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同日 午後8時~

「面白くない。」

 神埼はつまらなそうにして、口を尖らせる。

「エロ本も、AVも、グラビア雑誌も、同人誌もないなんて、男としておかしい!」


 数分前、学校を出た神埼と僕はバイクに乗りまっすぐ我が家へと向かった。

 僕が我が家の扉を開くと、ちょうど居間から姉が出てきたところだった。姉はジャージのハーフパンツにTシャツという適当な格好で、風呂上がりなのか首にタオルを巻き、サイダーの缶を持っている。おかしいな、近所では美人で評判の姉のはずなのだが。

「あ、啓司おかえり。『ただいま』くらい言いなさいよー…その子は…?」

 姉は僕の後ろにいる神埼を見て一瞬動きを止めた。僕が今まで男友達を連れて来た時とは明らかに違う反応である。

「あぁ、この子は…」

「神崎優希です。浅井君とは高校で仲良くさせてもらっています。よろしくお願いします。」

 神崎が僕の紹介よりも早く自己紹介をした。本当、僕の前以外では良くできた普通の優等生なのだから驚きである。

「……」

 ぽかーん、という言葉そのままのような顔をして立ちつくしている姉。

「姉さん、何つっ立ってんだよ?」

 姉のそこからの表情の変化はスローで見たいくらいだった。目を見開き、血相を変えて、驚愕の表情を構築していく。

「母さん!啓司が女の子連れて来た!しかもめっちゃ可愛い子!」

 キッチンに走り去って行く姉。

 それからは母まで巻き込んで大騒ぎだった。母は神埼の写真を撮ろうとするし、姉は神崎を質問攻めにするし…。まぁ確かに僕が女の子を連れてくるなんてことは今までなかったけれど、そこまで驚かなくてもいいじゃないか。僕は多少なり傷ついたぞ。

 とりあえず神崎を僕の部屋へと避難させ、僕は騒動を収めるため居間へと戻った。姉と母は僕に「あの子誰?!」を合計で30回は言ったと思う。僕は「ただの友達だから!」を

20回くらい言ったと思う。なぜ僕のほうが少ないかと言えば、何回か質問を無視したからである。苦労を察してほしい。

 そして疲労困憊の僕が部屋へと戻ってきた時、神埼はちょうど僕の部屋の探索を終えたところだった、というわけだ。


「いや、別に男って必ずそういうの持ってるわけじゃないよ?」

 僕はベッドに座り、そっぽを向いている神埼に向けて言う。まぁ別にそういうものに興味がないわけではないが、それにお金をかける気にはなれない。何と言うか、そういうものを買っている自分を想像すると勇気が出ない。チキンでごめんなさい。

「嘘だ!私の情報が正しければそれは嘘だ!」

「その情報のソースはどこ?」

「宏美!」

 ダメだ…偏見の塊だ…。

「あーあ。せっかく浅井君の趣味通りの格好してあげようと思ったのに…」

 な、なんだって…。それって、どこまで?どこまでしてくれるんですか!

「え!なら買ってくるから待ってて!」

「嘘です!馬鹿!」

 神埼の鉄拳制裁。なんで僕は自分の部屋で女の子に殴られてるんだろう。

 というわけで、そろそろ本題へと戻る。


 僕は学習机の椅子に座る。放課後教室に居残るようになってから、この椅子はしばらく使っていない。ねぇ浅井君、と神埼が尋ねてくる。

「今日放課後ずっと教室にいたのは考え事してたからだったよね?どんなこと?」

 神埼の貫くような視線が僕に向けられた。この目を向けられたら、人の目を見て話せない僕でも神埼の目から視線を外せなくなる。

「色々考えてたよ…」

 放課後の教室は落ち着く。世界から隔離されたような感じで、一人になった気がする。

「…田中君のこと?」

 神埼は鋭く僕の考えを予想してきた。田中のことを話すのであれば、僕の問題のことも話さなければいけない。それは僕にとって、恐れていることでもある。人の気持ちがわかる、なんていう奴は大抵詐欺師か怪しい宗教の人の言葉である。僕もそんなふうに思われるのではないか、そんな恐れが、いつも僕の口を塞ぐ。

「そう…田中のこと。」

「どんなこと?」

 でも僕は神埼を信じている。神崎も僕のことを信じている。

「神埼…人の気持ちって分かると思う?」

「…?急にどうしたの?」

「僕には、わかる。もちろん細かく考えが分かるわけじゃないんだけど、なんとなくわかる。この人は嘘をついてるとか、言葉の裏に隠された感情とか、そういうのが。」

「……」

 神埼は黙って僕から目を逸らす。人の気持ちがわかる?ちょっとおかしいんじゃないか。そう思って当然だ。神崎も、僕の告白に戸惑っているに違いない。

「そうか、そういうことなんだ。なるほどね。」

 驚きよりも、納得という表情を見せる神埼。

「…なんか意外な反応だな。」

 神埼はこちらに向き直り、再び僕の目を捉える。

「そう?なんか納得しちゃった。浅井君鋭すぎるんだもん。世間で言うところの鋭いとかそんなレベルじゃないよ。たまに恐かったし。だから、そういうことなんだってわかってちょっと安心した。」

