13.新しい能力
あれから三日、俺はシオリに会うことはなかった。
金縛りにならないとこの世界に来れない、と言っていたシオリの言葉を思い出し、もしかしたらもう二度と会えないのかもしれないという不安が、じわじわと心の奥底に広がり始めていた。
バイトと学校の合間を縫って、俺は人気のない山奥まで移動し、自分の能力の応用方法を研究していた。
木々の間を飛び回り、重そうな岩を軽々と持ち上げ、全力で地面を蹴るたびに、まるで世界がスローモーションになるような感覚に陥る。
この超人じみた能力は、明晰夢という特殊な世界でしか発揮できないはずなのに、なぜあの夜、現実と重なり、人命救助にまで使えてしまったのか。その答えは、まだ見つからない。
「……夢と現実が重なるなんて、普通ありえないだろ……」
頭の中で何度も自問自答を繰り返す。
カオルさんが言っていた「インパクト」という言葉が、まるで呪文のように脳裏にこだましていた。俺の存在を知る彼女は、政府の関係者だと言っていた。俺の能力を危険視しているのか、それとも本当に解明のために協力を求めているのか。どちらにせよ、不用意に関わるのは得策じゃない。
シオリのことだってある。もし、シオリの存在が政府に知られたら、彼女はどうなってしまうのだろう。入院中の彼女に、これ以上の不安をかけるわけにはいかない。
だからこそ、俺は一人でこの現象の法則を見つけ出さなければならない。カオルさんの言葉を借りるなら、これは俺とシオリだけの特殊な能力じゃないのかもしれない。
この世界を悪用しようとする人間が現れる可能性もある。その時、俺は、俺たちは、どうすればいいのだろう。自分の能力をどう使うべきなのか。そして、シオリをどう守ればいいのか。そんなことを考えながら、俺は能力の研究に没頭していた。
そんな俺の目の前に、突然、銀色の光の粒が霧のように現れ、徐々に人型を作り始める。その光の粒が完全に収まったとき、そこに立っていたのは、俺が三日間ずっと会いたかった、シオリだった。
「ひさしぶり!タクミくん、やっとこっちに来れたよ!」
シオリは満面の笑みを浮かべて、大きく手を振っている。俺は想定外の登場の仕方に驚いたが、それよりもシオリの顔を見れた嬉しさでいっぱいだった。
「シオリ!久しぶり!よかった…もう会えないのかと思って、少し不安だったんだ」
俺がそう言うと、シオリは少し申し訳なさそうな顔をした。
「うん…私も、あの夜以来、なかなか金縛りになれなくて。ベッドの上でじっとしてるのも、すごくヤキモキしちゃって…」
そう言って、彼女は寂しそうに微笑んだ。俺は、彼女のそんな表情を見るのが辛かった。しかし、彼女がまたこの世界に来てくれた。それだけで、不安だった気持ちが嘘みたいに晴れていく。
俺はシオリを連れて、山の中にある、少し広くなった場所に腰を下ろした。
そして、カオルさんとの出会いから、現実世界と夢の世界の境界線、「インパクト」という現象について、今まで俺が検証したこと、すべてをシオリに共有した。シオリは時折、驚いたような表情を見せながら、真剣な眼差しで俺の話に耳を傾けてくれた。
「…そう、なんだ。私たちだけじゃなかったんだ…」
「ああ、そうみたいだ。もし、この現象を悪用する人間が現れたら、俺たちの力でどうにかしないと…」
「うん…そうだね」
シオリは、小さく頷いた。俺たちは、念のためにと、お互いの連絡先を交換した。
「これで、いつでも連絡がとれるね!」
シオリは嬉しそうに、スマホを握りしめている。その表情は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようだった。
「あっ、そうだ。タクミくんに見てほしいの!私すっごい能力が目覚めちゃった!」
シオリは、俺の話とはまるで関係ないと言わんばかりに、明るい笑顔でそう言った。俺は「え?」と目を丸くした。
「あの夜から、この世界に来れなくなったでしょ?病棟は夜でも看護師さんが交代制でいるし、警備員もいるから、今までみたいに簡単に病院を抜け出せなくなったの。窓からこっそり飛んで中庭の噴水まで行こうと思っても、中庭って病院のどの建物からも見渡せるから、目立ちすぎてしまうし…」
シオリは、その時の焦りと苛立ちを思い出したかのように、少しだけ顔をしかめた。
