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1話 雪原の町に潜むマザーボード

 どこまでも続く雪原の中を、『SATSUKI』の魔導三輪で走る。

 バカデカいエンジンが魔獣のようなうなり声を上げている。低気温で機嫌が悪いようだ。


 と、思った瞬間、エンジンがストライキを起こしやがった。


「くそ、また故障か!?」


 左手(・・)でアクセルを何度もひねるが、エンジンは黙したままうんともすんとも言わない。

 目的の街まではまだ遠い。

 なんとか修理をしなくては……と、メーターに目をやると。


「あ、【マソ欠】か……」


 魔獣の体から抽出した魔力の素【魔素】を、特殊な技法で液状化させた【マソリン】。

 かつては【液化魔力】なんて呼ばれ方をしていたらしいが、最近では【マソリン】が主流だ。頭の固い研究者どもは昔の呼び名が好きみたいだがな。

 で、そのマソリンってのが様々な機械の動力となるわけだが、それが切れたらしい。


「しょうがねぇ。近くの町でマソリン買ってくるか」


 バカデカいエンジンに長旅に耐えられる重装甲、おまけに側車まで備えたこの魔導三輪を押して移動するのは愚策だ。こんな雪原でそんなことをすれば、あっという間に体力が尽きて遭難だ。


 必要最低限の荷物を側車から引っ張り出し、俺は魔導三輪をその場に残して歩き出した。

 確か、この先に小さな町があったはずだ。

 記憶を頼りに地図を見ると、俺の記憶力が素晴らしいということが証明された。

 ここから6キロほど先に小さな町があった。目指す街へのルートからは外れることになるが致し方ない。

 俺はぎしぎしと鳴く雪を踏みしめて歩き出した。


「――っと、その前に」


 歩いた数歩分を引き返し、停めてある魔導三輪に貼り紙を貼っておく。

 念のための防犯措置だ。俺は用心深い男なのでな。


「これでよし」


 風ではためく貼り紙を見下ろしてから、俺は再び歩き出した。

 貼り紙には、デカい文字ではっきりとこう書いておいた。



『盗んだら殺す ドモン・カツェル』







 俺が今いるのは、帝国の北部。ブクレウスという地方だ。

 かつてのブクレウス王国は、毛皮などの交易品で栄えた王国で、この国の蒸留酒は一級品だと言われていた。

 そんな王国も、今では帝国に飲み込まれて一地方に成り下がっている。

 煩わしい越境審査が減ってありがたいことではあるが。


「戦争でも始めたのか、この地方は?」


 町を目指して歩いていると、途中で巨大な『穴』を見つけた。

 大地を覆い尽くす雪原のど真ん中に、隕石でも落ちてきたかのような巨大なクレーターが出来ていた。

 周りの雪は一度溶かされた形跡があり、この場所でかなりの熱量を持った【魔法】が使われたことを物語っていた。


 雪もろとも大地をえぐり取るような高温の――おそらく、焔。


【魔法】とは、体内に魔力を持つ獣――【魔獣】が扱うもので、長い歴史の中で何人もの人間がその驚異的な力の犠牲になってきたものだ。

 かつて、人類を根絶やしにしようと降臨した魔王が獣たちに与えた禍々しい力。それが魔力だ。


 だが、人間には扱えないはずだったその力は、【マザーボード】の出現によって覆される。

【マザーボード】に魔獣の体の一部――特に魔力が凝縮されて宿っている部位を【部材】として取り付けることで、【マザーボード】は魔獣と同等、またはそれ以上の【魔法】を使うことが出来るようになる。


 つまり、この世界で【魔法】が使えるのは魔獣かマザーボードだけであり、もし魔獣がこのクレーターを作った犯人なら、ここだけではなくもっとあちらこちらが悲惨な状態になっていないとおかしい。

