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第3話 サイナス②

「ん……」


 サイナスは自分の唸り声で目を覚ました。どこにいるのか判らない。辺りは薄暗く、右の方に小さな黄色い光が見えるだけだ。

 サイナスは首を巡らせ、しばらくその光を眺めていた。

 やがてゆるゆると記憶の欠片が蘇ってくる。

 死竜の谷で黒髪の男に襲われたのだ。殺されると思い覚悟を決めたはずなのに、なぜ死んでいないのだろうか。

 男は魔法を発動しようとしていたはずだし、赤い火が彼の手から放たれる瞬間も目に焼きついている。それなのになぜ息をしているのか。それともここは死の世界なのだろうか。もし死の世界だとしたら、同じように死んだ者もここにいるんだろうか。伝説に名を残すような英雄たちにも会えるだろうか。

 そんなことを考え、死んでまでまだ知識欲を抑えきれない己の変人ぶりに、クスクスと笑い出していた。


「また笑っているのか」


 例の男の声が近くから聞こえてきた。いつの間にかそばにいたらしい。薄明かりの中にいる男を、サイナスは仰向けのままぼんやりと見上げた。

 眼光の鋭さはそのままだ。顎を上げ、不機嫌そうに口元を歪ませて、男はサイナスを見下ろしている。

 それなのに、先ほどの雰囲気とはどこか違う感じがして、サイナスは眉をひそめた。


「殺すんじゃなかったんですか?」

「いたぶろうと思ったが、お前が気を失って、やる気が失せた。あの男のように命乞いでもすれば、もう少し楽しめたのに」

「あの男って、もしかしてジッタ?」

「名前など知らん。だがお前はずいぶんと変わった人間のようだ。だから暇つぶしに、少しだけ生かしておいてやろう」

「それは嬉しいです。あ、でもここが死の世界じゃないと思うと残念かな。実は今、ここが死の世界だとしたら、どうなっているんだろうって考えていたんですよ」


 そう言ってから、サイナスは再びクスクスと笑い始めた。


「本当に変わった人間だな、お前は」

「ところで死の世界でないとしたら、いったいどこでしょうか?」


 その質問に答え、男は振り返るとその右手を後方に伸ばした。その指を辿り、サイナスも視線を動かす。男の背後が柔らかい光に包まれているのは、ゆらゆらと揺れる淡い光が無数に散らばっているせいだ。ロウソクでもランプでもなさそうなその光源は、いったいなんだろうか。

 数秒ほどそれらの光に注視していたサイナスだったが、不意に気配を感じてゆっくりと顔を上げた。

 巨大な黒い表徴が目に飛び込んでくる。その輪郭がイメージを呼び覚ます。


「え……竜?」


 言うともなしに呟いていた。

 ここが『死竜の谷』と呼ばれていることは知っていたけれど、正直、竜のことは半信半疑だった。古代の遺跡か竜の痕跡でもあればといいなと考えていただけ。まさしくこれは不意打ちの幸運。あまりの感動に、サイナスは呆然とするほどの恍惚感を味わっていた。

 急いで上半身を起こし、食い入るように竜を見つめる。そうするうちに薄闇に目が慣れて、最初は輪郭だった姿が徐々に鮮明になってきた。

 黄色い二本の角がある赤紫色の竜だ。胴体に巻きつけるようにして尾を丸め、その上に顔を乗せている。口からは二本の牙がはみ出し、たたまれた翼には一定の間隔で棘のようなものがあった。荘厳なるその姿に、竜騎士とともに空を飛んでいた光景が容易に想像できた。

 死竜だと言われているが、別に干からびているわけでもない。赤っぽい色をした背中の鱗には艶があり、薄明かりの中でも美しく輝いている。それとも、死屍になってなお生き生きとした姿を保てるのは、五千年生きると言われている竜だからなのか。

 そんなことを考えて、サイナスはホッとため息を吐き出した。

「竜をこの目で見られるなんて……。ああ、もしも生きていたのならもっと……」

 恍惚として呟いたサイナスに、男は小馬鹿にするようにフンと鼻を鳴らした。


「死んでいるように見えるか?」

「それはどういう……」

「あの姿が死んでいるように見えるのなら、お前の目は節穴だな」


 言っている意味が判らず、サイナスは彼を仰ぎ見た。

 死んではいない?

 彼の声なき質問に、すぐに答えが返ってくる。


「眠らされたんだよ、お前たちに」

「人間がこの竜を眠らせたと言うんですか?」

「その昔、竜と手を結んだ人間どもが、この地にいたのは知っているか? 奴らは身勝手な欲望で、竜を幾度となく戦に駆り出し、結果この有様だ」


 その瞬間、男の瞳に遺恨の色が現れる。鋭くて、なのにどこか寂しげなその瞳から、サイナスは目を離すことができなかった。


「最後の戦いの時、この竜は人間の為に戦ったんだ。そう、人間のせいでな!」


 吐き捨てた男の声が、暗澹とした空間に響き渡った。

 サイナスは、口を閉ざして片隅を見つめている男が喋り始めるのをひたすら待った。彼が話している内容はサイナスにとって、とても興味があることだった。だからこそ、急いて彼の機嫌をこれ以上悪くはしたくなかった。


「……それなのに傷ついたこの竜を、神と崇めていたこの竜を、人間は癒やすこともなくただ厄介払いのように眠らせたんだよ」


 まるでおとぎ話のようだが、話の半分は史実と符合している。ただし、どうして竜を眠らせたのかが疑問であり、それによって人間が得るものはないのではないかとサイナスは思った。

 そのことを男に尋ねると、


「俺には判らない。この地を治めていた国は、竜を眠らせた直後に破滅したから」


 男の顔をじっと見つめた。その灰色の瞳はなぜか寂しそうな色を湛えている。サイナスの脳裏にまた先ほどの疑問が浮かんできた。

 それを尋ねずにはいられない。たとえ殺されても知りたいと心が訴えていた。


「あなたはなぜ、この竜を守ってるんですか? その前にいったいどなたですか?」


 サイナスの質問に、男は一瞬目を逸らした。話そうかどうしようか迷っている様子だ。

 だがほんの少し考えただけで、彼はもう一度サイナスを見つめ、ある名前を口にした。


「ファーブニル」


 かつて殺戮を繰り返していたと言われる魔竜の名前だ。竜の伝説は各地に色々と残っているが、ファーブニルほど有名なものはない。その名前を口にした男の真意をサイナスは測りかねていた。


「人間の間ではかなり有名らしいな、俺は。けどな、ほとんどがお前らの作り話だぜ」

「えっと、確認させて下さい。つまり、あなたがそのファーブニルだって、そう言いたいんですか?」


 その質問に答えることなく、男はゆっくりと竜の方へ首を巡らせた。

 死んでいると言われていた竜が実は生きていたり、どう見ても人間としか思えない男が自分は竜だと言ったりと、この世は予想もつかないことばかりだ。それだから生きていくのは至極楽しい。まずは殺されなくて良かったとサイナスは胸を撫で下ろし、と同時に男の言った意味を真剣に考え始めていた。


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