8話 異常の正体
案内されたのは、崖の間にぽっかりと空いた、不思議な空間だった。
崖の切れ間、そんな表現がぴったりくる自然が生み出した秘密基地みたいな場所だ。
潮の音が遠くに聞こえる。
海が近いのだろう、時折冷たい風が雪を載せて吹きつけてくる。
「よくこんな場所を見つけたな」
「逃亡者だからな。死に物狂いにでもなれば、そういう嗅覚は鋭くなる」
前を歩く白パンツちゃんが無味乾燥な声で言う。
警戒は一切解いていないようだ。
「そろそろ正直に言え。俺の魔導三輪を盗んだのはお前だな」
「……あぁ、そうだ」
「解体してないだろうな?」
「今のところはな」
もう少し遅かったら解体されていたかもしれないってわけか。間一髪だったぜ。
「ただし、食料はもらった」
「意地汚ぇヤツだな」
「子供がいるのでな」
「理由になるか」
『子供』という言葉を振りかざせばなんでも許されると思うなよ。
そいつが間違っていると判断したら、俺はガキだろうと分け隔てなくぶっ飛ばす。
「……そうか」
沈痛な声が漏れた後は、ひたすら黙って歩き続けた。
ガキが時折こちらを振り返って俺を見る。人見知りか恐怖か、今にも泣きそうな顔をしていやがった。
しばらく歩くと、崖に寄り添うように一軒のボロ屋が立っていた。
家の前に見慣れた魔導三輪が停まっている。
どこも壊れた様子はなさそうだ。
「よくもまぁ、こんな重いもんを持ってきたもんだ」
「力には自信があるのでな」
そう言って、白パンツちゃんは立ち止まり、俺たちの方へと振り返る。
背中に、三人のガキどもを庇うように隠して。
「一つ、頼みたいことがある」
真剣な声音には、絶望とも恐怖とも取れる微かな震えが紛れ込んでいた。
「子供たちにだけは、危害を加えないでほしい。……この通りだ」
腰を曲げ深く頭を下げる。
俺は一度銃を向けられているのだ、そんな頼みを聞き入れる道理はない。……ってことを理解している声だな、あれは。
その頼みを俺が一蹴すれば、縋りついてでも懇願してくるのだろう。「私はどうなっても構わないから」と。そんなタイプだ、こいつは。
「そんな物騒なもんで顔を隠して、頼みも何もないだろう」
ハッとしたように体が揺れ、鎧が音を立てた。
ゆっくりと体が持ち上がり、フルフェイスの兜が俺を見る。
「……その通りだな」
少し躊躇って、それからゆっくりと腕を持ち上げる。
何ヶ所かの留め具を外して兜を脱ぐ。と、中から茶色い髪の毛が滑り落ちてきた。
ふわりと広がる長い髪は軽くクセが付き、ふわふわとした印象を与える。
「こ、これで……いい、でしょうか?」
兜の下から現れたのは、大きなメガネをかけた気の弱そうな美女の顔だった。
陽だまりで読書をしているのが好き――そんな感じの顔だ。
「あの……あまり見ないでください」
顔を隠すように俯いて、前髪を数度いじる。
兜を脱いだ途端、威圧的な雰囲気が消えた。口調も随分と変わっている。
「別人のようだな」
「あ、あの……兜を着けている時は強くいようと……暗示のようなもので」
ガキどもを守るため、この白パンツちゃんはおのれの弱さをあの兜の中にしまい込んでいたのだろう。
この毒気のない素顔で銃を向けられても一切脅しにならないだろうしな。
「……ドモン」
アオイが訴えかけるような目で俺を見ている。
無害そうな、むしろ被害者という言葉の方が似合いそうな顔を見て完全に向こうの味方に付きやがったな。
俺だって、無駄に誰かの命を奪ったりするつもりはねぇよ。
俺のモノを奪おうってヤツには、容赦しないけどな。
「分かった。ガキには危害を加えない。だから顔を上げろ、白パンツちゃん」
「あ、あの……その呼び方も、やめていただけませんか?」
「聞いてほしい願いは一つなんだろ? どっちにする?」
「え? ………………うぅ、白パンツでいいです……」
「諦めないで! そんな呼び名を許容しないで!」
うな垂れる白パンツちゃんに、アオイが声をかける。
お前がそっちのフォローに回ると、まるで俺が悪者みたいに見えるだろうが。
悪いのは魔導三輪泥棒の白パンツちゃんの方なんだぞ。
「名前が分かりゃ、そっちで呼ぶさ」
「はい……私は、シオン……と、いいます」
「そうか。しっかりと覚えたぞ、白パンツちゃん」
「どうしてしっかりと覚えたのにそっちで呼ぶんですか!?」
「何と呼ぼうが、俺の自由だろうが」
「うぅ……じゃあ、もう白パンツでいいです……」
「ダメ、諦めないで! そんな呼び名を許容しないで、シオン!」
シオンと名乗った白パンツちゃんが、メガネの向こうの瞳に涙を溜める。
顔が真っ赤に染まっている。実にからかい甲斐のある生き物だ。割と嫌いではない。
で、その隣で俺を睨んでいるアオイの目の怖いこと怖いこと。
「それで、シオン……さん」
「シオンで、いいです。おそらく、それほど大きく歳も違わないでしょうし」
「そう? ならそうさせてもらうわ。ちなみに、いくつなのかしら?」
「二十七です」
「ウチの連れがすみませんでした、シオンさん」
「パンツとか言って悪かったな、シオンさん」
「や、やめてください! そういう敬われ方はちょっと傷付きます」
いや、だって、なぁ?
