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9月21日 午前7時~

 夏休みは本当に1カ月以上もあったのだろうか。始まる時はあんなに長かったのに、終わってみればこんなものか。まぁ8月の後半は補習授業だったから実質もう少し短かったわけだけど。

「あ、浅井君今日も時間通りだね。おはよう。」

 家の扉から神崎が出てきた。いつものことなのだが、神埼はまるで自分の家から出てくるとは思えない、恐る恐ると言った様子で現れる。いつかちゃんと話すから、ということなので、今は深く聞かないでいる。

「おはよう、神埼。今日は一段と寝ぐせが激しいな。」

「いいの、どうせヘルメット被るし。」

 そういって荷物をサイドバッグに押し込み、僕の後ろに神埼が座る。

「さぁいけメッシー!」

「そこはメッシーじゃないから!一応言うけどアッシーでもないから!」

 付き合い始めて1カ月が過ぎた。宣言通り、神埼の送り迎えは全て僕が請け負っている。もともと神埼は自転車通学であるから基本的に僕の送り迎えは必要なかったのだが、8月の補習が始まった頃に神埼の自転車は盗難にあってしまった。あんなボロボロなやつ盗んでどうするんだろうね、と神埼は笑っていたが、実際はかなりショックだったようだ。自転車を買いなおす余裕はないらしく、それ以来僕が送り迎えしている。神埼の家を見る限り、自転車1台くらいを買う余裕はあるように思えるのだが、そこは神埼と両親との問題なのだろう。時が来るまで、僕は踏み込まずにいる。


 朝礼は8時からなのでこんなに早く家を出る必要はないが、通勤ラッシュにつかまりたくないのと、みんなに見られたくないから、という理由でこんな時間に登校している。さらに学校から少し離れたところで神埼は降りるという念の押しようだ。まぁこれは、僕の前以外では普通の子でいたいという神埼なりの考えに則っているのであるけど。

「それじゃあ、また帰る時に声かけてくれよ。教室でぼーっとしてるから。」

「浅井君も飽きないね。じゃあまた帰りに。」

 そう言って手を振る神埼に僕も手を振り返し、学校の駐輪場までバイクを走らせる。神崎が降りると、妙に背中が寂しい。今までこれが当たり前だったのに、慣れって怖いなぁ。でも神埼に慣れる日はいつまでも来ない気がする。


 教室に入る頃には、7時30分になっていた。とは言っても、教室には一番乗りである。入学してから今に至るまで、僕は必ず無人の教室に登校してきた。が、それも今日で終わりのようだ。教室の中から妙な気配を感じる。僕は教室の扉の前で立ち尽くしてしまう。おかしい。今までこの時間は誰もいなかったはず。どうしよう…教室に入る以外に選択肢はないわけだが。

