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ちょっと緊迫?
「この程度でよろしいんですか? 部長には納得していただけるでしょうか?」
「たかが高校生に出来るのはこの程度が限界じゃないか? 六月にやった全校アンケート内容も当たり障りのないことだったし、報告書としてはまあまあの出来だとは思うんだが……。直した方が良いか?」
「沢口君が良いのであれば、私としても異論はありませんが……」
昼休みのガランとしたSK班の部室で正木が不服そうな顔をしている。
俺の書いた偽の報告書に目を通しながら何か言い淀んでいた。
「何か、気に入らないみたいだな」
ため息混じりに言うと彼女は眉をひそめた。
「最近の部長、なんだかおかしいような気がするんです」
「あいつが? おかしいのはいつものことだろ?」
「違うんです。そうじゃなくて……」
他に誰も居ないというのに、正木は何かを気にして声をひそめた。
ポニーテールを揺らしながらつっと一歩寄る。
口元を隠すように手で覆っている。誰かに聞かれることを気にしているようだ。
「最近、見られているような気がするんです」
「……へーえ」
意外な告白に俺は拍子抜けした。
「あいつも男だったって事だ」
「どういう意味です?」
「佐野が正木を好いてるって事だろ?」
その言葉に彼女が声を荒げた。
「違います! どうしてそうなるんですか? そうじゃないんです。最近、部長が私たちを監視しているような感じがするんです。視線を感じて振り向くと、必ず彼が見ているんですよ。それに毎日のように声をかけてきますし、この間はチトセさんにまで。おかしくないですか?」
「……それは……」
(単純に正木と、SK班の研究成果が気になるだけじゃないか? まあ、池田に声をかけているところは滅多に見たことないが……)
言葉に詰まって頭を掻く。本音を出せば何を言われるかわからない。
「そう気にするな。文化祭が近づいて、佐野も気が気じゃないんじゃないか? SK班は他の班に比べて研究がまとまっているわけじゃない。それ以前にまとまりづらい内容だからな。単純に心配しているだけだろ?」
「本当にそうでしょうか?」
正木が不安げにうつむいた。そのせいでうなじがよく見える。
「大丈夫だよ」
安心させるように彼女の肩を軽く叩く。
「気のせいだ。大丈夫、誰も気付いてないよ。それに、俺たちも気が立っているのかもしれない。だろ?」
そう言っても、彼女はまだ考え込むようにうつむいていた。
「私の杞憂ならいいのですが」
まだ首を傾げている彼女の肩をもう一度叩いた。
「じゃあ、後は頼むよ」
それだけ言い残して人数分の報告書を長机に置く。
俺はSK班のヤワなドアそっと開いた。後ではまだ正木は納得していないように考え込んでいる。
(とは言っても、一応探りは入れておくか)
正木の言葉も気にはなるが、彼女の言っていることが本当なら佐野に報告書を出しておけば少しはあいつも落ち着くだろう。
彼女がヒステリックを起こす前に手を打っておいた方がいい。
それに、正木が気にしているということは他のメンバーも佐野の行動が多少なりとも気に障っているのかもしれない。
俺は佐野を探して校内を走り回った。
いつもなら昼時は教室にいるというのに、今日に限ってどこに行ったのだろうか。
中庭を横切って図書館に続く階段を駆け上がった。他に行きそうなところが思いつかない。
だがそこにも彼はいなかった。
「ちっ」
口の中で小さく舌打ち。
廊下を大股で歩きながら視線をきょろきょろと巡らす。
と、見知った後ろ姿が階段の下を教室棟に向かって歩いているのに気が付いた。
(何でこんなところにいるんだ?)
