第11話 サイナス⑤
サイナスは竜の観察に、その周りを五周ほど回っていた。後ろをギラがブツブツ言いながらついて来ているが、サイナスは竜に夢中で、くじいた足が少々痛むのも、彼の存在を忘れかけていた。
(見たところ、外傷はないみたいだ。戦いで傷ついたってギラさんは言ってたけど、眠っている間に回復したのかもしれない)
図鑑で見た竜よりも小振りの印象だ。首はかなり長い。顔は細くて、くちばしのような形をしている。翼は膜状でコウモリのそれと酷似していた。ただしコウモリと違い、四肢は別にあった。四本の足に四本の指、その先にある爪は長く鋭い。
(鳥もコウモリも、前足が変化して羽根になったけど、竜は違うみたいだな)
赤紫の竜鱗は頭の先から尻尾の先まで繋がり、首と尾には何本もの突起が付いていた。鼻を近づけてみると独特の甘い香りがある。昔、竜鱗を袋に入れて持ち歩いた話があるが、これなら納得がいく。
(翼の先に幾つか爪みたいのがあるなぁ。頭にある角みたいなのはなんだろう?)
頭まで登りたい気分だが、ギラの手前、止めておいた方がいいと思った。
サイナスは竜の前方まで来ると、もう一度その顔を仰ぎ見た。何かの本で、『竜は神が作りし最高傑作』と書いてあるのを読んだことがある。もしこの竜が大空を舞ったら、とても力強く美しいに違いない。サイナスは固く閉じられた瞼を見て、その想像に心を躍らせた。
「オイ」
突如、ギラの声が聞こえた。
「え、え!?」
驚いて飛び上がる。
「さっきから呼んでいるんだ。お前、手がかりを見つけると言ってなかったか?」
「あ、ああ。そうですね、すみません。この竜があまりに綺麗だったもので、見とれていたんですよ」
「……どうだかな」
疑うようなギラの目つきに、サイナスは両手を振って弁解した。
「ほ、本当ですって。この竜が飛んだところを、僕も本気で見たくなりました」
「それなら、その“手がかり”というやつを早く探せ」
「そうですね、すみません」
サイナスはようやく竜から少し意識を放し、辺りをキョロキョロと見渡した。もうすっかり薄闇に目が慣れているとはいえ、やはり細部までは見えない。ギラは例の光源を増やしてくれてはいたが、できれば陽光が欲しい。日の光で全体像を把握したかった。
「ここって、洞窟のかなり奥ですよね?」
「ああ」
ここはホールのような場所だ。高い天井には氷柱に似た鍾乳石が吊り下がっている。四方は岩で覆われており、足元も岩盤になっていた。地下水が染み出しているのか、仄かな光に黒光りをしている。いずれにしても竜が出入りできそうな大きさの穴は、どこにも見当たらなかった。
「この竜は、どうやってここまで入ってきたんですか?」
ギラはサイナスの横に並ぶと、「あっちは……」と言って竜の尾がある方向を指した。
「……谷に通じている。お前が見上げていた穴だ。かなり狭いし、それに入り組んでいるから竜どころか人間だって迷うだろうな」
「やっぱり」
「出入りしていたのはこっちだ」
振り向いた彼は、竜の後方――洞窟の奥を指すと、「昔は広い穴が反対側の崖の中腹に通じていた」と付け加えた。
サイナスはギラの示した方向に歩いていく。行き止まりだと思っていたが、上の方に穴が見える。その下はゴツゴツとした岩が重なりあっていて、どうやら人為的に大きな穴が塞がれたのだと気がついた。
「ギラさんが塞いだんですか?」
「仲間がいる時はそっちから出入りして、代わる代わるここを守っていたんだが、人間になった時に塞いだんだ。この姿では大きな穴は必要がないからな」
「さっき聞き忘れたんですけど、仲間だけで仲間を、つまり子孫を増やすことはできなかったんですか?」
「最後に残された俺らは全て、人間の言葉でいう『男』だった。繁殖能力はない。俺らはこの竜を守る為に生まれてきたんだ」
「ああ、なるほど」
それはきっと蟻や蜂のような繁殖方法で、この竜は女王蟻であり、ギラたちは働き蟻と同じ役目を担っていたに違いない。竜の新たな実態を知って、サイナスは少しワクワクした気分になっていた。
