8月2日 午前6時~
神がいるかなんてよく分からないが、もしいるのだとしたら、きっと神は僕のことが嫌いなんだ。知り合って間もない女の子と一緒に見ず知らずの土地でキャンプとは、一体僕はどれだけ気苦労すればいいんだよ…!
「朝だなケーシィ!」
「そうだな田中…。」
午前6時を朝だと僕は認めない。
始発の鈍行列車のボックス席で向い合って僕と田中は座っている。窓の外は既にうっすら明るい。流れていく田園はなかなかいい景色だが、そんなことより僕は眠いのだ。僕は瞼の裏を見たいんだ。
「今から山に行くってのにテンション低くないか?」
「僕はアメ車なんだ…回転数上げないとパワーが出ないんだよ…。」
なんでわざわざ車のエンジンに例えたのか、自分でも良く分からない。
この旅の道連れである女の子二人組は通路を挟んだ隣のボックス席で爆睡中だ。向かいの席に荷物を置いて、一方が肩に寄り掛り、もう一方がその頭に寄り掛かって、器用に寝ている。中村に優希と呼ばれていた女の子は隣のクラスの神埼優希と言う子だ。おとなしい子で、お嬢様といった感じ…と中村は僕に紹介してきたが、その子はまぎれもなく、あの痛い子ちゃんである。なぜだ、なぜ痛い子ちゃんがここに…なぜ中村の紹介が間違ったことに…。
「言ってることがさっぱり分からないが、ほら見ろ、日の出だ。」
そう言って窓を指さす田中。その先には太陽があるが、それは僕の目に映らなかった。窓に映る反対側のボッスス席、そこには天使、否、女神のような寝顔が2つ。なぜもっと早く気付かなかった…!
「ありがとう田中。」
「なんだ、日の出見たかったのか?」
少し嬉しそうな顔の田中。僕のお礼を素直に喜んでいるようだ。お前は純粋無垢な赤子か。
「ん…まぁ…。」
見たかったのは女の子の寝顔です、とは言えない。それに、僕も眠い。
そもそもなんで始発電車に乗る必要があるんだよ…。
「ところで田中。」
「なんだねケーシィ。」
「おやすみ。」
「おう…ってえぇ?!」
そそくさとヘッドホンを付ける僕。この手際の良さは誉められてもいいんじゃないか。
空は青く、所々に白い雲が漂っている。高原なのだろうか。風が吹き抜け、心地よい。
そこに僕は一人で立っている。周りには山が連なり、緑が美しい。その山々の麓に小さく見える建物。自然の中の人工物を無粋と感じる人もいるだろうが、僕は嫌いじゃない。遠くに来たことを実感させてくれるし、建物だっていい景色じゃないか。聞こえるのは風の音だけ。あぁ、このまま寝てしまいたい。僕は思い切って仰向けに…
「ケーシィーーもう着くぞー。」
田中の声の目覚まし時計があったら僕は一日で粉々にしてしまうだろう。憎しみをこめて幾度となく殴り続けるに違いない。まぁそんなことを言っても仕方がないので、僕はヘッドホンと口元に巻いておいたタオルを取る。あ、タオルはよだれ防止のためです。
「なんだ、今からいい夢でも見せてくれるのか?」
僕はこれからの苦労の分も含めて、精一杯の皮肉を込めて田中に言う。
「もう夢見てたじゃん?幸せそうな顔してたよ~」
僕の精一杯の皮肉をものの見事に受け流して、田中の代わりに返事をする中村。この前初めて絡んだというのに、もう話し方が馴れ馴れしい。そうだ、ここには中村もいたんだった。さっきの寝顔にはおいしい思いをさせてもらったが、いざこうやって向き合うと妙に緊張する。
いつまでも電車に乗っているわけにもいかないので、僕たちは駅のホームへと降り立った。時計を見ると午前8時35分。田中におやすみを言ったのは6時15分くらいだったから、2時間20分程度寝ていたようだ。それでも眠い。
「ねぇカズ、今からまず何するの?」
耳を疑うが、間違いなく中村から田中に向けられた言葉だ。今「カズ」って呼んだな?田中のことを「カズ」と呼んだな?お前らもう付き合えよ。
「そうだな、まずは泊まるところまで行って、それから…。」
田中と中村ってそこまでの関わりがあっただろうか?そういう人間関係に疎い僕にはさっぱりわからない。
「あの、浅井君…。」
「…!!」
これからの予定を話し合っている2人を遠巻きに眺めていた僕は、思いもよらぬ声に驚いてしまう。傍から見てもビクッとなったように見えたのでは、と心配したが、僕のことを笑っている人はいないようだ。
「あ、あぁ神埼さんか…なに?」
