第8話 サイナス④
「ギラさん、なぜあなたは人間の姿をしてるんですか? それともただの化身ですか?」
サイナスのその質問に、ギラは自らのことを語り出した。
それは何とも不思議な話である。もしサイナスでなければ、大ほら吹きと失笑したかもしれない。けれどサイナスは、サイナスだからこそ真剣に彼の話に耳を傾けていた。
彼はこの“眠れる竜”は“源流たる血”であり、自分はこの竜から生まれ出たと、色のない声で説明した。
「あなたの親ってわけですね?」
「人間の世界だと、そういうことになるかな」
「だからこの竜を守ってるのですか?」
「この竜が眠ってしまったおかげで、俺たちはこの千年の間、仲間を増やすことができなかった。お前ら人間のせいでな」
ギラの話はこうである。
“源流たる血”、つまりこの竜から数々の竜が生まれ出た。その中の一体が“ファーブニル”――ギラだそうだ。そして原種が眠りについた為、ギラはこの竜をずっと守らなければならなくなったとのことだった。
「全ての竜が、この竜から生まれたんですか?」
「俺の一族だけだ。“別世界”から来る奴らもいれば、“上”から降ってくる奴らもいる。大抵は“四界の粒”から産まれることが多い。この竜は“火の粒”からこの世界に生まれ出た」
彼の言っていることの半分も、サイナスには理解できなかった。もちろん想像することはできるが、勝手な妄想で真実をねじ曲げたくはない。ぜひとも全ての意味を今ここで説明して欲しかったが、余計なことを尋ねれば彼を怒らせる気がして、サイナスは必死に我慢した。
「ええっと、とても面白い話ですね」
「お前には面白い話かもしれないが、俺はそうでもないね。何しろこの竜を目覚めさせる為に、こんな姿になったんだから」
苦々しい表情をして、黒髪の男がそう吐き捨てる。
「あ、それ、それをお聞きしたかったんです。あなたはどうして人に?」
「俺はこの竜から生まれた最後の竜だ。仲間 ――人間の言葉を使うなら “兄弟”ということになるか―― は、俺より先に寿命が来るのは判っていた。だから俺は独りになる前に、目覚めさせる方法を探すことにしたんだよ。結局は独りになる運命からは逃れられなかったけどな。俺は三千年ずっと探している。ディアンに会ったのもその旅の途中だ。そして、この姿になったのは、奴の話を真に受けたからだ。さっき俺はもう一つ尋ねたと言ったが覚えているか?」
“はい”と言うようにサイナスは小さく頷いた。
「俺は奴に尋ねた。“人間に眠らされた竜が存在していたとしたら、それを起こすにはどんな方法が考えられるか”、そう尋ねたんだよ」
ああ、だからギラはその瞳を曇らせたのかと、サイナスは心の中で納得をした。
「ディアンの答えは?」
「“人間に尋ねるか、人間に協力を願い出るか、もしくは人間に変化して探す”の三つしかないだろうと。俺はなるほどと納得をし、三つめの手段を選ぶことにした」
「納得? なぜです?」
「奴が言うには、人間がかけた呪文は人間でしか解けないそうだ。お前は、奴が間違っていたと思うか?」
「そうですね、それしかないかもしれませんね」
それよりも竜が人間になる方がずっと難しいのではないだろうか。
サイナスの心の声が聞こえたのか、ギラは軽く破顔してその答えを教えてくれた。
「魔族や精霊の中には、そういう魔法を使える連中がいるんだよ。案外簡単だったぜ。それにこの姿もそれほど不便ではない。二度と元の姿に戻れないことを除けばだけどな」
「そうですか……」
サイナスは心をぐさりと刺された気分になっていた。
「だが別にディアンを恨んではいない。竜を目覚めさせる為なら、俺はなんでもするつもりだったんだから」
その言葉にサイナスがどれほど安堵したか、竜人は気づいていない。もしも恨んでいると言われたら、ディアンに代わって潔く死すべきだろうと、ほんの少しだけ考えていた。
「最初の百年は人間界で探りを入れた。けれどホスピーナが滅んで二千年以上が経ち、寿命が短い人間が覚えているはずもない。それに気づかなかったのは間抜けだが、人間のことを色々と知るには有意義だった」
彼は無理に自分を納得させようとしていると、サイナスは感じていた。それを証明するかのように、ギラは一段と険しい表情で顔を上げ、片隅の闇を睨みつける。まるで見えない何かを見ているようだ。
次に口を開いた時、彼の口調は冷酷さが増していた。
「百年前、俺の仲間は全て死に絶えた。それ以来、俺はここに残って竜を護ることしかできなくなった。人間はいつも、自分たちの欲望を満たすモノを嗅ぎつけるのが上手いからな。それに、この星の全てが人間のものだと思い込んでいる」
ギラの言葉が再びサイナスの心を深く突き刺した。
竜や財宝を狙っていたわけではないけれど、結局は知識欲という欲望を満たす為にこの場所に来てしまったのだと。
「あの……ギラさん、本当にすみません……」
「すまない?」
「ディアンに代わって謝りたいです。それに僕も竜のことが知りたくて、興味本位にここに来ちゃいました。今は凄く反省しています。あ、でも後悔はしてないですよ。ディアンの話も聞けて、竜も見られて、それからあなたにも出会えて、来て良かったと思ってます。本当はもっと尋ねたいこととかいっぱいあるけど、止めておきます。もし僕を殺すなら、ひと思いにお願いできますか? 死の世界も興味あるし、苦しまないで早く逝きたいかなぁって。あ、でも死に場所はここじゃなくて、やっぱり外がいいな。体が餌になるのって、ちょっと興味深いですよね? なんの餌になるのか判らないのはちょっと残念ですけど」
死んでしまう瞬間、何を思うだろうかとサイナスはふと考えた。
親のことか、兄弟のことか、それとも竜のことだろうか?
