5話 旅立つ二人、跡を濁す
「よかったの? 逃がしてしまって」
寒そうにマントの前をしっかり握って、女が遠ざかっていく雪上四輪を眺めている。
帝国がよく使用している、雪の上をすいすい移動出来るソリのような魔導四輪だ。原動力はマソリン。
帝国の使用する文明は、基本魔素を動力にしている。
中には、蒸気機関で動いているモノもあるけどな。
「あいつら、帝国に余計なこと言わないかしら」
「ノドでも掻き切っておけばよかったか?」
「なっ!? …………そ、そういうことを言ってるんじゃないわよ」
この町に身を潜めるマザーボードを捜しに来た例の下っ端帝国兵たちは、相応に懲らしめて解放してやった。
俺はさくっと屠殺してやってもよかったんだが、隣の女がそれに難色を示しやがった。
なので、「ほどほど」の罰を与えるにとどめておいたのだ。
「……まぁ、あれだけ酷い目に遭えば、逆らうなんて気は起こさないかもしれないわね」
心なしか、女の顔が引き攣っている。
そんなドン引きするようなことはしてないはずだが? 俺はあくまで紳士的に、拳やその他のありとあらゆるモノを駆使して、平和的に懲罰を与えたに過ぎない。
その証拠に、死人は出ていない。うん。平和だ。
「たぶん、次に会ったら顔の形が変わっているわね、彼ら……」
「なら、多少は見られる面になるだろう。俺には遠く及ばないだろうけどな」
「……あなたのその自信、どこから湧いてくるわけ?」
世の中にはな、『鏡』と呼ばれる物があってな。そこに俺の姿が映る度に「うぉっ!? ……びっくりした。名画が動き出したのかと思ったぜ」って、心臓がばくばくしちまうくらいに美しい姿を見続けていれば、自然と自信なんてモノは湧いてくるのだ。湧き放題だ。
「わっきわきだぜ」
「……たぶん、あなたの意図している言葉と乖離しているわよ、その発言」
くそ寒い空の下で、くっそ冷めた視線を向けてくる女。
こいつは他人と打ち解けようという心根がほとほと欠落しているようだ。友達いなかったんだろうなぁ。
そんな、女の悲しい過去に同情の念を抱いていると、町の連中がわらわらと集まってきた。
雪鴛鴦を片付け、帝国兵にかる~いお仕置きをしている間に、町の中は平穏を通り戻していた。
……気のせいか、母親連中がガキどもの手をしっかりと握って、心持ち俺から隠すように遠ざけている気がしないでもないが…………
「なぁ。俺はこの町にとって、いわば英雄だよな?」
「まぁ、そうなるかしらね……町の人たちには気の毒だけれど」
「なぜか、距離を感じるのだが?」
「……あなた、自分がしたことを順番に思い出してみなさい」
「ん~…………まず、すげぇ美声で産声を上げた」
「どこまで遡るのよ!? あの子たちの前で何をしたのか思い出せって言っているの」
あのガキどもの前で…………何かしたか?
マザーボードであるこの女のバッテリーを交換してやり、女が魔獣を仕留める準備が整うまで危険を顧みず勇敢にも一人で巨大な魔獣を引きつけ、パニックを起こしていた町の連中に的確に且つ爽やかに指示を出し、マザーボードをうまく誘導して魔獣を狩り、スーパーかっこよく髪をかき上げて――
「白い歯を『キラーン☆』と輝かせた」
「後半、全く関係ないわね。それと、美化が物凄いから」
「あとは、帝国兵をぼっこぼこに……もとい、紳士的に罰を与えて、それを見ていたガキどもに『悪いことをするとこういう目に遭うぞ☆』って、大人として真っ当な教育をしてやった」
「それよそれ! そのせいで大泣きする子供が続出したのよ。泣き過ぎてひきつけを起こす子までいたんだからね」
「『悪いことをしなければ、俺みたいないい大人になれるぞ』とも教えてやったぞ」
「……夢も希望も潰えていなければいいけれど、あの子たち」
ふいと視線を外し遠くを見つめる女。
何が言いたいのかさっぱりだ。
悪いことをすれば罰を受け、いい行いを続ければ俺のように素晴らしい大人になれる。そう教えるのは先達たる大人の役割だろうが。
「お二人とも、ご無事で何よりです」
町民の中から、ゼンマイ仕掛けのオモチャみたいな動きでサルの干物が近付いていくる。
この町の名物か?
