6話 寒い夜は人肌で
バカな……っ!
どうして、こんなことに……
当たり前にそこにあると思っていた物を失った時、人の思考は一時停止してしまう。
そして、何度も何度も、意味もなく同じ言葉を繰り返してしまう。
「……どうなっているんだ?」
その問いに答える者はいない。
誰にも分からない。そう、きっと精霊母神でさえも俺の問いに答えることは不可能だろう。
世界には不条理が溢れている。
理不尽に満ちている。
人は不幸にまみれているからこそ、一時の安らぎに縋りつこうとしてしまうのだ。
これが世界の無情。
慈悲のない世界の、理…………
「どうして俺の魔導三輪がなくなっているんだ!?」
「盗まれたんでしょ」
隣で、アオイが冷ややかな視線を向けてくる。
お前は、どうしてそう冷静でいられるのだ?
アレがなくなったら、これから先、ずっと徒歩だぞ!? ずっ徒歩!
「何を『ずっ友』みたいに言ってくれてんだ!?」
「何を言っているのか一切理解出来ないのだけれど、とにかく落ち着きなさい」
「俺は落ち着いている! その証拠に、見ろ! 反復横跳びだってこのスピードで出来るんだぞ!」
「取り乱しまくっているわよ、確実に! 雪の中で気持ちの悪い無駄な動きをしないでくれるかしら!?」
ふーっ! ふーっ!
どこのどいつだ……俺の魔導三輪を盗んでいったヤツは……
「『盗むな』って貼り紙しといたのにっ!」
「それで防犯になると思えるなんて……あなた、どこの田舎者なの?」
バカヤロウ。
俺はちゃきちゃきの都会っ子だ。
田舎の人間は視力が20.0くらいあるって都市伝説を十二歳まで信じていたんだぞ。
「少し雪に隠れちゃってるけれど、タイヤの跡が残っているわ」
アオイが指差す方向に、タイヤの跡がずっと続いている。
「なるほど。この跡をたどっていけば、コソ泥ヤロウのアジトに行けるってわけだな」
「雪が覆い隠さなければね」
ちらほらと降り続く雪がタイヤの跡の上に落ちていく。
「アオイ」
「なに?」
「ちょっと、雪止めてこい」
「あなたは、バカなの?」
すごく真面目な顔で言われた。
バカにバカと言われると、無性に腹が立つな。
はぁー……っと、ため息を漏らす。
コルンの町を出てずっと歩きづめだった。体は冷え、体力も相当奪われている。
ここまで来れば、俺の荷物があるから暖を取って、飯でも食って、テントでゆっくり眠れると思っていたのに…………まさかの盗難。
空はすっかり暗くなっている。
気温もぐっと下がり、風が冷たさを増す。
耳が千切れそうなくらいに痛い。
現状、アオイが持っていたカンテラが唯一の明かりで、薄ぼんやりとした弱々しい光が一層寒さを感じさせる。
「……コルンの町に引き返すか」
「イヤよ! 今戻ったら、どんな目で見られるか…………絶対イヤ!」
なんてわがままな!?
