総統様のお気に召すまま
流れ落ちる聖なる水に身を浸し、輝く金の髪を一纏めにする。水に透ける薄い服は、女性が夢見る抜群の肢体を艶やかに彩っていた。
「わたくしに、厄介なことを押しつけますこと」
美しい曲線を描き、引き締まった身体を持つシェイトリーゼは、顔を上げて聴こえた声に眉根を寄せる。
ゆっくり休憩を楽しみたかったわ、と息を吐いてシェイトリーゼは立ち上がった。
「いいですわ。可愛い子の頼みは聞き入れましょう」
軽く手を打つと、側仕えの者が駆け寄る。清めた身体を白を基調とした衣装に包みながら、すぐさま自らがすべきことを脳裏に走らせた。
王国は腐敗に満ちていた。邪気を祓う巫女はいても、何度も生まれる邪気は瘴気となり人体にまで害を及ぼすようになった。遂には魔物まで呼び込む地に変化していく。
人々は神に願った。救いを求めて、祈りを捧げた。
巫女では足りないならば、神子を喚ぼう。そうして、王国は一人の少女を召喚した。愛らしい見た目の美少女を神殿へ招き、瘴気の浄化が始まった。
それはすべて、間違いだったと一ヶ月後に人々は知ることになる。といっても、上層部の者だけが知る不祥事だ。
神子は見目がいいものを側に置き、浄化をしながらも我儘放題。自分は選ばれたヒロインで、愛される存在だと声高に口にするのだ。
困ったことに魔力耐性が低い者は、神子に惹かれて仕事を放棄する始末。神子の側にいることを至上とし、神子に貢ぐのである。
瘴気を浄化できないならば追い出せたものを、下手に力があるからどうすることもできない。頭痛の種はそれだけにとどまらず、神子が望む者にもあった。
神子曰く、攻略対象――地位があり、美貌に優れた者。彼らには高い魔力耐性があるため、甘ったるい香りに惑わされることはないが、呼ばれるたびに口にする賛辞に頭痛がひどい。いつか口が腐るのではないか、と遥か遠くを見る。
下手に刺激して、浄化をしなくなったら大問題である。だからこそ、身につけた社交辞令と笑顔は素晴らしい武器となった。
嬉しい誤算は、大事な部下だけでなく、面倒な政敵が馬鹿になったことだ。そのおかげで、だいぶ相手を失脚するものを手に入れることができた。
ずううん、と重い雲を背負う王子は青い空を眺めていた。そんな彼の側近は死にかけの目で、主を見つめる。
神子に呼ばれているのだ。行きたくない。まったくもって行きたくない。
「私は何か悪いことをしたのだろうか」
爽やかな見た目は、疲れが滲んでいる。金の髪がくすんでいるように見えるのは気のせいではない。
城に住まわせて欲しいと言う神子を言いくるめるため、昨日は半ば死にかけた。べたべた触れる手を振り払うことをせず、本心がこれっぽっちもない甘い言葉を囁くことは地獄だった。
側近も死にかけながら、必死に神子を言いくるめる作業を共にしていたからこそ、主の気持ちを痛いほど理解できた。
「いえ、あれは王子のせいではありません。今、神を恨む気持ちでいっぱいです」
銀髪が白髪に変わらないか恐怖を感じます、と乾いた笑い声を幼馴染みの側近は零した。
「そうか」
「はい」
「ああ、総統に頼めたならこんなことには……」
「時期が合えばよかったのですが、まさか神子を召喚して国の威信を高めようと考える者がいるとは考えていませんでした」
「まったくだ。瘴気を祓う神子を他国への牽制になど馬鹿らしい。まず、あれだと逆に威信は失墜するだろう」
外交を有利にするどころか不利にする爆弾を抱えている。最悪すぎて、吐き気までしてくる緊急事態だ。
「朗報だよーん」
ひょこっと窓から侵入してきた真っ赤な髪の少年は、満面の笑顔を浮かべる。
「あれが還ったのか!」
「男を惑わす愚かなあれが遂に刺されて死にましたか!」
ぱっと表情を明るくする似た者同士である彼らに、赤毛の少年は首を振った。すぐに彼らは落ち込んで、ショックを受けている。
「そうじゃないけど、総統が来るよー」
「え?」
「は?」
明るい声で告げられたそれを死刑宣告のように二人は耳にした。この状況を見て、総統がなんと口にするのか考えたくもないと顔を青褪めさせる。魂が口から抜けていく気がした。
高いヒールの音を鳴らし、シェイトリーゼは廊下を進む。金の糸で繊細な刺繍が施された白い衣装は彼女の勝負服である。