十も離れてたら、そりゃあなぁ?
俺だって、七歳のガキに呼び捨てにされたらぶっ飛ばすし。
とか思っていると、ちょうど七歳くらいのガキがとことこ~っと俺の前にやって来やがった。
「ドモン?」
「え、なに? ぶっ飛ばされてぇのか?」
「ぴぃっ!?」
「ちょっと、ドモン!」
庇うように、アオイが半泣きのガキを抱きしめる。
なんで俺がガキに呼び捨てにされなきゃいけねぇんだ? 泣いてろ、クソガキ。
「ん? つか、なんで俺の名前を知ってんだ?」
「あの、貼り紙を見まして……」
「貼り紙?」
「これ、です」
シオンがポケットから折りたたまれた紙を取り出す。
そこには、『盗んだら殺す ドモン・カツェル』と書かれていた。
「この警告文を読んだにもかかわらず、俺の魔導三輪を盗んだわけか」
「えぇ……まぁ…………はい」
「忠告を無視した者には罰を与えないとな」
「あ、あのっ、すみません! 帝国の人間が乗っていたのかと思いまして……それで」
帝国の人間が、こんな雪道を魔導三輪で移動するかよ。
あいつらは軟弱で怠け者だから、ぬくぬくの魔導四輪にしか乗らねぇんだよ。魔導四輪を改造した雪上車とかな。
「あなたたちは、帝国の人間……では、ないですよね?」
「帝国にこんなイケメンがいるかよ」
「このレベルならいるんじゃない?」
おいこらアオイ。誰が『このレベル』だ?
千年に一度の超絶イケメンを捕まえて。
もしこんなレベルのイケメンがうじゃうじゃいたら、世の女どもから骨がなくなっちまうぞ。骨抜きにされ過ぎてな。
「あなたたちは一体、何者なんですか? ……私のピアレスランドの位置も正確に把握されていたみたいですし……」
「そんなに心配しなくていいわ。こいつはドSなのよ」
「ドS……」
「で、こいつがドMだ」
「誰がドMよ!?」
「いじめられて喜んでるくせに」
「不名誉な風評被害をバラ撒かないでくれるかしら!?」
俺の許可なく俺の情報を口にした罰だ。
自分で言うのはともかく、他人にバラされるのは好きではない。
「でも、ドSって……免許ももらえない半端者なのでは……?」
俺に完敗したシオンは、俺が半端者などではなく超一流だということをその身をもって知ったのだろう。まぁ、分かる。分かるぞ、その気持ち。
はっはっはっ、なんなら敬ってもいいぞ。
「そこらのドSと一緒にするな。俺はな……」
「こいつは、ちょっと特殊なドSなのよ。相手の魔力が見えるんだって」
……いら。
こいつ、またしても…………あぁ、そうかそうか。
つまりはあれか。お前は期待しているのだな、俺にお仕置きしてもらえることを。
ふふふ、まったく素直じゃないヤツだ。
いいだろう…………お仕置きだ。
「アオイ」
「え、なに?」
「抱かせろ」
「ふぇっ!?」
半泣きのガキを抱きしめるためにしゃがんでいたアオイを強引に立たせ、そのガキからアオイを奪い取る。
そして、アオイを背後から抱きしめ、これでもかと密着する。
「ちょぉぉぉおおおおっとぉ!? や、やめなさい! 子供が! 子供が見てるからぁ!」
キーキーと騒ぎ、俺の腕から逃れようともがく。
だがしかし、マザーボードとはいえ女一人を押さえ込むことくらい、俺には造作もない。出来が違うんだよ、体のな。
「いきなり抱きつくなと言っていたから、断りを入れてやっただけだ」
という説明を、アオイの耳元で、アオイにだけ聞こえるように囁いてやる。
「なっ、なんでそういうことを、そんな小さな声で言うの!? ちゃんと説明しなさいよ、周りの人にも!」
「い、いえ! 説明とかは結構ですので、そういうことはあとで、子供たちの見ていないところでお願い出来ますか!?」
「違うの、シオンさん!? 誤解なの!」
赤い顔をして騒ぐアオイとシオン。
天罰だ。そういうことだ。うん。
「もう十分温まったでしょ!? 離れなさい!」