「それに、今から戻っても、たどり着く頃には深夜よ? お店も終わっているし、きっともうみんな眠っているわ」
「氷室があるだろう。この際あそこでも構わん」
「……あそこ、割と寒いわよ。すきま風、物凄く吹き込んでくるし」
これまで表には出さなかった隠し部屋の劣悪な状態を吐露するアオイ。顔が盛大に引き攣っているあたり、その言葉は真実なのだろう。
「向こうに山が見えるわ。あの麓でビバークしましょう」
「洞窟でもあればいいが……」
「なければカマクラでも作ればいいじゃない」
「……お前はポジティブだな」
「こういう逆境に遭遇した時はね、気持ちで負けないことが大切なのよ」
力強く言った後、その顔に儚げな表情を浮かべる。
「そうでもしなきゃ……生きていくのは、つら過ぎるもの」
マザーボードとして生まれた宿命。
いろいろと、心が折れそうなことがあったのだろう。
……ふん。しょうがねぇ。俺も前向きに考えてみるか。
「まぁ、考えてもしょうがねぇか。最悪、この場で新しい魔導三輪を作っちまえばいいんだしな」
「えっ、あなた、魔導三輪を作れるの!?」
「いや。作れないが?」
「………………あのね。言いにくいんだけれど、『ポジティブ』と『バカ』って、全くの別物なのよ?」
むかつくな、こいつ。
誰がバカか。
「なぁ、朝までずっと焔のブレス吐き続けててくれよ」
「わたし、確実に死ぬわよ!?」
「お前の犠牲は、生涯忘れない」
「あ~ら、わたしは末代まで忘れないわよ……あなたへの恨みをね」
この場所に留まっていても仕方がないという結論に至り、俺たちは遠くに見える山の麓を目指した。
山といっても、そこまでデカいものではない。
小山か、崖、丘……まぁ、そんな程度の小さな山だ。
近付いてみると、雪の中から切り立った崖が突き出していた。
「ここに道を作ろうとしたのね。人為的に山を切り拓いた跡だわ、これ」
「この先をずっと行けば海に出る。おそらく、海と街を繋ぐ街道にしようとしたんだろう」
だが、工事は途中で打ち切られたようだ。俺たちがいる場所は、とても街道と呼べるほど整備はされていない。
工事の途中で戦争にでもなったか。
まぁ、雪が溶ければまっとうな道が現れるのかもしれないがな。
「よぉし、俺の魔銃で横穴を開けてやろう」
「雪崩が起きるわよ。下手したら山が崩落するわ」
「寒いよりかはマシだ」
「寒い方がマシよ。バカね」
この女……バカバカと気安く……
「とにかく、洞窟を探しましょう。こういう立地だと、魔獣が巣を作っているかもしれないしね」
「マイホームでぬくぬくしているファミリーを虐殺して住処を強奪するわけだな」
「言い方に悪意しかないわね……その通りよ」
ま。魔獣も人間に対して同じようなことをするしな。
お互い様だ。
月も星も見えず明かりも何もない中洞窟を探して歩き、雪と風が勢いを増してきた頃にようやく魔獣の巣を発見した。
「もぬけの殻よ。運がいいわね」
「俺たちがか? 殺されずに済んだ魔獣がか?」
「両方よ」
かなり大型の魔獣が棲んでいたのであろうその横穴は、人間が立って移動出来るくらいに大きく、そして広かった。
途中で九十度折れ曲がり、風の侵入を防いでいる。知恵の回る巣の作り方は、野生動物ではなく魔獣が作ったという証拠だ。
「薪でもあれば火を起こせるのだけれど……」
と、洞窟の中を探してみるが、あいにく薪になりそうなものはなかった。
風が入ってこないだけマシ。そんなレベルだ。
壁際の岩の上にカンテラを置く。
ぼやっとした炎のオレンジ色が壁に大きな影を浮かび上がらせる。
「寒いな……」
「仕方ないわね。まぁ、ここなら死ぬことはないんじゃないかしら」
「甘いな。都会っ子の俺は、この程度の寒さでも死ねるっ!」
「自信満々に情けない宣言をしないでくれるかしら……」
しかし、荷物を一切合切持って行かれては、快適な寝床を作ることも出来ない。
アオイはアオイで、マントを羽織っているだけで、荷物らしい荷物は持っていない。
あの街に数週間滞在していたから、食料も持っていなかった。
カンテラがあったのは奇跡レベルの幸運だな。
「旅に出る装備だとはとても思えんな」
「あなたのせいで急遽町を出る羽目になったのよ! そうでなければ、きちんと準備をしていたわ。わたしの荷物も、いくつか氷室に置きっぱなしにしちゃったし」
何が俺のせいなのか。
お前が強引に町を出たんじゃねぇか。俺を引き摺って。
「とにかく、夜が明けたらタイヤの跡を追いましょう。あなたの荷物を取り返して、それから街を目指す。ブクレウスへ行くつもりなんでしょう?」