「まったく、下手な浄化だこと笑ってしまうわ」
豊かな金髪を揺らし、神殿を突き進む美女は漂う香りを打ち払うように鞭を動かす。白に似合わぬ鞭という武器は、なぜか彼女に驚くほど似合っている。
凶悪な鋭い音が静かな神殿に鳴り響く。何度か鞭を動かして、軽やかなステップで歩いていたシェイトリーゼは袖の中へと鞭をしまった。
神殿の奥深く、神聖な気で満ちているはずの部屋から零れるものに深緑の瞳を細める。
ノックをして、許可が出されてから入った部屋の状況に彼女は瞳に苛烈な色を乗せた。
「なっ! あんた、誰!? ここは神子以外は、呼ばれた人しか入っちゃだめなのよ!」
「あら、いやですわ。きちんと入室の手順は踏みましたもの。どなたがいらっしゃると考えたのかしら?」
「私が呼んだカインとルカが来ると思ったのよ!」
「まあ、カイベルンとルカがこちらに? 面白い冗談ですこと」
可愛らしい顔を歪める少女は、目の前に現れた美女に気圧されるように一歩後ずさる。その隣に立ち並ぶ者を見つめたシェイトリーゼは、素早い動きで袖から愛器を取り出した。
「やだ、怖い。私のことあの変な女から守って!」
弾けるような鋭い音に部屋にいた青年たちが顔色を悪くする。怯える表情で神子は近くにいる人物の腕に縋りついた。
「変な女? ふふ、なんて失礼な。あなた達、お仕事はどうしたの?」
「は、あの……」
風を切る鞭がしなやかに伸びて言い訳を口にしかけた男を打った。
「勝手に休んで、放棄していい仕事ではなくてよ。まったく、香りで頭がおかしくなったの? わたくしが直々に躾なければならないのかしら」
「あんた最低! 信じらんないっ!」
打たれた男は震えながら、身体に走る何かに驚いて固まっていた。近くで自分のために怒っている美少女がいるというのに、目の前にいるシェイトリーゼから視線がそらせない。
「信じられないのはわたくしの方。この国を立て直すと口にしていたのに、あの子達はまったくどうしようもないわ」
ひゅん、と鞭で軽く目についた青年をしたたかに打ちながら、シェイトリーゼは困ったように頬へと左手を添えた。
「こんな変なのがいるなんてわたくし驚いて、どうすればいいのか迷ってしまいますもの」
「変なのって、あんたじゃない!」
噛みつく神子の言葉を受けて、シェイトリーゼは首を傾げた。
「いやですわ。神子様は勉学がお好きではないのかしら?」
「そんなの必要ないわ! 大好きだったから、攻略は全部頭に入っているもの」
「まあ、これほど意味が通じないなんて……確かにわたくしが呼ばれたわけですわね」
「意味がわかんないし、あんたなんてすぐに追い出してやるんだから! ほら、早く私のために――」
彼女が願えば、いくらでも動いた彼らは一歩も動かない。どこか恍惚とした表情で美女へと視線を向けていた。
「え? なに、なんなの?」
「あらあら、困りましたわ。わたくし、もういっぱいで相手をするのは面倒ですのに」
「なに、なんだっていうの!? 私は神様に愛されて、ヒロインで、みんな言うことを聞くはずでっ!」
「たった一人に愛されてなんだというのかしら? この世界の神は、一人ではなくてよ」
狼狽える神子を見つめるシェイトリーゼはくす、と笑みを零すと赤い唇が言葉を紡いだ。
「光栄に思いなさい。わたくしがあなたを還してあげるわ」
「なっ! いやよ! 私は攻略対象に愛されるの。この世界に必要なのよっ!?」
スパアンッ、と力強い音が響いた。びくりと身をすくませる神子の顎を軽く指で上げさせると、シェイトリーゼは命令を口にする。
「もう聞いていられないわ。いい? わたくしの許可なく口を開かないことよ」
それに反論することはできなかった。声に乗せられた魔力は、少女の口を強制的に閉じさせる。神子として魔力が高い少女は、屈辱を味わいながらも動かせない口を開こうと悪戦苦闘を繰り返す。
室内にいる者達が跪いて、深く頭を下げていた。それを見つめる美女は、ちらりと神子を一瞥して「何用かしら?」と質問を投げる。
彼女の知り合いが大切にしている友人や部下であることを確認し、シェイトリーゼは笑顔を浮かべる。室内に突撃する時期をしっかり確認して入ったが、あまりにもうまく行きすぎて内心目を丸くしたものだ。
