14.陥没
午後三時過ぎ、チャイムが授業の終わりを告げる。
放課後の活気あふれる教室で、俺はぼんやり窓の外を眺めていた。
グラウンドでは運動部のかけ声が飛び交い、遠くには門へと向かう生徒たちが、こちらも賑やかな様子で帰路についている。
そんな日常の風景に、なぜかホッと胸を撫で下ろす。夢と現実が重なり、様々な異変が起きている今、この変わらない日常が何よりも尊く感じられた。
その日もいつものとおりバイトを終え、コンビニを出たときだった。
「タクミくん!」
突然、俺の肩をトントンと叩く手が。振り向くと、そこにはシオリがいた。
俺は一瞬、心臓が跳ね上がった。
「シオリ!?」
「うん、シオリだよ!バイト終わった?」
「終わったけど、どうやって…」
俺は驚きを隠せないでいた。シオリは、にっこり笑って俺の自転車の後ろに座った。
「テレポートだよ。今日は早めにベッドに入ったの、それで金縛りになったから、すぐにタクミくんのバイト先に来てみたの!」
シオリは嬉しそうに、子供のように瞳を輝かせている。だがすぐに神妙な面持ちになった。
「タクミくん、聞いて。今、テレビでやってるんだけど、これ、見て。」
シオリはスマホを手に取り、動画ニュースの画面を見せた。そこに映し出されていたのは、都市部の道路が巨大な口を開けたように陥没した映像だった。
まるで、怪獣が踏み抜いたかのようにぽっかりと空いた穴の奥には、濁った水が流れ込んでいる。
「これ、ニュースになってるんだ。不発弾の自然爆発の可能性だって…。道路が陥没して、乗用車が転落したんだって。運転手さんがまだ見つかってないの…」
心配そうな声でシオリは話した。俺はスマホの画面を凝視する。画面の隅には、大型のショベルカーが懸命に土砂を掘り返している様子が映し出されていたが、その作業は、流れ込む水に阻まれているようだった。運転手らしき人物の顔写真が画面の端に小さく表示されており、「生存が危ぶまれています」というテロップが、俺の心臓を締め付けた。
俺は思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。夢の世界での俺とシオリの能力は、現実世界にも影響を与える。それは、もう証明されたことだ。
「タクミくん…私たちの力で、助けてあげられないかな?」
シオリは、懇願するように俺の手を握った。その手は、冷たく、そして少し震えていた。俺は彼女の目を見た。そこには、恐怖と同時に、強い意志の光が宿っていた。
「…ここから現場まで、かなりの遠さだけど…」
「飛んでいこうよ!タクミくんの力なら、大丈夫だって!私たちなら、きっと助けられる!」
「だけど…」
俺はためらった。助けたい気持ちは山々だ。
しかし、もし、人前で超人的な能力を使えば、俺たちの存在が広く知られてしまう。それは、カオルさんが言っていたように、悪用される危険性もはらんでいる。
だが、シオリの瞳の奥にある、切実な願いを前に、俺は何も言えなかった。
「もう時間が残されてないんだよ!お願い…!」
その強い訴えに、俺は抗うことができなかった。
「…わかった。行こう」
俺がそう言うと、シオリは安堵と喜びが入り混じったような表情で、俺に微笑んだ。
「タクミくんの家まで送るね。ちゃんと覚えてるよ、私に任せて!」
シオリは自転車にまたがったまま、俺の手をぎゅっと握り、そのまま目を閉じた。俺は、その瞬間、身体が光の粒に変わっていく感覚を覚えた。ふわっとした浮遊感。そして次に目を開けたとき、すでに、俺の家の前にいた。
「すごい…本当に一瞬だ…」
俺は驚きを隠せないでいた。
「へへ、タクミくんの能力には劣るけど、私の能力だってすごいんだから!」
シオリは得意げに笑った。
「すぐに明晰夢に入るから待ってて!」
俺は自分の部屋へ駆け込み、そのままの格好でベッドに入ろうとして…。