この先には職員室があるだけだ。
「おい、佐野!」
声をかけると、佐野はいつもの生真面目な顔でのんびりと振り返った。
「何だ、沢口か」
「何だとは何だよ」
急いで階段を下りながら返す。
「何か用か?」
「ああ、お待ちかねの報告書だ。ようやくまとまったよ。これで一安心だな」
彼は俺の差し出した報告書を一瞥するとにこやかに笑った。
「やっとか。このまままとまらないかと思ってたぞ。放課後でも問題なかったのに」
その言葉に肩をすくめる。
「お前があんまり気にするものだから少しでも早い方がいいかと思ったんだ」
「そうか。それにしても良くまとまったな」
「俺も驚いてるところだ。どうにもあのメンバーだと個性が強すぎてまとめるのが大変だよ。最終的に副班の正木とまとめた」
「正木さんと?」
佐野が片眉を上げて怪訝な顔をしている。
「そう言えば、お前って好きな子とかいるのか?」
「な、なんだよ。急に」
途端に表情を崩した。
(はーん。やっぱり)
「いや。最近、佐野の様子が変だって正木が言っていたから。俺は、他に気になることでもあるんじゃないかと思っただけさ」
「ち、違う。僕はただ、正木さんのことが心配で……!」
彼の反応に俺は苦笑する以外ない。これじゃ「好きだ」と言っているようなものだ。
真っ赤になって言い訳をする佐野を見て、正木の心配が杞憂に終わったことに安心した。
「沢口君、大変じゃ!」
血相を変えた渡辺が教室に駆け込んできたのは、授業後の清掃の時間だった。
教室中に響き渡る声に俺はぎょっとした。
クラスメイトたちが呆けたように突然入って来た渡辺と俺を見比べている。
ほうきを持ったまま彼女の腕を掴んで廊下に出た。
「何だよ、急に。あんまり目立つ行動は……」
彼女は胸がきついのか、学ランのボタンを胸元までだらしなく外している。
鎧のような学ランの上からでも体の線がはっきりと見て取れるせいで、彼女は学内でも目立つ存在だ。
「そげなこと、言っとる場合じゃないんよ!」
「お、おいっ! あんまり寄るな」
声をひそめることを知らない彼女は、女子同士のように体を押しつけてくる。
それを慌てて制した。
長い髪から微かにシャンプーの香りが漂う。
「そげなこと、言っとる場合じゃないんよ!」
言葉を繰り返す彼女に俺はやっと深刻な事態が起こっていると察した。
「何だ。何があった」
「まだじゃ。これから起きるんじゃ」
いつになく真剣な渡辺の瞳が俺を見上げる。
「それは、確かか?」
「生徒指導が言っておるのを聞いたけえ、確かだと思う」
掃除を早急に終わらせて、渡辺と廊下を部室棟の方へと足早に進む。
歩幅が合わないせいで彼女は小走りだ。
「どうして急に。いつもは文化祭が終わってからじゃなかったか? この忙しい時期にわざわざやるのはおかしいだろ?」
「うちに言わんでくれんかの。うちにも、わからん」
「どこからか、漏れてるなんてことないよな?」
渡辺が急に足を止める。それに気が付いて振り返った。
「どうし……」
「そげなこと、あるわけがないんじゃ! うちらを信じておらんじゃろか?」
今にも震えそうな声だ。
学ランの裾を握りしめて彼女は俺を睨んでいる。
「悪い。違うんだ」
彼女のところにまで戻って居心地悪く頭を掻いた。双眼がわずかに潤んでいる。
「何が違おうの?」
「最近、佐野の様子がおかしいと正木が言っていた」
「部長が? 何か知っておるんじゃろか?」
「何か、気にならなかったか?」
「うち別に何も……。そう言えば、この数日は、様子がおかしかったじゃ」
「やけに話しかけてくる? やけに視線を感じる?」
渡辺はしばらく考え込むようにうつむいてから、顔を上げた。
「そうじゃ」
「あー、くそっ!」
俺は前髪をかき混ぜながら悪態をついた。
(あいつ……)
「沢口君?」
「たぶん、佐野だ。昼に職員室の方から歩いてくるのを見かけた。あいつ、あの時に……」
「部長が? どうして?」
「佐野の政治研究部にかける情熱は半端じゃない。問題が起きたら政治研究部なんて弱小の部活はすぐに廃部だ。そうなる前に芽を摘み取ろうとしたんじゃないか? 正木の不安は的中ってことだ。それにしてもどこから嗅ぎつけた?」
「今はそげなことより、早くせんと」
渡辺に急かされて部室棟へと急いだ。
洋裁部の部室の隅では、足立が腕にすっぽりと納まるサイズの段ボールを抱えてぐずる様にうずくまっていた。
それをなだめるように正木と岩倉が声をかけている。
「大丈夫か?」
戸口で声をかけると、彼女たちは怯えるように肩を揺らしながら恐る恐る振り返った。
「沢口君……」