「申し訳ありませんっ! 我々の精神が未熟のため、ご足労おかけしました」
「もしよろしければ、魔力耐性を総統につけていただきたく……」
口々に謝罪を告げられ、願われたシェイトリーゼは楽しげな光を含ませた瞳で彼らを見下ろし頷いた。
「ありがたき幸せ」
「光栄です」
「神に感謝を」
世界の中心にある神殿に暮らす巫女は、すべての禍を打ち払う。そんな彼女は、基本的に忙しく神の声を中心に生活を繰り返している。そのため、滅多に彼女から直接指導してもらえないのだ。
巫女でありながら、魔物さえ打ち倒すシェイトリーゼ。その手に持つ愛器は、神より賜った神具である。神の趣味なのか、本人の趣味なのか。それは世界の七不思議に数えられ、いまだに答えを知る者はいない。
――あら、使いやすいわ。素敵なものね。自分だけが使用できるみたいだし、躾がしやすいわ。
巫女にふさわしいとはいえない武器を気軽に扱い、使いこなす姿に総統の名が捧げられた。総統を名乗ることが許された唯一の人物である。
「愚かではあるけれど愚図の阿呆ではないでしょう? 自分のすべきことをなさい」
その言葉に立ち上がるが、彼らは自分達をいいように扱った者へ鋭い視線を投げる。悪態を口にしないのは、シェイトリーゼにすべてを任せる決意をしているからだ。
「反省しているなら、しっかり働きなさい。失態を理解しているのなら、早く戻りなさい」
「総統っ!」
「なんの心配かしら?」
鞭が風を鋭く切る。相手を床に引き倒し、さっさと職場に帰るように促すとシェイトリーゼは一つ溜息を零す。
「困った神子ですこと」
シェイトリーゼはくるりと彼らに背を向け、自分に殴りかかってこようとした少女を見つめる。振り返ることなく、鞭で縛り上げた神子を見下ろした。
「わたくし、早くお茶を飲みたいの」
王子と側近が真っ青な顔で、神子のいる神殿で起きたことを噛みしめる。報告を終えた部下が席を外すと、王子は頭痛によく効く薬を飲む。隣にいる側近は、胃痛薬を飲んで暗雲を背負った。
「総統の機嫌は……機嫌は」
考えたくもないっ、と王子は頭を抱える。そんな外界の音を遮断したい彼の耳に声が聞こえた。
「機嫌は最悪であり、最高かしら?」
「総統ぉおぉおおお!」
「カイン、うるさいわ。落ち着きを持ちなさい。ルカ、紅茶を」
すぱんっ、と白魚のような手で王子の頭を叩いたシェイトリーゼは、固まっている側近に紅茶を頼む。側近が淹れた極上の紅茶を飲みながら、シェイトリーゼは目の前にいる二人を観察した。
「ねえ、カイベルンにルカ」
びしっと二人は硬直する。名前を呼ぶ響きが他人行儀だ。冷や汗をだらだらと流しつつ、王子は笑顔を浮かべる。
「カインと呼んでくれないのは、やっぱりあの神子を自分で始末できなかったからでしょうか」
「誠に申し訳ありません」
「あら、そんな理由ではなく、あれに呼ばれて室に行ったことがあるのでしょう? それにちょっと腹が立っただけよ」
「はっ、まさか嫉妬を!?」
喜びに顔を上げた王子は、したたかに美しい掌に打たれた。相手をしてもらい、瞳に入れてもらっている主を羨ましげ側近は見つめる。
「もとから、わたくしのでしょう? なぜ、わたくしが嫉妬をするの。香りが臭いのよ。風呂に入ってきなさい」
「入っても落ちません」
「皮膚が痛くなるほど擦りました」
絡まされた腕とまとわりつく香り。押しつけられた普通よりある豊かな胸。記憶はトラウマのように二人を襲った。
どうせなら、透き通るほど白く細い総統の腕がいい。できるなら、総統の豊満な胸がいい。そんなことを考え、思い出した出来事に立ち直れなくなる。
「わたくしが作った精油をお湯に落としなさい。まったく困った子達ね」
総統が机に置いた硝子瓶に二人は世界が輝くのを見た。
「あ、そうそう。しばらくお世話になるわ。ちょっと躾したい子達がいるの」
うふふ、と掌で口元を隠して美しい笑顔を浮かべるシェイトリーゼは神々しいほど麗しい。
目の保養にうっとりしながら、王子と側近は誰だっ、そんな羨ましい奴! と内心で歯噛みする。ぎりりっと嫉妬で身を焼きながら、総統が城に滞在する予定に歓喜した。