 近くに町があるのであれば、そこは魔獣の『エサ場』になっているはずだからな。


「被害がここだけということは、こいつはマザーボードが使った魔法だ。おそらく、魔獣を狩ったのだろうが……」


 マザーボードは、使い方によっては国を滅ぼせるほどの強大な力を得ることが出来る。

 それ故に、マザーボードがいる場所には、必ずきな臭い戦の火種がくすぶることになる。


 帝国は、マザーボードを『兵器』としてしか見ていないからな。


「…………」


 もう2キロほどにまで迫った小さな町。そこに行くのが億劫になってきた。

 帝国が所持しているマザーボードがこれをやったのであれば、この先の町はなんらかの理由で帝国の怒りを買って滅ぼされていることだろう。


 もし、帝国に属さない他所の王国がこれをやったのであれば、ここから戦争が始まるということとなり、やはり、目指す町は戦火に飲み込まれていることになる。


 だが、この付近はあまりに静かだ。

 煙も上がっていないし、町は戦争に巻き込まれてはいない……と、なれば。



 帝国の手を逃れた野良のマザーボードがその町にいて、町を守るためにその力を使ったとみるのが正解だろう。

 となれば……その町では現在、『マザーボード狩り』が行われているはずだ。

 帝国の兵士が町に乗り込んで、武力を笠に着てやりたい放題。逆らう者には容赦なく…………うんざりだな。


 俺はため息を漏らすと同時に、雪の陰に隠れて俺を捕食しようと狙っていた小型の魔獣めがけて【魔銃】を発砲する。

 魔力を弾丸に変えて射出する、少々高価だが割とメジャーな武器だ。

 もっとも、この魔銃は俺専用の特殊な銃なのだが。


「まぁ……マソリンは必要だしな」


 腹を決めて……というか、さっさと諦めて、俺は町へと向かうことにした。


 頭を打ち抜いた魔獣の体から【部材】になる部位を切り取りバッグへとしまう。


 そして再び、無味乾燥な真っ白い雪原をえっちらおっちらと歩き始めた。








 歩きに歩いてたどり着いたのはコルンという名の小さな町だった。

「名産品は人情です」とでも言い出しそうな、何もないド田舎で、人のよさしか取り柄がなさそうな連中がそこかしこに点在していた。


「あんたは?」


 町に入ると、近くにいたオッサンが声をかけてきた。明らかに警戒するような目。


「雪道の途中でマソ欠になっちまってな。マソリンは売ってるか?」

「なんだ、そうか。そりゃあ気の毒にな」


 俺の言葉に、オッサンはほっとした表情を浮かべる。

 それと同時に、遠巻きにこちらを窺っていた町の連中もほっと息を吐いた。


「何かあったのか?」

「ん? あぁ、いや。なんでもない。最近物騒だからな、いろいろと」


 口ごもり、下手な言い訳をするオッサン。

 バレバレだ。

 こいつらは、帝国兵を警戒している。

 自分たちが『匿っている』マザーボードを連れて行かせないために。


 言葉を濁したのは、迂闊に帝国の悪口を口に出来ないからだ。

 もしそんなもんを帝国兵に聞かれたら……想像通りの結末を迎えるだろう。


「マソリンなら、町の中央に魔素屋があるからそこで買うといい。何もない町だが、魔獣のスープでも飲んでゆっくり温まっていってくれ」

「助かるよ」


 片手を上げて、オッサンはどこかへと歩いていく。

 ……まぁ、持ち場に帰るんだろうな。町の入り口を監視するための場所に。

 あのオッサンが声をかけてきたのは偶然じゃない。

 一般人を装っているのは、自警団なんかを町の入り口に立たせておくと、帝国に目をつけられるからだ。謀反の恐れありと判断されれば、容赦なく潰される。