「…ぬん!」

 意を決し扉を開く僕。妙にやる気のこもった声出しちゃったよ。

「ぬわぁ!!」

 扉の反対側で驚きの声を上げる謎の人物。大体こういうの名探偵コナンだったら黒の全身タイツの人だよね。

「……」

 無言でその人物の横をすり抜ける僕。今月の席替えでも最後列を確保できた。じゃんけんは弱いのにくじ運は強いのだから世の中よくわからない。

「え、無視はやめようぜ?!マジで凹むから!」

 はぁ、と僕は息を吐く。今日も平穏な一日の始まりのはずだったのに…。

「で、お前何やってんの?」

 僕はもはや情けで質問をする。何で朝っぱらからこんなことしてるんだか。

「妙に眠れなかったから始発で来た!そして足音がしたから驚かしたくなった!」

 僕はお前と思考が同じなのか…!!何だか凄くショックだ…。

「あれ、なんでケーシィが落ち込んでんの?失敗したの俺だぜ?」

「…何も聞くな…」

「そうか、じゃあ聞かない!」

 こいつがこんな性格で良かった。もしここで問い詰められたら、僕はもう立ち直れない。

 というわけで、僕の連続一番乗り記録は今日で終了となった。そしてその原因は、何を隠そう田中である。なんだか妙に悲しい。

「で、お前が眠れないなんて一大事だな。普段のお前なら例え今まさに電車がやってくる線路の上でも寝ていられるイメージなんだが。」

「俺は命よりも睡眠を選ぶというのか!逞しいな!」

 相変わらず朝からテンションが高い田中。田中で発電ができるようになれば地球のエネルギー問題はあっさり解決するだろうに。

「で、なんで?」

「あ、いや、えっと…」

 口ごもる田中。何でもかんでも清々しいほどに言いきる田中にしては珍しい。

「べ、別に大した理由はないさ!何となく眠れない日があったっていいだろ?」

 相変わらず奥歯に何か挟まったような様子の田中。

 なんだかすっきりしないが、本人がそう言うのだから仕方がない。

「まぁ…なら…いい…け…ど…」

「ん?どうしたケーシィ?」

 僕の体が小刻みに震えだした。

 この感じ、この吐き気のするような、重く、苦い感じ。どこかで…。

「ケーシィ?」

 そして、間違いなく田中のほうから漂ってくる、この影のある感じ…。


憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。憎い。


「……うぅ、うわぁ!!」

「どうしたケーシィ?!」

 田中が寄ってきた。僕の体を支えようと手を伸ばしてくる。

「来るな!来るな!!」

 僕はその手を振り払い、田中を突き飛ばす。僕は這うようにして廊下へと転がり出る。壁に手をつき、息を整える。

 田中が?田中が?僕のことを憎いって?なんで?僕が何かしたか?意味がわからない。

「おいケーシィ!何すんだよ!」

 教室の中から田中が叫ぶ。何を言ってやがる。僕のことを憎いと思っておきながら。

「黙れ!お前のことはわかるぞ…よくもまぁそんな顔ができるな…」

「おい…何言ってるんだよ…」

 教室からこちらへと歩いてくる田中。突き飛ばした時に打ったのか、頭を押さえている。

「来るな…僕に近寄るな…」

「どうしたんだよケーシィ…俺が何かしたか?」

 困惑顔の田中。その顔に騙されはしない。僕には全てがわかる。

「…じゃあ言ってやるよ。お前は僕のことが憎い!憎いんだろ!!」


「…浅井君…何をしているの…?」

 田中ではない声に、ふと我に帰る。

「浅井君は汗だくで田中君を睨んでるし、田中君は頭を押さえて浅井君に迫ってるし…少なくとも朝の学校で見られる情景じゃないよね…?」

「神埼…これは…」

 さっきバイクから降ろした神崎が、もう学校まで来てしまった。

 何と説明すれば良いのだろう。田中が僕を憎んでいる?そんなこと神崎に話しても分かるわけがない。僕にしか分からないことなのだから。どうすればいい…。

「おはよう神埼さん。いやちょっと小学校の頃の話してたらケーシィ怒っちゃってさー今なだめてるところなんだよ。」

 唐突に神埼に説明を始める田中。

「何言ってんだお前…」

 田中が僕を庇う?何のために?僕のことが憎いのに?

「まさかあの話でお前がここまで怒るとは…すまなかった!許してくれ!」

 大げさに手を合わせ、頭を下げる田中。何やってんだよお前。意味わかんねぇよ。

「…浅井君…」

 僕のことを見る神埼。明らかに怯えている。とにかく今は、この場を収めるしかない。そうか、田中はとっくにそんなことわかっていて、嘘を言っているのか。

「…次は許さないぞ、田中。」

 やっと頭が冷静になってきたのか、やっとそれらしい言葉を吐くことができた。


 それから間もなく、ぞろぞろと教室に生徒がやって来始めた。あと少し神埼の登場が遅かったら、僕たちの喧騒をみんなに見られていただろう。

「よう、南!なぁ、昨日のNステなんだけどよ!え?見てない?!ないわーそれはないわー」

 田中は何事もなかったかのようにみんなに声をかけている。どんな時でも、田中はクラスの人気者である。打って変わって僕は、廊下につっ立ってそれを眺めているだけだ。

「…浅井君。」

 いつの間にか隣に神埼が立っていた。放課後以外の時間に、2人並んで立つのは初めてかもしれない。ただそんなシチュエーションを喜ぶ余裕は今の僕はない。

 返事をする気力もなかった。僕は顔を向けて聞いていることを示す。

「今日は居残りせずに帰りなよ。」

 それだけ言って、自分の教室へと戻って行った。

 始めて会った時のように、速足で。

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