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第5話 ラルフ②

 ラルフが来たその夜、ベッドに横になったドーラは、幼い頃に父から聞いた昔話を思い出していた。


 昔々、“ガルガドの森”で猟をして暮らしていた男がいました。

 男の名前はジッタ。彼には長患いの妻がいました。苦しんでいる妻を治すには、白魔導士に頼む方法がありません。けれどジッタにはそんなお金がありませんでした。白魔導士を雇うには、王宮貴族ほどの金が必要なのです。

 そこでジッタは考えました。


(そうだ、あそこに行ってみよう)


 あそことは、森の奥にある谷のことです。その谷には大昔、神とあがめられていた竜たちが棲んでいて、貢ぎ物である宝石が有ると噂されている場所でした。 

 しかし森には沢山の魔物がいます。しかも奥に行けば行くほど強くなり、腕の良い猟師であるジッタも、さすがに敵わなくなってしまいました。

 魔物たちから逃れる為、道を外れ、山を登り、川を渡り……。死に物狂いに逃げ回ったジッタは、幸運にも谷へとさまよい出ていました。けれど魔物はまだ追いかけてきているようで、背後からおぞましい雄叫びが聞こえてきます。

 その時、ジッタは崖に横穴が空いていることに気がつきました。


「あの穴に隠れよう」


 早速ジッタは崖を登り、中に入ってみることにしました。最初はただの穴だと思っていたそこは、どうやら深い洞窟のようでした。

 ジッタは迷いました。入口にいればすぐに見つかってしまう。けれど奥は光のない暗黒の世界です。

 しばし考えた末、ジッタは奥に行くことを選びました。持参したランプに火を点し、暗い洞窟をどんどん奥へ。やがて一番奥に着いた時、彼が目にしたものは竜の死骸と、その周りにある財宝の山。


(これを持って帰れば、妻を助けられるぞ!)


 そう思うや否や、彼は持てるだけの財宝を袋に詰め込みました。

 その時です。ジッダの前にひとりの男が姿を現しました。


「この谷に足を踏み入れた者は、二度と帰れぬ。覚悟するが良い!」


 まるで地の底から響いてくるような、低く唸るような声と、その鋭い眼光にジッタはたちまち震え上がりました。しかも男はその言葉通り、魔法を使ってジッタを焼き殺そうとしたのです。

 ジッタは慌てて懇願しました。


「どうかどうか、お許し下さい。わたしには病気の妻を守らなければならないのです」

「お前が財宝を袋に詰めるのをこの目で見たぞ。妻を守るのになぜ財宝が必要なのか?」

「この財宝があれば、妻の為に白魔導士が雇えるのです。わたしは妻を治したいのです」


 ジッタが涙ながらにそう訴えると、不思議なことに男はジッタを殺すことをやめてしまいました。きっと妻を思うジッタを哀れに思ったのでしょう。


「もう谷に近づかないのなら許してやる」


 ジッタが二度と谷には来ないと約束をすると、男は親切にも森の出口まで送り届けてくれました。

 町に戻ったジッタは、持ち帰った財宝を売って、妻の為に王宮に出入りしていた白魔導士を雇うことにしました。妻の病気はたちまち快方に向かい、ふたりにようやく幸せな日々が戻ってきました。

 ところがジッタは、手に入れた幸せだけで満足できなくなっていたのです。毎日夢に見るのは財宝の山のことです。あれがあれば王宮貴族のような暮らしができるに違いない。妻をもっと楽にしてやることができるに違いない。そう思えば思うほど、彼は居ても立っても居られなくなりました。

 そしてついに強者らを雇い、再び森へと入っていったのです。

 けれど彼らは、二度と町へと戻っては来ませんでした。なぜなら、ジッタの見た男は死んだ竜の悪霊だったのです。約束を破ったジッタを、竜はもう許すことなく呪い殺してしまいました。

 その後、森の一番奥にあるそこは『死竜の谷』と呼ばれるようになりました。そして、この地方に住む人間にとって、足を踏み入れてはいけない場所となったのでした。




 広大な“ガルガドの森”の周辺には、いくつかの町がある。その中の一つであるドーラの町からは北側に位置していて、町を出るとすぐに森へと続く道が伸びている。

 次の日の早朝、ラルフとドーラは『死竜の谷』に向け、その道を歩いていた。東に見えた太陽が、赤い光を地上に注ぎ始めたばかりの頃だ。

 獣道のような細い道には、薄い霧がベールのように立ち込めていた。その白い粒がまとわりつくように、ふたりをしっとりと濡らしている。昨日よりも寒さは増していて、冬将軍の到来が間近であると実感させられた。