 兵隊を送り込まれて武力を徹底的に排除され、あとは、帝国のお偉いさんが常駐して監視下に置く。


 肝っ玉の小さい帝国連中ならそれくらいは平気でやるだろう。


 ま、俺は要注意人物から外れたってわけだ。ゆっくりと町の中を見させてもらおう。

 一応は、人が住める環境ではあるらしい。

 小規模ながらも町には活気があった。


 雪がかき分けられて小さな道が作られている。

 退けられた雪は、道の両側にうずたかく積み上げられている。

 足下のコンディションは最悪だが、外の雪原のように足を取られるようなことはない。


 町の入り口に立って町を臨む。視線を上げると、少し向こうからもこもこと白い煙が上がっていた。きっとあそこが食堂だろう。

 立ち上る煙と、漂ってくる香ばしい匂いを頼りに、俺は食堂を目指す。

 マソリンは、腹ごしらえした後だ。






 食堂に入ると――


「貴様、見かけない顔だな」


 揃いの鎧を身に付けた兵士が四人声をかけてきた。

 肩当てにはデカデカと帝国のエムブレムが描かれている。


 帝国兵だ。


 背中に大きなタンクを背負い、【魔銃】を腰に携えている。

 あのタンクの中には液化魔力――マソリンが入っており、そいつをエネルギーに魔力の弾丸を射出する。生き物を殺すための兵器だ。


「奇遇だな。俺もお前たちの顔を見かけたことはない。たぶんだが、はじめましてなんじゃねぇか?」

「口の利き方には気を付けろよ。な?」


「な?」と言いながら、魔銃の銃口をこちらに向ける。

 こんな帝国の外れで、名も知らぬ旅人が一人行方不明になったところで騒ぐヤツは誰もいない。

 まして、天下の帝国兵様に盾突いた愚か者なら、むしろ排除して然るべきだ。

 ――とでも考えているのだろう。


 四人の帝国兵はにやにやとしたいやらしい笑みを浮かべてやがる。

 誠に遺憾ながら、こいつらに盾突くのはやめた方がいい。

 それが、日常を平穏に過ごすための知恵だ。

 まかり間違っても、胸倉を締め上げたり、鋭い視線で睨みつけたり、ドスの利いた声で恫喝したりしてケンカを売るようなマネは絶対にしてはいけない。

 それは、命を縮める行為だ。


 俺は、誠に遺憾ながら、両手を上げて無抵抗の意思を示す。あぁ、遺憾だ遺憾だ。


 帝国兵の笑みがいやらしさを増す。

 夜道に放り出したら即変質者としてしょっ引かれそうないやらしさだ。


「礼儀は知らねぇようだが、頭はそこまで悪くないみたいだな」


 魔銃を突きつけながら、帝国兵の一人が俺に話しかけてくる。

 後ろの三人はにやにやとした顔のままこちらを見ているだけだ。


「お前、このあたりでマザーボードを見なかったか?」


 やはり、こいつらの目的はこの町にいるであろうマザーボードか。


「見ていないな」

「本当か? 隠すとためにならんぞ? 我ら帝国兵に虚偽の申告をすれば、お前だけじゃなく、一族郎党皆殺しになっても文句は言えねぇことくらいは分かるよな?」

「見ていない」

「………………けっ。そうかよ」


 じっと俺の目を見つめた後で、帝国兵は舌打ちをする。

 事実、俺は見ていないのだからそれ以外に言いようがない。


「じゃあもし、どこかで見かけたらすぐ俺たちに報告しに来い。いいな」

「特徴の一つも分からんと見かけても気が付かないだろうな」


 マザーボードは、一見すれば普通の人間となんら変わらない外見をしている。

 ヤツらが特殊なのは、その体内に魔力を通す【回路】を持っていることだけだ。【部材】を取り付ける【ランド】にせよ、ただ見ただけでは気付くことすら出来ない。


「それもそうだな」


 魔銃を突きつけていた帝国兵が腕を組み、ほんの数秒黙考する。