両腕を振り上げて、アオイが俺の呪縛から逃れる。
この俺に命令するとは、いい度胸だ。
「昨日の夜はお前の方から抱きついてきたくせに」
「やめてぇ! そういう微妙に事実を織り交ぜた情報操作を、今すぐに!」
ひとしきり叫んだ後、アオイは俺たちから少し離れた場所で膝を抱えてうずくまった。
「……屈辱だわ。よりによってこんなヤツと……妙な誤解を……っ」
積もった雪の陰でぶつぶつ念仏を唱えるように言葉を吐き出し続けるアオイは無視して、俺はシオンとの話に戻る。
「帝国に追われているのか?」
「え?」
こいつは、帝国兵の持ち物だと思ったから、俺の魔導三輪を盗んだと言った。
その目的は、換金ではなく足止めなのだろう。
自分たちを探し回る帝国兵を寄せつけないために。
「確かに、私は指名手配されているお尋ね者です。何度となく、帝国兵に銃を向けましたから……でも、本当に守りたいのは、彼女たちなんです」
シオンが振り向いた先――ボロ屋の前にずらりとガキが並んでいた。
そのほとんどが女で、中に数人だけ男も混ざっている。
年齢はまちまちだが、どいつも『ガキ』と呼べる年齢だ。シオンを除けば、全員未成年だろう。
「一番幼い子で三歳。最年長の子でも十一歳です」
数を数えてみると男女合わせて十三人。
先に出会った三人のガキと、俺を呼び捨てにしやがったガキを合わせると十七人だ。
「ここにいるのは、マザーボードの検査を免れた子たちなんです」
帝国領内に住む女児は、出生後二年以内にマザーボードの検査を受けることを義務付けられている。
そして、万が一体内に魔力の回路が見つかれば、その瞬間から帝国の『所有物』となる。
「全員コードなしか?」
「はい」
マザーボード検査を終えた者は首の後ろ、付け根の辺りに1センチ四方の四角い識別コードが刻印される。
回路があろうがなかろうが、検査をした者には全員だ。
つまり、コードの無い者は検査を受けていないということであり、そういった者は『マザーボード狩り』に遭い、捕らえられれば帝国へと連行され検査を受けさせられる。
大きな街などでは街門を通過する際にコードの確認を行うところもある。
国交のある他国の女にもコードはないが、そういう場合はその国の証明書が発行される。
つまり――
「コードを持たない女は、検査を逃れた義務不履行者か、敵国の密入国者……犯罪者ばかりだ」
「えぇ……その通りです」
自身が匿い、守っているガキどもを『犯罪者』と認めることに難色を示すシオン。
だが、それが事実だ。
「でも……そうまでしてでも、私は……この子たちに検査を受けさせたくはないんです。まだ、目覚めていない回路に、無理矢理魔力を流すような検査など……絶対にっ」
マザーボードは、生まれながらにして体内に魔力の回路を持っている。
しかし、その回路が未使用であった場合、そのマザーボードは普通の人間となんら変わりがなく、そのまま平穏に暮らすことが出来る。
しかし、一度でも回路に魔力を流せば、マザーボードの回路は目覚め活性化し、それから先バッテリー無しでは生きていけない体となる。
「この子たちには、誰一人としてマザーボードとしての人生を歩んでほしくない……」
涙はこぼれなかったが、シオンの声は、まるで泣いているようだった。
必死に絞り出したような、悲痛な響きを持っていた。
「そのためになら、私は鬼にだってなります」
その言葉は力強く、決意の深さを物語っていた。
犯罪者という汚名をかぶせてでも、普通の人間として生かしてやりたい。
そんな思いが嫌というほど伝わってきた。
「追われているということは、その子たちの存在は帝国に知られている……って、ことなのね」
アオイが俺たちのそばへ戻ってきて、先ほど抱きしめていたガキを見ながら言う。
気持ち、自身を抱くように組まれた腕に力が込められているように見える。