 ドーラの出立ちはドレスではない。立て襟のぴっちりとした白いシャツに、フードの付いた薄紫の上着、丈の短いエンジ色のスカートの下から伸びる長い足には、黒いタイツを履いていた。一応、足手まといにならない工夫をしたつもりだ。

 出発してしばらくは、互いに話すこともなく無言で歩いていた。どうやら同行者は愛想が良いとは言えないらしい。

 ラルフという男は、昨日と同じく黒のロングコートに、ぴっちりと張りつくような黒革のズボン、黒のロングブーツと全身黒尽くめだ。それが逆に彼の白銀の髪を目立たせていることに本人は気づいているのだろうか。北方の出身者には多い髪色だが、南部のこの地方ではあまり見ることはない。そういえば言葉にも若干の訛りがあり、特に鼻音は苦手なようだ。無愛想な雰囲気はそこから来ているのだろう。

 目立つのは髪ばかりではない。彼以上に端整な顔立ちという表現が合う人物には、なかなかお目にはかかれないだろう。

 広めの額に、形の良い眉、切れ長の眼はともすると冷たく感じるが、彼の場合は涙袋がその印象を軽減させていた。睫毛は羨ましくなるほどに長く、通った鼻筋とやや薄めの唇は、腕の良い彫刻家でもこれほどまでにバランス良く配置はできないだろう。驚くことにその顔はどの角度から見ても完璧な造形美となっている。

 背は高く、体の線はかなり細い。顔とのバランスを考えれば理想的な体型だが、ハンターとしての能力はどうなのだろうか。腰に吊している剣の細さも気になった。たぶんレイピアだろう。軽そうな剣で殺傷力がそれほどあるとは思えず、ドーラは少し不安を感じていた。もちろん武器に詳しくはないのでその印象が正しいとは言い切れない。それに、美しい男が弱いという法則もないのだけれど……。


 無言のまま半時ばかり過ぎた。さすがに会話もない状態に苦痛を覚え始め、ドーラは『死竜の谷』についての逸話をラルフに聞かせることにした。

 しかし、彼は肩をすくめただけでなんの感想も漏らさなかった。竜にはあまり興味がないようだ。

 その代わりというように、もっと現実的な質問を投げかけてきた。


「昨日の話の続きだが……」


 ラルフは隣を歩くドーラをちらりと見た。

「もしもそのサイナスという男が死んでいたらどうなるんだ?」

 そんなことはあるはずはないと言いたいところだが、その可能性は間違いなくある。サイナスと名乗った人は、ラルフよりも戦闘能力が低そうな優男だった。


「そうね、死体が見つかれば、契約は成立かな」

「心配か?」

「別に。だって彼のことは何も知らないし。ただ彼が死ぬ前に見つかることを祈るわ」

「その男にかなりご執心のようだな」

「彼じゃなくて、彼の知っている……」


 言葉を切ったドーラは、ラルフの顔をジッと見た。それ以上は躊躇ってしまう。言ったところで理解してもらえないのが怖くて、代わりに別のことを話すことにした。


「そうだ。死竜の谷について、もう少し情報を教えるわね。あの谷はその昔、この土地を統治していた国の守り神みたいな竜がいたらしいの。話に出てくる財宝は、その竜に捧げられた貢ぎ物らしいわ。それを狙って谷に向かった人間は大勢いるけど、ジッタのようにだれひとり戻ってこなかったってわけ」

「なるほどね」


 さして興味がないといった様子でラルフが相槌を打った。


「あなたは竜や財宝に興味はないの?」

「もし本当に財宝を目にしたなら、その時は考える。けれど伝説なんて、真実をねじ曲げられて伝えられているもんだよ」

「そう? たとえばどんな?」


 ラルフはちらりとブレスレットの方に目をやったが、それ以上は言わなかった。


「なんだかあなたってサイナスと真逆な感じね。でも私は竜にも興味あるわよ」


 ドーラは急にある歌を思い出し、大きく息を吸うとそれを口ずさんだ。

 