 こいつがこの隊のリーダーなのだろう。一人で考え行動を起こしている。後ろの三人は言われたことに従うだけのお飾りみたいなもんだ。


「そのマザーボードは女だ」

「当たり前だ」


 何をドヤ顔で分かりきったことを……


 マザーボードは、そのすべてが女だ。

 神代戦争の昔より、マザーボードとして生まれてくるヤツは女しかいなかった。


「他に特徴はないのか?」

「うるせぇ! 帝国の機密を部外者に漏らすわけにはいかねぇんだよ!」


 俺に指摘されたのが恥ずかしかったのか、帝国兵その1が顔を真っ赤にして吠える。

 何が機密だ。適当なことを抜かしやがって。


「外見的特徴が分からないなら探しようがない。まぁ、見つからなくてもいいってんなら俺は特にこだわらんが……」

「まてまて! ったく、しょうがねぇな」


「見つからなくてもいい」という言葉に焦ったようで、帝国兵は立ち去ろうとした俺を慌てて呼び止める。

 見つけ出さないとこいつらの立場が危ういらしいな。

 帝国のお偉いさんは、こんな雪深い辺境の地にまで来やしないだろうし、下っ端のこいつらに「絶対見つけてこい」とでも命令したのだろう。

 上に目をつけられないように、下っ端は下っ端なりに必死になっているわけだ。


 哀れな下っ端は、もったいぶった様子で俺に情報を寄越してくる。


「特別に教えてやるから、必死に探せよ。まず、髪は黒髪で腰くらいまでの長さだ……あ、そうそう、その女はな――」


 帝国兵は「これはとっておきの情報だ」とでも言わんばかりに恩着せがましい表情で、ある一つの重要な情報を寄越してくる。


「――想像を絶するほどのド貧乳だ」


 瞬間、俺は帝国兵の胸倉を締め上げ、鋭い視線で睨みつけ、ドスの利いた声で言う。


「詳しく話せ」

「……え?」

「ド貧乳について詳しく教えろっつってんだよ! もたもたしてるとドタマかち割って一輪挿しに加工すんぞ、クソヤロウ!」


 ちょっと恫喝しただけで、帝国兵は目を白黒させて慌てふためいていた。

 だが、そんなことは知らん!


 ド貧乳!


 それも、想像を絶するほどのだと!?

 いったい、どれくらい真っ平らなのか……興味深い!


 婦女子は、慎ましやかであるべきなのだ。

 破廉恥に乳を振り乱してドヤ顔をさらすような女に、俺は小さじ一杯分ほどの興味もない。

 だが、貧乳……それも、ド貧乳はいい! 素晴らしい!


 婦女子の乳は、加齢と共に勝手に膨らんでいく悩ましい存在だ。

 その肥大化は個人の意思では抑えられない悲しいものだ。成長という名の、忌まわしい呪いと言ってもいい。

 未発達は貧乳とは違う。

 ヤツらはただ幼いだけで、やがては無残にも肥大化していく。


 だが!


 貧乳は違う。

 遺伝という名の加護を受け、成長してもなお忌まわしい肥大化の呪いを撥ね除ける。

 選ばれた者のみがその奇跡を体現する、神がこの世にもたらした最大のギフト――それが、貧乳だ。


『子供なのに巨乳』などという、邪神のごとき存在を崇め奉る愚鈍な連中がいるとは聞くが……まったく、愚かしい。

『大人なのに貧乳』こそが、決して止まることのない時間という普遍的な世界の摂理をも凌駕する神秘的な奇跡だとなぜ気が付けないのか!?


 しかも――ド貧乳だ。

 貧乳をさらに強調する『ド』がついたハイブリッドな貧乳、ド貧乳だ!


 これは是非調査せねば!

 それが如何ほど平らで、なだらかで、水平であるのかを!


「どこだ?」


 帝国兵の胸倉を締め上げる手に、さらに力を込める。

 素直に白状しないと、命はないと思え!


「そのマザーボードはどこにいる!?」

「そ、それを……俺たちが聞いて……んだ、よっ!」


 ちぃっ!