俺の姿を認めると、腰を抜かしたように正木がその場にへたり込む。
「足立、大丈夫か?」
段ボールを抱えたままの足立が、寝不足で充血した目をゆっくりとこちらに向けてくる。
「……大丈夫じゃないよ」
声に力がない。
「こんなの聞いてない。どうして急に……。荷物検査なんて……。いつも、文化祭が終わってからじゃない」
「今はそんなことより、考えることがあるだろ?」
「部屋には置いておけないよ?」
「わかってる。他における場所はないか?」
「洋裁部はダメ。毎年、荷物検査は大がかりになるから」
「どうしましょう? 教室の方も危険ですよね?」
「いっそ、駅前のコインロッカーに預けちゃうのはどう?」
岩倉が珍しく引きつった笑みで言った。
「今、外に出る方が危険だ」
「校内では目に付きませんか?」
「とりあえず、SK班で預かる」
「そんな!」
俺の提案に正木が声を上げた。
「部室では部長の目に付きませんか? そんな危険なこと……!」
「灯台もと暗しだ。ロッカーの裏なら気付かれないかもしれない。とにかく移動させるなら今のうちだ。岩倉、部室に行って、誰もいないか見てこい」
「りょーかい」『青少年保護育成法』
スタンッと立ち上がると、彼女はすばしっこく部室を後にした。
幸い、部室棟にはまだ生徒がほとんど来ていない。
「池田は?」
「スミエさんと一緒に寮に荷物を取りに行っています」
「宮本が一緒なら大丈夫だな」
「渡辺。荷物検査がいつ行われるかは聞いたか?」
戸口に立って廊下を見張っていた渡辺が、振り向きながら首を振る。
「そこまでは聞いとらん」
「そうか。たぶん二、三日中ってところだな。進捗の方はどうなんだ?」
「完成はしてない。まだ仮縫いの状態」
「形にはなっているわけだ」
「うん」
俺はしばらく考え込んでから、うなずいた。
「最悪、それでも構わない。いいよな? 足立」
「うん。もう二着は作ってあるからわたしは満足だよ。無事やり過ごせたら続きはちゃんと縫うけど」
「それは有り難い。俺も寮に戻って荷物を持ってくる。岩倉から連絡が来たら荷物を移動させておいてくれ。正木、頼んでいいか?」
「はい」
正木が、こくりとうなずく。
「足立は渡辺とここにいてくれ。渡辺、池田に連絡。俺も後で部室に行く向かう」
「大丈夫じゃろか?」
「心配するな」
彼女たちの不安そうな表情を一掃するように俺は笑って見せた。
と言ったものの、不安がないわけじゃない。
全寮制の学校だ。途中、誰かに見咎められないで済むわけがない。ようは、不審に思われなければ良いだけの話だ。
教師、寮監、それから佐野、彼らには出来れば会いたくないところだ。
足早に寮の自室へと向かった。
寮に戻っている生徒はまだ少なかった。
ブックケースをベットの下から引っぱり出す。
しわになるのはこの際いとわないと、セーラー服を小さく丸めて手頃な紙袋の中に突っ込んだ。
カムフラージュのつもりでその上にスナック菓子を数袋入れる。
そのまま脇に抱えると、平静を装って静かに部屋を出た。
「沢口」
部室のドアを開けた途端、佐野に声をかけられた。
(来たか)
そう思うなり脇に抱えた紙袋の口を開く。
「お疲れ。これ、差し入れ」
チョコレート菓子を幾つか取り出して、佐野に押しつける。
「何だよ。もう打ち上げのつもりか?」
怪訝な表情の彼に笑みを向ける。
「うちは、研究成果をまとめるだけでも大仕事なんだよ。これくらいしてやらないとあいつらは文化祭の発表をまともに請け負ってくれないんだ。なるべく静かにやるから大目に見てくれ」
矢継ぎ早に言ってSK班のドアの隙間に滑り込んだ。
「その『使えない』的な発言は、頂けないなぁ」
岩倉が長机に肩肘をついてにたりと笑う。
「『使えない』とは言ってないだろ? まとまりは無いけどな」
「酷い言われようだ。ねぇ?」
池田が、おどけたように言う。
「主にチトセさんのことだと思いますけど?」
「確かにチトセはトラブルメーカーじゃね」
正木の発言に渡辺が賛同した。
「わぁ。そんなにいじめなくてもいいじゃん」
大袈裟に嘆く池田を横目で見ながら、持っていた紙袋を素早く宮本に渡す。
彼女は入っていたスナック菓子を長机に出すと、何の躊躇もなく、丸まったセーラー服を紙袋ごと尻の下に敷いた。
「わぁ。ポテチだぁ」
岩倉が嬉々として菓子に手を伸ばす。
パーティー開きにされたポテトチップスとチョコレートが長机の上を占拠した。
「なに、なに。どうしたの? これ」
「中打ち上げだ。これ食べたら文化祭の準備、頑張れよ」
「明日からで良いですかぁ?」