「あの時、私、すごく焦っちゃって。『いつでもどこからでも、噴水の力のようにタクミくんの町に移動することができたら』って、強く考えたの。それで、いつもタクミくんの町に移動するときみたいに光に包まれるイメージをしていたら…」
シオリは、そこで言葉を区切り、にっこりと笑った。
「私の身体が、光の粒みたいにサラサラと消えていって、次の瞬間にはタクミくんの町の公園に立っていたんだ!すごくない?」
「光の粒に…?そんなことがまさか!?」
俺は驚きを隠せないでいた。シオリは、自分の能力を自慢するかのように、得意げな顔で頷いている。
「ね!すごいでしょ!めちゃめちゃ便利なの!色々と試したけど、自分の見えている範囲とか、一度行ったことがある場所なら、特徴的な建物や景色を思い描けば移動できるみたい」
シオリは、まるで魔法使いになった子供のように、嬉しそうにそう説明した。
「やってみせるね!見てて!」
シオリはそう言って、立ち上がると、山の少し向こう側に見える、特徴的な木を指差し、ニコっと笑った。
「いくよ、タクミくん」
すると、シオリの身体が光に包まれ、霧のように消えていく。俺は、シオリが指差していた木の近くに、その光の霧が再び現れるのを目撃した。シオリは、木のてっぺんに立ち、こちらに大きく手を振ってから、再び光の霧となって、俺の目の前に現れた。
「す、すごい!テレポートじゃん!」
「ね!すごいでしょ!めちゃめちゃ便利なの!」
シオリの興奮が、俺にも伝染する。俺は、興奮を抑えきれずにシオリに尋ねた。
「なあ、これ…一緒にテレポートできるのか?」
俺の問いかけに、シオリは「うーん…どうなんだろう…」と首を傾げた。
「そうだ、今、試してみようよ!」
シオリは、俺の手を握って、目を閉じた。すると、シオリの身体と俺の身体が光の霧に変わり、ふわっとした浮遊感に包まれた。
「うわっ!」
俺が思わず声を出したとき、足元に硬い感触が戻ってきた。いつのまにか、そこはショッピングモールの看板の上だった。
「す、すごいよ!一緒にテレポートできるのか!俺にもやり方を教えてよ!」
俺が興奮気味にそう言うと、シオリは「うん!」と力強く頷き、イメージの仕方を教えてくれた。
それから何度か、俺もテレポートを試してみたが、俺の身体はピクリとも動かなかった。いくら頭の中でイメージしても、光の霧になることはなかった。
「やっぱり、俺にはできないみたいだ…」
「そっか…なんでだろうね」
シオリも不思議そうに首を傾げている。
「もしかしたら、噴水を通って移動したことがあるシオリだからこそ発現した能力なのかもしれないな。俺は、この世界に普通に入ってくるから…」
「なるほど…!そうかもしれないね!」
シオリは大きく頷いた。
「でも、シオリがその能力を持っていることは、本当に頼もしいよ。俺の力とシオリの力があれば、どんなことがあっても大丈夫じゃないかな」
俺はそう言って、シオリに微笑みかけた。シオリは、嬉しそうに照れ笑いを浮かべている。
俺たちはショッピングモールの看板に座り、引き続きこれまでのことを話し合った。この三日間で起きた、他愛のない日常の出来事や、学校の友人たちの話。俺は、シオリが楽しそうに笑うのを見て、心から癒された気分だった。
シオリとの会話に夢中になっていると、下から声が聞こえた。
「おーい!きみたち!」
ショッピングモールの警備員が、モールの駐車場から懐中電灯を俺たちに向けている。
「きみたち!そんなとこでなにやってんの!?危ないでしょ!早まっちゃいけないよ!おじさんが話聞くから!」
警備員は、俺たちを自殺志願者か何かと勘違いしているようだった。
俺は、ハッと我に返った。そうだ、ここは夢の世界であり、現実と重なっている。当然看板の上にいる俺たちの姿は、現実の警備員にも見えるわけだ。
「やべっ!現実と重なってるんだった。ここは目立つな…シオリ、お願い!」
俺がそう言うと、シオリは俺の言葉を理解したかのように、力強く頷いた。
「うん!」
俺とシオリは、また光の霧になってその場から消えていなくなった。
警備員は、目を丸くして、俺たちがいた看板を見上げたまま…。
「え…あれ?たしかに若い子がいたよな…ヒッ!ゆ、幽霊!?」
警備員の悲鳴が、夜空に響き渡った。