 使えない帝国兵め!


「見つかってないなら、こんな場所で油売ってんじゃねぇ! 町中をかけずり回って草の根をかき分けてでも探し出せ! 見つかるまで戻ってくるなっ!」


 扉を開け、帝国兵を表へと放り投げる。

 魔銃を抜こうとした後ろの三人だが、それよりも早く連中の顔面に拳を叩き込む。

 遅い! そんな緩慢な動作じゃ、外の魔獣に食い殺されるぞ!

 鍛錬が足りん! なっとらん!


 顔面を押さえてうずくまる帝国兵×3をまとめて外へと放り投げる。

 小山のように折り重なる四人の帝国兵に向かって、俺はありったけの殺気を込めて言い放つ。


「もし、今日中に見つけられなかったら……俺が特別鍛錬を施してやるから、そのつもりでいろ!」

「「「「は、はいぃぃっ!」」」」


 落雷に驚く小動物のように手足をばたつかせて、帝国兵どもは雪道を駆けていった。

 ……まったく。弱いヤツにしか威張れない連中ってのは、ちょっとパニックを起こすとすぐ強そうなヤツになびく。

 ありゃ、下っ端の中でもさらに使えない部類の連中だな。

 魔銃を使われたとしても、余裕で制圧出来そうだ。


 ドアを閉め、呆然とした顔でこちらを見ている店内の連中に向かって軽く手を上げる。


「騒がせたな。気にせず食事を続けてくれ」


「いや、そんなこと言われても」みたいな空気が漂うが、一応礼は尽くした。これ以降の変な空気は俺の責任ではない。

 俺は俺で、適当に飯を食わせてもらう。


 店の奥へ進み、カウンターの席へと腰を下ろす。

 天然のダウンジャケットみたいに、膨れ上がった体をしている店の男の真ん前に座る。

 おそらく、このトドみたいな男がマスターなのだろう。エプロンが激しく似合っていないが。


 マスターらしき男の背に、小さな少女が身を隠している。

 興味があるらしく、俺をじっと見上げている。

 そんな少女を眺めていると、マスターが声をかけてきた。


「あんた。帝国の人間か?」

「冗談でもやめてくれ」


 カウンターにヒジを載せると、目の前にコップが置かれた。

 湯気が立ち上っている。中は茶のようだ。


「この町にはマザーボードなんかいやしねぇ。みんな帝国の人間が連れてっちまった。あんな連中に町中を徘徊されちゃたまんねぇんだよ」

「そんな見え透いた嘘で納得してくれるほど、帝国は優しくねぇぞ」


「いません」と言って「はい、そうですか」と納得してくれるような可愛い連中ではない。

 見つかるまで探し回るし、何がなんでも見つけ出す。どんな手段を使ってでも。

 帝国はそういうところだ。


「あの下っ端どもが見つけられなければ、もっと厄介な連中が送り込まれてくる。それでもダメならもっと上のヤツが。それでもダメならさらに上だ。お前らが匿っているマザーボードが見つかるまで、永遠に繰り返されるだろうよ」