「…安心?…」

「そう、安心した。受け入れられるってのが正しいかな?もし浅井君がその鋭さのことずっと隠し続けてたら、なんでこんなに深読みしてくるんだろうって、ちょっと怖くなってたと思う。でもこうやって浅井君のこと知ることができたら、理解ができる。もし浅井君が鋭いこと言っても、浅井君にはそういうところがあるって知ってるだけで全然違う。例えば、浅井君が私の考えがわかって嫌な気持ちになったとするじゃない?もし私が浅井君が鋭いことを知らなかったら、なんで浅井君が嫌な気持ちになっているかもわからないし、なんで浅井君は嫌そうにしてるんだろう、私が悪いのかなって、もっと暗い雰囲気になっちゃうかも。でも知ってれば、浅井君が嫌な気持ちになってる理由だって理解できるし、私はこんな理由でこんなふうに考えてますって説明もできるし。」

 笑顔を見せる神埼。話してみれば、どうということもなかった。いや実際は神崎にも色々苦悩があったのかもしれないが、受け入れてもらえている。

「…普通は僕みたいなやつと付き合ってたら気が滅入ると思うよ。」

 正直な感想だ。自分の考えが筒抜けだとわかっていたら、相当なストレスに違いない。作り笑顔も、嘘泣きも通用しなくなるのだから。

「私はばれて困るような考えは持たないから。もしそんなこと考えちゃっても、浅井君にならばれてもいいかな。それに…」

 神崎の表情に寂しさが浮かぶ。初めて会った、あの教室でも同じ表情をしていた。

「私、普通じゃないし。」

「その寂しさの理由は説明してくれるんだよな?」

「はは、やっぱりわかるんだ。うん、説明するよ。けど今は浅井君と田中君の話が先。」

そう言うとすぐ、神崎の顔から寂しさが消えた。


「今日の朝、田中君ともめてたのは、田中君の感情がわかったから?」

「そう。今日珍しく田中が僕より早く教室にいて、少し話してたんだけど、急に田中から感情が伝わってきて…今まで田中から感情が伝わってきたことってなかった。だからずっと一緒にいられたんだと思う。けど、今日の朝、田中は―」

「嫉妬の感情じゃなかった?」

 神崎が僕より先に言う。

「嫉妬…ではなかったな。重苦しくて、吐き気のするような…憎しみだった。」

「憎しみ…」

 神崎が僕の言葉を繰り返す。何か心当たりがあるのか、思案している。

「浅井君、言ってなかったんだけど…」

「…?」

「私、9月になってすぐに田中君から告白されてます。」

「…そうか…えぇ?」

 思わず聞き流しそうになってしまった。

「言ってなくてごめん。田中君からも口止めされてたから…」

 でも、あまり驚くようなことでもない。8月のキャンプの段階で、田中は神埼のことを好きだと言っていた。あれから1カ月の間に、決意を固めたのだろう。

「もちろん私には浅井君がいるからって断ったんだけど…浅井君、田中君に付き合ってることまだ言ってなかったんだね。凄く驚いてた。だから、田中君嫉妬しちゃったのかなって思って。」

 大いにあり得る話だ。だが、大いにあり得ない話でもある。田中は強い男だ。仮にそう思ったとしても、いつまでも引きずる男ではない。田中は常に原因を自分に求める男だった。

 そのことを神崎に伝えると、神埼は妙に納得したような顔して言った。

「だったら浅井君、田中君が憎いって思ってた原因もわかるよね。」

「…?」

 なぜ原因がわかる?僕は何とか頭を回転させる。

 浅井君、と神埼は続ける。

「田中君と浅井君はずっと一緒にいたんでしょ?多分田中君のことだからひとまず浅井君に相談したりとかしてたんじゃない?そこまで信頼していた浅井君が、自分の片思いの相手を知っていながら奪った上に、それを隠していたら?」

 僕の思考が一つの答えに結びつく。

 田中の心に憎しみを生み出したのは、紛れもなく僕じゃないか。僕は田中が神埼のことを好きなことを知っていた。僕と田中には信頼関係があった。そういう仲だった。田中がいつか神埼に告白するかもしれないこともわかっていた。それならより一層、僕と神埼が付き合っていることを田中に伝えるべきだったのだ。神崎からこの真実を告げられた田中の心は、想像するに余りある。憎しみを、田中はずっと抑え込んできていたに違いない。だけど今日、何かの拍子でそれが溢れだしてしまったのだと思う。

「僕は…なんてことを…」

 それなのに、僕が田中にとった行動は?投げかけた言葉は?

 僕は田中を、裏切ったんだ。

「浅井君、夏目漱石の『こころ』って知ってる?」

 唐突に神崎は僕に質問を投げかける。質問の意図がわからない。

「…何言ってるんだよ。」

「先生って呼ばれる人とKって言う人がでてくるんだけど、この2人は同じ人を好きになってしまいます。先生はKからその人のことを好きになったと打ち明けられます。Kは強い理想を持った人で、自分が人を好きになったことに苦しんでいました。」

 神埼の口調は子どもに本を読み聞かせるように穏やかだった。

「ところが先生はKに内緒のまま、その人と結婚してしまいます。その後もしばらく、Kに打ち明けぬまま生活が続きました。そうしているうちに、下宿先の人がKに先生が結婚することを話してしまいます。」

「……」

「さて、Kはこの後どうなるでしょう?」

 神埼の意図が少しずつ分かり始める。僕と先生、田中とK、それぞれが重なってくる。

「…どうなるんだよ。」

「死ぬの。自分で喉を掻っ切って。」

 神埼の穏やかな表情が恐ろしいほどに残酷だった。

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