「『神埼さんか…』って、何か残念な感じ…。」
「いや全然!というか声が聞けて嬉しいです!」
気まずさに耐えられなかったのか、痛い子ちゃんから話しかけてきた。何故か下手に出てしまった僕。何やってんだ。
「今まで全然話す機会とかなかったんだけど…初めまして、神埼優希です。よろしくね。」
「あ、浅井啓司です…よろしく、お願いします…。」
礼儀正しく挨拶をされ、僕もとりあえず挨拶を返した。顔は笑顔だが、困惑が僕にははっきりとわかる。間違いなく痛い子ちゃんだ。「初めまして」って何だよ。
「……」
「……」
妙な間が二人の間に流れる。このままでも居られない。訊くしかないだろう。
「あのさ、初対面じゃないよね?」
「…忘れてって言ったのに。」
多少苛立ちを含んだ返事が返ってきた。やはり痛い子ちゃんだった。今は名前がわかっているのだから神埼と呼ぶべきか。
「君みたいに変わった人のこと忘れたりしな―」
「宏美の前では私は普通の子で通ってるの。普通じゃなきゃいけないの。私は変な子じゃいられないんだよ。だから他の人の前では変な私のことを忘れてて欲しい。」
僕の言葉を遮って、神埼は厳しい口調で言った。5月の時とは全く違う。
「そんなに気にしなくても普通にしてれば…」
「だから普通にしてるんだって!浅井君も普通に私に接して…お願い。」
言葉の最後は懇願になっていた。ふざけたキャラ作りなどではない、必死なものを感じる。神埼にどんな事情があるのかはわからないが、ここは素直に従うことにした。
「…わかった。」
「ありがとう…よろしくね、浅井君。」
やっと心から笑ってくれた。ヤバい。すっげー可愛い。
「ねぇそこの2人~青春するのはそこらへんにして早く行こうよ~」
空気読め中村。
駅からバスに乗り、そのバスから降りて、歩いて30分程だろうか。電柱や街灯もまばらになり自然が増えてくる。結構高い山らしく、草木の切れ間から見える景色は悪くない。
「さすがカズ!いい場所持ってるねぇ~」
「持ってるのは俺じゃなくてじいちゃんだって言ってるだろ宏美。」
はしゃぐ中村と、言われてまんざらでもなさそうな田中。荷物を持たされている僕を置いてずんずん歩いていく。なんで僕の左手さんはこんなにじゃんけん弱いんだよ…。
「ねぇ、浅井君…。」
「え!あ…うん?」
神埼が「普通に」話しかけてきた。5月の時とは全くテンションが違う。こんな風に接されると普通の女の子みたいだなぁ…。それはそうと荷物持ってくれないか。
「別に大したことじゃないんだけど…くしゃみする時に「ペプシコーラ」って言ったら、くしゃみの音上手くごまかせる気がしない?」
前言撤回。やはりこいつは変だ。
「いや、ほら、くしゃみって「へぶしっ」とか「へくしっ」って表現したりするし、何となく近いかなぁと思ったから…」
「説明しなくていいから!それに仮に上手くごまかせても突然ペプシコーラって言ったらそれはそれでおかしいから!」
つい普通につっこんでしまう。神埼が変であればあるほど、僕は楽しくなってくる。それはそうと荷物持ってくれないか。
「なんかこの会話結構変な気がするけど…それはそうと荷―」
「今は2人きりだから。それに浅井君、結局変な私のこと忘れてくれないし。」
中村と田中はいつの間にか見えなくなるほど小さくなっている。
神埼はちょっと目を細めて僕のことを非難してきた。ヤバい、すっげー可愛い。
「普通でいるのって結構疲れるからさ、もうバレちゃってる浅井君の前だけなら変でもいいかなぁーって。浅井君もちょっと変だし。もしかして嫌?」
大きく伸びをしながら微妙に失礼なことを言う神埼。その場でくるっと回ったり、ふらふら歩きまわったり、しゃがみ込んでみたり、自由極まりない。一緒にいるだけでこんなに楽しい人間は初めてだ。こんなところでこんな子と出会わせてくれるなんて、もし神がいるなら、神は結構僕のこと好きなんじゃないか。
「まぁいいよ。僕も結構楽しんでるし。それはそうと荷物―」
「そう?ならいいんだけど~。それじゃ私二人を追いかけるからお先~!」
にこっと音が出るのではないかと思うほどいい笑顔をして、神埼は走って行った。そこに残されたのは疲労困憊の僕と4人分の荷物。
「…これは試練なんだ…神様なりの愛なんだ…」
次の電柱までって、そんなもんどこにも見当たらねぇよ。