「駄目だ。後何日だと思ってるんだよ。今日からだ」
「飲み物は無いんじゃろか?」
「わがまま言うな」
「チトセさん、ちょっと購買まで行って来て下さい。沢口君のおごりです」
正木がちらりと、部屋の隅に置かれたロッカーに視線を投げる。ロッカーと壁の間にわずかな隙間が出来ている。
それを見て小さくうなずいた。
「勝手なこと言うな、正木」
「わかった! 五百円で足りるよ」
「お前もなあ……」
ため息をつく振りをしてポケットの中を探る。差し出された池田の手のひらに五百円玉を置いた。
「まいどありー」
明るい声を響かせて池田がドタバタと部室から出て行った。
それを見て即座に全員が動き出す。
ガタガタとパイプ椅子と長机が床を擦る。狭い部室内に音が響いた。
紙袋は宮本の手から一番奥に座っていた岩倉に渡された。彼女はそのままロッカーの裏にそれを押し込む。
「沢口」
何の前触れもなくSK班のドアが開かれた。
「何してるんだ? うるさいぞ」
渋い顔をした佐野がSK班の中を覗いている。
俺は持っていたパイプ椅子を長机の横に置くと、すまなそうな表情を作って振り返った。
「悪い悪い。作業スペース作ろうかと思って机をずらしてた。すぐに終わるから、ちょっと待って」
不自然にロッカーの裏を覗いていた岩倉は、その中をがさがさと漁っている。
「ねぇ、スミエちん。模造紙ってここに無かったっけ?」
「備品室に取りに行かないと、無いです」
そう言うと宮本は、ドアの前に立つ佐野に「どいて下さい」と言い放った。
「すまない」
宮本の雰囲気に気圧されるようにして佐野は一瞬顔を引きつらせる。そのまま彼女に押し出されるようにして部屋から出ていった。
彼女は振り返ると、にこりともせずに「行って来ます」と言った。
中打ち上げの後、真面目に文化祭の準備に取りかかる。
もちろん、表向きの。
模造紙を二枚書いたところで時計が二十時を回った。
佐野が寮に帰るまで粘るつもりだったが、このままだと校内の玄関が閉められてしまう。
許可をもらって居残りをしても良いが、それは怪しまれるだけなのでやめた。
『しばらくは、部活に専念すること』と言うメモを回す。
少なくとも、佐野が部室にいる間はここを離れられない。
荷物検査が終わるまではロッカーの裏にセーラー服を隠したままになる。
それまではやることもないので、結局部活に専念する以外にないのだが。
「放課後、市役所職員の立会の下荷物検査を行います。寮を主に回る予定ですので、みなさんは授業が終わったら自室で待機していて下さい。文化祭の前で忙しい時期ですが、滞り無く進むよう協力をお願いします」
朝のホームルームで担任教諭が発した言葉が眠い頭を冴えさせた。
(来たか)
そう思って居ずまいを正す。
荷物を部室に移してから二日後のことだった。
ホームルームを終えて担任教諭が出ていくと、教室内がにわかに騒ぎ出す。
「大量のマンガって大丈夫だっけ?」
「有害図書じゃなければ、良いでしょ」
「他にまずいものとかある?」
クラスメイトたちの会話を聞きながら、胸を撫で下ろす。
幸い部室棟は荷物検査の対象外だ。
頬杖をついて小さく笑みをこぼした。
俺の部屋は至極味気ない男子高校生の部屋だ。
寮生活ともなれば定期的に荷物検査が入り、整理整頓も評価される。それは生活態度として内申書に影響するのだ。そうなれば大抵の生徒は部屋を散らかさないように心がける。
寮監、生徒指導担当教諭、市役所職員の三人は評価シートをチェックしながら、クローゼットの中やベットの下まで遠慮なく踏み込んで来た。
俺は邪魔にならないように部屋の隅で冷静に三人の挙動を見守っている。
「私物が少ないですね」
クローゼットの中をチェックしていた市役所職員が言った。
「こまめに荷物を整理しています。部屋を出るときに荷物が多いと大変なので」
「良い心がけですね」
「この部屋は問題無さそうです。この調子で行けば部室棟を回る時間もありますね」
部屋を出ようとする教諭の発言に俺は肝を冷やした。
「部室棟も回るんですか?」
「何か問題でも?」
「い、いえ。何でもありません」
振り返る教諭に言葉を濁した。
(まずいぞ)
荷物検査が終わってから急いで部室棟に向かった。
政治研究部には既に部員が集まっていた。
もちろん彼らは荷物検査があることを知らない。文化祭の準備のために来ているのだ。
「そんなに急いで、どうしたんだ?」
SK班のドアを開けようとする俺に、佐野が声をかけた。
妙に機嫌が良さそうだ。口元が不気味な角度で持ち上がっている。
それを見て確信した。
(こいつは知っている!)
