもそも彼が翠に『教えた』のが始まりで、初期の大規模パーティーの下っ端にいた頃から調理担当など、裏方で鍛えられていたのが、現在での翠よりも職業が上となっている理由となる。