軍港近くのバーにて
港から聞こえる波の音が、薄暗いバーの中にわずかな静けさをもたらしている。棚に並んだボトルが灯りに照らされて輝き、古いジュークボックスからかすかに流れるジャズが、二人の会話を包み込む。
「ねえ、本当にそれでよかったのかい? サラの形見だったんだろう。」
サムおじさんはグラスをゆっくりと回しながら、ふと微笑んだ。その瞳の奥に、過去を懐かしむような光が一瞬揺らめいた。
「構わないさ。指輪一つ手放したけど、それでまた新しい指輪を買う理由ができたからね。」
サムおじさんの言葉に、真理は小さく微笑んだ。
「新しい指輪……ね。誰かに贈るつもり?」
軽い冗談のつもりだったが、サムは真理の目を見つめながら肩をすくめた。
「さあな。でもな、マリィ……俺もそろそろ、日本での生き方を考え直してもいい頃かもしれない。」
サムの声は冗談めかしていたが、その奥にある真剣な響きに、真理はグラスを傾けながら目を細めた。彼の言葉の意味をじっくりと噛みしめる。
「私が知ってる限り、あなたはずっと自由な人よ。日本に来ても、アメリカにいても、どこにいても、あなたはあなたらしく生きてる。今さら、何を考え直すっていうの?」
「……家族ってやつさ。」
サムはグラスを傾け、琥珀色の液体が揺れるのをじっと見つめた。
「俺にはサラとの思い出がある。でも、それだけでこの先の人生を生きるのは、ちょっと寂しいと思うようになったんだ。」
真理は静かに聞いていた。サムはいつも冗談ばかり言うが、時折こうして本音をぽろりとこぼす。
「そうね……でも、あなたが誰かと一緒にいる未来って、ちょっと想像しにくいわ。」
真理はくすっと笑った。サムも苦笑しながらグラスを置く。
「俺もそう思ってた。ずっと独りで、気楽に生きるのも悪くないと思ってたさ。でも、最近思うんだよ。たまには、誰かと食事をしたり、並んで歩いたりするのも悪くないってな。」
真理は静かに頷いた。彼の言葉の一つ一つが、どこか心に響く。
「……あなたは、誰かを探してるの?」
サムはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと真理の方を向いた。
「もう見つけたかもしれないな。」
彼の目が、少しだけ真理を覗き込むように輝いた。真理は思わず視線をそらし、グラスの縁を指でなぞる。
「……あなたって、本当にずるいわね。」
「そうかい?」
「ええ。でも、そういうところ、嫌いじゃないわ。」
二人の間に、静かで温かな空気が流れた。真理はふっと息をつき、空になったグラスを軽く揺らした。
「それで……この先どうするの?」
「さあな。俺のことだから、きっと気まぐれに決めるさ。でも、少なくとも……しばらくはここにいるつもりだ。」
サムは軽く笑い、真理のグラスに酒を注ぐ。
「じゃあ、また時々、こうして飲みに来てもいいかしら?」
「もちろん。むしろ、そうしてくれると嬉しい。」
真理は苦笑しながらグラスを掲げる。
「じゃあ……気まぐれな未来に、乾杯。」
二つのグラスが静かに触れ合い、心地よい音を響かせた。