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風と落ち葉の落書き帳

作者: 堀川 忍

 線路際の桜の並木道を歩いていると、秋の風が忙しそうにやってきて「もうすぐ冬ですよ。枯葉は早く眠りなさい」と言うのです。そんな時、桜の木にしがみついていた枯葉は決まってこう言うのです。

「せめて私を、どこか遠くの空へ連れて行って‥」

 風は困った顔をして立ち止まりました。

「そんなこと言ったって、僕はとても忙しいんだよ? 分かるかな、僕はこれから南の空へ行って、冬が来ることをみんなに知らせて回らないといけないんだ。これはとても大切な仕事なんだよ?」

 風は遠い南の空を眺めながら急いで説明しました。「だからそんな暇は‥」と言いかけて枯葉の方へ目をやると、枯葉はブルブルと小さな身体を震わせて「せめて私を‥ ほんのひと時でいいのです」と囁くように言うのです。さすがに風も言葉をなくしてしまい「じゃぁ、ちょっとだけね?」と言い、早くも空へと枯葉を吹き上げ始めました。


 空は絹糸を流したような雲が薄い線を描いていて、とても気持ち良さそうです。風は落ち葉をゆっくりと抱き上げ「君はどこへ行きたいの?」と聞きました。落ち葉は舞い踊る身体に喜びの声をあげながら「どこでもいいのです。私は‥そう、広々とした所なら、どこでも‥」と、まるで歌うように答えました。風は軽く微笑みながら「それなら、きっと海がいい。あそこは本当に広々としているから‥」と言って、少しスピードを緩めて、近くの川へ落ち葉を降ろしてあげました。

「そこからは一人でお行き。なぁに、心配しなくてもいいんだよ。今度は川の水が君を海まで運んでくれるからね?」風はそう言うと「じゃぁまたね? さようなら‥」と挨拶を残して南の空へ走って行きました。


 線路際の桜の木の枯葉は少しずつ数を減らしてゆきます。ある者は公園のベンチの上へ、またある者は買い物籠の隙間へ、それぞれの想いをのせて散って行きました。枯葉が落ちて行くたびに、街は少しずつ色を変えて行き、段々と冬が近づいてきました。

「君はどこへ行きたいの?」

 風はいつものように落ち葉を抱き上げて聞きました。

「この線路はどこまで続いているの?」

 落ち葉が風を見上げて言うと、風は「都会までだよ?」と答えました。 「そこへ行きたいのかい?」風はそう言うと、ちょうどそこへ走ってきた列車の窓に落ち葉を乗せてあげました。

「気をつけてお行き。吹き飛ばされないようにね? それから、途中の駅で降りてしまったりしたらいけないよ?」と言って、走り去って行きました。


 ‥そして、とうとう最後の枯葉の番が来ました。風は精一杯の優しい声で「君はどこへ行きたいの?」と聞きました。すると枯葉は「嫌です。私はどこへも行きたくありません!」と叫ぶように言うのです。

 さすがの風も驚きのあまりビクッと止まってしまいました。

「おいおい、あまり僕を驚かすものではないよ? もう冬は本当にすぐそこまで来ているんだよ。君は早く眠らなくては困るんだよ‥」

 気を取り直した風は、今度も優しい声でなだめるようにして言いました。それでも枯葉は、寂しい身体をビクビクと震わせながら呟きました。

「私は、ここが好きなんです。ここを通るたくさんの人たちの顔を見ていたいのです。私はここが一番いいのです。どうかこのまま私をここに残しておいてください。私はまだ眠りたくないのです‥」

「そんな我がままを言うものじゃない!」

 風はとうとう怒ってしまい、激しい力で落ち葉を空へと舞い上げてしまいました。

「どうして? 私はあそこが一番良かったのに‥ いつまでもあそこにいたかったのに‥」

 風は相当頭にきてしまい、でたらめの道を走り出しました。落ち葉は激しく舞いながら、どんどん飛ばされて行きました。

「困ったなぁ? 僕は君をどこへ連れて行けばいいんだろう?」

 風は途方にくれてしまいました。今、自分が運んでいる落ち葉が哀れに思えて仕方なく思いました。

「あぁ、僕はやはりあのまま君をあそこに残しておいた方が良かったのかもしれないね‥」

 さっきまでの怒りが、逆に自分を責めるような気にさえなってしまいました。そんな思いに気をとられていた風は、側にあった建物に気づかず、落ち葉を抱いたまま、その白い建物にぶつかってしまいました。「あっ」と言う間もなく、落ち葉はヒラヒラと舞い降りて、建物の窓から部屋の中へと入って行きました。

「しまった!」風は自分が取り返しのつかないことをしてしまった、と思いました。

「あぁ、本当に僕はなんて馬鹿なんだろう‥」

風は辺りを見回しました。そして、その時初めてその白い建物が、郊外にある病院なのだということに気がついたのです。そして落ち葉は三階の端にある病室へ入ってしまったのです。風はしばらくの間中の様子を見てみようと思い、スピードを緩めて、病室の窓の周りをグルグルと回り始めました。


 病室には蒼い顔をした少女が一人でベッドで眠っていました。落ち葉は少女の枕元にいました。窓の外では北風がヒューヒューと鳴っていました。少女はその音に目を覚まし、窓を閉めようと思いベッドの上で起き上がりました。

「あらっ?」

 少女は自分の枕元にあった落ち葉に気がつきました。

「風が運んできたのかしら‥?」

 少女は自分の手で落ち葉を拾い上げ、掌にそっと乗せました。

「こんにちは‥」

 少女は小さな声で呟くように落ち葉に話しかけました。

「貴方は、桜ね? どこの桜なの? この辺りに桜の木なんてあったかしら‥? フフフ、きっと貴方はどこか遠い所から北風さんに運ばれてきたのね?」

 開け放たれた窓がカタカタと小さな音を立てました。少女は窓の所まで行き、そっと窓を閉めかけた手を止めて「ありがとう‥」と空を見上げて呟きました。窓の外では、相変わらず北風が心配そうに病室の中を見つめていました。少女はベッドに戻り、もう一度落ち葉を掌に乗せました。

「花は散ってより美しく咲き、人は死んで人の心により美しく永遠に甦る‥」少女の心に昔読んだ物語の一説が思い出されました。

「貴方も独り、そして私も独り‥ あぁ、でも今日からは貴方がいてくれる。誰も相手になんかしてくれなくてもいいわ。これからは二人だもの。私は貴方に何でも話すわ。苦しいことも、悲しいことも‥ だから、貴方も私に貴方の住んでいた所のことを話してちょうだいね‥? 落ち葉さん、きっと貴方は北風の神様が、私に届けてくれた大切なお友だちなのよね‥?」

 少女は涙を浮かべた瞳で微笑んでいました。掌の落ち葉は何も言わず、じっと目を閉じて少女の話を聞いていました。


 風はなんとも言えない気持ちで胸が一杯になってしまいました。きっとあの少女も、あの落ち葉のように生き続けたいと願っているんだろうと思ったからです。

「必ず、春を連れて帰ってくるからね?」

 風は少しずつ大きく回り始めました。病室の窓は、回るたびごとに遠くなり、やがて見えなくなってしまいました。心のどこかで響くヒューヒューという口笛が、すっかり冬の色に染まってしまっていることに深い悲しみを覚えながら、やがて風は遠い南の空へと消えて行きました。

(了)


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