「じゃあ、どうすれば……っ!?」


 カウンターに身を乗り出したマスターだったが、言いかけた言葉を飲み込んだ。


「いや、なんでもない。とにかく、この町にマザーボードなんかいない。一人もだ」


 そっぽを向き、鍋の中身をかき回す。

 カウンターのすぐ向こうはキッチンになっていて、そこで調理が出来るようだ。

 大きな鍋からは、いい匂いと湯気が立ち上っている。


「俺なら、逃がしてやれるけどな」


 一瞬、鍋をかき混ぜる手が止まる。


「…………なんと言われようと、この町にはマザーボードはいねぇんだ」


 静かに言って、マスターは俺の目の前にスープの入った器を置いた。

 頼んでもいないのだが、こいつは口止め料のつもりなのだろうか。

 木のスプーンで煮込まれた肉をすくい上げ、口へと運ぶ。


「うん。美味いな」

「当然だ」


 ぶっきらぼうに言って、マスターは口を閉じた。それ以降、マスターの口が開かれることはなかった。






 肉入りのスープを飲み干して店を出る。

 やはり、金は取られなかった。


 さて、どうするかな――と思っていると、店から一人の少女が出てきた。

 カウンターの向こうでマスターの背中に隠れていた少女だ。年齢はおそらく六歳か七歳といったところだろう。


「お兄ちゃん、……悪い人?」


 警戒しながらも、縋りつきたそうな不安な表情で俺を見上げている。

 著しく貧乳だが、こいつはただの未発達。未来にどんな変貌を遂げるか分からん、地雷だ。懐かれるのも困るので、適度な感じで接することとする。


「一ついいことを教えてやる。悪人にイケメンはいねぇ」


 どんな英雄譚でもお伽噺でも、正義の味方はイケメンと相場が決まっている。

 逆に悪党は醜悪な外見をしているものだ。

 なら、俺が正義か悪かなど、聞くまでもないことだろう。


「…………お兄ちゃんは、悪い人?」

「聞くまでもないだろうって!?」

「お兄ちゃんは…………イケメン?」

「どっからどう見てもイケメンだろうがよっ!?」

「………………うん。そうだね」

「間っ! すげぇ気になるな、その間!」


 くっそ!