帝国北部ブクレウス地方の中心地、航空都市ブクレウス。
この北の大地で最も大きく、人口数百万人を誇る巨大な都市だ。
巨大な空港を有し、毎日何便もの飛空挺が行き来している。
俺はそこへ行き、飛空挺でこの大陸を離れる予定だ。
逃げ出すわけではない。ただ、帝国の勢力が及ばない他所の王国に用事があるだけだ。
探し物がそこにあるかもしれない。それを確かめに行くのだ。
「魔導三輪があれば、すぐに着ける距離よね。こんなビバークは今夜限りよきっと」
「すんなり取り返せればな」
分解でもされていれば取り返しがつかない。
アレに使われているパーツは、かなりいい値段で売れるからな。
「とにかく寝ましょう。さすがに疲れたわ」
そう言って、そこらの石を使って地面に線を引き始めるアオイ。
「ここからこちらへは入ってこないでね。ここから先は不可侵の領域よ。……領域を侵せばブレスを吐くわ」
警戒度MAXの視線で俺を威嚇してくる。
……お前なぁ。
「離れて寝たら寒いだろうが」
「大丈夫。わたしは寒くないから」
そう言って、アオイはさっさと横になってしまった。
マントにくるまり、こちらに背を向けて丸くなる。
……この女。
「アオイ……知っているか? 雪山で遭難した時、火を起こせない状況で最も温かいのは人肌なんだそうだ」
向こうを向くアオイの背中がビクッと揺れる。
先ほどアオイが引いたくだらない境界線を足で消し、アオイの言う『領域』へと踏み込んでいく。
「なっ! ちょ、ちょっと!」
気配を察知したのか、アオイがガバッと身を起こす。
だが、俺は止まらない。
ゆっくりとアオイに近寄り、アオイのマントへと手をかける。
「……脱げよ」
「え……っ」
「俺は寒いんだ。温めてもらうぜ」
「ちょっ…………ちょっと、待っ……!」
取り乱し、抵抗するアオイを押さえつけマントに手をかける。
「やっ……ほんと、待っ、待って……!」
暴れてはいるのだが、……こいつの全力はこんなもんか?
延々と俺の襟首を掴んで雪道を行進していたパワーが発揮されていない。
さすがに夜中まで雪の中を歩き回って体力が切れたか……好都合だ。
半ば強引に……というか、強奪するようにアオイのマントをはぎ取る。
「……っ!」
声になり切っていない息を漏らし、アオイが自身の体を抱く。
地面に転がり、真っ赤な顔で身を固くしている。
「そ……そういうのは…………わたし、……まだ…………」
寒さからなのか、アオイの声が震えている。
いや、寒くはないと言っていたな……
「ね、ねぇ…………本気、なの?」
こちらを見ないまま、アオイがそんな問いを投げてくる。
本気…………あぁ、本気だ。
俺は寒いんでな。
「まぶたを閉じていれば、すぐだ……」
それだけ告げて、俺はアオイの隣に寝転がる。
小動物のように体を震わせて、アオイがぎゅっとまぶたを閉じる。
その隣で、俺は……
奪い取ったマントにくるまってまぶたを閉じた。
……あぁ、温かい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………こら」
なんだよ。
今ちょっとウトウトっとしかけたところなのに。
「……何をしてるの?」
「……なにも」
寝ようとしてるんだよ。
雪山で最も温かいといわれる人肌の温もりに包まれてな。
口を開くのも億劫なので、適当な言葉を呟いておく。
さぁ、空気を読んで黙れ。
お前は寒くないのだから、こういう防寒具は寒がりな俺に譲ればいいのだ。……あぁ、温かい。人肌最高。
「…………何かする気だったわけではないの?」
「……なにも」
ちっ……煩わしい女だな。
寝る直前にしゃべりかけてくるんじゃねぇっつうの。
「……まぶたを閉じていればすぐ……とは、なんの話だったのかしら?」
「あぁ、もう、うるせぇな! まぶたを閉じてりゃすぐ眠れるだろうよ。疲れてんだから。いいから黙れ。じゃ、おやすみ」
ぴしゃりと言って、俺は寝返りを打つ。アオイに背を向け、マントの中で身を丸める。…………あぁ~、温かい。
「…………」
俺の言いつけを守り、アオイは黙っていた。
黙ったまま、俺のマントをはぎ取り始めやがった。
「何しやがる!?」
「わたしのマントを返してもらうのよ!」
「お前寒くないって言ってたろうが!」
「やせ我慢よ! 本当は滅茶苦茶寒いのよ! わたし、冷え性だから!」
「知らん! 他人から奪い取ったものは俺の戦利品だ。このマントは俺のだ!」
「そういうことを言うと……えい、首筋タッチ」
「冷たっ!?」
こいつの冷え性ハンパねぇな!?