「……はい。すべてを知られています。私が彼女たちを連れて逃げていることも、彼女たちがコードを持っていないことも……全部で何人いるかということも」
一人として見逃してもらえそうもない、ってことか。
「なら、魔導三輪を盗んだのは悪手じゃないのか? 俺たちがしたように、タイヤの跡を辿ってこられたら見つかっていたわけだからな」
「それはその……」
シオンはガキを背に庇いつつ、携えた銃身の長い銃を強く握る。
「魔導三輪なら、乗っているのは多くても二人……それくらいの数なら…………」
それ以上、シオンは語らなかった。
なるほど。二人くらいなら『ヤれる』と踏んだわけか。
「鬼にだってなる」という言葉は本心のようだな。
「すべては、ガキどもを守るためってわけだ」
「はい……その通りです」
深く沈んではいるが、迷いのない声。
腹は括っているようだ。
「自分が死ぬことも覚悟の上、なんだな」
「…………はい」
たっぷりの間があったが、その躊躇いは恐怖によるものではなく、自身を見つめるガキどもの視線を感じて生まれたものだろう。
「私は……この子たちを帝国には渡しません、絶対に。……私がどうなろうと、この国がどうなろうと……世界が、どうなってしまおうと……」
シオンの言葉には揺るぎない決意のようなものが感じられた。
だが、どこかでは「そんなことは不可能だ」という諦めの念も見え隠れしていた。
「コルンの町で聞いたのだけれど……」
アオイがシオンに尋ねるようなニュアンスで話を始める。
シオンは、視線こそ向けないが聞く姿勢を見せる。
「ここ、ブクレウス地方では、いまだに帝国に抗おうとする貴族たちが多数存在するそうね」
「そう、ですね。ただ、帝国に歯向かう者は爵位を剥奪されて、今では『元貴族』という扱いですけれど」
かつてのブクレウス王国が帝国との戦争に敗れ吸収されたのはほんの数十年前だ。
全体的に見れば、混乱も落ち着きこの地方も平穏を取り戻しつつあるように見える。
だが、そんな平穏の影に隠れた復讐の念はいまだにあちらこちらでくすぶっている。
その『元貴族』とかいう連中との大規模な衝突も、いまだ――数えるほどではあるが――起こっている。
「ブクレウス王国は、もともと蒸気機関と製鉄で栄えた国でした。火器を中心とした軍事力も相当なものだったと聞いています」
火薬によって鉛の球を射出する拳銃。それらは数が揃えば大変な脅威になる。
――人間に対しては。
「だから、大量のマザーボードが投入された。戦争の時にな」
「………………はい。戦争だけでなく、衝突が起こる度に、制圧のためと、マザーボードが送り込まれてきます」
拳銃では、マザーボードは倒せない。
鉛玉では、魔力を纏ったマザーボードや魔獣には太刀打ち出来ないのだ。
傷を負わせられたとしても、魔力で一掃されてしまう。
魔力に抗うには魔力が必要なのだ。俺の魔銃のような、な。
帝国とかつてのブクレウス王国との戦争は、その事実を全世界にまざまざと見せつけたものだった。
夥しい数の重火器。
蒸気機関を駆使した重装機兵団。
北の大地を治める大国の力を終結させた大戦団が、わずか数十名のマザーボードの前に敗戦を喫したのだ。
マザーボードの魔法は、まるで紙を焼くようにブクレウス王国最強の重装機兵団を焼き尽くした。
その一度の大敗が王都陥落の決定打となった。
それ以上は無駄に被害が増すだけだと、ブクレウス王国は帝国へ白旗を上げたのだ。
「そのような負け方だったから、地方の有力者たちの中には帝国への吸収をいまだに不服としている者が多いのです」
アオイが匿われていたコルンの町でも、帝国へは非協力的だったし、むしろ警戒心全開だったし、この地方の人間は多かれ少なかれそうなのだろう。
