プロローグ 始まりの惨劇
新西暦167年12月25日 渋谷スクランブル交差点。
この場では今まさに惨劇が繰り広げられている。
逃げ惑う人々、飛び交う悲鳴や怒号、自動車や建物が破壊される音で渋谷の象徴たるスクランブル交差点は埋め尽くされている。
そしてこの惨劇の渦中には「ヴァイラム」という人ならざる異形の者達が殺戮の限りを尽くしている。
現在スクランブル交差点には10体程のヴァイラムがいるがどの個体も生物と呼ぶにはあまりに無機質で機械と呼ぶにはあまりに有機的といったなんとも形容しがたい外見をしていた。
そんな中、横転した大型ワゴン車の陰に隠れて狩川美鈴が自分の息子である俊也を匿うようにして抱きしめている。
美鈴のウェーブがかった茶髪のロングヘアーや防寒コートには砂埃が纏わり付き、冬であるにも関わらず前髪も汗で額に張り付いていた
「俊也、大丈夫?怪我とかない?」
「大丈夫だよ、お母さん…」
息を切らしつつも優しい声色で語りかける美鈴に対し俊也の声は震えている。
11歳の少年が唐突に惨劇の中に放り込まれればそれが当然の反応である事を母親である美鈴は理解していた。
美鈴は涙を必死に堪える俊也の顔を力強さを孕んだ瞳で強く見つめた。
「心配しないで、すぐにお父さんがきてくれるわ、それにそれまではお母さんが俊也を守ってあげる」
「お母さん…死なないでね」
俊也はこの時母という存在の強さと優しさを実感していた。
母親が子を思う時の瞳の前では弱さを見せられずにはいられなかった。
「何言ってるの、俊也が立派になるまでお母さんが付いててあげなきゃね」
美鈴は俊也の頭をくしゃくしゃと撫でながらくだけた笑顔をみせ、それにつられるように俊也の顔にも笑顔が戻った。
「機動部隊、市民の安全を確保しつつヴァイラムの制圧に当たれ!」
事態が発生してからおよそ10分弱、統合防衛機構「UG」の特殊車両から発せられた指揮官の号令と共にカーキ色の強化装甲服「スパルタン」を身に纏った機動部隊の衛士達が車両の中から流れる様に展開していく。ある者はヴァイラムへ攻撃を仕掛け、またある者は生存者の救助に当たる。
「久我山、お前は実戦の空気を感じておけ。あと俺から離れるなよ!」
「ハイ、隊長!」
左肩を赤く塗装した部隊長仕様のスパルタンおを身にまとうのは狩川流也、美鈴の夫であり俊也の父親だ。
そしてその後ろからは衛士養成学校を出て間もない新人の久我山大我が付いてきている。
実戦経験の無い久我山に部隊長が付くのは流也自身の発案であり場数を踏んだ自分の戦いを見せて実戦の空気を感じさせるのといざ久我山の身が危険になった時流也がすぐにフォローに入れるようにする考えによるものだ。
車両から降りて間も無く流也と久我山がヴァイラムの1体に接敵する。
白黒の体色に鋏の様な腕をした「シザーハンズ」と呼ばれるタイプであり体表にはヴァイラムの象徴たる電子回路の様な光の線がまるで血管の様に薄っすらと光っている。
「アレが、ヴァイラム…!」
「怖いか?」
「正直…」
「正しい反応だ、撃て!」
敵と見るやいなや一目散に向かってくるヴァイラムに流也と久我山はアサルトライフルを連射する。
しかし鋏のヴァイラムは弾丸によるダメージなど御構い無しと言わんばかりに二人に接近し鋏を振り下ろす。
力強く振り下ろされた鋏は回避され二人に二人にダメージを与えることは叶わなかったがその後ろに乗り捨てられていた軽自動車の車体をいとも簡単に切り裂いた。
「あんなのの使い方じゃ無いぞ…!」
久我山の的確ではあるが少し素っ頓狂な一言に流也は表情を少し緩ませる。
「あちらさんに常識を求めるな!久我山は援護射撃、俺は接近して奴を仕留める!」
「はい!」
流也の檄に呼応するように久我山が援護射撃を開始し流也自身も腕にナックルユニットを装備しヴァイラムに向かって走り出す。
接近してきた流也を黙らせんとするためムタチオンは鋏を振り回すが場数を重ねてきた流也は容易に全ての攻撃をいなしつつナックルユニットでダメージを与えていく。
「凄い…アレが隊長の戦い…」
援護射撃の役割をこなしつつ久我山は自分の上司である流也の年季を感じさせる戦いぶりだな見惚れると同時に彼の部下であるという事を誉れ高く思えた。
「そろそろ終わらせる!」
王手の宣言と共に流也は振り回される鋏を回避しつつ左胸部の体表に入ったヒビ目掛けて渾身の右ストレートを放った。
ナックルユニットから発せられる衝撃波と共にムタチオンが2メートルほど後ろに弾き飛ばされる。
全力を出せば厚さ10センチの鉄板に穴を開けるほどの威力を持つナックルユニットは扱いは難しいが命中させれば強固な走行を持つヴァイラムでも致命傷を与えられる装備だ。
ヴァイラムの撃退は主に重火器による一斉放火によって行われるのがセオリーだが今回の様に複数のヴァイラムが出現し人数が分散してしまう場合は威力の高い近接戦闘用装備の需要が高まってくる。
そのまま倒れこみ活動を停止したヴァイラムの身体はまるで風化する様に粉々に崩れていき人間で言う心臓の部分にあたる「ジェネレータ」と呼ばれる赤く光る丸い物質が露わとなり地面に転がった。
「これがヴァイラムの死…」