指先が氷のようじゃねぇか!
「マントを返さないと、背中に手を入れるわよ?」
「お前っ! 脅迫とか、卑怯だぞ! すんなよ!? 絶対すんなよ!?」
背中に氷の手なんか入れられたら……膀胱の中身をぶち撒きかねない。
「つか、そもそも<火吹き竜の鉤爪>が実装されているくせに手先が冷たいってどういうことだよ。焔属性付与じゃねぇのかよ」
「<白龍の鱗>に直結した回路に組み込まれたせいで、ブレスにしか焔属性が付与されてないのよ。というか、冷え性は生まれ持っての体質だから【部材】は関係ないでしょう」
まぁ、<火吹き竜の鉤爪>は、魔力に焔属性を付与するものだから、それを身に付けているからって体が温かくなることはない。
そうするためには、そうなるように【部在】をソルダリングしなければいけない。
……ふむ。そうか。
「喜べ。今夜はぽっかぽかに過ごせるぞ」
「……どういうことかしら?」
先見の明――とでもいうのかな。
俺は自分の才能やら感性やら美しさが恐ろしくなる時がある。
今がまさにその時だ。
「お前が雪鴛鴦を爆砕する前に、俺はとあるものを確保しておいた。それが、これだ」
腰の袋から、雪鴛鴦の【部材】――<雪鴛鴦の尾羽>を取り出す。
俺が魔銃で打ち抜いておいたものだ。戦闘の後でしっかりと拾っておいた。偉い! かっこいい!
「ゆきおしどりのおばね……? 初めて聞く【部材】ね。どんな効果があるのかしら?」
「このもふもふした羽毛で鼻の下をくすぐると……」
「……っくしゅん!」
「このように、非常にくすぐったい」
「…………殴るわよ?」
鼻を「ぐじゅるっ!」と鳴らして、アオイが拳を握りしめる。
乱暴な女だな。指一本でも触れたらDVで告訴して慰謝料たんまりとむしり取ってやる。
「空の上は、地上よりも遙かに気温が低い。こんな雪国の上空ともなれば極寒だ。そんな中、なぜ雪鴛鴦たちは平気な顔をして飛んでいられると思う?」
「まさか、その【部材】のおかげなの?」
「あぁ。ヤツらは体を高温に保つ魔力を全身に循環させることで、この極寒を乗り切っているんだ。その魔力が凝縮しているのが、この<雪鴛鴦の尾羽>だ」
こいつをマザーボードに実装すれば、マザーボードの体内はじんわりと、体表面はぽっかぽかに温まる。
雪国に暮らす者たちに人気の高い【部材】なのだ。
なので、雪国で取られ雪国で消費されてしまうため、あまり世間には出回ることはない。
「全身を巡る回路に取り付ければ、今晩は温かく過ごせるぞ」
「そんないいものがあるならもっと早く言いなさいよ」
「全身を巡る回路に取り付ければ、今晩は温かく過ごせるぞ(二倍速)」
「そうじゃないわよ!」
「全身を巡る回路に取り付ければ、今晩は温かく過ごせるぞ(四倍速)」
「あなた、気持ち悪いくらいに滑舌がいいのね!? しっかり聞き取れるからより一層不気味だわ」
さすがの俺も四倍速が限界だ。
これ以上を望むのであれば別料金を請求してやろう……などと考えていると、アオイが居住まいを正した。背筋がぴーんと伸びている。
「そういうことなら、ソルダリングしてちょうだい」
「……お前。俺の技術を安く見積もり過ぎてねぇか?」
「あなたにも恩恵があるのだからいいじゃない。それに、緊急事態なのだしね」
もっともらしい理屈を並べるアオイだが、顔に「ぽっかぽっか、わ~い」と書かれているので説得力はまるでない。
お前に言われてほいほい披露してやるような気安い技術じゃないんだぞ、俺のソルダリングは。俺のソルダリングは帝国がノドから手が出るほどに欲しがっている超一流の…………まぁいいか。