「変わったマスコットキャラクターだな」
「町長さんよ! あなた、どこまで礼を失すれば気が済むのかしら?」
「ほっほっほっ。構いませんよ」
笑いながら、この町の町長を任されているサルの干物が俺の手を握ってくる。
……ざらざらしてる。
「若さを吸い取る気か」
「黙りなさい。吐くわよ?」
俺を睨んで口を半開きにする女。
くそ。俺の与えてやったバッテリーで俺を脅すとは……あとで折檻が必要だな。
「まずは、礼を言わせていただきたい。町を救ってくれてありがとう」
シワだらけの両手が俺の手を握り、深々と頭が下げられる。
そのままコンパクトに折りたためるんじゃないかと思えるほど、ジジイは深く腰を折った。
「そして、マザーボードのお嬢さん。あなたにも」
次いでジジイは女の手をそっと握る。
「逃げろ! 若さを吸い取られるぞ!」
「――っ!?」
一瞬にして、女は両腕を頭上に掲げた。
――で、直後に俺に牙を剥いた。
「だから、失礼に失礼を重ねないでくれるかしら!? わたしを巻き込んでまで!」
なんだよ。
お前も反射的に手を離したくせに。心の奥ではちょっと「もしかしたら……」って思ったんだろ? 正直に言えよ。なぁ。
「ほっほっほっ。愉快なお方だ。本当に吸い取ってやりたい気分ですよ」
あ、ちょっとイラッてされてる。
短気なジジイだな。血圧上げ過ぎるとぽっくり逝くぞ?
「命の危険を知りながらも、我が町に留まってくださったあなたに、我々は感謝します。本当にありがとう」
「い、いえ。わたしこそ……行き場のなかったわたしを匿ってくださって、感謝しています」
互いにぺこぺこと頭を下げ合うジジイと女。米つきバッタのマネか?
そんなに頭を下げたいなら、二人揃って俺に土下座でもすればいいのに。されてやってもいいぞ、別に。
それはそうと。
「おい、巨乳」
呼びかけたというのに、女は俺を無視してジジイと米つきバッタごっこを継続している。
……イラッ。
「おい、駄肉!」
声を大きくしても、女はぺこぺこ、ジジイもぺこぺこ。
…………ムカッ。
「巨乳戦隊ボィ~ン・ファイブ!」
「なによ、その子供たちには見せられないような戦隊ヒーローは!?」
「何度呼んでも無視をするからだ! 寂しいだろうが!」
「呼ばれた自覚がないわよ! あと、潔くみっともないわね、あなた」
まったく。
遠巻きに見ている町民どもを除けば、ここには俺とジジイとお前しかいないだろうが。
俺とジジイが巨乳なわけはないのだから、お前を差していると気が付くだろう、普通。
「理解力のない女だ。栄養価が全部胸にいっちまったんじゃねぇのか?」
「どんだけ栄養価低いのよ、わたしは! 全部いってもこんだけしか膨らんでいない…………って、何を言わせるのかしら?」
女が口を薄く開いて恐ろしく冷たい視線を向けてくる。
理不尽な怒りで八つ当たりとは……この女、最低だな。
「なぁ、町長。お前も、この女は巨乳だと思うよな?」
