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04 彼の報われなかった恋の話

 その、二週間後。

 私が再び上司に無理矢理仕事をもらってから部屋に戻ると、いつものように宮の扉の前に月柏怜(ゲツハクレイ)が立っていた。しかし今日は少し様子がおかしい。私の部屋の扉ではなく、私の宮を取り囲む青々とした葉を茂らせる大木を、苔むした巨石を、どこかぼんやりとした様子で眺めやっている。

 真夏の太陽のせいで、具合でも悪いのだろうか? ハクレイは野外演習のある武官ではなく、年中屋根の下にいる文官だから、太陽云々はあまり関係ない気がするが。


「……あの、ハクレイさま、大丈夫ですか? お加減でも?」


 私の出現に気づいていない様子のハクレイに恐る恐る声をかけると、ハクレイがふっと私を見た。

 その顔はひどく青ざめていて、まだ昼前だというのに、私は幽霊に会ってしまったかのような心地がした。すなわち、ぞっとした。


「ど、どうされたんです? 一体……」


 誰もが見蕩れる美貌の持ち主が、血の気を失っていると非常に怖い。私が恐ろしさで一歩後ろに下がりながら訊ねると、ハクレイは呆然としたまま、なんとか、と言った様子でゆっくりとくちびるを動かした。


「……今日、」

「はい」

「久しぶりに、私のところへ縁談が持ち込まれまして」

「……はあ」


 別に、不思議なことではないと思う。結婚するしないは自由だと思うが、仮にも結婚を斡旋する部署の長なのだ。そういう話題が振られて当然――というか、振られない方がおかしいだろう。

 むしろ彼がどうしてそういうふうに言い出したのかがわからなくて、私はつい曖昧な相槌を打ってしまう。

 私の態度を特に気にした様子もなく、月柏怜は続けた。


「……随分昔の話ですが、私には婚約者がおりまして」

「……知っております。有名ですから」


 するとハクレイは、自嘲するように笑った。


「有名、有名ね。きっとあまりいい意味ではないでしょう。この歳まで引きずっているなんて馬鹿だと、面と向かってよく言われます」


 それは、そうだろうと思う。

 二十二の若さで一部署の長にまで上り詰めた、有望すぎる文官。だがここからさらに出世していこうと思うなら、結婚して子を成すことが必須になってくる。実力主義の文官とは違い、文官は縁故関係が出世にかなり作用するからだ。つまり結婚をして、月家という後ろ盾の他に、もう一つ、妻の実家という後ろ盾を得る必要が出てくる。


 だからこそ、高い地位を望む貴族出身の文官たちはできるだけ早く、高い地位にある貴族令嬢との結婚を望むものなのだが、この人はそれを頭から放棄していた。つまりそれは、失われた恋に殉じてこれ以上の出世を放棄しているということで、そんな彼の姿勢を純粋にもったいないと思う人間もいれば、出世できる見込みがあるのにしない馬鹿なやつ、と(あざけ)る人間もいて当たり前だった。


 ハクレイは、視線を再び私から木々へと移動させ、どっぷりと過去に浸っているのが丸わかりの表情で、「かわいらしい姫でした」と呟いた。


「本当にかわいらしい、年下の姫。天真爛漫で、太陽のように明るくて、いつもにこにこと笑っておいでで……。政略結婚という体にはなっていましたが、姫が……、あの方が数回会っただけの私の話を何度も何度も繰り返して下さったからこの縁談が組まれたのだと聞いたときは……、まさに天にも昇る気持ちになりました」


 一拍置いて、私は訊ねた。


「……その姫は、どうされたのですか?」


 城にいる者なら誰でも知っている。結ばれなかった恋の話。


 ハクレイは悲しみを湛えて、私を見つめた。そして苦しげに、絞り出すように言う。その事実を、未だ認めたくないというように。


「――亡くなられました、突然。婚約して、一月も経たないうちの出来事でした。……あまりにも突然の別れだったからでしょうか。私は今でも、あの方を忘れられずにいます」


 今日はあの方の命日で、そんな日に久し振りに縁談が持ち込まれて、情けないことに激しく動揺してしまったのです、と、やっと少しいつもの調子に戻った月柏怜が、俯き加減でそう言った。


 ……命日まで、よく覚えているものだ。

 私は呆れ果てると同時に感心した。この人の恋は本当に、本物だったのだ。本当に、恋に殉じているのだと。

 それが痛いほど伝わってきたから、私はあえて、弱っている彼に追い打ちをかけた。


「……――忘れた方がいいですよ」


 案の定、彼はひどく傷ついた顔をした。すでに大きなひびの入った彼のガラスのように繊細な心が、私の言葉でさらにひびが割れていくのが手に取るようにわかったけれど、私はいつもの無表情面で、容赦なく彼の心にひびを入れた。


「でないと幸せになれないでしょう。死者はもう生き返らないのだから」


 同じようなことを、今までも散々言われてきたのだろう。そして言い返したところでまともに取り合ってもらえないと身に染みて理解しているハクレイは、何も反論してこなかった。

 ただ悲しそうに、辛そうに、苦しそうに、なんとか微笑んで、言葉を紡ぎ出した。


「……死者はもう生き返らないとわかっていても、私にはあの方を忘れることなどできません。あの方は、あのときの私の人生のすべてでしたから。……つまらない話を長々とすみません。どうも具合がよくないようですので、今日はこれで失礼いたします」


 私なんぞにいつものように深々と頭を下げたハクレイは、最後にそっとつけ加えた。


「私は、私は婚部(こんぶ)の長として、せめてみなさまには幸せな恋愛を――幸せな結婚をしてほしいと思っているのです。その気持ちは本当なのですよ」


 と。

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