 幻影重なる古城の上 将星たる竜独り

 輝きたるその羽根は 天のご加護と思し召せ

 ああ、我らの神、降り給う


 歌声は、はらはらと落ち葉が散る森の中に響き渡った。ラルフはただ黙ってそれを聞いている。彼の感情が微かにうねるのを感じ、ドーラは歌いながらラルフの表情を盗み見ていた。

 ポーカーフェイスと言えば聞こえがいいが、ドーラにはただ彼がもがき苦しんでいるようにしか感じられなかった。


(なぜ、こんなに哀しい波動を持っているんだろう……)


 ドーラは近くにいる人間の感情を読み取ることができた。父から受け継いだ能力だが、それほど便利な力ではない。他人の感情に心もさらわれていくと、己の感情すら見失いかけることがある。特に悲しみや憎しみぐらい醜いものはなく、時には自分までもがその波に沈みそうになることがあった。それが嫌で、ドーラは人と深く関わることをずっと避けて生きてきた。


(そういえば、彼だけは不思議な波動をしていたわ)


 ドーラはふとサイナスに思いを馳せた。

 初めて来た客に話かけるなどドーラは未だかつてしたことがない。自分の仕事は歌うことであり、見知らぬ人間の相手などしようとはこれっぽっちも思わなかった。

 それなのに、彼の横を通り過ぎようとした瞬間に感じた波動があまりにも心地よくて、吸い寄せられるように気がつけばサイナスの隣に座っていた。

 眼鏡の奥にある栗色の瞳を、まるで少年のように輝かせる男だった。気恥ずかしげな表情と、茶目っ気たっぷりな口元の笑みに愛嬌があった。言葉遣いが丁寧だったのは育ちが良いせいなのか。穏やかな声で彼が話す内容は、その半分もドーラには難しくてちんぷんかんぷんだったが、彼の楽しげな顔を見ているだけでドーラは心が晴れやかになった。

 それに、彼の感情は今まで出会っただれよりもドーラを惹きつけた。輝きと強さがそこにあり、そばにいる心地よさを感じたくて、彼が帰るまでずっと隣に座っていた。


『あなたって、人生が楽しくて仕方がないって顔をしてるわね』

 そう言ったドーラの言葉に、彼はこう答えた。

『そうですね、楽しいですよ。ただ贅沢を言わせてもらえれば、僕の寿命が五百年ぐらいあれば、文句はないんですけどね』

 ドーラは呆れかえり、そして心底笑った。


(五百年なんて生きていたら、退屈で死んじゃうわ)


 思い出すだけで笑みが漏れる。子供みたいにきらきらと瞳を輝かせる彼に、もう一度会ってみたい。一緒にいるだけで楽しくなる人間が存在するなんて、ドーラには信じられない事実だ。人間はいつだって、悲しみや苦しみ、そして嫉みを心に忍ばせている。それを隠そうとすればするほど、流れ出る波動はどうしようもなく冷たくて、ドーラを苦しませた。

 思い出に浸っていたドーラの腕を、突然ラルフが強くつかんだ。驚きのあまり叫びそうになるのを、ラルフは唇に指を当てて険しい形相で囁いた。


「何か感じる」


 彼は辺りを窺うように視線を走らせている。


「何かって?」

「まるで帝国の……」


 言いかけたラルフだったが、急に口を噤んでドーラから視線を逸らせた。焦りに似た波動がドーラの中に流れ込んでくる。失言を誤魔化す人間の感情と同じものだ。そのせいでドーラは、ラルフの台詞が余計に気になってしまった。


「帝国って、あのバーリング帝国?」


 ラルフは否定をしなかった。

 バーリング帝国は、ここ数十年で国土を倍に広げた国だ。隣国への侵略をしては、全てを奪い取る。それが帝国のやり方だった。

 帝国に滅ぼされた国は今のところ五つ。どの国も反撃する間すら与えられず、短期間のうちに次々と滅びていった。

 とは言ってもまだ、この大陸の北の辺境で繰り広げられている戦いで、南部にあるこの地方までは帝国の魔の手は伸びてはいない。だがいずれ、この大陸全体が脅かされる日も来るに違いないとドーラもなんとなく感じていた。


「ねぇ、帝国がどうしたの?」


 ラルフの感情がいっそう悲しみに染まったのをドーラはすぐに察知した。帝国に滅ぼされた国の人なのだろうかと彼を見る。そういえば、白銀の髪も、切れ長の眼も北部の人間の特徴だ。