「えっ!? あ、あぁ…………まぁ、……え、えぇ……そう、ですね……あはは」
「めっちゃ気ぃ遣われてるじゃないのよ!?」
「群衆ども! お前らもそう思うよな!?」
「「「お、……おぉ!」」」
「やめろぉー!」
俺と群衆に向かって牙を剥いた後、女はその場にうずくまって膝と膝の間に顔を埋めた。
「…………屈辱」
つん、と押せばどこまでも転がっていきそうな丸まり具合だ。
雪の塊を上に載せれば雪だるまになるな。
「え~……古来より、あばたもえくぼと申しまして、好意のある相手には、どのような欠点も長所に見えるといいます。ですので、あなたの感性も、あながち、まぁ、間違ってはいないかと、我々町民一同は温かく見守る所存でございます」
「物凄く気を遣った結果、ざっくり心抉りにきているから、そのフォロー!?」
町長の能書きに女が切れる。
さっきまでぺこぺこし合って仲良さそうだったのに、短時間でこの変わりよう。感情の起伏が激しいヤツだ。
「まったく……話が脱線し過ぎだな」
「誰のせいよ!?」
100%お前だろう。
俺はいたって真面目だ。
「話を戻してもいいか、巨乳?」
「巨乳って言うな! そ…………そこそこの大きさしかないから」
「「「「………………」」」」
「町長以下町民一同、何か言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなのかしら!?」
またしても、女が町民全体に牙を剥く。
お前はこの町が好きなのか嫌いなのかどっちなんだよ?
「話の腰を折るな、10.2センチ」
「サイズをバラすなっ!」
10.2センチの膨らみをぎゅっと腕で抱き潰す。
そうやって潰れて、本当に真っ平らになったらいいのにな。そうしたら、俺だってもっと紳士的に接してやるものを。
「名前を知らんのでな。身体的特徴で呼ぶしかないんだ。察しろ」
「じゃあ、名前を聞きなさいよ! いくらでも名乗るわよ!」
「人に名前を聞く時は、自分から名乗るのが礼儀だろうが!」
「だから先に名乗るって言っているのよ!? あなた、勢いだけでしゃべっているでしょう、さては!?」
どうしても自分の名を覚えてほしいと、女が名乗りを上げる。
まぁ、名前くらいは覚えてやらんこともない。さぁ、名乗るがいい。
「わたしの名前は、アオイ。アオイ・ハドリーよ」
「デカイ、か」
「アオイよ、アオイ! 全然デカくないからっ! ………………くっ、勢い余って、つい自分で認めてしまった……っ!」
女――アオイが、路傍の雪塊にガスガスと拳をぶつける。軽く泣いている。
「じゃあ、改めて。アオイ」
「……なによ」
「さっきの話の続きなんだが――」
「もう、どの話の続きなのか一切分からないわよ!」
こいつは、理解力に次いで記憶力もないのか?
どこまで教養のない女なんだ。
「教養がない上にその乳では、嫁の貰い手がないぞ」
「大きなお世話よ! そして、あなたが言ったのと真逆の意味で町民たちが納得してるのが気に入らないわ!」
真逆とはなんだ?