何より、一年のほとんどが雪に覆われるこの北の大地はとにかく広く、帝国が統括しにくい場所でもある。
反帝国派が身を潜めやすい土地とも言える。
「そんな火種の一つが、お前というわけか」
「そう……かもしれませんね」
下手をすれば、拳銃や蒸気機関に頼る野良貴族より、マザーボードであるシオンの方が手強い相手かもしれない。帝国にとっては。
「ですが、私は何も、帝国に反旗を翻したいわけではないのです。彼ら――元貴族たち反帝国派の人たちのように、王国を取り戻そうなどとも考えていません…………戦争は、嫌ですから」
物騒な鎧を身に纏い、物騒な魔銃を携えて吐かれたその言葉は、シオンの本音のように聞こえた。
抑止と防衛のための戦力。そんなところか。
「ただ、この子たちを帝国に渡したくない……それだけなんです」
「それこそが、帝国で生きる上で最も難しいことだという認識はあるのか?」
マザーボードは、帝国にとって重要な兵器だ。
個人の事情など関係ない。
力を欲した者は、力によって新たな力を奪い取っていく。
そこに「可哀想」などという感情は介在しない。微塵もな。
「私は……」
震える声を抑えるためか、シオンは握った拳を喉元に当て、力を込めて声を絞り出す。
「この子たちを『兵器』にしたくありません……」
目頭からじわりと涙が溢れ、噛み締めた唇からはうっすらと血が滲む。
その雫が、シオンの決意の大きさを物語る。
「……この子たちの故郷を焼き、家族を殺したマザーボードと同じ『兵器』には……っ!」
アオイが息を飲む音が聞こえた。
だが、視線は向けてやらなかった。どんな顔をしているかくらい、想像するまでもない。
「それで……偵察隊が来たのかと勘違いをして、魔導三輪を盗んでしまいました……申し訳ありませんでした」
マザーボード狩りの本体は、この雪に覆われた大地のどこかにドデンと陣取っているのだろう。実際探し回るのは下っ端の仕事だ。
なるほど。そんな下っ端なら、魔導三輪しか支給されずに涙目で探し回るなんてこともあり得るか。
「とにかく、誤解が解けたなら俺の魔導三輪は返してもらうぞ」
「は、はい。それは、もちろん……」
「ついでにマソリンも寄越せ」
「えっと……でも、マソリンは魔銃を使う時にも必要で……」
「もう一度俺たちにマソリンを取りに行けと言うのか?」
シオンは俯き、答えない。
兜を脱いでから明らかに口数が減った。
もっとも、兜を着けていても頭が回るタイプには見えなかったが。
「俺たちが何度もここへ出入りしていると、帝国に見つかる危険が増すんだってこと、理解してるか?」
「あ…………そ、そう、ですね」
こいつは、目の前のことしか見えていない。
『今』に必死になり過ぎるあまり、悪手を連発している。
感情で生きるからそうなるのだ。俺はそれを、とても愚かだと思っている。
「なぜ男がいるんだ?」
「……へ?」
向こうのボロ屋から俺たちを見つめるガキどもの中に、男が三人混ざっている。
その三人を見て、優しい笑みを浮かべるシオン。
「あの子たちには兄弟がいるんです。この中に」
つまり、マザーボード候補の弟だったり兄貴だったりするわけだ。
「だから、なんだ?」
「え……?」
単純に考えて、身を隠し、逃亡生活をするのであれば人数は少ない方がいい。
見つかる可能性も減るし、食費も服も少なくて済む。寝る場所もだ。
大所帯になればなるほど、逃げることにおいても隠れることにおいても不利になる。
「男は検査をされる心配はない。どこかの街に置いてきた方が安全だろう」
連れ回せば、戦火に巻き込まれる可能性もある。
「で、でもっ……生き残った唯一の家族ですし、それなら、離れ離れになるのではなく一緒にいた方があの子たちにとっても幸せで……」
「全滅してもか?」
「…………」
シオンの顔が青ざめる。
肉食獣が縄張り争い以外で死ぬ理由を知ってるか?