実際、寒くて死にそうなのは事実だ。……そろそろ限界だ。マントも、この寒さを完全には防げない。
「こいつをソルダリングするのに適しているランドを探すから、お前ちょっと立て」
「……服は着てていいんでしょうね?」
「脱ぎたきゃ止めないが」
「お断りよ!」
お前のピアレスランドを見つけた時のことを思い出してみろよ。
魔力の流れを読むのは服の上からでも十分出来るんだよ。
もっとも、詳しく調べたい時は全裸の方が都合がいいがな。
「っぅう! た、立つと、なんだか寒いわね」
折りたたまれていた部分が伸び、外気にさらされることで体温が逃げていく。
アオイはぶるっと身震いしながらも、俺の目の前に立った。
胸を押さえるように縮められていた腕も、俺に見つめられていると分かるや、体の側面へと移動する。
別に気をつけの姿勢でなくとも回路くらい読めるのだが…………つか、頑張って気をつけしているけど、寒さから全身が強張ってペンギンみたいな格好になってるな。
「イワトビペンギンって、卵を二個産んで最初の卵を捨てるらしいぞ」
「くだらない話はいいから、早く済ませてくれるかしら!?」
寒い寒いと身を震わせながらも、こちらのOKが出るまでは我慢している。
割と律儀な性格のようだ。
「もういいぞ」
「はぁー、寒い! ねぇ、マント返してくれないかしら!?」
「実装すれば温かくなる」
<雪鴛鴦の尾羽>をひらひらさせて、アオイを黙らせる。
俺は、ほんの一瞬たりとも手に入れた温もりを手放したくはないのだ!
「ソルダリングに適した場所は三ヶ所。一つ目は、鼻と唇の間」
「こそばゆいわよ、そんなところに尾羽をつけたら!」
「ダンディなヒゲみたいでオシャレだぞ」
「却下よ、却下!」
両手で口と鼻を覆い、徹底攻勢の姿勢を見せる。
「わがままなヤツだな。……面白いのに」
「面白いから嫌なのだけれど、分からなかったかしら!?」
「じゃあ次だな」
アオイは空いている【ランド】が多いので選択肢がたくさんある。
改めて、いい回路をしている。
優秀な兵器になれる――なんて言うと、きっとこいつは怒り狂うのだろうが……帝国が欲しがりそうないい回路だ。
「二つ目の候補は尾てい骨だ」
「どこにつけようとしてんのよ!?」
「尻たぶと尻たぶの間だ」
「場所は分かってるわよ! あと、お尻の膨らみを『尻たぶ』って言わないでくれるかしら!?」
なんでだよ?
耳たぶの尻バージョンだろ。感触も似てるし。
「それも却下よ! ……あ、あなたにお尻を見せるなんて……絶対嫌だわ」
先ほどよりも強固な拒絶。
まったく……ほとほとわがままなヤツだ。
これで最後だぞ?
寒いんだから、どこかには付けてもらうからな?
「最後はこめかみだ」
「こめかみ?」
「なんだよ、こめかみも知らないのかよ。ったく……、こめかみってのは、尻たぶからず~っと上に上ってきたところにある……」
「こめかみは知っているわ! そして、尻たぶを起点に説明しないでくれるかしら!? わたしはまだアレを尻たぶだとは認めていないから!」
お前が認めようが認めまいが、辞書を引けばしっかりと載っているのだ。
仮に今現在載っていなくとも、いつかは載るのだ。
最悪、俺が載せてやる。
「こめかみ……かぁ」
こめかみを指で押さえてぐりぐりと圧迫している。
「……バカっぽくない?」
「バカっぽいだろうな」
「よくもまぁ、はっきりと……」
だって、頭に羽根付いてんだぞ?
