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服装に問題アリ!

作者: ムクダム

 人の服装を馬鹿にしてはいけない。服装センスに疑いを持ちつつ、店員との会話をぎこちなくやり過ごして慎重に検討を重ね、決して安くない代金を払った末に目も当てられない格好となった人間(私のことだ)を笑うことは、最後の審判において釈明を求められるレベルの罪悪である。

 自慢ではないが高校を卒業するまで私服を笑われることはなかった。服は親が選んで買ってきたものを着ていたし、平日は制服と部活のユニフォームで固定されていたので、私服を他人の目に晒すのは休日の限られた時間だけだったのだ。おまけに中高一貫の男子校に通っていたので、学び舎で交流するのは感性が小学生で止まっているような連中ばかりだった。その中にあって私は小学6年生レベルには成熟していたのだ。私服のセンスを問われるような環境に身を置くことがなく、しのぎを削っていたのは学力テストの点数とゲームのスコアくらいのものだった。

 そんな平和な世界は大学進学とともに一変した。キャンパスには男女が入り乱れ、中学高校を男女共学で生き抜いてきた猛者が数多く集まっていた。当然、私服のセンスにも歴然たる差が生まれることになる。ダサい格好で後ろ指刺されるキャンパスライフを回避するために、某量販店で私服一式を揃えた。当時流行っていた映画の登場人物の装いを参考にコーディネートし、大看板に支えられているという自信を持って大学生活に飛び込んだが、第2外国語の授業でのクラスの顔合わせでその自信は粉微塵となった。ひしめき合う同年代の男女の誰もが垢抜けた格好をしている。まるで色とりどりのサラダバーコーナーの片隅に、皮に泥のついたままのジャガイモがゴロンと置かれているようなものだ。地味なくせに変に目立って恥ずかしい気持ちになる。

 映画を参考にした服選びに問題があった。劇中の人物と私としては体格に大きな差があることを見逃していた。格好良いと思った服を着れば間違いないという少年の純粋な気持ちは、自分の体型、パーソナルカラーを踏まえて服を選ぶという大人のルールに無頓着だったのだ。

 猛省し、自分の体型にあった服装で授業に臨んだが、クラスメイトの目は懐疑的だ。服装はバランスが大事ということを学んでいたので、着ている人間が地味なのだから、服の柄を派手にすることでバランスが取れているという説を披露したが理解を得ることは出来なかった。当時の私は燃え上がる炎のような柄のシャツやショッキングピンクのポロシャツを愛用していたのだ。

 まずはファッション雑誌を読む様にとのアドバイスをもらったが、本屋でパラパラと眺めたものの恥ずかしさで目を背けてしまった。雑誌に載っている整った造形の人間を見ていると、不甲斐ない自分のボディと比較し気が引けてしまったのだ。モデルのような別世界の人種としがない一学生を比較するのは間違いだということは分かるが、プライドだけは一人前だった私にはどうにも受け入れ難い現実だったのだろう。

 その後も悪戦苦闘は続く。原宿や渋谷まで足を伸ばし服を買い集めたが、どういうわけか自信を持って選んだ服は不評で、深く考えず買った服を褒められることが多かった。確信した。自分には服装選びのセンスが欠如している。

 だが、ここで一つの光明が差し込んだ。自分のセンスと真逆の服を選べばおしゃれになるということではないか。マイナスの反対方向はプラスである。これで薔薇色の大学生活が送れるという喜びでアクセルを踏み込んだが、心のブレーキが急停止を選択した。自分のセンス言い換えれば自分の信念と反する道を選択して、果たして充実した人生を送れることができるだろうか。答えは否である。自己表現を放棄しては本当に生きているとは言えない。生ける屍がキャンパスを彷徨いているようなものだ。たかがファッションの話であるが、小さなところから自分の色を消していくことが大きな意味での人生の喪失につながる予感があった。一方で壊滅的なファッションで学生生活を灰色にするわけにはいかないという思いもあった。服が鮮やかでも生活が灰色では意味がない。大事なのは自分を生かしつつ、薔薇色の生活を送ることだ。

 自分なりの妥協点、折り合いのつく服装の選択基準を作り上げる必要がある。完全なる自己否定はもっての外だが、己のみを信じて突き進んでいけるほど大学生活という荒野は甘いものではない。

 そこで、ファッション雑誌と訣別し、自身のセンスを磨くという選択肢を除外した私が選んだのは、自分の中に他人の視点を作り出すという道だった。服を選ぶとき、他人がその服に身を包んだ私を見て抱く感想を想像し、それが私の自尊心の許容範囲内であるかどうかを基準にするのである。他人の感想を正確に想像できるのかと問われそうだが、そもそも他人の考えていることなど分かるわけがなく、私たちは日常的に他人の気持ちを想像しながら生きているのだから支障はないはずだ。

 薔薇色の大学生活への道が開けたと確認したが、時間をかけすぎた。すでに大学生活を半分以上を消化し、資格試験や就職活動に追われる日々を迎えていたのだ。ファッションがどうとか言っていられるステージはとっくに通過していた。忸怩たる思いが芽生えたが、人生はまだまだ長い。この教訓を社会人生活で活かせば良いのだ。過ぎ去ったことを悔やまないのが私の長所の一つだ。一方で、チャンスを逃さないように事前の対策を講じることを怠るのが短所である。

 さて、上記のような服装選びのルールを確立した私だが、先日ビビッと感じるシャツを見つけた。海外の有名ブランドのもので、結構な値段がする。派手な柄だが、描かれているのは風光明媚な水の都の風景だ。基準をクリアしていることを確認し、購入。後日、その服を来て人と会ったところ、一言「すごいオタクがこっちに来ると思った」という矢が胸を貫いた。アイドルのライブなんかでよく見るフルグラフィックTシャツと見間違えたらしい。

 理由を尋ねると、色と柄がそれっぽいことに加え、私ならそういう服を着ても不思議はないというイメージがあったとのこと。服装選びのセンス以前に、私という人間の日頃の佇まいに問題があるようだ。おしゃれへの道は険しいと理解した。 終わり

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