「あいつらにまかせて大丈夫なのかと思ってさ」
「正木さんがいれば問題ないだろ?」
「あ、ああ。確かにそうだな。正木は頼れる」
そう言って、小さく開いたドアに体をねじ込もうとした時だった。
「沢口。荷物検査が来るから部屋を片付けておけよ」
「……そうなのか。わかったよ」
努めて平静を装って、返した。
「本当なんですか?」
部屋に入ると、早速正木が詰め寄った。
SK班も既に集まっている。模造紙を取り囲んで全員が俺を見上げていた。
「みたいだな。軽く片付けた方がいい」
ため息混じりに言う。
不安そうに池田が立ち上がる。
「片付けろって……、どうやって?」
「とりあえず、菓子の包み紙はゴミ箱に。それからマジックは机に上げておいた方がいいかな」
「そうじゃない!」
渡辺が声を殺して言った。
それに俺は無言で首を振る。出来るのは見つからないことを祈るだけだ。
「宮本はどうしたんだ?」
重苦しい空気を払拭しようと話題を変える。
「寮のトイレ掃除当番だって。さっき、トイレットペーパー抱えながら模造紙持ってきてくれたよ」
「そうか。とりあえず続きをしよう」
(大丈夫だ。ロッカーの裏の隙間なんて良く見なければ気が付かない。そもそも政治研究部にそれほど時間をかけるとも思えない)
そう考えながら床いっぱいに広げられた模造紙に向かった。
コンコン。
部室のドアがノックされたのはそれから少し後のことだった。
部員ならわざわざノックはしない。と言うことは……。
「荷物検査です。部屋の中を見させてもらいます」
続いて生徒指導教諭の声が聞こえた。
(とうとう来たか)
俺はゆっくりと立ち上がって一つ息を吐く。
それをメンバー全員が目で追っている。
「片付けるか」
その言葉に彼女たちはこくりとうなずいた。
「青少年保護育成法研究班です」
佐野の声と共にSK班のドアがギッと音を立てて開かれた。
佐野と検査員が入ってきたことで狭い室内はますます狭くなる。
それを察して、俺を残した他のメンバーたちは開いたままのドアから出ていった。
「散らかっていて、すみません」
「大丈夫ですよ。すぐ済みますので」
市役所職員がにこやかに答える。
一通り部屋を眺めてただけで寮監が「良さそうですね」と言って、部屋を出ていこうとする。
それを見てほっと胸を撫で下ろした。
そのとき佐野が不意に声を上げた。
「ロッカーの裏に何かあるのか?」
「え?」
「不自然に透き間が空いてる」
佐野の言葉に検査員たちが戻ってきた。
(こいつ!)
彼を軽く睨み付けてから慌てて首を振る。
「い、いえ。何も無いです。ロッカーが歪んでいて……」
言ったところでもう遅い。教諭が壁に体を押しつけてロッカーの裏を探っている。
俺は思わず頭を抱えた。
(くそっ! ここまで来て!)
「何ですか? これは!」
「あー!」
ドアの向こうから覗いていた岩倉が、声を上げた。
(なんて弁解する? そもそも、そんな余地与えられないか……)
観念したようにため息を漏らしながら、抱えていた頭を上げる。
「何ですか? この大量のスナック菓子は!」
そう言って教諭は、ロッカーの裏からポテトチップスやチョコレート菓子の袋を引きずり出した。
(は?)