そんな腫れぼったい乳はお断りだと、連中も思っていることだろうよ。
「それで、なんの話の続きですって?」
涙目で俺を睨んでくる。
まるで狂犬だな。躾が大変そうだ。
「お前は行き場がないってのは本当か?」
「え……」
「行く当てがなかったんだよな?」
さっきこいつは、「行き場のなかったわたしを匿ってくださって」と言っていた。
「そうよ。……わたしは、帝国の研究所から逃げ出してきたの」
帝国の研究所。といっても、研究所は各地に存在している。
帝国から資金が投入されている巨大な施設から、個人が研究を続ける小さなモノまで多種多様だ。研究内容も千差万別。
共通しているのは――いかにすればマザーボードを有効に活用出来るか、という研究を行っているという点くらいか。
「……人殺しの道具にされるのなんか、真っ平御免だわ」
吐き捨てるように言ったアオイに、町の連中はなんとも言えないような表情を浮かべた。
マザーボードは、強力な兵器になり得る。
それこそ、かつての神代戦争で神をも退けたほどの強力な兵器に。
誰も、何も口に出来ない時間が過ぎ……俺は、心に浮かんだことを、正直に口にした。
「『真っ平』って、『まったいら』って読むと素敵だな」
「なんの話をしているのかしら!?」
「いや、『真っ平御免』とか言うから」
「なぜわたしが『まったいら』なことに対して『御免』などと言わなければいけないのかしら!?」
「調子に乗るな! お前は全然『まったいら』じゃねぇ!」
「分かっているわ! それは誰よりもわたしが一番理解しているし、他の人にも理解してもらおうと懸命にアピールしているのよ! けれど、世間の目は冷たいものよね! 特に近くに巨乳がいる時なんて、視線の動きがあからさまなのよね、男って!」
アオイの中で自然発生した怒りが勝手に増殖し、こちらを窺う群衆の、特に男連中へと向けて発散される。
男連中は申し訳なさそうに視線を外し、何人かの主婦連中が「うんうん、そうよねぇ」と首を縦に振っていた。
「チッ……お前といると乳の話しか出来ない」
「それはこっちのセリフだわ」
ともあれ、こいつに行き場がないのであれば好都合だ。
俺が決めた以上、こいつは俺の旅に同行してもらうことは決定しているわけで、もしこいつに居場所なり、引き留めるような相手なりがいたとしたら……『話し合い』に行かなきゃいけなくなるからな、いろいろと。
「……ねぇ。なぜそんな邪悪な顔をして拳を握りしめているのか、説明をしてくれるかしら?」
「いや、なに。話し合いがな」
「あなたは野生動物なのかしら?」
人を、縄張り争いで血を流す野蛮な生き物のように言いやがる。
……まぁ、それはそれで、なかなかワイルドでかっこいいけれど。
「お前はこの町に留まるつもりはないんだな」
単刀直入に尋ねる。
するとアオイはほんの数秒俯き、口を閉じ、そして明確に回答を寄越してきた。
「ないわ。これ以上わたしがここにいたら、帝国軍のマザーボード狩りが本格化するもの」
おそらくそうなるだろう。
今は誤魔化せても、ヤツらがそれを完全に信じることはない。
しばらくすれば、なんらかの形で偵察隊が送り込まれてくるはずだ。
その時にアオイが見つかれば……隠蔽したこの町の連中は皆殺しにされるだろう。『反乱罪』という名の罪状を与えられ、神の名の下に処刑されるのだ。
「『雪鴛鴦を狩るために滞在していたドSが、この町のマザーボードを全員連れ去ってしまった』っていう、あなたの作り話に乗るのが一番安全だものね」
「そういうことだ」
ここでこいつの意見を明確にしておけば、何かあった際、こいつも前向きに協力するようになるだろう。自分で選んだという自負を植えつけておけばな。
「ただ逃げるだけっていうのも性に合ってなかったし……あなたの旅に付き合ってあげるわ」
そう言って、女は右手を差し出してくる。
契約の握手でも交わそうというのか……
「握手は必要ない」
差し出された腕を掴みぐいっと俺の方へと引き寄せる。
アオイを反転させ、後ろから抱きすくめるように腕を回す。
「な……っ!? ちょ、なにやって……!?」