耳の上から「ぴよ~ん」って。
バカ丸出し以外のなんでもねぇだろうが。
「ブ、ブクレウスに着く前に外してくれる? いいえ。その前でも、人に会う前に!」
「気にすんなよ」
「するわよ」
「笑われるのはお前だけだ」
「だから嫌だと言っているのよ! あなたはどうして今一歩理解力が足りないのかしら?」
もしお前が、群衆に囲まれて笑われるようなことがあれば……俺は群衆に紛れて指差して笑ってやろうと思う。むしろ率先して!
「いらなくなったら取り外してやるよ」
「……いまいち信用は出来ないのだけれど…………それより、今この瞬間の寒さをなんとかしないといけないものね……」
なんだかんだとぶつぶつ独り言を呟いた後、アオイは決意を秘めた瞳で俺に近付いてきた。
「それじゃあ、お願いするわ」
「おう」
「……熱く、しないでね?」
うるうるとした瞳で懇願するように囁くアオイ。
見る者が見ればうっかりときめいてしまいかねない破壊力を有していることだろう。
まぁ、イケメン過ぎるソルダリンガーとして有名な俺には通用しないけどな。
「俺の技術は一級品だから一切心配はいらんが、場所が場所だ。一応目は閉じておけよ」
「うぅ……なんだか、怖いわね……」
「俺を信用しろ」
「…………そうね。ソルダリングの腕前だけは、信用してあげてもいいかもね」
『だけ』は余計だろうが。
「それじゃ……」
そっとまぶたを閉じ、アゴを持ち上げるアオイ。
俺の目の前に正座をして、まるでキスを待つような格好でそこに存在している。
…………ほぅ。
いや、何が「ほぅ」だよ、俺。
まぁ確かに悪くはない眺めではある。だが、イケメン過ぎるソルダリンガーとして世界に名を馳せた俺にしてみればこんなもんは……ちっ、きっと寒さのせいだろうが、うっすらと鳥肌が立っている。……ぞくっとしたな、なんだか。
風邪の兆候かもしれない。
さくっとソルダリングして、さっさと暖を取ろう。
俺はバッグから小瓶を取り出し、中に閉じ込めたソルダスライムの核を破壊する。
MSIに魔力を送り、小瓶の中からソルダーを取り出し、アオイのこめかみに<雪鴛鴦の尾羽>をさくっと実装する。
「おい、終わっ……」
声をかけようとしたのだが……出来なかった。
まぶたを閉じ、軽くアゴを持ち上げ、アオイの顔が俺の方へと向いている。
瑞々しい唇が薄く開き、静かに呼吸を繰り返している。
白い肌に、艶のある黒髪。
小さい顔に、すっと通った鼻筋。
そんなアオイの頭の上で、鮮やかな羽根が優雅に揺れている。
たゆたうように、ゆっくりと、柔らかく、適度なしなりで化粧っ気のないアオイの顔を彩っている。
それは、お世辞ではなくよく似合っていて――不覚にも可愛いと思ってしまうほどに、様になっていた。
「……ねぇ。まだなの?」
「――っ!?」
急に声をかけられて、思わず声が漏れそうになった。
平常心平常心。
取り乱したりすれば、この女はすぐに調子に乗る。
まぁ、よく考えろ。
たかがアオイだ。
ただのアオイだ。
口を開けばアホ全開の、わがままな女だ。
自分では自分を賢いと思っているようだが、そういうところがアホさに拍車をかけている。
そんな女だ。
「もう終わってるぞ」
「えっ!?」
驚いたように目を開き、自身のこめかみに触れる。
「……ホントだ。いつの間に?」
「気付きもしなかったのか? 鈍いヤツめ」
「む。……折角褒めてあげようと思ってたのに」
ふん。誰がお前なんぞに褒められて喜ぶか。
「折角だから褒めさせてやろう。さぁ、称えろ」
「やっぱり遠慮しておくわ。今ので帳消しだから」
ちっ!