思っていたものとは違うものが出てきたことに、気が抜ける。
戸口で中の様子を見守っていた池田たちを振り返ると、彼女らは揃って「わからない」と言うように首を振っている。
「どうして、こんなところにお菓子が隠してあるんですか?」
「え、えーと……」
寮監の問いに言葉が詰まる。気が抜けたせいで上手い文句が出てこない。
その時だ。
「申し訳ありません」
正木が深々と頭を下げた。
「文化祭の打ち上げ用に用意していたものなんです。自室に置いていたんですが、突然荷物検査が入ると聞いて慌ててこちらに移したんです」
「スナック菓子なら別に隠す必要はないでしょう?」
「そ、その。あまりにも量が多かったもので。つい」
おずおずと顔を赤らめる正木を見て、寮監は納得したようにうなずいた。
「そうですね。正木さんはあまりこういうものを食べる感じでは無いですからね。この程度なら大丈夫ですよ。他の生徒たちも飲食物は隠し持っています」
「申し訳ありませんでした」
「もう良いですよ。ここは大丈夫です。次ぎに行きましょう」
市役所職員が優しく微笑むと検査員は部屋を出ていった。
その背中を見て佐野が唖然としている。
「部長、申し訳ありません。ご迷惑をお掛けしました」
正木は畳みかけるように今度は佐野に頭を下げた。
「ま、正木さんのせいじゃないよ。気にしなくて良いから」
佐野は慌ててそう言った。一瞬、俺を睨み付けると部屋から出ていった。
入れ違いになるように池田たちが入ってくる。
「どういうこと?」
「何でお菓子があるのぉ?」
「沢口君が入れ替えたのけ?」
小声で問いかけてくる彼女たちに俺は首を振る。
「こっちが聞きたい」
「それより、荷物はどこに行ったんでしょうか?」
俺たちは顔を見合わせたまま首を傾げた。
その答えは、宮本が教えてくれた。
「戻りました」
そう言って部室に入ってきた彼女は首を傾げたままの俺に向かって言った。
「沢口君。備品を取りに行きたいのですが、少し量が多いので手を貸して下さい」
「あ、ああ」
宮本に言われるまま品倉庫まで着いていく。
備品倉庫は部室棟と教室棟を繋ぐ渡り廊下の途中にある。
所々明かりの消えた薄暗い廊下を進んだ。
「部室棟にも荷物検査が入った」
「そうですか」
意外と言うか、当然と言うべきか、冷静な態度だ。
「隠していた荷物がスナック菓子と入れ替わっていた。足立が持っていったんだろうか? 何か知らないか?」
宮本は慣れた手つきで備品倉庫の明かりを付けて中に入る。
そこにはコピー用紙や模造紙などの紙類から、チョークや黒板消しといった備品が雑多に積み上げられていた。
彼女はその中の一つの段ボールの脇に立った。
「知っています」
そう言って、にこりともせずに段ボールにポンと手を置いた。
「この中です」
「……え?」
「もしもの時のことを考えて移しておいたんです」
中を見ると、トイレットペーパーのロールの下で紺色の布が見え隠れしている。
度肝を抜かれた。
彼女は検査員がうろつく校内を堂々とセーラー服を持って徘徊していたというのか。
「トイレ掃除当番がトイレットペーパーの箱を抱えていても誰も不審に思いません。現に、SK班の誰もわたしの挙動を怪しみもしませんでした」
「……いつ、ここに移したんだ?」
「掃除に行く前。部室に寄ったときに」
「みんながいる前でか?」
「はい。誰も気が付いていなかったと思いますが」
俺は前髪を掻き上げて感嘆の声を上げた。
「宮本、お前はすごいよ」
彼女は自分の存在感を自在に操れる。
と言うのは言い過ぎかもしれないが、それくらいに明暗がはっきりしている。SK班の中で一番目立たない存在だが、こういうときの気の回し方は群を抜いている。
「わたしは別に。部長が数日前から不審な動きをしていたのが気になったので」
「佐野か」
「はい」
「正木も気にしていた。お前もか?」
「正木さんほどではないと思いますが、注意しておいた方が良いと思いまして」
「お前の予想は、大当たりだったな」
俺が笑顔を向けると、彼女は微かに肩をすくめた。
「沢口君の灯台もと暗し案が安直過ぎただけです」
(辛口だな)
「それより」
苦笑していると宮本が問いかけてきた。
「いつまでもここに置いておくのは危険です。早いうちに移動させた方が良いと思いますが」
「そうだな。しばらく宮本の部屋に置いておけるか? その後、足立と相談して移してくれ」
「わかりました」
そう言うと彼女は手頃な段ボールにセーラー服を移し始めた。
それを持とうとして止められる。
「これは、わたしが持ちます。沢口君は足りない分の模造紙を持って下さい」
宮本は俺に紙類置き場を指すと段ボールの上に糊やガムテープを乗せた。
(いまいち、信用されてない? まあ良いか。優秀なメンバーがいるといろいろと助かるな)
俺は多めに模造紙を抱え上げると、備品倉庫を後にした。
(きっと、みんな驚くぞ)
沢口よ、セクハラじゃね? とか思っちゃったりして。