体だけじゃなく心も閉じた出来事
仕事の絡みもあって、自己啓発の本を読む機会が多い。
有名な一冊に、「愛は名詞でなく、動詞で考えるもの」という一節があった。
愛があるか、ないか、ということではなく、「愛とは、行動そものをさす」ということ。増えたり、減ったりするものではなく、ただ相手を愛する行動をすることだとあった。
なぜ、昔あったように感じたそれが、今はずいぶん無くなってしまったように感じてしまうのだろう。
たとえば、夫がパジャマがわりにしているジャージの古びた質感が、たまらなくイヤになる。
バラエティー番組に笑って、延々と酒を飲みながら、白髪を抜いたり、爪を噛んだりしている姿に、思わず目を背けてしまうのだ。
私が今日のニュースや、感じていることなどを話題にしたときに、「そういうもんだよ」と、何でも知っているように受け流す態度にも、毎度、がっかりする。
あなたなんか、何も知らないくせに。
私の、何ひとつも、知らないくせに。
以前は気にならなかった何もかもが、気に障る。
人間として、家族としては大切に思っているつもりだ。感謝も尽きない。
でも、男としては・・・
いつからか、私達に男女の関係はない。私が何度か拒んで、それっきりだ。
そうして夫は、風俗に時々行くようになっていた。軽い感染症の症状が出てしまったため、白状せざるをえない状況になり、仕方なく白状した。
夫は、ひたすら謝り、私は「自分も悪いのだから」と、理性で許した。
実際、自分を顧みれば、昔から夫に甘え、依存してきた自覚はあった。私は結局、精神的、経済的に自立できていないんだと思う。「自分は、ああはなるまい」と思っていた時分の母親にそっくりで、自己嫌悪に陥る。
だから、愛が目減りしてしまったように感じるのも、夫を受け入れられないも、結果、夫が風俗に行くようになったことも、すべて「私のせいでもある」と思ったのだ。
それでも。
それから心の中に、憎しみと落胆のような感情が、黒い影のように、こびりついた焦げのように大きく残ってしまった。
夫への愛が希薄に感じても、彼への信頼と尊敬は守られていた。それまでもが、どんどん漏れ出して、冷たい感情にすり替わっていく感覚。
ナゼ、ニゲタノ?
カッコワルイ。
裏切られたという気持ちが、何度もこみあげてくる。
そんな事態を招いた、自分への落胆と同時に。
状況は、もっと悪くなった。
私は夫に、体だけじゃなく、心まで閉じるようになってしまった。