閑話 おしんさんの話
「ただいま」とばあばが帰ってきた。あたしはここで暮らしてまだ一年の仔猫、本当はこの家の仔じゃないんだけど、あたしの母さんの家ではたくさんの猫が飼えないといって、兄妹たちを里子に出した。
あたしはその家の娘が、一人で暮らしているばあばの話し相手にと、あたしをここに連れてきた。ばあば、元気ないな。そう思っていた。
でもあたしがそばに行くと、やさしく背中を撫でてくれて、お話をしてくれるの。「ばあばにはなぁ、年上のじい様がいたんじゃよ。そりゃもう男前でな、本当にわしをかわいがってくれたもんじゃ。」
あ、このお話は三日に一回は聞いている。
「ほんとに、どこへ行くのも一緒でなぁ、県のえらいさんだったみたいで、ずっと仕事ばかりしておったんじゃが、ある日を境にピタッと仕事を辞めて、わしの相手をしてくれるようになったんじゃよ。」
あたしはばあばのそばにちょこんと座って、この昔話を聞いている。
「そんな時、急に動物園に行こうと言い出してな、初めはどういう風の吹き回しかと思ったんじゃが、動物園の動物を眺めて語りだしたんじゃ。」
このお話は、初めてのことなの。だからあたしはばあばの膝に乗って、ゆっくりと背中を撫でてもらいながら、話を聞くことにした。
「戦争があったとき、じい様はまだ若い官吏だったそうで、主に保健所で動物の管理、特に家畜の疫病なんかの仕事をしていたらしいのじゃが、動物の世話をするのがなにより好きだったようじゃな。」
動物好きなじい様だったら、今も一緒に生きていれば、きっと楽しく暮らせたのだろうな。
「そんな時、戦争が負け戦になってきたとき、いよいよこの浦賀にも爆弾が降り注ぐようになって、じい様は県令からある命令を受けた。」
ばあさまは一息ついて、その時のじい様の様子を思い出しているみたいだ。
「動物園の動物を殺処分せよと。」
え?動物が好きなじい様にそんなことをさせる?あたしはばあさまの顔を覗き込んだ。
「その時はね、広く街中まで爆弾が飛んできて、たくさんの建物やら施設が火事になってな、そんなときに動物園の動物が放たれて町の人の迷惑にならないように、そうなる前に殺してしまえとじい様に命令が来たんじゃ。」
「じい様はもちろん断ったが、町の人たちの安全のためといわれれば、そうするしかなかったんじゃよ。」
えっ?あたしはばあばが悲しそうな顔になるのを見て、一緒に悲しくなった。
「じい様は動物園でその時に事を謝っていたんじゃあないかと思うのじゃ。」
「わしには優しく語りかけてはいたが、本当は心で詫びていたんだろうなぁ。」
ばあばはそのまま、うんうんとうなずいて、あたしの背中を撫でてこう言った。
「小夜や、お前に話しておきたいことがある。わしももう長くはない。けどおまえを連れて逝くわけにはいかないのでなぁ……。」
最近のばあばの話はいつもこの話で終わるの。
「やがてわしが動けなくなった時には、お前をかわいがってくれるやさしい人に巡り合えればいいのだけれども、わしも探してやるにはもう年だからなぁ。」
そういうと、いつもの小皿にカリカリしたご飯をよそって、その上に煮干しを置いてくれる。
毎日がばあばの話を聞いて過ごしている。ばあばは毎日デイサービスに通って過ごしている。何をしているのか聞いてみたいけど、あたしにはわからないことだよね。
あたしは毎日こうしてご飯をくれて、いろいろなお話をしてくれるばあばと一緒に暮らしている。時々ご飯がないときもあるけど、そんな時はばあばの近くですりすりすると、おなかが空いていることをわかってくれるから、ばあばと一緒にいることが好き。
今日も一緒にばあばと寝て、一緒に起きて、ばあばをお見送りするの。そして夕方またばあばが帰ってきて、お話をする。そんな日がずっと続いているの。
あたしを連れてきた、母さんの家の娘は、じい様がいなくなってからはずっと一人で話し相手もなく、寂しそうに暮らしていたって言ってた。あたしが来てからは、少しずつ話をするようになったり、あたしのご飯の心配をしているから、ちゃんと起きるようになったんだって。
それから市の職員さんにすすめられて、毎日デイサービスに行けるようになったんだって。
デイサービスでは、お友達とお話をしているのかな。じい様を思い出して、泣いているのかな、そんな時に声をかけてくれる優しい人がいてくれるといいな。
あたしはそんな心配をしながら、ばあばの家で帰りを待っている。