「お前はもうすでに、俺のものなんだよ。今聞いたのは、力尽くでもお前を諦めさせなきゃいけない相手が何人いるのかを知りたかったからだ」
「ち、力尽くでもって…………何をする気だったの?」
「なんでもするさ――」
焦りを見せるアオイの耳元に唇をあて、耳の中へと言葉を流し込む。
「――お前を手に入れるためならな」
「ひゅぃっ!?」
奇妙な音とともに、アオイの全身が真っ赤に染まる。
気が付くと、ガキどもが物凄ぇ近くに群がっていて、その向こうでガキどもを押さえつけていたはずの主婦たちが「まぁ~」だの「きゃ~」だのと騒いでいた。
様々な好奇の視線が俺たちへと向けられ……アオイが奇声を発した。
「うきゃー! むきゃー!」
両腕をぶんぶん振り回し、俺の腕を振り解く。
解放されるや否や、駆け足で俺から離れ、ぐるりと反転して俺と相対する。指をびしっと俺に突きつけ鬼のような形相で叫ぶ。
「きょっ、教育的指導ぉー!」
ただし、顔は真っ赤に染まっている。
つむじから湯気が立ち上り、周りの雪が若干溶け出している。
「へっ、変な誤解を生むような行為は慎んでちょうだい!」
「誤解?」
つまり、誤解を生まなければいいというわけか。
「おい、町民ども。今日からこいつは俺のもんだ。手ぇ出すんじゃねぇぞ」
「「「きゃぁーっ!!」」」
主婦層から黄色い声が上がる。友人らしき者たち同士で手と手を取り合い、きゃいきゃいと騒ぎ立てる。
ガキどもはすっかり放置だ。
「なっ、何を口走っているのかしら!?」
「誤解を生まないように、事実を周知してやったまでだ」
「わたしの認識している事実と異なっているのだけれど!?」
「お前、俺のものになるっつったろうが」
「いっ、言った……けど! けれども! そういう言い方をすると違う意味に聞こえるのよ!」
周りの視線を気にするように、ちらちらと辺りを窺っては顔を背けるアオイ。
落ち着きのないヤツだ。小動物か。
「衝動汚物」
「誰が汚物よ!?」
すまん。ちょっと噛んだ。「お」が多かったな。
「そなたら……」
町長が、心持ちさっきよりもカッサカサになった印象を与える乾いた表情で俺たちを見てくる。
「魔獣を退治するために外に出たと思っておったのだが……外で何をしてきなさっていたんだね?」
「何もしてないですよ!?」
ジジイの脳内が桃色に染まり、アオイの顔が赤く染まる。
周りは雪だらけだというのに、この辺だけ妙にもわっとしてるな。
「あな、あなたがおかしなことを言うから、誤解されたじゃない! どうしてくれるのよ!?」
誤解ねぇ……
「おい、ジジイ。脳内が桃色一色に染まっているようだが、門の外でおかしなことはしていないぞ」
「そうよ。説明してあげなさい」
「乳に触ったり、尻をもそいだり、太ももと太ももの間に顔を突っ込んですりすりしたりなんてしてねぇぞ!」
「具体例を挙げないでくれるかしら!?」
「こいつの乳を触ったのは、氷室でだ!」
「余計なことも言わないでくれるかしら!?」
アオイが、町民たちに背を向け、俺から一切視線を外さなくなった。
なんだか泣きそうな顔で俺を睨んでいる。
おそらく、にやにやした町民たちの顔を見たくないのだろう。……ったく、しょうがねぇな。俺が一言言ってやるか。
「おい、町民ども。セクハラも大概にしろよ」
「あなたよっ! 主犯も実行犯も、みんなあなた!」
「ただ一つ言えるのは、性格面はともかく、俺とその女の体は相性がいい。それだけだ」
「なんの話をし始めたのかしら、今度は!?」
もちろん、ソルダリングだ。
「あの隠し部屋は、何もない殺風景なところだったが、俺は外でも大丈夫な男なんでな、問題はなかった。無事に終えることが出来たぞ」
「主語! 主語を言いなさいよ!」
バカやろう。
主語なんか、いちいち言わなくたってソルダリングに決まってるだろうが。
「まぁ、俺のテクニックが常人を凌駕しているってこともあったが……軽く押し当ててやるだけで、こいつはよく濡れてくれたぜ」
「お子様たち、退避ー! ご両親たち! 今すぐ青少年少女を家に連れ帰って隔離してちょうだい! この男の言葉を聞かせるのは教育上とてもよくないから!」