 純真無垢なきらきらした瞳に騙されたぜ。

 このガキ、とんでもねぇヤツだ。きっとこういう小生意気なガキは、大きくなったら乳が腫れ上がって、恥ずかしげもなく振り乱して町を闊歩するような大人に育つんだ。

 破廉恥なガキめ。


「……さっきの…………本当?」


 唇を噛み、泣きそうな顔と声でガキが言う。

 握りしめた二つの拳は小さく震え、期待と不安が交互に脳裏を掠めているのが丸分かりな表情でじっと俺を見上げている。


「お兄ちゃん……お姉ちゃんを助けてくれる?」


 助けてやる理由などない。……が、まぁ。


「お兄ちゃんはイケメンだからな」


 イケメンは、正義の味方でなければいけない。

 特に、いたいけな少年少女の前ではな。


「ちょっと待ってて! これから――ご飯届けに行くから!」


「お姉ちゃんのところに」という言葉だけを口パクで言って、ガキが食堂へと飛び込んでいった。

 大人が動けば目立つ。だから、ガキに飯を運ばせているのだろう。

 町ぐるみで匿っているわけだ、マザーボードを。


 しかし……


「魔法を使ったってことは、いつまでも逃げられないってことだぞ」


 マザーボードは、バッテリーが切れれば――死ぬ。

 そのバッテリーを交換出来るのは、帝国からその資格をもらった【ソルダリンガー】だけだ。


 帝国から逃げ出したい。

 けれど、帝国にいなければ死んでしまう。


 マザーボードの多くは、このジレンマに悩まされ続ける。一生な。


「お兄ちゃん、お待たせ」

「おう……ふぁっ!?」


 食堂から再び出てきたガキは……なぜかヘソ出しノースリーブの上半身スポブラ一枚の姿だった。


「……何、してやがる?」

「お兄ちゃん、貧乳好きの変態さんだから、こういう格好したらルミナの言うことなんでも聞いてくれるかと思って」


 そうかそうか。

 このガキはルミナって名前なのか。

 純粋無垢な瞳をきらきらさせて……真性のアホなんだな。


「今すぐ服を着込んでこい」

「え、でも…………あっ! そういえば前にお父さんが、『脱がせる瞬間がたまらない』って言ってた!」

「おい、クソオヤジ! 娘の教育方針について嫁と一回話し合えっ!」


 ルミナの首根っこを摘まんで食堂へ放り投げがてら、カウンターの向こうのトドオヤジにクレームを入れておく。

 俺は、未発達には興味がない。特に、ルミナみたいなヤツはゆくゆくアホほど成長してぶるんぶるん振り回すような女になるのだ。間違いない。

 触らぬ乳と神に祟りなしだ。


 その後、しっかりと冬服を着込んだルミナに案内されて、俺は町外れの丘に来ていた。

 丘の側面に回ると、崖が町の外まで続いていた。


「ここはね、氷室なの」


 冬のうちに出来た氷を保管し、夏になると街へ売りに行くのだそうだ。

 氷室の中は一年を通して温度の変化が少なく、氷が溶けることはない。


「なるほど。温度の変化がないなら、防寒対策を施せばある程度は快適に過ごせそうだな」


「んふふ~」と笑うルミナに続いて、崖に並ぶ扉の一つに入る。

 氷室の中はひんやりと冷たい。が、氷を保存しておくには温か過ぎる。


「こっち」


 氷室の奥に空の棚が並んでいる。本来は氷を置いておくための棚なのだろうが、今はどれも空になっている。

 そのうちの一つを押すと、ガキの力でも軽々と棚がスライドした。

 棚の後ろからもう一つ、隠された扉が現れる。

 扉の隙間から温かい空気が漏れてきている。

 この空気のせいで、こっちの氷室の中も少し温度が上がっているのだろう。


「お姉ちゃん。ご飯持ってきたよ」


 ルミナが扉をノックして声をかける。

 そして、俺の顔を見て頷いた後、ゆっくりとその扉を開いた。


「いらっしゃい、ルミナ。いつもありが…………誰?」


 隠し部屋の中には、一人の女がいた。

 黒髪のロングヘアで、瞳も同じように黒い。


 部屋の中は温かく、ワラや毛布がそこかしこに敷き詰められていて防寒対策が取られている。

 そんな部屋の奥にある簡易的なベッドの上で、女はへたり込むようにして座っていた。


「このお兄ちゃんがね、お姉ちゃんを助けてくれるって」

「わたしを……あなたが?」


 警戒心全開の視線で、俺の体を舐め回すように見つめる女。


 が、その視線が俺の下半身付近で止まる。

 目が見開かれ、険しい表情を作る。


「ルミナ、こっちに来なさい!」

「え、でも……」

「いいから。早く!」


 女の声に、ルミナが走り出す。

 何度かこちらを振り返りながら、言われた通りに女の隣へ駆けていく。

 女はルミナを抱きしめ、庇うように自分の背後へと隠す。


「あなた……帝国の人間ね」

「いや。違うが」

「嘘ね!」

「嘘じゃねぇ」

「じゃあ、その腰にぶら下げている物は何かしら!?」


 ……と、女が俺の股間付近を指差して大声を張り上げる。


「あなたが帝国の人間でないと言うなら、見せてごらんなさいな、その、腰にぶら下げている細長い物をっ!」



 どうしよう……


 出会って五分で、最低の下ネタ言い始めたぞこの女!?







《宮地班長のはんだ付け講座》


【マザーボード】

基板と呼ばれる物で、電気を通す回路が張り巡らされた板です。

そこにICやコンデンサー、抵抗、LEDなどなど、いろいろなパーツをくっつけて、

いろんな動作をさせたりします。


はんだ作業を行う際、この基板のことを【母体】と呼んだりします。

まぁ、ほとんど基板と呼んでいますが。

その【母体】を言い換えて、作中では【マザーボード】と名付けました。

PCに詳しい方には馴染みのある名前だと思います。

デスクトップパソコンを自作する時、CPUとかメモリとかをぶっすぶす差し込む緑のあの板。ヤツです。マザーボード。


はんだ的に【母体】という名前なので【マザーボード】と名付けまして、それがすべてです。それ以外に含むところはございません。

設定上、【マザーボード】には女性しかいないということになっていますが、

だからって別に、「女性は母たれ」的な思想を推奨したりなどといったことはございませんのであしからず。


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