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第9話 ドーラ②

 あれからどれくらい経っただろう。もう日は落ち始めている。巨木の四方に伸びた枝の間から、一番星がちらちらと見え始めた。ある乙女の名前が付けられた冬の星である。


 さあ行け、この聖剣であの女を、切り刻め

 なぜに彼女を呪います?

 愁いを帯びたその瞳 誰も恨んではいますまい

 どうか彼女をお助け下さい

 殺せ殺せ、肉を裂け 心の臓を、切り刻め

 なぜに彼女は殺される?

 ローランヌ、麗しきその銀髪よ どうか彼女をお助け下さい


 その一節を小声で歌い上げ、ドーラはふぅっと深い息を吐き出した。

 これは魔物を愛した乙女の物語である。もしかしたらローランヌのように私も殺されるのかもしれないと、頭上に輝く星を見上げ、ドーラは起きるかもしれない悲劇を想像していた。

 まだ出発できないでいたのは、ドーラが巨木の下でウトウトと眠ってしまったからだ。精神的にも肉体的も、かなり疲れていたらしい。あの瘴気に体が浸食されたようで、しばらくは身動きすら面倒な気分だった。そんなドーラにラルフが出発を促さなかったのは、彼もあの化け物と対峙することを嫌がっているからではないかとドーラは思っていた。

“帝国の……”と口籠もった時の彼は、尋常ではないほど苦しみの波動を撒き散らした。冷めた、どこか投げやりでさえある雰囲気とは裏腹に、彼は心の中に深い闇を宿らせている。これほど容姿に恵まれた彼なのに、楽しげな様子は一切ない。むしろこの世に存在していること自体、苦痛に感じているのではないだろうかとドーラは思っていた。

 ふと気づくと、ラルフが何か言いたそうな素振りで隣に立っていた。そんな様子に、ドーラは隆起している木の根からゆっくりと腰を上げる。出発だと言われれば素直に従おうと、小首を傾げて言葉を待った。


「ずいぶんと色々な歌を知っているんだな?」


 思ってもみない質問に、ドーラは微笑んだ。


「全部、先祖から伝わっている歌よ」

「先祖?」

「私の家系は昔、祈祷師みたいなことをしていたらしいの。歌うことで皆を癒やしていたと、父からは教わったわ」

「そうだな、君の……」


 言いかけて、ラルフは口を噤んだ。


「何?」

「……君の歌は心が落ち着く」


 少し言い難そうに彼は続けた。


「そう言ってもらえると嬉しい」


 歌は母から教わった。母もカスタルドの者で、両親は従兄妹同士。カスタルド家では親族が結婚することは珍しくはない。


「ねえ、それよりアレはなんだと思う?」

「アレとは、あの子供か? それとも……」

「両方よ。あの子供の姿をした化け物と、それにあの青い光」


 ドーラの言葉にラルフの顔が曇る。夕暮れの薄闇でも、それははっきり見て取れた。


「アレは死神だ……」


 ラルフの感情がまるで石のように固くなっていく。


「死神……?」

「あれは人間の形をした魔物だよ」


 色のないその声には、怯えるとも違う、どこか辛そうな響きだけが僅かにあった。


「どういうこと?」

「闇魔法というのを聞いたことがあるか?」

「それって、もしかして伝説によく出てくる怖い魔法?」

「ああ、かなりヤバい魔法だ。大昔、封印されたんだが……」


 闇魔法の伝説はあちこちに残っている。もちろんこの地方にもそれがあり、闇から魔物を呼び起こし、この大地を破滅に導く魔法であるらしい。

 胸の奥が騒然とする。それ以上は聞きたくないと、耳を塞ぎたい気分を押し殺し、ドーラはラルフの説明を黙って待っていた。


「アレは死んだ子供だ」


 端整な顔には、どうしようもないほどの陰りがあった。


「帝国は死んだ人間を復活させて、兵士として使っているんだ」

「死んだ人間を、ですって?」


 死者を殺戮の道具に使うとは想像を絶する。同時に、それ以外に“あれ”に納得いく説明がないこともドーラは感じ取った。

 あの少年から発せられた波動は、人間のものとは全く違っていた。今まで感じたことがないほど恐ろしく、深く暗い谷底へと突き落とされるような波動だ。でも本当は意識の外で、彼が人間ではないと意識の外では判っていたけれど、それを認めるのが怖かった。


「ねぇ、帝国ってバーリングのことよね? そんなものを使って何を……」

「さあな。ただ戦士を作り出したいだけなのか、それとも世界の征服か」

「世界征服……」


 言った途端、何かが背中を這いずった。一笑に付したいのに、帝国のことだけに冗談とは思えない。少なくとも、あの国がいくつかの周辺国をここ数年で滅ぼしていることは、ドーラも知っていた。


「つまり帝国が闇魔法を使って、侵略行為をしているって言いたいの? そういえば、あなたは北の出身よね? まさか帝国に滅ぼされた……」


 その瞬間、ラルフから虚ろな哀しみの波動が発散された。けれどそれは一瞬のこと。たぶん彼が強引に自分の感情を押し殺したのだと、ドーラは悟った。


「行くなら早く出発しよう。暗くなったら明かりが必要になるからな」

「オイルランプなら持ってきたわ」

「明かりは目立つから、なるべく使いたくないんだ」

「……そうね」


 夜まではそれほど時間がないと、ドーラは再び一番星を見上げる。それに釣られるように、ラルフもまた空を見上げた。


「殺せ殺せ、肉を裂け……か」


 その声があまりにも冷たくて、感じた波動にその日何度目かのドーラは身震いをした。


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