病気と事故と――空腹のあまり無茶な狩りを行い、返り討ちに遭うことだ。
「食料が底を突きガキが飢えたら……ガキが重い病気にかかったら……お前は後先考えず無謀を働くだろう?」
「それは……」
「そこを突かれて全滅――そんな未来が容易に想像出来るぜ」
平和な世の中でさえ、ガキが生きることは難しい。
それを、こんな風すら防げないようなボロ屋に、これだけの数を匿って……かつ帝国から逃げながらなんて……
「一緒に死ぬのが、お前たちの望みなんだとしか思えねぇぞ」
「ドモン!」
強引に肩を引かれる。
振り向かされた先に、アオイの顔があった。
柳眉を吊り上げて俺を睨んでいる。
「あなたには、人の気持ちというものが分からないの?」
静かな声は、抜身の刃のように俺を切りつけようとする。
だが、弱い。
そんな言葉じゃ、心には届かない。
お前も一緒だ、アオイ。
「お前らこそ、分かってねぇんじゃねぇのか?」
目の前にあるものに意識を取られ過ぎて、肝心なところを見落とす。
だから、判断を見誤る。
「自分がどんな生き物なのか……どういう存在なのか……」
ガリッと、アオイの奥歯が鳴る。
奥歯を食いしばり、不快感をあらわにする。
「…………マザーボードは、『兵器』であるべきだとでも言うの?」
今にも飛びかかってきそうな目をしている。
また、見誤った。
マザーボードが『兵器』となり得るのは事実だ。そして、それを求める連中の力が強大なこともまた事実だ。テメェら一人の力なんか、平気で握りつぶされるくらいにな。
それ故に、「可哀想」だの「嫌だ」だの、そんなくだらない感情論は通用しない。
従うか死か。その二択を迫られる。
この先も、ずっと、一生な。
「シオン……腰巻を取れ」
「ぇ……えぇっ!?」
睨むアオイを無視し、赤い顔で腰巻を押さえるシオンにもう一度言う。
ある種の脅迫を含んだ声で。
「お前のピアレスランドを見せてみろ」
「…………ぁう……っ」
狼狽。
それは、際どい場所にあるから恥ずかしい――そんなところから来る焦りではなかった。
動かないシオンに代わり、俺がやってやる。
シオンに近付き手を伸ばすと、ガキどもとアオイが同時に動き出す。シオンを庇おうとでもしているのだろうが、俺はそれを許さない。
空に向かって魔銃をぶっ放す。
割と魔力を込めた威力のデカい魔弾が空に昇り、鼓膜を殴打するような爆音が鳴り響く。
ガキとアオイはその音に身をすくめ動きを止める。
その間に、俺はシオンの腰巻を掴み、乱暴にまくり上げる。
及び腰だったシオンは勢いに負けて尻もちをつくが、気にせずに右脚の膝を掴んで外側へと開かせる。
「きゃっ!?」
恥じらいの声を上げるが視線で黙らせる。
目と目が合いシオンが息を飲む。怯えた草食動物のような目だ。
「ちょ、ドモン。あなた……っ」
何かを言いかけたアオイだったが、俺が白日の下にさらしたシオンの秘密を見るや、言葉を失った様子だ。
こいつが、俺が感じた魔力の『異常』の正体だ。
「この酷い【オーバーヒート】……お前、自分でソルダリングをしているだろう?」
シオンの内太もも――ピアレスランドには、拳大の不格好なソルダーがこびりついていた。
バッテリーすら飲み込むほどに膨れ上がった、焼け焦げだらけの【オーバーヒート】は、それがド下手以下の素人がソルダリングを行ったのだと如実に語っていた。
《宮地班長のはんだ付け講座》
【オーバーヒート】
これは新人さんが最もやらかしてしまう不具合の一つです。
ソルダーに熱を加え過ぎると、ソルダーとランドが溶着する際に発生する『合金層』が成長し過ぎてソルダーがボソボソのドロドロになって、非常に脆くなってしまいます。
物凄く酸化している感じ――みたいなニュアンスだと分かりやすいですかね。
『合金層』というのは、ソルダー(錫とか)とランド(銅とか)が互いに溶け出しくっついた『ソルダーでありランドでもある層』みたいな部分、と思ってください。
カップルで例えると。
男性を【ソルダー】、女性を【ランド】と置き換えた場合、恋人繋ぎをした手が『合金層』に該当します。がっちり繋がっていますね。無敵ですね。爆ぜればいいですね。
そんなカップルも、愛(熱)が適度だと強固に結びつきますが、愛(熱)が過剰にかけられると二人の関係は逆に脆くなり、どちらかが耐え切れずに壊れてしまうこともありますよね。ザマァですね。
このように、ソルダーに熱を加え過ぎると【オーバーヒート】という不具合が発生し、【ランド】に重大なダメージを与えてしまうのです。