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閑話 佐々木氏の話

「社長、いつもありがとうございます。おかげさまでこの度の商談もうまくまとまりそうでございます。」

 いつものように、決まり切った営業トークが高輪のクラブに響く。取引先の社長と常務を相手に、形式的な接待が進んでいた。

 いわゆる実務者の顔合わせを行っているのだ。社長が、

「佐々木君、そろそろ。」と小声で言うので、若い人のお見合いのように、

「あとはご担当者同士で楽しんでください。」といって、担当者を置いて、社長と行きつけの店に出向いたのだ。


 しばらく世間話を楽しんだ後、

「君にどうしてもお願いしたいことがある。」

 そういうと、グラスのウイスキーを一口含み、カウンターの奥へ目くばせをして、煙草を取り出すと、すぐに若いママがその先端に火をつけ、ライターを置き、こちらに会釈をした。

「晶子という。私の古い友人の娘でね、そいつは晶子が成人する前に先に逝ってしまったからな……。」

 晶子と呼ばれたその女性は少しうつむいて、社長のほうへちらりと目線をやり、うなずいた。

「こうして面倒を見て、店を持たせていたんだがね、もう自分も若くないので、そろそろこの娘の行く末を考えておかないとならないと思ってな、そこで旦那にするならどんな男がいいかと聞いたら、君がいいといったのでなぁ。」

 晶子はほほをうっすら赤らめながら、静かな手つきで僕のグラスに酒を注ぎ、水割りを作る。その仕草に、彼女の控えめな品の良さが漂っていた。

「こうして紹介できる機会をまっていたのだよ。」

 僕は晶子が作ったグラスを恭しく持ち上げ、軽く会釈をし、酒を飲んだ。


「晶子と申します。旦那様には今までとてもよくしていただいております。その旦那様のご紹介の方であれば、安心してお付き合いできる方ではないかと思い、こうしてお話をさせていただいております。」

 あ、まさか社長の女では?一瞬そんなことが頭をよぎった。少し間をおいてから神妙に社長の顔を伺うと社長は、少しニヤリとしてこう続けた。

「俺はもういい年だから、社長業も息子に引き継ごうと考えている。そうなるとだ、いずれ通わなくなるこの店と、晶子の身の上を心配しているんだよ。」

「晶子さん、そう呼ぶのは初めてですね。僕を気に入ってもらえているとのことですが、どこかでお話をしたことがありましたか?」

「いいえ、特にあなたとは長くお話をしたことはないのですが、その……。」

 少し照れながら言いよどんでいた。その様子を見た社長は、

「君はよく若い子に声をかけて撃沈する話をここで面白く聞かせてくれていただろう。」

「えぇ、お酒の力もあって、よくここで話をしていましたが……。」

 武勇伝でも何でもない、話のネタに自身の経験を自虐的に話して笑い飛ばしたことなんだろうな。いよいよ恥ずかしくなってきた。


「そんな話をした後に、晶子がなぁ。」ここでようやく晶子が口を開く。

「あの方には若い娘とのお付き合いは大変でしょう。でもわたしならって、社長に言ったんです。そうしたら、こうしてお会いできる機会を設けてくださって。」

「ほら、この顔だろ、これじゃ客商売は難しいだろう。ならいっそのこと彼と仲良くなってみるかと聞くと、小声でうなずいたものだからなぁ。」

 お互いに酒がいいように回ってきたころである。社長も饒舌になり、気分良く話し始める。

「そこで君に声をかけた。若い子から少し年の近い人に声をかけて、自然消滅したって話、まだ続いているのかい。」

 本当にこの爺さんは遠慮なく人が気にしていることをえぐってくる。

「ええ、今ではほぼ音信不通ですね。このところの在宅勤務を境に実家に行ってしまいましたから。」と、むすっとしながら答える。

「今回もまた、撃沈っと。」

「ひどいなぁ、まだ立ち直れていないんですから。」

「ほれ晶子、出番じゃよ。」そういって、晶子にも酒を勧め、意を決したように晶子も一口ブランデーを飲んだ。

「グッドラック。」そういって社長は店を後にした。


 晶子は社長を見送り、いそいそと僕の隣に座り、話始めた。

 店内にはほかの客はおらず、晶子とのゆったりした時間が流れた。

「佐々木さん、まだまだ遊びたいその年で、自分の将来のためにコツコツ努力できる人はそういるものではありませんよ。あなたはここでよいつぶれたことがないじゃない。」と、言いながら佐々木氏の酒を作る。

「楽しくお酒を飲んでいても、さいごにはシャキッとしてお会計を済ませたり、後輩の面倒をみたり、タクシーの手配をしたり、まるでお手本のような接待ができる気遣いのできる人だなと、拝見しておりました。」

「当たり前のことをしているつもりなのですが。」

「その当たり前を続けることができる人はそうはおりませんよ。」

 よしてくれ、人に褒められることには慣れてないんだ。そんなに優しくされると、ほら、耳まで赤い。僕が下を向いて照れていると、


「ここでお刺身をお出しした時、刺身のつままで召し上がっていたので、この人は気遣いができる人なんだと思いました。」

「どうして?」

「母がよく言っていたのですが、刺身のつままで食べる人は気遣いができて出世するって。」

「刺身のつまは、ただの飾りではありません。その役割を理解して認める人は、物事の本質を見抜ける人だと思うのです。それは刺身をおいしくするために、余分な醤油や刺身のドリップを吸い取って、おいしく食べてもらうために身を挺しているんです。」

「え、僕はもったいないから食べたので、そんなことは知らなかったなぁ。」

「お刺身を出したのだから、それだけを食べても終わっても、もちろんいいのですが、ちゃんと引き立て役まで認めて食べてくれる。そういう人はあまりいないのです。」そう言って一息ついてから、ブランデーを一口、

「ご自身も頑張っているのにそんなことは言わず、人の手柄を喜ぶ。仕事の花形ではなくて、支えている人に感謝できる。そういうお人だと拝見しております。」


 ああ、もうどうにかなってしまいそうだ。こんなに自分をほめてもらったことは初めてで、しかもきれいな女性に。

「こういうことがわかるのは、若い子たちには無理でしょうね。」

「貴方が傷ついている姿を見るたびに、そっと支えたい、私ならもっと役に立てるのにと思っていました。」


 そう言って、晶子は僕の方にうなだれて、腕に手を回す。


 それから僕たちは逢瀬を重ね、気づけば自然にお互いの存在がなくてはならないものになっていた。


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