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第21話 ノエル③

「ここに間違いなさそうね」


 谷とおぼしき場所に到着したノエルは、辺りを見回し呟いた。

 夜目が利くのは訓練の賜だ。今夜のように満天の星が輝いていれば、周辺を確認することなど容易くできる。足下の岩も、両脇の崖も、崖に開いている穴も、ノエルの黒い双眸はしっかり捉えていた。

 腰に付けた小さな革袋から、鉄のナックルを二つ取り出すと両手に装着する。三つの鉤爪に“返し”のあるこれを使えば、この崖ぐらいノエルには難なく登ることができた。

 しかし問題はその先。岩窟から強い魔障が垂れ流されている。闇使い――つまりアルノーがいるに違いない。


「あいつがここまで強い魔障を出しているのは、よほど強敵がいるのか、それとも遊んでるのかしら?」


 小首を傾げ、ノエルはしばし考える。

 それを有利と考えるべきか、それとも不利と考えるべきか。

 敵が強いことはノエルも判っていた。単独で勝てるという根拠があってここまで来たわけでもない。ただ衝動に負けて大陸を横断し、こんなところまで来てしまっただけ。


『ベイカード家は真の隠滅師の家系なんじゃよ、ノエル』


 死に際に、祖父は孫娘を見据えそう言った。それが祖父の誇りだった。

 バーリングはもともと武術と剣術を頼りにしてきた小国である。魔法は人間が用いるべきではない力だとバーリング人は信じられてきた。けれど魔法王国であるルーベンや、“恒星”と呼ばれる強い魔力を持つフィリアなどに囲まれて、常に周辺国の驚異に晒されていたのも事実だ。

 だからこそ、隠滅師はずっと大切な役目を果たしていた。裏切り者を探し、他国の動向を調べ、時として暗殺も辞さない。けれど決して表舞台に立つことはなく、陰から国を護ることこそが隠滅師のあるべき本来の姿だ。

 けれどノエル以外の隠滅師らは、今やその役割など忘れたかのように完全に帝国軍に組み込まれている。兵士や魔法使いに混じって戦い、ともすれば軍師や大将などの地位に就きたがり、出世を夢見ているようだ。

 今の皇帝の代になってからは隠滅師の役割は全て、アルノーのような闇使いが担っている。それがノエルには許せなかった。

 いや、許せないのは闇使いではなく、誇りを失いつつある隠滅師の方だ。


『隠滅師は決して兵士ではないし策士でもないのじゃ、ノエル。出世など望まなくても、バーリングの為に身を捧げることこそが我らの宿命であり誇りなのじゃ』


 そう教えてくれた祖父と、それから死んだ父が蔑ろにされている気さえした。

 現皇帝の為に、父は反逆者と刺し違え死んでいったというのに……。

 それが名誉だとずっと信じていたのに……。


『時代は変わったんだよ、ベイカードのお嬢さん』


 数ヶ月前、あの少年がノエルにそう言ったことを思い出す。

 隠滅師の扱いについてノエルが陛下に具申しようとした時のことだ。その前にまずは闇使いと直接話したくて、ノエルは宮殿の片隅でアルノーと対峙した。


『闇使いと隠滅師が手を結べば、もっと楽に敵国を倒せると思わない、アルノー?』


 そう言ったノエルに、彼は大げさに肩をすくめてみせた。


『手を結ぶ? どんなふうに?』

『たとえば、次に狙うルーベン。わたしたちが先に内部攪乱をして……』

『あーなるほど。でも別にそんな回りくどいことをしなくても、直接叩けば良いと思うけれど?』

『けれど味方の被害を……』


 そう言うと一緒に、アルノーはゲラゲラと笑い始める。それがアルノーだとは知っていたノエルだったが、さすがに眉間に入る皺は隠せなかった。


『ごめんね。でも悪気はないんだ。でも君があまりにも時代後れのことを言うから』

『時代後れですって?』

『バーリングはもう武術や剣術などという、時代後れの力など必要がないって意味』


 可愛い顔をして、辛辣なことを言う。もちろんノエルの怒りが、顔色に出るほど露わになったことは言うまでもない。


『だったら兵士たちはどうなるの?』

『いずれ彼らも闇魔法使いにするご予定じゃないのかな、皇帝陛下は。今はひとりひとりの忠義心を計っているだけに過ぎないのかもしれないね』

『なんですって!?』


 聞き捨てならない言葉に、ノエルはいきり立った。

 闇使いにする、それはつまり彼らの死を意味している。


『皇帝陛下がそうおっしゃったの?』

『僕の想像に過ぎないよ。でも陛下は僕に“兵士が全て闇使いなら、楽に大陸を席巻できる”をおっしゃっておいでだったので、たぶんそんなことをお考えではないかと、ね』

『あなたの想像ですよね?』

『もちろん。でも君だって帝国が大きくなるのに異論はないでしょ?』

『異論があるわけじゃない。ただバーリング人ではないあなたが……』


 それがノエルの懸念材料だった。


『バーリング人か、そうでないかなんて意味があるの?』

『皆、祖国の為に戦っているわ』

『陛下の為に戦っている、それじゃダメ? 陛下は僕を信頼して下さっている』


 死人のくせに!

 ノエルのそんな気持ちを推し量ったように、アルノーはあのイヤミな笑みを浮かべて笑った。


『確かに僕は一度死んだけどさ、だからこそ蘇らせてくれた皇帝陛下を崇拝しているんだよ。それに、陛下自身もいずれ闇の力をお持ちになりたいとお考えじゃないかと思うんだ、僕は』

『ちょ、ちょっと待って。それって……』

『闇色に染まった世界は素晴らしいよ。だってだれもが死を恐れなくなるんだから』


 恍惚とした表情で、少年は片隅の闇を眺めた。

 嘲るようなその声が、ノエルに恐怖という感情を呼び起こす。歪められた口元から、何かが滴り落ちるのを見たのは、もちろん幻影だろう。

 けれど少年の紫色の瞳の中におぞましいほどの闇色の未来が見えて、ノエルは全身に鳥肌を立てていた。


『アルノー、あなた、もしかして……』

『君も死んでみない? 力が欲しいよね?』


 その瞬間ノエルは、彼は決してバーリングの為にここにいるわけではないと、感覚的に悟ってしまった。

 その言葉通り、彼が望んでいるのは闇色の世界、それだけだと。


『そう、判ったわ』

『何を?』

『あなたがこの世に存在してはいけないってこと』


 ノエルは短剣を抜いていた。

 怒りにまかせてアルノーに攻撃をしかけ、気がつけば宮殿内は大騒動。そして不祥事の責任を取らされ自宅謹慎。処罰がその程度だったのはベイカード家という名前が辛うじて効いたからだが、ノエル自身の信用は地に落ちていた。

 信用が戻るまでいったい何年かかるのだろう。その間にバーリングはどうなってしまうのだろう。少なくても皇帝陛下への謁見など二度と叶いそうもない。そうなったら、だれがアルノーの怖さをお伝えできるというのか。

 そんなことを考え、召使いとふたり悶々とした日々を過ごし、その召使いが辞めると言い出した時、ついに耐えきれなくなったノエルは、アルノーを追ってこっそり帝国を抜け出した。

 たとえ裏切り者と誹られようと、アルノーを放置しておくわけには絶対にいかない。バーリングの未来の為にできることを、隠滅師の仕事をするべきだ。国に仇をなすと思われるものを消す、それが隠滅師だから……。


 星の明かりに照らされる崖の岩肌に足をかける。

 後戻りをする気はさらさらないと思いながら、ノエルは右ナックルの鉤爪を岩の間に突き刺した。


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