「もうしばらくここを調べて、それで駄目ならあの上に登って、谷の反対側に行ってみたいですね」
「何かあるとは俺には思えないけどな……」
「駄目で元々です」
ギラを慰めようとサイナスは明るく笑いかけてみた。
ずっと独りで生きてきた彼に、不安を与えることは忍びない。せめて自分だけは信じていることを見せて、ギラに未来を感じさせたいと、ただそんなことを考えていた。
口を閉ざしたまま、ギラはひとしきりサイナスを睨み始めた。心の奥まで見抜かれそうなその眼光に、サイナスは若干落ち着かない気分になった。
沈黙が続き、やがてギラは「勝手にしろ」と、困惑と苛立ちが混じった声で吐き捨てると、足早に洞窟から出ていってしまった。
こうしたことはわりと慣れている。ちょっとだけ心に痛みを感じるだけで、どうということはない。ただ人間でも竜でも、自分に対する認識に変わりがないのは残念だなと思い、サイナスはしばらくギラの消えていった方向を見つめていた。
やがて肩を落とし、サイナスは何気なく足元に視線を落とした。傍らに例の光が揺らいでいる。どうして光っているのかと調べようと屈んだサイナスだったが、すぐに気が変わって体を起こした。
今は竜以外のものに心を囚われたくない。ギラの為に竜を起こす方法を早く見つけてあげたかった。ずっと独りぼっちは寂しいに決まっている。たとえ諦めていても、それは真実だとサイナス自身も知っていた。
気を取り直し、サイナスは再び竜を調べ始めた。ギラが見ている前ではできなかったのだが、その肌にも触れてみたりもした。
冷たい感触が手に伝わる。まるで死んでいるかのような感触に、果たして本当に竜が蘇るのか、サイナスは少しだけ不安になった。だが体温が低いことは蛇やトカゲにも当てはまる。そんな小動物と竜を一緒にするのもどうかとは思うけれど。
しばらくして、両腕いっぱいに何かを抱えてギラが戻ってきた。死んだ野ウサギと木の実が少々。それらをサイナスの足元に放り投げ、ギラはその横に座り込んだ。
「これは……?」
「食い物だ」
当然だろうというような顔で、ギラはそう言う。
「僕に……ですか?」
「お前だけ食べるつもりか?」
「いえ、そういう意味じゃなくて……」
「人間は食い物の心配をしなければならないのが不便だ」
「そ、そうですね」
サイナスはギラに見えないようにこっそり笑った。同時に苛つかれたわけではなかったのだと知って、内心ホッとしていた。
ギラの持ってきた物をふたりで食べて ――ウサギはギラが魔法で焼いてくれた―― それからサイナスは調査を再開した。けれどいっこうに手がかりは見つからない。
ここは調べ尽くした感があると思う頃、サイナスはがっかりした気持ちをため息とともに吐き出して竜を見上げていた。
(もう少しだけ待っていて下さいね)
胸のうちで眠れる竜にそう語りかけた。それから腕を組んで立っているギラを振り返り、申し訳ない気持ちを素直に口にした。
「どうやら上にある穴も調べた方が良さそうな気がします、すみません」
「別に謝る必要はない。それほど期待をしてないからな。それよりお前は寝ないのか?」
「え? 寝ない?」
サイナスはギラの質問に、しばし言葉が見つからなかった。
「もう夜中なんだが、寝ないのかと聞いてるんだ」
「そんな時間なんですか?」
ギラに襲われた時はまだ昼過ぎだった。あれからそんなに時間が経っているとは、全く気づかなかった。
「お前はつくづくあのディアンに似ているな。悪いが俺は寝るぞ」
「……そうですか」
ギラにそう言われて、サイナスはガッカリした。疲れてはいるが、今は休んでいる時間が勿体ない気がするのだ。
「明日にしろ」
「そうですね」
そうだ、急ぐ必要はない。邪魔など入るはずがないのだから。
自分にそう言い聞かせ、地下水の染み出していない場所を選び、サイナスは横になった。周囲を見渡すと、光源はまだそのままで、まるで星の中で眠っているようだ。きっと素敵な夢を見られるに違いないと、サイナスはゆっくり目を閉じた。