アオイの言葉に、俺たちを取り巻いていた主婦たちが名残惜しそうに、けれど使命感に燃えたような瞳でガキどもの両耳を手で塞ぎ、そそくさとこの場所を離れていった。
オッサンどもは、赤い顔をしてそっぽを向いているヤツや、下卑た笑みを浮かべて妻らしき女にぶん殴られているヤツがちらほらいた。
そして、町長は……静かに鼻血を垂らしていた。
「お若い二人なら、若い衝動に身を投じても、まぁ……仕方ないですな……ほほほ……」
「衝動とはなんだ。いいかジジイ、俺は理性的、且つ総合的に判断してこいつの乳を……」
「あなたはもう何もしゃべらないでくれるかしら!?」
凄まじい勢いで俺の襟首を後方へ引っ張るアオイ。
気管が潰されて息が詰まる。……何しやがる。
「あ、あぁぁぁああ、あのっ、あの! お、おぉぉお、お見送りありがとうございました! わたしたち、先を急ぎますのでこれで失礼しますね! 町のみなさんにどうかよろしくお伝えください! では!」
凄まじい早口でまくし立て、アオイは俺の襟首をむんずと掴んだまま門へと向かって歩き出す。
「おい、待てっ……まだ、マソリン……買ってな……」
「帝国兵の残していったヤツをもらっておいたから、それでいいでしょう!?」
「あと俺、寒いから防寒具を……」
「わたしはあなたのせいで全身熱いのよ! 熱過ぎるのよ!」
有無を言わさぬ強引さで、アオイはさっさと門をくぐり、町を出て行ってしまった。
ずりずりと引き摺られ、俺も町をあとにする。
徐々に遠ざかっていく町の中から、町長と、門を守っていたオッサンだけが手を振って見送ってくれていた。……ジジイとオッサンのみのお見送りって…………魔獣を退治した英雄に対して、その仕打ちはなくないか?
勝手な行動を起こしたアオイに文句の一つでも言ってやろうと顔を上げると……
「もう、あの町には顔を出せないわ……折角、第二の故郷になるかもってくらいに居心地のいい、いい人だらけの、大好きな町だったのに…………このアホドSのせいで…………」
……想像以上に、物凄く怒っていたので、しばらく口をつぐむことにした。
ふふふ。やはり俺の思った通りだ。
アオイ。お前、なかなかやるな。
この俺をビビらせたヤツは、久しぶりだぜ。
そんなことを考えながらも口には出さず、俺はこのあと数十分引き摺られ続けたのだった。
《宮地班長のはんだ付け講座》
【ウィッキングワイヤー】
はんだの世界にも存在します。日本名は【吸い取り線】です。
銅などの熱伝導率のよい金属を細く細~くして、編み目状に編み込んだ細い線です。
家電製品なんかの電源コードの被服(コードを覆っている外のビニール)を破ると、中から細かく編み込まれた導線が出てくることがあるのですが、それのような感じです(見た目が)。昔のテレビ線なんかは、被服を自分で剥がしてテレビに接続していたのでお父さん世代はよく知っているかもしれませんね。
そのように、熱伝導率のよい金属を網目状に編んだ【ウィッキングワイヤー】という物を使用して、余分な【はんだ】を吸い取ります。
【部材】を取り外す時、【はんだ】が供給過多になった時など、「このままここに【はんだ】を盛っておけない」という時に使用します。
はんだは、熱い方へと流れていく習性がありますので、熱伝導率の高い金属である必要があり、また、はんだは熱すると液状化しますので、毛細管現象(液体はより狭い場所へと移動する習性があります)を利用して、「余分なはんだを熱い編み目の中に吸い込んでやる!」という仕組みです。
ただ!
この【ウィッキングワイヤー】非常に扱いが難しいです。
熱してもはんだが流れてきてくれない。だからぐりぐり基板に押さえつけがちになる。そうした結果、熱によって基板や部材が壊れてしまう(しかもウィッキングワイヤーは一切はんだを吸い取っていない)。――なんてことがままあります。本当によくあります。
ですので、本作のマザーボードたちは、こぞって【ウィッキングワイヤー】が嫌いです。
そういう設定にしてみました。