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第7話 ドーラ①

「いやぁっ!!」


 ドーラは咄嗟に悲鳴を上げていた。得体の知れない帯状の黒い靄が、鞭のように間近に迫っている。まるで水面を泳ぐかのように上下に波打つその動きは、おぞましさしか感じない。その言いしれぬ恐怖に、ドーラはラルフにしがみついていた。

 殺される――。

 そう思った瞬間、信じられない光景をドーラは見た。

 ラルフの身体から、不思議な青白い光が急速に広がり始めた。円状の光がふたりの周りを取り囲む。その光の壁が、飛んできた黒い鞭を弾いてくれた。

 鞭は鎌首をもたげ、苛立つように連続で二度三度と襲ってくる。そのたびに光の防御壁は、それを跳ね返した。


「逃げよう」


 ラルフがその方向を視線で示す。ドーラは軽く頷き、彼に歩調を合わせて右手奥へと走り始めた。

 身体に残っている恐怖が両足を鈍らせ、いっこうに前に進んでいる気がしない。その間にも例の鞭は背後からふたりに襲い続け、光の壁を破ろうと躍起になっていた。


(魔法使い……?)


 けれど、あれはそんな生やさしいものではない。もっとドロッとした……。


(考えたらダメ!)


 ドーラは己に叱咤した。

 考え始めたらきっと足が止まる。今はただ逃げることだけに集中しようと、走り続けること半時あまり。急に視界が大きく開けた。

 どうやら崖縁まで来てしまったらしい。崖下には、ここよりももっと深い森が鬱蒼と広がっている。もう先に進むことはできない。あとは崖に沿って左右に移動するだけだ。

 そう思っていると、ラルフは信じがたいことを言った。


「飛び降りる」

「ええっ!?」


 驚く暇もなく、ラルフの左手が伸びてくる。つかまれたそれに引きずられるように、ドーラの体は空中へと投げ出された。

 体はまだ例の光に包まれたまま。そのせいなのか、落下の速度は驚くほど遅い。まるで光の繭玉に乗っている状態だ。遠くの山々がゆっくりと上方へ流れていた。

 やがて木々の先端が見え、幹の間を抜けるように落ち続ける。顔を上げて崖の頂を見たが、もうあの黒い鞭の影はなかった。

 逃げ切れたのかもしれない。

 光の球に導かれるまま、ドーラは緩やかに地面に着地した。

 緊張に汗ばんだ額を拭う。だが気を抜いたのも束の間で、ラルフは崖の上を確認すると、足早に森の奥に向かって歩き始める。彼の右手には細身の刃を持つレイピアが握られていた。


「ちょ、ちょっと待って……」

「すぐに追いつかれる」


 振り向きもせず、ラルフは冷たく言い放った。

 その通りだ。あの不気味なものから、完全に逃げ切るにはまだ距離が足りていない。ドーラは慌ててラルフに追いつき、その横に並んだ。あの青い光は完全に消えていて、そのせいか不安が蘇っている。

 ラルフが術者だとは思わなかった。けれど間違いなくあの光は彼が放ったものだ。


(あの青い光って……)


 沸いてくる疑問を強引に振り払う。考えることは止めようと決意して、ドーラは深い森をひたすら歩き続けた。

 もう限界だと思う頃、右前方に巨大な木の姿が見えてきた。まさに天の助け、地の助け。ドーラはラルフの袖口をつかんで引き留め、その木を指した。


「ねぇ、あそこなら、こちらの気配が消せるんじゃない?」

「あの巨木?」

「あれほど大きな木なら、霊波が出ている可能性があるわ。私たち、すっかり道を見失っているし、方向を確かめる為にもしばらく休んだ方がいいと思うの」


 そう言ったのは自分の為だ。さすがに疲れが足に来ていた。


「諦めて引き返す、という選択はないのか?」

「そうね……」


 ドーラは曖昧な返事をし、薄暗い森の奥へと視線を移した。またあの店に戻って、殻に閉じこもる人生も、あの不気味なモノに殺されるよりマシなのかもしれない。

 それなのに、心の奥底でだれかが叫んでいる。『解放して』と。自分の声なのか、それともこの身体に流れる先祖の血が訴えているのか。

 胸のペンダントを見下ろす。

 金の塊とも言うべきヘッドが取り付けられているだけの、無愛想な代物。その裏側には文字のような絵のようなものが細かく刻まれていた。

 死に際の父が、このペンダントをドーラに渡して口にした言葉が蘇ってきた。

『ドーラ、これはカスタルド家に伝わる大切なものなんだよ。これを守り続けることが、我々の宿命なんだ』

『宿命……?』

『君と私にある能力は、きっとこれに関係していることだと思う。君がもし、この能力に嫌気がさしたのなら、ペンダントの秘密を探ってごらん。もしかしたら判るかもしれない、この鬱なる能力のことを……』


 もう人の感情に振り回されるのは疲れ果てた。それにあのサイナスから感じた波動は、とても心地よく、もう一度会いたいという衝動が抑えきれない。

 ドーラが、ペンダントに刻まれているものが古代語ではないかと思い始めたのは、最近になってからだ。それは文字を取り囲むように刻まれている“印”が、この地方でよく出土する壺の類いにも刻まれていた。

 サイナスに会った時、ふたりは様々な話をした。その時、サイナスが古代語を読めるという話も聞いた。だがドーラはすぐにはこのペンダントのことを言えなかった。こんな好奇心を知られるのが嫌だったのだ。

 けれど一晩迷った末、ようやく決意して彼を尋ねようと思い立った。

 ドーラはずっと、この文字を知りたいと思っていた。詩なのだろうか、それとも愛する人に宛てたメッセージなのだろうか。自分でも馬鹿馬鹿しいと思いつつも、それでも結局こうしてサイナスを追いかけている。


(彼なら判ってくれるだろうか?)


 明るいサイナスの笑顔を思い出し、ドーラはペンダントを握り締めた。

 なぜだか知らないが、彼なら解放してくれるような気がしてならない。

 それにもう一度、サイナスに会いたかった。

 ドーラはグッと顎を引いた。


「いいえ、その選択はないわ」

「そうか……」


 ラルフは反論することなく、ただ悲しみの波動を強め、巨木に向かって歩き始めた。



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