7.寄り道
午後の授業は、いつも以上に長く感じられた。黒板に書かれる無味乾燥な文字を、ただひたすらにノートに書き写す。俺はペンを走らせながら、ふと窓の外に目をやった。
薄曇りの空の下、グラウンドでは体育の授業だろうか、生徒たちがサッカーボールを追いかけている。そんな景色を眺めていると、昨夜のことがふと頭をよぎった。シオリとふたりで、夜空を飛んで海面を蹴り上げたこと。木の上で語り合った、互いの孤独と希望。あんなにも鮮明で、まるで現実の出来事のように感じられる。
――パシッ
突然、頬に軽い衝撃が走り、ノートの端を丸めた紙が机の上に落ちた。見ると、アヤカがクスクス笑いながら、目で「中身を読め」と指示している。俺はそっと紙を開いた。
『今日バイトないよね? みんなで寄り道するぞー!』
いつも少しだけ拗ねたような響きを含んでいたアヤカの声が、文字からは弾むように聞こえてきた。俺は小さく微笑んで、彼女に頷き返した。アヤカも満面の笑みで頷いた。
放課後、みんなと過ごす時間。それは、俺にとって何よりも大切な、かけがえのない時間だった。
授業が終わり、俺たちは駅前のバーガーショップにいた。店内は学生たちで賑わっており、活気に満ちている。ユウキは大きな口を開けてハンバーガーにかぶりつき、アヤカはポテトを数本ずつ丁寧に食べている。
「いやー、やっぱりタクミがいないとつまんないんだよなー、寄り道も」
ユウキがそう言って、紙ナプキンで口元を拭いた。
「またまたー。ユウキがいるじゃん」
「いや、俺は面白くないだろ。タクミのツッコミがないと、アヤカのボケが映えないんだよ!」
「はぁ? 誰がボケだって!?」
アヤカがユウキを睨みつけ、二人の間でいつもの言い合いが始まった。俺はふたりのやりとりを眺めながら、思わず笑みがこぼれる。このくだらない時間が、俺にとっての日常だった。
そんな時、ユウキがスマホを取り出し、俺たちに見せた。SNSのニュース画面だった。
「なあ、これ知ってる? 最近、夜空が赤く染まる現象が目撃されてるんだって。これ、この前見たやつなんだけどさ」
写真に写っていたのは、見慣れた夜の街並みの上空が、不気味なほど真っ赤に染まっている光景だった。俺は一瞬、息をのんだ。
「なんか気持ち悪いよなー。天災がおきる前触れとか?」
ユウキが興奮した様子で言う。
「あんたはいい加減に中二病を治せよ!」
アヤカが呆れたようにツッコミを入れた。俺も笑いながらそれを聞いていたが、SNSの写真を見る顔は少し真剣になっていた。
シオリと会ってから、明晰夢の世界が少しずつ変化しているような気がしていたからだ。空飛ぶクジラや、マッチョな銅像といった微笑ましい変化だけでなく、もっと大きな、俺の知らない何かが起きているのかもしれない。
「ふーん」
俺は素っ気なく返事をしたものの、その不気味な赤色の空が、少し気にかかっていた。
バーガーショップを後にして、俺たちは3人で自転車を押しながら、駅前の通りを歩いた。夕暮れのオレンジ色が街を染め、行き交う人々の影が長く伸びていく。
「それにしてもさ、タクミはほんとバイトばっかりだよね。高校生なのに、もっと遊ばなきゃ損だよ」
アヤカが少し心配そうな顔で俺に言った。
「えー、もしかして、彼女にプレゼントでもするの? 彼女いるならいるって言えよ! 俺、応援するから!」
ユウキが茶化すように言う。その言葉に、アヤカは「バッカじゃないの」と呆れていた。
俺は少し照れくさくなって、頭をかきながら正直に答えた。
「いや、違うんだ。バイト代は、家の生活費の足しにしてるんだ」
ユウキとアヤカが、驚いたように顔を見合わせた。
「母さん、一人で俺をここまで育ててくれたからさ。少しずつ、恩返ししないとなって思って」
俺がそう言うと、ふたりの顔からからかいの表情が消え、真剣な眼差しになった。アヤカは申し訳なさそうな顔で俯き、ポツリと呟いた。
「そっか……なんか、ごめん。何も知らずに」
ユウキは両目を大きく見開き、俺を凝視している。
「おまえは……男子高校生の鏡だ! 泣けるぜー!」
ユウキはそう叫ぶと、俺に飛びつき、大袈裟に泣き真似をしながら抱きしめた。俺は笑いながら、彼の背中を優しく叩いた。アヤカはそんな俺たちの姿を見て、優しい笑顔を浮かべていた。
「タクミ、すごいね。応援してるよ」
アヤカのまっすぐな言葉が、俺の心に温かく響いた。
みんなと別れ、一人で自転車をこぎながら家路につく。夕陽に染まる街並みが、やけに綺麗に見えた。バイトの疲れも、授業の退屈さも、この日常の中にある温かさの前では、どうでもいいことのように思えた。
でも、夜空の赤色が、頭の片隅から離れない。夢の世界に異変が起きているとしたら、それは何だろうか。そして、その異変は、シオリにも影響するのだろうか。そんなことを考えながら、俺はペダルをこぎ続けた。