「とにかく、俺から離れるなよ」

「判ったわ」


 それからしばらくふたりは森の中を黙々と歩いていた。

 霧は幾らか晴れ、森全体が色を取り戻し始めている。小鳥が頭上でさえずり、木漏れ日が湿った空気を暖めている。

 森の気配はどんどん明るくなるのに、ラルフから感じる緊張した波動にあてられ、ドーラは足が重くなっていくような感覚を覚えた。

 こういう時が一番嫌だ。他人の感情をもろに受けると、心身ともに弱っていく。しかも彼から感じる波動は緊張ばかりではなく、苦しみのようなものが混じっていて、心を凍らせてしまうのだ。

 やがて立木の間から太陽が見え始めた頃、ラルフが再び足を止めた。左手首をしきりに触っている。そこには銀色のブレスレットが填められていた。華美な装飾はなかったが、優れた技工師が作ったと見て取れる代物だ。地金には小さな花がいくつか刻まれて、その花弁に包まれるように、青い宝石が埋め込まれている。それほど大きくない石が、陽光を反射させたその輝きは、まるで石自体が光っているように、素晴らしかった。


「ねぇ、どうしたの……?」


 あまりにも沈黙を続ける同行者に苛立ちを覚えてドーラが話しかけると、彼は睨むような目つきをした。よほど緊迫した状況なのか。あれほど鳴いていた小鳥がその気配すら消している。

 にわかに、蠢くような何かをドーラ自身も感じ始めた。たとえるなら、恐ろしいほどの欲望と憎しみを心に宿した人間のそばに立ったと時のような、息苦しさすら覚える醜い波動だ。と言っても、こんな経験は一度。店に来た客が、実は父親を殺害していたという事実を知った時、「そのせいだったのか」とその人から受けた波動に納得した。

 そして今感じるその何かも、まさにその時と同じ類いのものだ。

 その気配がどこから来るのかそれを探そうと、ドーラはラルフと同じように周囲に視線を走らせていた。

 落葉樹から舞い散る木の葉が、地面に落ちる音が聞こえるほどに、森は静まりかえっている。その張り詰めた空気に身体を動かすことすら躊躇われ、ドーラは息を殺し続けた。


 とその時――。


 左前方の木陰からスッと黒い塊が現れ出た。

 無意識に「ヒィ」と喉が鳴る。見た瞬間からどこかに引きずり込まれそうな感覚が全身を硬直させ、心臓が縮み上がらせた。

 瘴気のようなものが噴き出している。今まで感じたことのない波動だ。まるでドロドロとして、糸を引き、滴り落ちる液体に触れたような気味の悪さ。その液体のような波動が身体の穴という穴から入り込み、自分も得体の知れない化け物になってしまうのではないかと、そんな恐怖に吐き気すら覚えるほどだ。

 今すぐここから逃げ出したい。それなのに、視線をその塊から離すことができず、ドーラは朦朧とした意識でそれを見続けていた。

 そうしているうちに初めのショックがやや薄れ、徐々にではあるが思考が戻ってきた。

 初めはただの黒い塊かと思ったそれはどうやら人間のようだ。黒いフード付きのロングコートを身にまとっていて、ドーラより背が低い。うつむき加減の顔はフードに阻まれ見ることができず、それなのにこちらの様子を窺っているのははっきりと感じ取れた。

 ラルフの緊張がよりいっそう高まっている気配がした。ちらりと見れば、既に彼は腰からレイピアを抜いて、その柄をきつく握り締めている。


「だれだ……」


 全身を強ばらせてラルフが尋ねると、それに答えるかのように、喉の奥を鳴らすようなくぐもった笑い声が聞こえてきた。

 その声と靄の中にあるシルエットに、十四、五歳の少年を感じさせる。その波動の醜さに、ドーラは背筋がぞくぞくし通しだった。


「……こんなところにいるなんて、思ってもみなかったよ」


 そう言うと、さも愉快だというように相手は再び喉を鳴らした。


「だれだと聞いている」

「それを知ったからって意味がないよ。だってここで死ぬんだからさぁ」


 次の瞬間、少年を包んでいた靄ようなものが、鞭のように蛇のように、ふたりめがけて伸びてきた。


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