すると、数日前に出会った酒場の歌姫のことがなぜか脳裏に蘇ってきた。
彼女はサイナスが今まで出会った中で、一番素敵な女性だ。もっともサイナスが出会った女性など数が知れているが……。
(ドーラさんっていったな、彼女)
暖かな微笑みと、強い意志が垣間見られるハシバミ色の瞳が魅力的だと思った。長い赤毛はとても妖艶だった。ふっくらと艶のある唇と、その横にあるホクロにとても色気があった。
それに彼女の歌声ときたら、聞いているだけで別の世界に誘われるような、そんな奥深さを感じられずにはいられなかった。
(せめて彼女の歌、もう一度聞きたかったなぁ)
男としてイマイチ魅力に欠けている自分に、興味を持ったとはとても思えない。酒場で隣に座ってくれたのは気まぐれだっただろう。それでも、彼女の歌声がとても美しくて、あの短い語らいがとても楽しかったから、二度と見れない夢をサイナスは惜しまずにいられない。
あの人にももう一度会ってみたい。研究や学問は好きだけれども、素敵な女性が嫌いだなどと言えば嘘になる。もちろんやせ我慢で平気なふりをしているけれど……。
「さあ、早く外に連れていって下さい。できれば明るいうちに死にたいです」
サイナスが催促をすると、ギラは戸惑ったような声で「お前は……」とぽつり言った。
「なんですか?」
「いや……」
妙な顔つきを浮かべたギラは顔を背けて、
「さっきも言ったが、なかなかお前は面白いから暇つぶしになる。しばらくここにいろ」
「えっ、本気ですか!?」
思いがけない提案に驚いたサイナスが立ち上がってそう叫ぶと、天井から甲高い鳴き声が聞こえてきた。
見れば、無数のコウモリが天井に吊り下がっている。互いに身を寄せているその様子は、不気味ではあるが、妙な安堵感も覚える。
世界から隔離されたここが、あまりにもの哀しいからなのかもしれない。湿った洞窟の空気にサイナスはぞくりとした。
やがて、コウモリは一斉に天井を離れ、竜の周りを幾度か旋回すると、出口らしき方へ向かって次々と消えていく。無秩序のようでありながら統制されたその様子は、心打たれるものがあった。
この薄暗い洞窟に取り残されたままで、ギラもあれを毎日見ていたのだろうか。
コウモリが一匹残らず飛び去ってしまうと、サイナスはゆっくりと立ち上がった。
「うん、やっぱりそうしよう」
サイナスの言葉に、まだ座り込んでいるギラが訝しげに見上げてきた。
「まだ殺さないとおっしゃるなら、僕が手伝ってもいいですか?」
「なんのことだ?」
「竜だったあなたより、僕の方がきっと見つけられるような気がしませんか?」
「見つける?」
疑問符を顔に貼りつけ、ギラもまた立ち上がった。
「手がかりですよ、この竜を目覚めさせる、ね」
「お前が?」
「僕とあなたで、です」
根拠のない確信がサイナスの胸にはあった。
「この洞窟のどこかに手がかりがあるような、そんな気がします。それに、もしかしたら僕が役に立つと思いませんか? だって僕は生まれた時から、曲がりなりにも人間ですからね」
ギラの顔には驚きと戸惑いの表情が浮かんでいる。そのせいか、絶望的なあの怒りと悲しみは、今は軽減されているようだ。
「お前が、それを見つけようと言うのか?」
「いけませんか? だって無為にこんな場所にいるのもつまらないし」
「……なぜだ?」
ギラは眼を鋭くして、サイナスを睨みつけた。
「見たいですからね、この竜の瞳を」
竜に少し近づいたサイナスは、暗がりに浮かぶその姿を見上げてそう言った。
楽しい気持ちが表れて、自然と笑みがこぼれてしまう。ギラの為だけではなく、サイナス自身も本当に見たくて仕方がない。
この竜は、いったいどんな瞳をしているのだろう。
ややあって、ギラは呟いた。
「お前もディアンと同じだな……」