(制服のまんまじゃ、さすがに…)
サッと着替えて、鏡の前で確認する。キャップを被り、パーカーを羽織れば、顔も髪もほとんど隠せた。シオリの分も用意して、ベッドへ横になると明晰夢に入り再びシオリと合流。キャップとパーカーをシオリにも着せ、目的地の現場へと向かって、空を飛び始めた。
シオリも、以前と比べて格段にスピードが上がっていたが、それでも遠すぎる。何キロも、何十キロも先まで飛ぶ必要がある。このまま二人で飛んでいては、いくらなんでも時間がかかりすぎる。
(このままじゃ、間に合わない…)
俺は焦燥感に駆られ、横を飛ぶシオリに声をかけた。
「俺が先に全速力で向かう。シオリは、ゆっくりでもいいから、俺の後を追ってきてくれ!」
「え?でも…」
「大丈夫、一人でもやれる。助けを待つ人がいるんだ。一秒でも早く駆けつけないと!」
俺の言葉に、シオリは一瞬躊躇したが、すぐに力強く頷いた。
「わかった!先に行って、タクミくん!私もすぐに行くから!」
「ああ!」
俺は、シオリと別れると、爆発的にスピードを上げた。もはや、生物が出せる速度などではない。まるで音速を超える戦闘機のように、夜空を駆け抜けた。風を切る音が、ゴーっと耳元で鳴り響き、街の景色が線となって流れていく。風が俺の頬を叩き、目が乾くが、俺は構わずに速度を上げた。
(間に合え!)
心の中でそう叫びながら、俺は一直線に現場へと向かった。
現場は夜間も救出作業のため、まわりの土砂の掘り返しが進んでいた。しかし、地下の配管から流れ込む大量の水が、作業を阻んでいる。重機が何度も水を汲み上げようとするが、それ以上の勢いで水が流れ込んでくるため、全く追いつかない。
俺は上空からその様子を観察し、救出の糸口を探す。
(あの水をせき止めることができれば…)
そう考えた俺は、現場の責任者らしき男性に話しかけるために、そっと着地した。彼は救出作業の指示を大声で出しており、その表情は疲労と焦りで歪んでいた。俺は彼の肩を叩き、声をかけた。
「すみません、水をせき止める方法があります!」
俺の言葉に、彼は怪訝そうな顔で俺を見た。
「なんだ、おまえは?高校生がこんなとこで何やってるんだ!邪魔だ!下がってなさい!」
彼は苛立った様子で、俺を追い払おうとした。
「邪魔じゃありません!俺に任せてくれれば、水をせき止めることができます!」
俺は、彼の言葉を遮って、真剣な眼差しで訴えた。俺のただならぬ雰囲気に、彼は一瞬、言葉を失った。
「お願いです!俺を信じてください。約束します、水を止めます!少しの間だけでいい、俺に任せてください。お願いです!」
俺には、もう迷いはなかった。自分たちの能力を隠すことよりも、人命救助を優先する。
俺の何度も懇願する真剣な姿に、現場責任者は、驚いた顔で俺を見つめていた。そして次第に彼も真剣な面持ちなっていった。
「…わかった。そこまで言うなら、騙されてみよう…君は、いったい何をする気なんだ…?」
彼はそう呟くと、すぐに指示を出してくれた。
俺は、彼の言葉を聞くやいなや、再び空へと舞い上がった。
(水をせき止めるために、離れた地面に大きな鉄板を差し込む…よし、やるぞ!)
俺は、少し離れた場所に資材置き場を見つけた。
この夢の世界の能力は、現実世界にも影響する。俺は確信を持って、巨大な鉄骨をまるで紙切れのように軽々と持ち上げ、急いで戻った。現場の誰もが、その光景に息をのんだ。
俺は、穴から少し離れた道路の上からその鉄骨を左右2箇所に差し込み、無理やり水の通り道を塞いだ。道路のアスファルトと配管を上から力づくで貫通させたため、バキバキという尋常じゃない大きな音が辺りに響き渡った。
俺は、すぐさま水が流れ込まなくなった穴の中へと降りていった。穴の中は真っ暗で、泥の匂いが鼻をつく。
俺は目を凝らし、車を探した。
(あった!)