初めて目にする光景に驚愕し思わずヘルメットのバイザーを上げ肉眼で確認する。
「あぁ、まるで特撮の怪人だ。なんでも旧西暦の戦争で産み出された生物兵器らしいがな」
流也がバイザーを上げため息まじりに吐き捨てる。
流也の言う通りヴァイラムは旧西暦の負の遺産と呼べる存在であり戦争の終結と共に全て封印されたとされている。しかし何故新西暦の現代に現れ始めたのかは一介の衛士である流也にわかるはずが無かった。
「苦戦してる連中の応援に向かう、いけるな久我山?」
「いけます!」
二人はバイザーを再び下ろし一刻も早く事態を収束させるため、異形の存在に立ち向かうために走り出す。
しばらくしてクリスマスには似つかわしくない雨が降り始めた。
それと同時に美鈴と俊也の前にコウモリの様な翼を背中に生やした真紅のヴァイラムが姿を現す。周りにはそれの手にかかった機動隊員の屍が多数転がっていた。
そんな目の前に広がる地獄絵図に加えて目らしき物が見当たらない無表情な顔、鋭い爪、身体中にうっすらと光る電子回路の様な模様、その人ならざる異様が力を持たない親子の脳裏に「死」を過ぎらせた。
「俊也、逃げるよ!」
しかし美鈴はその気持ちを隠しながら表情を恐怖で塗りつぶし声も出ない様子の俊也の手を引いて赤いヴァイラムから距離を取るために走り出す。
しかしその選択を無意味だと嘲笑うかの様に翼を広げ飛び上がり二人の前に着地し鋭い爪で手刀を繰り出し、美鈴の胸をいとも簡単に貫いた。
肉体を抉り引き裂く音と共に美鈴の胸部に真っ赤な花が咲く。
ヴァイラムが腕を美鈴から引き抜くと同時に美鈴は口から大量の血を泡の様に吹き出しながら崩れ落ちる。
俊也は胸に穴が空き身体を真っ赤に染めて動かなくなった母の前に声を上げる事すらも出来なくなった。
そんな美鈴にはもう用はないと言うかのようにヴァイラムは目線を俊也に移すがその後ろから近づいてくる金属的な足音に反応し振り向く。
駆けつけたのは流也と久我山だった。
白黒の個体「モノクロタイプ」とは違い鮮やかな体色を持つ個体は滅多に現れない「色付き」と呼ばれる強力な個体であり、流也も遭遇するのは初めてだった。
そんな強敵に初陣で遭遇してしまった久我山はアサルトライフルの銃身が震えている。
「ヴァイラム確認、攻撃します!」
「待て、後ろに子供が…」
アサルトライフルを子供に当てさせまいと流也は久我山を制止したがその僅かな隙を突いてヴァイラムは二人に接近し目にも留まらぬ速さでパンチを2発繰り出した。
二人は異形の怪物から繰り出される規格外の打撃を食らって後ろへ吹き飛ばされる。
咄嗟に防御姿勢を取った流也はすぐさま起き上がったが反応が遅れた久我山は顔面に直撃を受け無残に叩き割られたヘルメットの下からは血まみれの顔が露出していた。
「久我山!…クソったれ!!」
激昂と共に流也はナックルユニットを装着するがヴァイラムは前触れもなく、それこそ発作を起こした様に翼を広げ飛び去ってしまう。
遊び飽きたのか、それとも今更になって罪悪感が芽生えたのか。怪物の思考回路を考えるよりも部下の負傷と目の前の親子の方が大事だった。
「こちら狩川、色付きを1体取り逃がした。それと久我山が負傷した。直ちに救援を頼む」
流也は通信を終えると傷に苦しむ久我山を一瞥した。
命に別状は無いだろうが顔には大きな傷が確実に残り悪ければ失明してしまうかもしれない。 流也部下にそんな傷を負わせてしまった自分が酷く情けなく感じた。
「自分は大丈夫です…それよりも、あの親子を…」
久我山は血が入り真っ赤に染まる視界に僅かに映る親子を指差した。
「…すぐに救援が来る、すまない久我山」
苦しむ部下を置いて行かねばならない自分を責めつつも流也は市民を守る機動部隊としての仕事を果たそうとした。
「お母さん!ねぇ起きてよお母さん!」
俊也の母を呼び戻そうとする叫びがこだまする。
心の底では母はもう助からないと理解していた。
しかし年端も行かない子供にはこうするのが精一杯だった。
そんな中美鈴は光の灯らない瞳で鼻水と涙で顔をグチャグチャに汚した俊也を見つめる。
「…ごめんね俊也…約束…破っちゃった…ね」
吐血により真っ赤に染まった口から絞り出された美鈴の声は酷く力弱い物だ。
しかし美鈴は今際の際であるにも関わらず自分の命よりも息子との約束を果たせなかった事を後悔している。
「だったら死なないでよ…お母さん…!」
俊也は美鈴の手を握りこんな形での別れは嫌だと言う気持ちをぶつけた。
「…お父さんと仲良くね…」
血まみれの顔で息子に微笑みを投げかけ美鈴は事切れた。
周りの目を憚らず俊也は突然訪れた母との別れに泣き叫ぶしかできなかった。
「…美鈴?」
駆けつけた流也は近づいて初めて倒れているのが最愛の妻だと理解した。
バイザーを上げ肉眼でその様を確認しようとしたら彼女と出会ってからの事が走馬灯の様にフラッシュバックし立ちくらみを起こしてしまう。
「お父さん…」
目の前の機動隊員が父だと判り俊也の頭は真っ白になった。
本来ならば今晩家でクリスマスパーティーをするはずだった家族が今まさに母の死と言う最悪の形で揃ってしまったのだから。
惨劇の火を鎮めるように雨は激しさを増すが親子の悲しみを洗い流してくれることは決してなかった。