思わせぶりなヤツめ!
「それで、どうだ? 温かくなってきたか?」
「あ……本当だ。なんだかぽかぽかする」
自分の体を触り、感動でもしているように瞳をキラキラ輝かせる。
「うん。これならゆっくりと眠れそうだわ」
「そりゃよかった」
言いながら、アオイの体を引き寄せる。
「ひゅいっ!?」
素っ頓狂な声を上げるアオイを抱きしめ、俺の体もろとも、アオイのマントで包み込む。
「ちょっ、な……何してるよの!?」
アオイが反論の言葉を述べようとした時、ふっ……と、明かりが消えた。
カンテラの油が切れたようだ。
「……な、なんてタイミングで……」
洞窟の中は深い闇に覆われる。
密着しているアオイの顔すら、今は見えない。
「く、暗くなったからって、う、有耶無耶にはしないからね。そ、そばにいれば暖かさは感じるはずだから、ここまで密着する必要は、きっと、おそらくないのではないかとわたしは推察するのだけれど、その点…………」
などと、べらべらまくし立てるアオイ。
その言葉が、不意に止まる。
「……あなた。寒いの?」
俺の頬に、アオイの手が触れる。
「寒いと、ずっと言っているだろうが……」
雪道を歩いている時からずっと、寒気が止まらない。
腹の奥から震えがこみ上げてきて抑えきれない。
吐く息は情けなく震え、息を吐く度に体温が奪われているような気がする。
いや、むしろ体温が上がっているのか?
とにかく、たまらない寒さだ。
ここで的確に対処しておかないと三日三晩高熱でうなされそうなくらいに寒い。
油断すると、がちがちと上下の奥歯がぶつかって音を鳴らしやがる。
「……バカね。そうならそうと、早く言えばいいのに」
こんな状況で四倍速を要求してくるとか……お前、やっぱ鬼だな。
「はぁ…………しょうが、ない……わね」
心持ち、緊張したような固い声で、アオイがそんな言葉を呟く。
そして、膝を軽く曲げて腰を丸め――俺の胸に顔を載せてきた。
「きょ…………今日だけ、だからね………………」
アオイの体から、じんわりとした体温が伝わってくる。
あぁ…………温かい。
「変なことしたら、蹴り飛ばすから」
他人を蹴り飛ばすことの方こそが『変なこと』だろうが。
「…………あと」
まだ何か言い足りないのか、アオイは口籠もるように、少々不機嫌そうな声を漏らした。
「いい加減、名前……教えなさいよ」
あぁ。そういや名乗ってなかったか。
「……ドモンだ」
「そう」
聞いておいて、答えてやったら素っ気ない。
なんなんだかな、この女は。
苛つくよりも先に眠気が襲ってきた。
どうやら、体力の限界のようだ。
まどろむ世界に身を任せ、深い眠りの世界へと意識が落ちていく。
もう間もなく意識を手放しそうだという時、囁くような声が聞こえてきた。
「これから、よろしくね……ドモン」
そいつに返事するだけの体力は残っておらず、俺はそのまま眠りに就いた。
《宮地班長のはんだ付け講座》
【実装】
広い意味で、はんだ付けをすることを【実装】と呼んだりします。
意味合いでいえば、『使用出来る状態にする』ことを実装といいますが、はんだの世界でははんだ付けすることそのものを【実装】と呼ぶ場合が多いです。
挿入実装、表面実装など、種類がいくつかありますが、基板に部材をはんだ付けするという点は同じです。
しかしながら、「これ、実装しといて」のような使われ方は、しないんですよねぇ。
そういう時は「これ、はんだ付けしといて」と言われます。
使いどころが難しいんですが、【実装】という言葉を用いるかそうでないかは…………フィーリング?
なので、今後もごちゃ混ぜで出てくるかもしれません! 慣れてください!