俺は、土砂に埋もれた乗用車を見つけた。車の天井は土砂に埋もれ、車体は大きく歪んでいる。俺は土砂を払いのけ、車の底に潜り込み、両手で車体を支えた。そして、ゆっくりと、しかし力強く、車体を持ち上げ始めた。
「うおおおおお!!」
全身の力を込めて、車を空中に持ち上げる。周囲にいた救出隊員たちが、その信じられない光景に、呆然と立ち尽くしている。
ちょうどその時、俺の真上に、光の霧がフワリと現れた。そして、その光の中から、シオリが姿を現した。
「タクミくん!」
「シオリ!テレポートの準備を頼む!」
シオリは俺の意図を理解したかのように、どこかに飛び去った。
俺は乗用車を地面に置き、両手を車の屋根にかけた。そして、少しづつ、加減しながら屋根を引っ張った。
メリメリと、屋根が剥がれる音が響き渡る。まるで、おもちゃの缶詰を開けるかのように、車の屋根が力ずくで剥がされた。
その中には、ぐったりとした男性が座っていた。
「見つけた!」
俺はすぐに男性を抱え、外に運び出した。
男性は、かろうじて息があるようだったが、意識はなかった。現場責任者がすぐに脈を測り、生きていることを確認してくれた。
「よかった…助かったんだ…!」
俺は安堵の息を吐いた。
そこへシオリが空を飛んで戻ってきた。
「病院の場所は確認してきたから、あとは任せて!」
シオリはそう言うと、男性を抱きかかえ、再び目を閉じた。彼女の身体が、そして抱きかかえた男性の身体が、光の霧となって、その場から消えていく。まるで、魔法のように。
俺は、呆然と立ち尽くす現場の救出隊員たちに、男性を病院に運んだことを説明した。彼らは、俺の言葉を信じられないといった顔で聞いていた。
たしかに、急に来た男が空を飛んで救出し、女が病院にテレポートさせたなんてこと、信じられるはずもない。この夜の救出劇は、多くの人々の心をざわつかせることだろう。
しかし、俺はもうそんなことを気にしている場合ではなかった。
「人の命が助かったんだ…」
俺は、夜空を見上げて、自分に言い聞かせた。
この日の夜のニュースは、俺たちの話で持ちきりだった。
SNS上では、俺たちのことを「謎のヒーロー」や「超人」と呼ぶ声が多数を占めていたが、写真や動画は出回っていなかったことに安心した。と、同時に不思議に思う。
(ネットやテレビニュースに俺たちの姿が映ってなくてよかった…でも、なんでだ?…穴が巨大過ぎて、まわりに野次馬がいなかったからか…でっかい重機たちのおかげか?)
俺は、自室のベッドでスマホを眺めていた。ニュース記事には、あの男性が生きていることが書かれていた。一命は取り留めたが、全身打撲で意識はまだ戻っていないが危険な状態ではないらしい。
俺は、安堵の息を吐き、シオリに連絡をしてみた。
『助かってよかった…!』
数分後、シオリから返信があった。
『うん!意識はまだみたいだけど、一命は取り留めたって。助かってよかったね!』
その文面からは、彼女の安堵と喜びが伝わってきた。俺は、スマホを握りしめ、しばらく天井を眺めていた。
この超人じみた能力は、俺とシオリをただの高校生から、特別な存在に変えてしまった。そして、俺たちは、その特別な存在として、この世界で何ができるのだろうか。
俺は、静かに目を閉じた。
(これで本当によかったのか…?)
俺は心の中でそう呟き、疲れのあまりそのまま深く、深く、眠りについた。