天使長と不幸
「ただいまー」
「兄上様、戻りました」
「おぉ、お帰り。遅かったの」
「この馬鹿が寄り道しまして」
「なんだよ、お前だってルシファーにお土産買おうか、っていったら二つ返事で寄り道したくせに」
「俺のせいにすんな」
「ふむ、つまり二人仲良くわしをハブったのじゃな…」
「や、それはちが」
「ンなわけないです!兄上様をハブるくらいならコイツをハブります!」
…、この兄弟、単体だとそうでもないのに二人揃うと非常に面倒くさいよな…。っていうか鬱陶しい。
ミカエルは挨拶もそこそこ、お土産(このチンピラ天使はコンビニで散々迷った挙句、いつものプリンと新発売のちょっとお高いプリンを選んだ。でも払ったのは僕)を早速冷蔵庫に入れようと、足早に食堂のほうへ消えていった。その後姿をなんとなく見届けていると、小さくズボンの裾が引っ張られる。
「…ぐり、巡、聞いておるのか?」
「…へ?」
「へ、ではないわ」
先ほどから数度、呼びかけているのじゃぞ。
あー、ごめんなさい、全く聞こえていませんでした。耳にかすりもしてませんでした。大事なことだから二回いいますごめーんなさーい。
ルシファーはやれやれと息を吐き、仕方ないとばかりに言葉を繰り返してくれた。
「どうだったのかと聞いておるのじゃ。実家は、久しぶりの家族は、どうじゃった?」
「どうと聞かれましても…」
正直、気まずさしか感じてなかった。あとミカエルきらきら自重!しか、感想としては覚えていない。
けど、それを正直にルシファーに伝えるのは気が引けた。この件に対しては、ミカエルにも相当心配かけた自覚がある。ルシファーまで心配させたく、ない。
「別に普通、かな」
ここで超楽しかったよ!と白々しく言い切ることが出来ればよかったのだが、あいにく僕はソコまで図太くなかった。
「あ、そだ、ミカエルがルシファーにって選んだ、新発売のプリンあるんだけどさ、食べるよね?」
かなりあからさまな話題転換も、プリンという単語に弱いルシファーには有効だったようで、『うむ、もちろん食べるぞ』と満面の笑み。そして僕らは二人並んで、食堂へと向かうのだった。
食堂には誰もいなかった。あれ、ミカエルは…?
その謎は不自然にぐちゃっと(変形という意味で)なった椅子や机と、置かれた紙切れが説明してくれた。
『チンピラはゲットしていきますbyガブリエル』
「…捕獲されたようじゃの…」
「仕事サボってくるから…」
暴れてみたけど勝てなかったんだな、ミカエル…。
兄上様のところに行ったはずだったのに、気がつけばあの少女に張り付いて一晩を過ごしてしまった。
「どうしてその日のうちに戻って来れなかったんですか」
巡が眠っている間に仕事をするなり、ルシファーに会うなり、出来たでしょうが。
心底あきれ返ってますみたいな、絶対零度の視線にさらされて、俺の機嫌は急降下していた。くそ、コイツが食堂で張ってたとは!
「そんなに巡が気になりますか。一晩中、枕元から離れたくもないくらい」
「そんなんじゃねーよ。ただなんか、動くのが嫌だっただけだ」
「だからそれが…、いえ、これ以上は堂々巡りですから、やめますけれどね」
ばん、っと紙の束が豪奢なつくりの机をぶっ叩く音がした。何度もした。
昨日のノルマと今日のノルマ、二つあわせてこれだけありますから、と用意されたのは書類の山。や、明らかにいつもよりも多いだろ。
「きりきり働いてくださいね」
「…お前、怒ってるだろ…」
笑顔の裏に浮かぶ怒りマーク。微笑みの天使ガブリエルが、実は一番怒らせてはいけない人物なのだと、この天界に住むやつならば知ってる。これ以上怒らすのは流石の俺でもまずい。
幸い今回、両手は自由である(足は拘束された)。さっさか終わらせて早く兄上様のところへ(あとついでにあの少女のところへ)行きたい。面倒だがやり遂げるしかないのだ、兄上様に会うために!頑張れ俺!
なんて自分を励まして何とかなったのは、最初の10分だけだった。っていうか向いてねーんだよ、書類仕事なんざ。
適当に読んで、判子押して、不備があればもう一度書き直させる。こんなん俺じゃなくても出来る仕事だっての。もっと適性あるやつがいるだろ…。
「しっかりとやっているようですね」
感心感心、などと偉そうにガブリエルがいうものだから、俺の眉間にはますますしわが刻まれる。誰がやらせてるんだっつーの。
なのにガブリエルのやつ、のんきにそういえばなどと雑談を仕掛けてきた。
「巡、どうでしたか」
「…どうでしたかって」
どうもこうもねーだろ。いったい何を求めてんだこいつは。
「楽しそうでしたか、と尋ねているんです」
「…全っ然」
楽しいなんて感情とはかけ離れてたぜ。あえて平坦に呟けば、同じくらい平坦な声音でそうでしょうねと返ってきた。
「神の欠片を持って生まれた人間は、常に不幸から守られるでしょう。けれどそれが幸福とは限りませんから」
「…どういうことだ」
「巡と、巡の家族の関係を見たのでしょう?彼女はたいした不幸もない人生を送っています。怪我や事故にもあったことがない。親戚にだって、寿命以外で亡くなった方はいない」
そんなこと知らねーよ。っていうかなんでお前は知ってんだ。
「この先の人生でも飢えや絶望などに見舞われることはない。けれど、それが単純に幸せに繋がっているわけではないでしょう」
幸せ。あいつの幸せ。…それはいったい、どうやって手に入れるべきものなのか。
「…あいつ、どっちかってーと不幸そうなツラしてたな」
「では不幸なのかもしれません」
ガブリエルはあっさりという。
「…お前最初に、不幸から守られるっていったじゃねーか」
「守られますよ。…けれど、心の内側から不幸がにじみ出てしまっては、どうしようもないのですよ」
わたくしたち天使は無力ですから、ガブリエルは熱のこもらない口調でそういい放った。